甘い新婚生活⑤
精霊たちの案内でアキレスを見つけたメアリは、血まみれの彼を見て、思わず怯んでしまった。獲物を咥えて唸り声を上げる様子が、野生の獅子そのものだったからだ。
「……アキレス様」
驚かさないよう、そっと小声で呼びかける。
まだ彼の心が完全に獣化していないことを願いながら。
アキレスはメアリに気づくと、咥えていた獲物を地面に落とした。けれど今度は逃げようとせず、落ち着かない様子でウロウロと歩き始める。時おり鼻をヒクつかせながら、メアリの周りをぐるぐる回っていた。
――早く呪いを解かないと。
小瓶を片手に近づこうとするものの、メアリが近づいた分だけ、アキレスはじりじりと離れてしまう。これでは一向に彼に近づけないとメアリは焦った。
――もしかして警戒している? 私を?
『というより、自分が何をするか分からないからじゃない?』
『メアリを傷つけないよう、距離をとってるんだ』
これでは埓があかないと、メアリは必死に考えて、あることを思いつく。うまくいくかわからないが、彼が本当に自分のことを愛しているのであれば――そう期待し、メアリは悲鳴を上げた。
「きゃああっ」
まるで見えない誰かに刃物で刺されたような声を出して、うずくまる。
『突然どうしたの、メアリっ』
『誰だっ、メアリをヤったのはっ』
『白状しろっ』
『お前か? お前だなっ』
内輪揉めを始めた精霊たちの横を、風が通り過ぎる。ものすごいスピードでメアリに駆け寄ってきたアキレスが心配そうに鼻先をすり寄せると、
「捕まえたっ」
直後にメアリは彼にしがみつき、小瓶の中の鱗粉を浴びせた。
するとアキレスの姿が徐々に人間の姿へと変化していく。
無事に呪いが解けてほっとしたのも束の間、
「きゃあっ」
メアリは再び悲鳴を上げて、俯いてしまう。
なぜなら彼が裸だったからだ。
『だから誰だ、メアリをヤったのは?』
『ってか皇子がもとに戻ってる』
『呪いが解けてよかったねぇ』
『メアリはなんで顔真っ赤なの?』
するとまもなくして、
「アキレス殿下、ノエから預かってきました」
侍女の姿をしたアルガがどこからともなく現れる。事情は仲間たちから前もって知らされていたのだろう、特に驚いた様子もなく、持っていた衣類をアキレスに手渡した。
「戻るのが遅くなってごめんね、メアリ。ノエって話が長いから」
「ありがとう、アルガ」
ちらちらとアキレスの着替えを盗み見ながら、彼が服を着たことを確認すると、メアリはあらためて彼に向き直った。
「私のことがお分かりですか?」
「ああ、メアリ、その……迷惑をかけてすまなかった」
アキレスは決まり悪そうに頬を掻くと、
「あの姿だと、人としての理性や倫理観が欠如してしまうようで、ところどころ記憶が曖昧なんだ。俺は君に、ひどいことをしていないだろうか?」
彼が呪いにかかってからは、できる限り彼のそばにいた。この森に戻って、人目を気にしなくなってからは、食事をする時も、お風呂に入る時も、眠る時も、ずっと一緒だった。人の姿でいる時よりも、若干スキンシップが激しかったように思えるが、メアリは気にしなかった。やたらと舐めてくるのも、彼なりの愛情表現だったに違いない。
「いいえ、むしろ……」
「むしろ、何?」
これ以上は言えないと、メアリは赤くなっているだろう顔を隠した。
『おえっ』
『砂吐きそう』
「メアリ、さすがにそろそろ城へ戻らないと」
それもそうねと、立ち上がる。ずいぶんと長いこと留守にしてしまったから、家臣たちが主人の帰りを待ちわびているはずだ。
「行きましょう、アキレス様」
しかし彼は名残惜しそうに周囲を見回すと、
「これで見納めか」
寂しげな口調で呟く。
ここでの生活がよほど気に入ったのだろう。
「楽しかったな」
「また来れますわ」
「本当に?」
「次は私が、魔法で子犬の姿に変えて差し上げます」
それはさすがに勘弁して欲しいと、困ったように笑う。
「そうだわ、アルガ、アキレス様に剣をお返ししないと」
「そう思って一緒に持ってきたわ」
さすがは有能な侍女だと関心しつつ、受け取った剣をアキレスに差し出す。しかし彼は受け取らず、「できればここに置いたままにして欲しい」と言った。
「よろしいんですの?」
「……ああ」
夫婦になった以上、隠し事はよくないと思い、ニキアスとのことは全てアキレスに話した。そのせいもあるのだろう。捕え次第、即死刑にしてやると、珍しく息巻いていた。
「あの男の魔力が宿った剣など不要だ」
「ですが、御身を守るためにも武器は必要ですわ」
「剣の代えならいくらでもある」
「でしたら私に強化魔法をかけさせてくれませんか?」
いいのか? とアキレスは嬉しそうに笑う。
「ええ、アキレス様をお守りするためなら」
この世界に二つとない魔法の剣にしてみせると、メアリは張り切っていた。
「愛してる、メアリ」
「はい……私も」
では帰ろうかと手を差し出されて、メアリは躊躇なく握り返す。これからは、彼のいる場所が自分の帰る場所なのだと思いながら。
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