第110話 蛮族出身の兵士
「この間お嬢が来てたので、無理を言ってお館様にこっちに越させてもらいやした!」
髭面で浅黒い肌、体が縦にも横にも大きい男が現れて、我が家の玄関先で叫んだ。
「ギルスじゃない! 一人で来たの?」
それが顔見知りの兵士だったので、私は外に飛び出してくる。
「へい! 王都ってのはとんでもねえところですなあ。俺が住んでた場所とは別世界だあ」
ギルスというこの男は、元々は辺境の外縁に住まう蛮族だった。
蛮族というのは、蔑称でもなんでも無い。
彼ら自身が蛮神と呼び崇める存在がいて、蛮神に仕える一族だから蛮族なのだそうだ。
数百年前に南方からやって来た民で、精霊の力と遺跡の力を合わせたような、不思議な技を使う。
かつて彼らが現れた時、エルフェンバインはまたたく間に辺境の一部を征服されてしまった。
それが今、ワトサップ辺境伯領に面した蛮族たちの土地だ。
エルフェンバインは全力を以て蛮族と戦った。
蛮族たちは強力だったが、数が少なかったのだ。
エルフェンバインは数の力で押し、昼も夜もなく攻め続け、蛮族の勢力を削いで辺境の一角に押し込めた。
そしてここを見張る意味で、辺境伯領が生まれたというわけだ。
戦争になれば人死が多く出る。
死者たちを喰らおうとモンスターも集まった。
やがて、モンスターまでもが辺境に住み着いてしまった。
お陰で今も、ワトサップ辺境伯領は化け物が跳梁する魔窟、なんて言われる。
事実だもんなあ。
「おー、ギルスじゃねえか。一人で来れたのか。大したもんだなあ」
「ナイツの兄貴! うへへ、頑張りやした」
ギルスが相好を崩して後頭部をポリポリ掻いた。
あっ、フケが落ちた!
「ギルス、あなたしばらくお風呂入ってないでしょう。王都は清潔なの。兵士たちの寮のお風呂沸かしておいてあげるから、入ってきなさい」
「へい! ありがとうございやす!」
ギルスが私に、深々と頭を下げる。
彼はしばらく王都に滞在するということなので、それでは王都向けに小綺麗にしてやらねば、ということになった。
ギルスを風呂に浸からせている間に、王都向けの服を用意してやらないと。
一番サイズが大きい兵士向けの服を見繕い、メイドがそれに、猛烈な勢いでワトサップの紋章を縫い付けた。
これで誰もが、ギルスがワトサップの臣下だと分かることだろう。
しばらくすると、髪もヒゲもさっぱりしたギルスが戻ってきた。
服装もパリッとしていて見違える。
「ちくちくしますな」
「しばらくぶりのお風呂だったでしょ」
「故郷では水が貴重なんで、風呂に入らないですからなあ」
わっはっは、と笑うギルス。
こう見えて、蛮族の族長を打ち倒した戦いの時、五人がかりでナイツといい勝負をした男なのだ。
五人とは言え、ナイツとやり合って生きているのは相当強い。
なお、ギルスを率いていたのが蛮族の族長で、言うなれば彼は族長の親衛隊だったことになる。
仲間の四人は族長の死を知ると逃げ去り、ギルスだけが残った。
そして彼は投降したのだ。
彼曰く、「時代が変わった。蛮族の総攻撃すら通じないならば、これから百年の間、蛮族は理想郷を得られない。俺の血を残すために俺は蛮族を捨てて理想郷の民になりたい」とか。
理想郷というのが、蛮族が呼ぶエルフェンバインの名前ね。
かくしてギルスは裏切り、辺境伯領の一員となった。
最初は内偵ではないかと疑われていたけれど、父がギルスと酒を酌み交わして話し合い、ギルスが完全に父に心酔したので、これは内偵であっても用を成さなくなったなと判断された。
ちなみに彼は本当に内偵だったのだけど、父に心酔して以降は偽情報しか蛮族側に流していないのは確認済み。
「お嬢、ギルスをシャーロットに見せてやりましょうや」
「いいわね!」
『わふ!』
いつの間にかバスカーまで出てきた。
バスカーを見て、ちょっとたじろぐギルス。
「うおーっ!? ガルムじゃねえですかい! お嬢、本当にガルムを手なづけちまったんで……? ひょえええ……。ワトサップの白銀の魔女、未だ健在だあ……」
それも蛮族からの私の呼び名ね。
魔女とは人聞きの悪い。
「その呼び名は禁止!」
「へ、へい!」
ギルスがぺこぺこした。
『わーふ』
バスカーがギルスを見て、鼻を鳴らす。
これは、ヒエラルキーがバスカーの下に置かれたな?
「これからは王都にいる先輩であるバスカーを敬うように」
「へへー!」
バスカーに頭を下げるギルス。
よろしい、とばかりに、バスカーが鼻をひくひくさせた。
よしよし。バスカーからのギルスへの印象はいいみたいだ。
こうして私たちは、せっかくなので王都を歩き、シャーロットの家に向かった。
普段なら馬車なんだけど、歩いたほうがギルスの観光になるし。
「ほえええ……。平和なところっすなあ……。道行く男と男がぶつかりあって、殴り合いの喧嘩をしたりしてねえ」
「辺境は殴り合いが挨拶みたいなところがあるもんね。私もこっちに来てから、男たちのあの挨拶はちょっと変わってたんだって知ったわ」
「お嬢もお上りさんだった時期があるんで!?」
「当たり前じゃない。私だって王都からすれば、まだまだ田舎者だわ」
なので、私は王都での暮らしを謙虚に過ごしているつもりなのだ。
なんかナイツが笑いを噛み殺すみたいな顔してる。
その顔はなんだー!
貴族街から下町に移ると、ギルスはホッとした顔になった。
「なんかようやく辺境に似た空気になりやしたね! まだまだ全然のどかですがね」
「そうねえ。一応ここが王都では一番危険な場所。多少は命の危険があるのよ」
「ははあ。なかなか住み良さそうですなあ」
下町の人々が、私たちを見てギョッとしたり、そそくさと道を開けたりしてくれる。
「今日はみんな、いやに大人しいわね」
「そりゃあそうでしょう」
ナイツが笑う。
「プラチナブロンドの美少女が、どでかいモンスター犬と、腰に剣と斧を佩いた大男を二人引き連れて歩いてるんですから。明日にゃ、また噂になりますよ」
「ええ……!? め、目立つ?」
「これ以上無いくらい目立ちますな」
しまった……!
私は頭を抱えた。
そんな事をしていたら、もうシャーロット邸の前だった。
いつものように、私の親友は扉の前に立って待ち構えている。
下町遊撃隊の子が近くにいて、「来た! ほら、シャーロットさん! お姫さんがとんでもない行列を作って来たでしょ!」などと言ってぴょんぴょん跳んでいた。
「さすがのわたくしも、こういう来訪になるとは予想もできませんでしたわね。さすがジャネット様」
シャーロットの褒め言葉、全然嬉しくないよ!




