第23話 魔犬あらわる
夜。
危ないからよしなさいな、というナイツを説き伏せて、カゲリナとグチエルを馬車で回収して回る。
彼女たちの馬車では、何かあった時に守りきれないからだ。
この辺り、ヒーローの研究事件で私は学習した。
二人は私の向いに座り、キャッキャとはしゃいで、謎の魔犬について想像を巡らせている
私としては、ヘルハウンドみたいなのだったら興ざめだなあという気持ち。
あれは戦場で一度見たことがあるし、城壁の上からなら何度も見ているけれど、とても美しいなんて言えるものじゃない。
赤黒い巨大な体と、白目しかない目玉。
半開きの口からはよだれの代わりに炎を撒き散らし、戦場の死体を食い漁る。
場合によっては、近くにいる者を積極的に死体に変えようともする。
強さ的には、「まあ大したことないですな。虚仮威しですよあんなもん」とナイツが言うくらいだから、相当強い。
ナイツの言葉を信用してはいけない。
「ジャネット様! 私、お菓子を用意して来たんですの!」
「私はお茶! 馬車の中ではティーカップが使えないのですけど、この魔法瓶という保温できる瓶の紅茶を、簡易カップで飲むので……」
「本格的!」
二人とも本気で楽しみに来ている。
これも、王都のお嬢様の娯楽なのだろうなあ。
私も楽しむことにしよう。
ヘルハウンドくらいなら、ナイツがいれば相手にもならない。
ナイツ以外だと相手にもならなそうだけど。
「お嬢、つきましたぜ。この間ぶっ壊した塀を直す間もなく、みんな夜逃げしたんですなあ」
到着したローグ伯爵家。
住人がいなくなり、灯りが消えた屋敷は、なんとも不気味に見えた。
照明と言えば月明かりばかり。
物取りが入ってきて、家財道具などを奪っていったそうで、その時に窓ガラスなども外されて持っていかれている。
「まあ……」
カゲリナとグチエルが、想像以上に荒廃したローグ伯爵邸に息を呑む。
少し前まで、彼女たちはローグ伯爵家の派閥に入っていた。
この屋敷を訪れて、一緒にお茶を飲むことも多かっただろう。
見慣れた場所が、あっという間に見知らぬ場所になる。
ちょっとした衝撃だと思う。
言葉を失っている彼女たちをよそに、私は馬車の窓からじっとローグ伯爵家を観察した。
「確かに荒れてきているけれど……。でも、思ったよりもちゃんとしてる気がする。ナイツ、確かローグ邸に物取りが入ったのは随分前よね?」
「ええ、そうですな。たまに来るデストレードのお嬢さんから聞きましたが、ローグ邸に盗みに入ろうとする奴はいるけど、何かを盗み出すみたいなのはできてないとか。捕まえても、みんな何かに怯えちまってるらしくてですね」
「あなた、いつからデストレードと仲良くなってるのよ。っていうかそんな頻繁に来るの、彼女? ……いやいや、今はそうじゃない」
気を取り直す。
「何かに怯えるって、それがつまり、カゲリナとグチエルの言っていた、魔犬ってこと? ヘルハウンドじゃなく?」
「ヘルハウンドなら死んでますな」
「そう言われればそうか」
戦場で何度もヘルハウンドを退治したナイツの話だ。
信憑性が高い。
「一応、降りない方がいいわね」
「それが賢明ですな」
ということで、馬車の中からの観察を続行する。
特に何もなく、時間が過ぎていく……と思っていたのだが。
案外早く、それは姿を現した。
燐光とも違う、青白い光が屋敷の中に灯る。
それはゆっくりと屋敷の中を移動していく。
カゲリナとグチエルがくっつきあって、キャーッと悲鳴をあげて真っ青になった。
真っ青になるくらいなら、どうして肝試しに来たんだ。
「あれは……魔法の灯りに近くない?」
「ですな。俺も見たことが無いタイプです」
ナイツも知らない。
ということは、本当に未知の何かだろう。
それは開け放たれた扉から、悠然と姿を現す。
自らが宿した青白い光から、何物なのかがすぐに分かった。
犬だ。
大きな犬。
尖った耳を立て、鼻先はすらりと伸びている。
毛はそこまで長くなくて、どこか狼のような印象を与える犬だ。
光り輝く犬は、ひらりと屋根の上に飛び上がった。
そして玄関の真上まで来ると、じっと私たちを見つめた。
多分、私と目が合ったと思う。
カゲリナが目を回して倒れたので、すぐにそれどころではなくなってしまったが。
「ナイツ、この辺りで帰りましょう」
「了解ですぜ。しっかしまあ、やっこさん、敵意みたいなのを感じねえなあ……」
ナイツが意味深なことを言った。
私も不思議と同じ気持ちだ。
あの犬のことは、危険な怪物だという気がしない。
それどころか、どこか物悲しい雰囲気すら感じるのだ。
あれは何なのだろう。
考えている間に、馬車はローグ邸の前から離れていった。
魔犬は追ってこない。
ナイツの話では、じっとこちらを見つめていたという。
翌朝のこと。
王立アカデミーで、私はローグ邸の前で殺人事件があったという話を聞いた。
「きっとあの犬がやったんだわ!」
「怖い! あの魔犬は人を殺すのよ!」
カゲリナとグチエルが蒼白になってぶるぶる震えているのだが、昨日とあまりにも反応が違いすぎないか?
本物を見て、恐怖を覚えたのだろうけれど。
事件の内容は、恐らく物取りに入ろうとしたのだろう男が、後ろから鋭い何かを突き立てられて絶命していたそうである。
以前から、あの辺りではローグ邸の魔犬という噂はあったそうで、今回の事件によって屋敷に住む危険な怪物の話が広まるのではないだろうか。
私は胸騒ぎを覚える。
こんな時こそ、あの推理好きな友人を頼る時であろう。
講義が終わった後で、シャーロットに会いに行くことを決意する私だった。
 




