第7話 逃げ出した伯爵
「伯爵をお呼びいただけないかしら。ワトサップ辺境伯の娘ジャネットが、面会に参りましたとお伝えくださいませ」
私は騎士たちに告げる。
彼らは青ざめながら、コクコクと頷いた。
私は王都における、辺境伯の名代でもある。
私の言葉は、辺境伯の言葉だ。
貴族の子女はみんな、さめざめと泣いたりしながら、腰が抜けているようで誰一人立ち上がらない。
「これでお嬢に逆らうやつはほとんどいなくなりますなあ」
「怖がらせても、対等な付き合いにならなくなるから嫌だったのだけど……」
「恐怖を知らぬ者たちは、つけあがりますわ、ジャネット様。だからこそ、王都の平和は天与のものだと勘違いする輩が産まれ、今回のような事件が起こるのでしょう?」
「確かにそうかも……」
ほどほどに力を見せつけて、立場の違いを教えた方がいいものなのだろうか?
なんだか文明的ではなくない?
いや、案外人間って、どこまで行っても野蛮なものだから、実感として色々分かってもらうように仕向けないといけないのかも。
私がそんなことを考えていたら、騎士が慌てて戻ってきた。
「その! 主は不在です!」
「はい?」
「ふ、不在で……」
「本当か? おい」
ナイツが威圧する。
辺境で、たった一人で複数のモンスターを相手取れる本物である彼。
発する威圧感だけで、並の人間なら竦んでしまう。
だがそれでも騎士は、「いなかった……!」と繰り返した。
シャーロットが「ふむ」と頷く。
「これは本当ですわね。ローグ伯爵、機を見るに敏、というところはあるのかも知れませんわね」
「どういうこと?」
「ずっとびくびくしていらっしゃったのでしょうね。逃げる準備も万端だった。だから、ジャネット様とわたくしたちが飛び込んできた音を聞いて、一目散に逃げ出したのですわ。つまり……彼は、この婚約破棄が不当であることを分かっていたか、あるいはコイニキール殿下の独断専行だったということですわね」
「ええと、つまり……婚約破棄は計画されてたけど……中身でみんな、ちゃんと統制が取れてなかったってこと?」
「その通りですわ、流石はジャネット様。わたくし、頭のいい方は大好きですわ!」
「それはどうも……って、こらこら、抱きつかないー!」
私は慌ててシャーロットを押し戻した。
「もっとも、第一王子という立場でいらっしゃるコイニキール様を、制することができる者はいなかったのでしょうけど。いたとすれば、ジャネット様ですもの」
「なるほど……。陥れられる対象の私が、その場にいるわけ無いものね」
婚約破棄は、陰謀だった。
でも、穴だらけの陰謀だったということだ。
だけど、それだってシャーロットがいなかったらどうなっていただろうか?
有耶無耶のうちに、既成事実化されていたかも知れない。
そうなったら……。
これを知った父が怒り狂い、蛮族を国内に通してしまうだろう。
長く続く平和に腑抜けていたエルフェンバイン王国は、間違いなく滅ぼされる。
実際に彼らと戦ってきた私は断言できる。
コイニキール、なんて馬鹿なことをしたのだ。
おバカ過ぎる。
「さて、ここで得られるものはもう何もありませんわね。ですけれど、決定的な証拠を手にしましたわ。ジャネット様」
「ええ」
私は頷いた。
これからやる事は決まっている。
王城にて、イニアナガ陛下に直談判するのだ。
そして私はこの場で宣言する。
「これから、婚約破棄にまつわる事件を公にするわ。国の調査が入ることでしょう。ねえ、みんな。まだここにいるつもり? どちらに付くの?」
腰が抜けていたらしい子女たちが、ハッとする。
そして、渾身の力を振り絞って立ち上がる。
「ジャネット様!」
「ご機嫌麗しゅう、ジャネット様!」
「これからよろしくお願いいたします!」
全然ご機嫌麗しくない。
だけど、今回の事件で私は思い知ったのだ。
人の繋がりは持っていないと危ない。
おバカな陰謀を企む人々によって、国の安全が脅かされてしまうのだ。
辺境からやって来て、アカデミーの講堂の隅でボーッとしている場合じゃない。
立場なりの責任というものがある。
なるほど、私を辺境伯の名代とした父の意図が分かった。
王都で何かあったら、あの人が国を滅ぼしてしまう。
父がその気にならないように注意せねば。
だから王国も、辺境伯に首輪をつけるために、コイニキールと私を婚約させたわけね。
馬車は取って返して王宮へ。
本当に、昨日今日と忙しい。
王都でこんなにもバタバタ走り回ることになるなんて、思ってもいなかった。
王城の前に馬車を止めると、私は降り立つ。
「おおっ!! ワトサップ辺境伯令嬢!!」
兵士たちが私を見て、すぐに道を開ける。
「ジャネット様は特徴的なお姿ですし、こういう時は本当に便利ですわね」
「おまけに美人だからな。一発で兵士も顔を覚えちまう。本人が通行証だな」
「二人ともうるさい!」
私が城にやって来たという情報は、すぐさま陛下まで届いたらしい。
謁見の間までやって来ると、玉座にはまだ顔色の悪い陛下がおられた。
「あの陛下。お腹、大丈夫ですか……?」
「ああ。大丈夫だ……。魔法医が回復してくれてな。だが、まだキリキリ痛い。慢性だ……。ジャネット殿は優しいな」
私は、イニアナガ一世陛下は嫌いじゃない。
むしろ、好感を持っている方だ。
陛下も陛下で私を気に入って下さっている。
なので、あの婚約が成立していれば、王国と辺境伯家はとてもいい関係を築けたはずだが……。
「陛下。事の裏には、ローグ伯爵とその派閥がおります。すぐにローグ伯爵をお呼び下さい。本人は逃げ出していますので、探し出して下さい」
「なんだと!!」
陛下は座った姿勢のまま、ぴょーんと飛び上がった。
そして私の後ろに佇むシャーロットを見て、何もかも察したようだった。
「ラムズ侯爵令嬢……。ジャネット殿に悪いことを教えていないだろうな」
「めっそうもございませんわ、陛下」
「信じられない……。お腹が痛くなる」
アイタタタタ、とお腹を押さえつつも、きちんと臣下に命を出し、ローグ伯爵を捜索させる陛下なのだった。