小話「栞の妖精」後編
――殿方を振り回す女性っているじゃない?
――いますね。
――わたくしたちから見れば性悪の根源ですけれど。
――なぜか殿方に人気で……どうしてでしょう?
――自分に自信があるからでは?
――ゆえに、男性に媚びていないところがよいと。
――庇護欲をそそる、従順な女はお好みでないのかしら。
――それはそれで、性悪ですわ……こそこそ(レイ王国の第二王女を思い出して)。
――可愛さ余って憎さ百倍、的な?
――目の前にいたら、お茶をかけてやりたいですわ。
――熱々のお茶をね。
――ほんとうに。
先日のお茶会で繰り広げられた、ご令嬢たちの会話を思い出して、メアリは視線を遠くに向けた。女性に振り回される殿方の気持ちが、今なら少し分かる気がする。
「ちょっと、メアリが困ってるじゃない。協力してあげなさいよ」
『してるよぉ』
『本当は持ち主のところに帰りたいんでしょ?」
『それ以上に、あの子の秘密を守ってあげたいのぉ』
「秘密って何よ」
『ちょっとぉ、秘密って言葉の意味もわかんないのぉ……いだっいだだだだっ』
『『いいぞ、やっちまえっ』』
細い目をさらに細めて、妖精の頬を引っ張るアルガに「やめなさい」と注意する。
「とりあえず、今は私たちだけで考えてみましょう」
「早い話が、訪問客の誰かが落としたっていうだけだもんね」
『この部屋は毎日きれいに掃除されているから』
『時間や日にちも限定できる』
「小間使いたちの中に、パメラっていう名前の子はいないし」
『あの子たちはメアリのことを心から慕っているから』
『アキレスに横恋慕するなんてことはないと思うけど』
アルガが手紙を見つけた前日の記憶を、メアリは辿っていく。
「午後の訪問に公爵夫人、貴族のご令嬢方が二人ほど」
『ああ、メアリの粗探しをしに来た奴らね』
『見るからに意地悪そうな顔してたよね』
「……あと、マルクス殿下もいらしたわ。侍従の方を連れて」
「皇子は除いてよさそう」
アルガの言葉に、メアリもうなずく。
『女たちの顔なら、僕らも覚えてるし』
『ちょっと行ってくるね』
瞬時に姿を消してしまう精霊たち。
どうやら調査に行ってくれたようだ。
まもなくして、彼らは戻ってくると、
『筆跡が違う』
『うん、三人とも、手紙の筆跡と、ぜんぜん違った』
そうなの、とメアリは頬に手を当てる。
「だったら誰が……」
その時ふと、ある人物の顔が脳裏をよぎったものの、「まさか」とメアリは声に出して否定した。けれど万が一ということもあるし……仮にその考えが当たっていたとしたら――。
視線を感じて顔を向けると、アルガがじっとこちらを見ていた。
「メアリの考えていること、当ててあげましょうか?」
目を細めて、にっと笑う。
「アルガ、あなたはどう思う?」
「仲間を行かせて、筆跡を確認してもらったほうが早いよ」
そうよね、とメアリは妖精に聞こえないよう、小声で精霊たちにお願いした。
「……お願いできる?」
『『もちろん』』
…………
……
…
メアリはその手紙をビリビリに破くと、さらに暖炉にくべて燃やしてしまった。
「はい、これでいい?」
『……ありがとう』
妖精はつぶやくように言い、途中にはっとしたように口を開いた。
『もしかして気づいちゃった?』
不安そうな声を出されて、「大丈夫、秘密は守るから」と力強く約束する。
「でも知らなかったわ。あの方が刺繍をされるなんて」
見事なものだと、あらためて栞に施された子猫の刺繍を眺める。
とても素人が作ったものとは思えない。
『あの子の趣味なの。周りには隠してるけど』
「だから自分の名ではなく、『パメラ』と刺繍したのね」
『もう一つの、あの子の名前。あの子、甘いものに目がないから』
セイタールにおいて、同性愛は不毛であり、禁忌とされている。噂程度ですめばよいが、目に見える証拠があった場合、糾弾され、処罰されてしまう。もっとも罰を受ける前に、周囲の偏見の目に耐えかねて、自ら命を絶ってしまうケースが多いというが。
『だからあたしは、あの子のところへは戻れないの』
「あら、そんなことはないわ」
メアリは優しい声で言った。
「手紙とあなたは別物だもの」
***
「では、配属先が決まりましたのね」
「はい。まずは第五騎士団で後方支援に当たるよう、命じられました」
生き生きとしたマルクスとは対照的に、後ろで控えている侍従のヤニスはどこか浮かない表情を浮かべている。時折、落ち着かない様子で辺りを見回し、ため息をつく。
メアリがマルクスと宮廷の噂話に花を咲かせていると、いつの間にか侍従の姿は消えていて、
「殿下、そろそろお暇するお時間です」
部屋の外から戻ってきたヤニスは、晴れやかな顔でマルクスに声をかける。
彼の顔を見て、どうやらアルガがうまくやってくれたようだとメアリはほっとした。
「それでは失礼いたします」
二人を見送ったあとで、アルガに声をかける。
「ありがとう」
「どういたしまして」
メアリがマルクスの気を引いているあいだに、アルガがヤニスを部屋の外へ連れ出し、栞を彼の内ポケットにこっそり忍ばせる。さらには仲間の精霊たちに魔法をかけさせ、問題の手紙は自身の手で処分したという記憶を植え付けてもらったのだ。
「……アキレス様は、本当におモテになるのね」
今さらながら、メアリは噛み締めるように言った。
「ノエもよく言ってる。皇子の周りには人が集まるんですって」
「私にはもったいない方だわ」
「本人に言ってやれば」
メアリは意を決して、文机に向かった。
それからまもなくして、「皇太子殿下がお越しです」という衛兵の声を聞いた。
メアリは慌てて鏡の前に立つと「どこかおかしなところはないかしら」とアルガに訊ねるが、彼女はすました顔で、「いつも通りお綺麗ですよ、王女殿下」と返してくる。どうやら侍女モードに入ってしまったらしい。
念のためにお粉をはたくべきか考えていると、
「メアリ」
アキレスが息を切らせて入ってきた。隣にはノエの姿もある。皇太子として多忙な日々を送る彼だが、少しでも時間があると、こうしてメアリに会いに来てくれる。
「今夜の夕食は一緒にとれそうだ。今日は何があった?」
きらきらとした笑顔を向けられて、自然と頬に熱が集まる。
当然のように抱きしめられて、心臓が今にも飛び出そうだ。
「あの、申し訳ありませんが、少し離れてくださいませんか」
そっと胸のあたりを押し返すと、アキレスの顔がこわばった。
なぜかショックを受けているようなので、
「ち、違うのです。あの……」
メアリはいそいそと文机に向かうと、一枚の封筒を手に、アキレスの元に戻った。
「私、お手紙を書きましたの。大切なことは言葉にしないと、伝わらないと思って」
「俺に?」
ずいぶんと立ち直りが早いですねという側近の皮肉にも動じず、早速とばかり封を破ろうとするので、メアリは慌てた。
「今、読んではダメです」
「どうして?」
恥ずかしいから、と顔を真っ赤にして言うと、アキレスはぽかんとしていた。短い沈黙のあとで、こわごわ彼の顔を見上げると、なぜか彼もほんのり顔を赤くしていて――
「どうやら二人の世界に入っているようなので、邪魔者は退散しましょうか、アルガ」
「そうですね」