幸せな結婚式③
翌朝、挙式に必要なものを買い揃えてくると言って、ニキアスは出かける準備をしていた。
まだ少し頭痛とめまいがするせいで、ベッドから起き上がれないメアリに彼は言う。
「僕が留守の間、自由に動き回ってもかまいません。ただし最上階の部屋には入らないでください。危険な物を置いているので」
「動きたくても動けないから安心して」
けれど午後になると、痛みがすうっと引いて、めまいもなくなり、動けるようになった。そうなるとベッドでじっとしているのも退屈で、メアリは寝室を出て、塔の中を探検することにした。
魔術師の塔というだけあって、どの階の部屋にも、珍しい植物やたくさんの図式や文字が書かれた紙の束、書物等が山のように積み重なっていた。ただし清潔なのは寝室と食堂室だけで、他の部屋はかび臭く、埃っぽい。
――私って、記憶を失う前はとんだ怠け者だったのね。
思わず反省してしまう。
「きちんと掃除しなきゃ」
まずは換気しようと窓を開けようとするが、
「……っ、開かないわ」
それもそのはず嵌め殺しになっていた。
空気の入れ替えは小さな換気口で行っているようだ。
しかたなく一階に降りて玄関を探すが、どこにもない。
窓も全て嵌め殺しで、裏口すらなかった。
「ニキアスはどうやって外に出たのかしら」
不思議に思いながら最上階へと向かう。
一通り見て回ったので、まだ入ったことのない部屋はここだけだった。
「危険な物があるからダメだって言われてるけど」
結局、好奇心に負けて入ってしまった。
ざっと見渡す限り、他の階の部屋と変わらないような気がするが、
「何これ……」
本の山に隠れるようにして、大きな蟲籠が置かれていた。
鈍色の鉄製で、中には無数の、光る昆虫が入っている。
「……綺麗」
明滅する光に導かれるように近づいていくと、
『ああ、メアリ……メアリ・アン』
ふいに懐かしい声が聞こえた気がして、どきっとした。
「誰かいるの?」
驚いて辺りを見回すが、誰もいない。
もしかして……と再び蟲籠のほうに視線を戻す。
「今、私を呼んだのは、あなたたちなの?」
近くで見ると、光る昆虫たちは弱っているのか、元気がない。
『……そう』
『ここに……いちゃ……ダメだ』
『逃げて……』
『逃げるんだ……メアリ』
間違いない。この声には聞き覚えがあった。
はっきりとは思い出せないが、信用できることは本能でわかっていた。
「待ってて、すぐにここから出してあげるから」
『ダメ……だ』
『そんなことしたら……気づかれる』
「気づかれるってニキアスに? これは彼の仕業なの?」
『奴は……ずっと……準備してた』
『ぼくたちに……邪魔、させないよう』
『まんまと、罠に……かかった……ってわけ』
「私にどうして欲しい? 何かできることは?」
『……戦うんだ』
『そう、戦って……』
『みんな……必死に……』
『君を……捜してる』
『思い出して……彼のことを』
「彼? 彼って誰なの?」
その時、薬指に嵌められた指輪が目に入り、ふいに違和感を覚えた。
色か形か、とにかく何かが違うと感じる。
「きっとこれ、私の物じゃないんだわ」
反射的に指輪を抜き取った瞬間、これまでの出来事が走馬灯のように蘇り、メアリは泣いた。おそらくこの指輪のせいで、記憶を失っていたのだろう。
「アキレス様……」
思い出した。
何もかも。
一刻も早く、彼のもとへ戻らなければ。