幸せな結婚式②
目を覚ました時、自分がどこにいるのかわからなかった。
飛び込んできた見慣れない天井、消毒用のアルコールの匂い、清潔そうな真っ白なシーツ――どうやらベッドで眠っていたらしい。今は何時で、ここはどこなのだろうと不思議に思いながら身体を起こす。
「ようやく目を覚ましましたね、気分はどうですか?」
「……あなた、誰?」
「ニキアス・ソフォクレス、魔術師で、あなたの婚約者です」
婚約者……その響きには馴染みがあった。
左手を見ると、薬指に銀色の指輪がぴったりと嵌っている。
「だったら私は……私の名前は……」
「メアリ・アン、今は休んで、無理に思い出そうとしないでください」
メアリ・アン。
それが私の名前。確かにしっくりくる。
「私、何も覚えていないの……どうして」
「足を滑らせて階段から落ちたんですよ。先ほど、医師を呼んで手当してもらいました。頭を強く打っているから、記憶に影響が出るかもしれないと――僕のことを覚えていないのは、そのせいかもしれません」
「自分のことも、よくわからないの」
途方に暮れたようにメアリはつぶやく。
「どこの誰で、どんな暮らしをしていたのか、まるで思い出せないわ」
「僕が覚えているので問題はありません」
力強い声で彼は言った。
そのことにほっとしつつ「話して」と急かす。
「私は誰なの?」
「あなたはレイ王国の第一王女でしたが、あなたを妬んだ第二王女に濡れ衣を着せられ、国を追放されました」
それでも平民としてたくましく生活していたメアリは、ある時、空腹で行き倒れていたニキアスを見つけ、彼に食事を与えたそうだ。それがきっかけで二人は徐々に距離を縮めていき、婚約して魔術師の塔で一緒に暮らすようになったという。
「……そうだったの」
いまいちピンと来ないが、メアリはうなずいた。
「記憶はいずれ戻るのかしら?」
「わかりません。あなた次第かと」
「あなたの魔術で治せないの?」
「無理です。すみません」
深く頭を下げられて、メアリはくすっと笑った。
「婚約者のくせに、ずいぶんと他人行儀に話すのね」
彼はぎくりとしたように顔を上げた。
「……すみません」
「いいの。戸惑っているのはあなたも同じなのよね?」
「はい……」
「迷惑をかけてごめんなさい。婚約を解消されても文句は言えないわ」
「あなたが謝ることは何一つありません」
きっぱりと言われて、なぜか笑い出したくなった。
「それに婚約を解消する気もない。あなたとは近いうちに結婚するつもりです」
「結婚って……あなた結婚できる年なの?」
「僕は童顔なだけで、あなたより年上ですよ」
「私、招待客に会っても何も喋れないわよ。相手の顔なんて覚えていないもの」
「挙式は二人だけで、この塔でします」
それを聞いてほっとすべきか、メアリにはわからなかった。
未だによく状況が飲み込めていない気がする。
記憶を失ったことへの恐怖や不安――見知らぬ青年に「自分はあなたの婚約者でもうすぐ結婚する」と言われて、普通はパニックに陥るだろうが、根が楽天家だったらしく、意外にもメアリは落ち着いていた。今の時点でニキアスに恋愛感情はないものの、一緒に暮らすうちに、徐々に芽生えてくるだろうとさえ思っていた。
「ところで結婚っていつするの?」
「三日後です」