幸せな結婚式④
争いが嫌い、喧嘩も嫌い、暴力を振るう人たちが嫌い――お姉様は綺麗事ばかり口にする偽善者だと、異母妹にもよく責められたものだ。お前は為政者には向かないと、父にも言われた。
その結果、罠にかけられ、国外追放された。
要するに競争に負けたのだ。
以来、他人とは距離を置くつもりだったのに、アキレスやセイタールの人々に出会って、初めての恋を知って、また懲りずに考えるようになっていた。人間と精霊が共存できる世の中を――争いのない世の中にしたいと。
綺麗事を口にするだけでは馬鹿にされる。馬鹿にされるだけならまだしも、恨まれることもある。なぜならそれを実践し、実現するだけの力がないからだ。メアリはメアリなりに、そんな人間にならないよう、努力してきたつもりだ。
――やっぱり私はあまちゃんね。
自嘲するようにメアリは笑った。
なぜなら知らなかったから。
今だかつて、これほどまでに激しい怒りを覚えたことがなかったから。
今あるのは、ニキアスに対する怒りだけ。
彼の頬をひっぱたいてやりたいという、暴力的なまでの怒り。
メアリにとって家族同然である精霊たちを捕え、小さな昆虫に変えた挙句、蟲籠に監禁していること。メアリの記憶を奪ったこと、婚約者だと嘘をついたこと――そして嘘をついたまま、自分と結婚しようとしていること。
何より許せないのは、
「アキレス様は今、どんなお気持ちかしら」
結婚式当日に花嫁がいなくなるなんて、花婿にとってはとんだ屈辱だ。
裏切られたと思っているだろうか。
怖気づいて逃げたと。
「……許せない。絶対に」
とにかくここから出なければと、近くにあった椅子を投げて窓硝子を割ろうとした。
しかし硝子にはひび一つ入らない。
「監禁されているのは私も同じなんだわ」
だから窓は全て嵌め殺し。出入口となる扉も一切ない。ひとまず先に精霊たちを逃がそうとしたものの、蟲籠を開けようにも、そもそも蓋となる部分がなかった。籠自体も頑丈で、簡単には壊せそうにない。
鉄は精霊たちにとって毒物のようなもの。
このままでは、外界からエネルギーが摂取できず、弱っていく一方だ。
「そうだわ」
今一度辺りを見回し、目当ての物を見つける。
メアリは乾燥した植物の根や葉をできる限り集めると、それを蟲籠の周りに置いた。それから目を閉じると、手をかざして、アルガに教わった呪文を唱える。すると植物は瞬く間に瑞々しさを取り戻し、成長して蟲籠の内部にまで根を伸ばしていく。
「とりあえずこれで飢えは凌げると思うけど」
『うん、これけっこういけるよ』
『むしゃむしゃ……うまうま』
『はー、生き返るぅ』
『死ぬかと思った』
昆虫の姿から小人の姿に戻る精霊たちを見て、ほっと胸をなで下ろすメアリだったが、
「この部屋には入らないでくださいと言ったはずです」
既にニキアスが戻ってきていた。
暗い表情を浮かべて、じっとこちらを見ている。
「魔力の気配がしたので、まさかと思い戻ってきてみれば……記憶が戻ったんですね」
メアリは立ち上がると、すたすたとニキアスに近づいていき、思い切り彼の頬をぶった。
「あなたとの婚約は破棄します。もともと、婚約などした覚えもありませんが」
それから押し付けるように指輪を返す。
「アキレス様から頂いた指輪を返してっ」
「……わかりました」
思いがけず、すんなりと返してもらえた。
拍子抜けしつつも、それを指に嵌めようとすると、
『ダメだよっ、メアリっ』
『それにも記憶消去の魔法がかかってるっ』
精霊たちの言葉で中断し、ニキアスを睨みつける。
「どこまで私を馬鹿にすれば気が済むの?」
「馬鹿になどしていません。ただ、あなたを僕のものにしたいだけです」
熱のこもった口調で彼は言う。
「こんなことをしても、私があなたを愛することはないわ」
「メアリ、あなたは優しい方です。もしも僕がアキレス様よりも先にあなたに出会っていたら……」
「私はあの方の、真っ直ぐな心根に惹かれたの。けれどあなたは違う」
「……歪んでいる自覚はあります」
「ニキアス様、あなたは以前、ご自分のお父様をお諌めになったことを覚えていないの? 悪しきことに魔術を使ってはならないと。今のあなたは彼と同じ目をしているわ」
「恋は人を愚かにするものです」
確かにメアリにも覚えがある。
「けれど私は、相手の自由を奪おうとまでは思わなし、苦しめたいとも思わなかった」
ニキアスははっとしたようにメアリを見ると、頬を引きつらせた。
「僕は……」
「あなたとの友情を壊したくなくて、言葉を濁してしまった私も悪い。だから今ここではっきりと言うわ。ニキアス・ソフォクレス、私はあなたを愛していないし、今後愛することもない。精霊は一途なの。ひとたび誰かを愛したら、その人以外、見えなくなってしまう。私も同じよ」
「仮にアキレス様が心変わりしたとしても?」
ええ、と即答するメアリの後ろから、声がした。
「心変わりなどするものか」
声は明らかに怒気を含んで、低く掠れていた。
そっと肩に触れられ、守るように背中に隠される。
おそらく力を取り戻した精霊たちが彼をここへ転移させたのだろう。
「よくも俺から花嫁を奪ってくれたな。死ぬ覚悟はできているか?」
ずっと自分を捜していたに違いない。珍しく乱れた髪に、乱れた服装。
彼の温もりに触れた途端、メアリは喜びのあまり我を忘れた。
「アキレス様……」
彼がちらりとこちらを向いた瞬間、メアリは自分から彼に抱きつき、背伸びをして口づけた。アキレスははっとして息を止めたが、まもなく強く抱き返してきて、貪るような口づけを繰り返す。メアリは懸命にそれを受け止めながら、彼の存在を感じようと必死だった。
***
「お二人を夫婦として認めます。では、こちらにサインを」
眩いばかりの純白のドレスに身を包んだメアリは、頬を紅潮させながら結婚式に臨んでいた。
凛々しい軍服姿のアキレスをチラチラと盗み見しつつ、幸福感に酔いしれる。
まずはアキレスが婚姻証明書にサインをし、続いてメアリがサインをする。
式は滞りなく終了し、メアリは満面の笑顔で祝賀会に出席した。常にアキレスがそばにいてリードしてくれたおかげで、緊張することなくパーティーを楽しむことができた。
招待客の中には実父の姿もあり、アキレスに対して義父というより臣下のように接していた。
結局あの後、いつの間にか魔術師の塔は消えていて、ニキアスも姿を消していた。
姿を消しただけでなく、皆の記憶からも。
どうやら彼のことを覚えているのはメアリだけらしく、精霊たちが言うには、塔を含め、城内のあちこちに忘却の術式が施されていたとのこと。メアリと結婚した直後に国を出て、行方をくらます計画だったようだ。
「だったら私のことは諦めたということ?」
初夜にそなえて支度をしながら、メアリは訊いた。
夜着が恐ろしく薄いせいで、寒気を感じる。
どうせすぐに暑くなるからとアルガは言うが、どういう意味だろう。
『目の前であんなキスをされちゃあねぇ』
『失恋の傷をさらにえぐって塩を塗ったって感じ?』
「何にしろ、メアリの勝利でしょ」
すまし顔のアルガの言葉に、メアリは顔を真っ赤にして俯いてしまう。
ニキアスに誘拐され、監禁されたことにより、メアリは結婚式に出席することができなかった。本来なら今頃大騒ぎになっているはずだ。けれどそれも、ニキアスの魔術により、なかったことにされていた。というのも、気づけば時間が遡り、結婚式当日の朝に戻っていたからだ。
『さすがにこれは魔術師だけの力じゃ無理だよね?』
『メアリが強く願ったからじゃない?』
「さすがは女王陛下のお孫様。夜もこの調子で頑張って」
メアリは羞恥心を堪えて、初夜の作法を懸命に脳内で繰り返していた。
「言っときますけど、次はアルガの番よ」
「……わかってる」
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