精霊と魔術師⑧
「リィさん、どうでしたか?」
再びアルガの姿に化けたニキアスを連れて、メアリはとぼとぼと自室に戻った。
二人きりになってから、事情を説明する。
「それで父はあんなことを……」
魔法を解くと、ニキアスは暗い表情を浮かべていた。
「ニキアス様はご存知でしたの? アメリアのこと」
「推測を口にしただけです。あの父が結界を張ってまで隠そうとするなんて、よほどのことですから」
「……そうでしたか」
「この後、宰相閣下の元へ行くつもりですか?」
黙り込むメアリに、
「僕が代わりに行きましょうか? そうすれば、陛下のご命令に背くことにはならない」
「それだけは、おやめください」
事が事だけに、メアリは慎重だった。
「では、このまま何もせずに見過ごせと……」
「いいえ、いいえ」
咄嗟に脳裏に浮かんだのはアキレスの顔だった。けれど今、彼を頼るわけにはいかない。皇太子として常に公務に追われているし、本人も周囲に認められようと必死だ。そんな彼の足を引っ張るわけにはいかない。
――でもどうすれば……。
『それにしても、皇帝の子どもを産んだらお払い箱ってひどいよねぇ』
『アメリアの場合は自業自得でしょ』
『本人は自覚してんのかな?』
『侯爵に利用されてること? まさか』
『大の男を手玉に取ってる、くらいにしか思ってないんじゃない?』
そうだろうか、と精霊たちの会話を聞きながら、メアリは考えた。
アメリアは基本、狡猾で自分本位だ。
自分のためにならないことは、強制されてもやらない。
――あの子は今、何を考えているのかしら。
生まれてくる赤ん坊のこと?
私への復讐?
――でも、だったらどうして、あの時、お腹に陛下の子どもがいると、私に言わなかったの?
彼女らしくないと感じた。
それを打ち明けることで、確実に自分を苦しめることができるというのに。
『子どもを生んだ後は皇帝陛下に相手されず、欲求不満だったみたいだし。それでヒステリックになって、わたくしに八つ当たりしていたのよ』
アメリアの言葉を思い出して、確信する。
「もう一度、陛下のところへ参ります」
***
「ようこそおいでくださいました、キャサリン様」
茶葉の香りが漂う応接室で、メアリは客人に向かってお辞儀をした。
「二人きりの時はアメリアで構わないわよ、お姉様」
皮肉っぽく言って、植物だらけの室内を気味悪そうに見回す。
もちろん室内を花だらけにしたのはアルガだ。今は侍女の姿に戻って、隣室に控えている。
「本日はお招き頂き、ありがとうございます。まさかお姉様がお茶会にご招待してくださるなんて、思いもよらなかったわ。あのおじさんには止められたけど――だって部屋でじっとしているのも飽きちゃったし」
言い訳しつつ、アメリアは小さな陶器に入った焼き菓子を差し出した。
「セイタールでは、お茶会に手土産を持参するって聞いたから」
「まあ、ありがとう。後でいただくわ」
「わたくしは結構よ。今、ダイエット中だから」
『食べちゃダメだよ、メアリ』
『それ、毒入りだから』
『ちょっと齧っただけなのに……ふう、危うく死ぬところだった』
『人間だったらまず助からない』
メアリは大人しく受け取ると、それを近くの戸棚に隠した。
本当はすぐにでも処分したかったが、今、アメリアの機嫌を損ねるわけにはいかない。
『こいつ、メアリを殺る気満々だ』
『手加減することないよ』
『そうだ、やられる前にやっちまえっ』
精霊たちに励まされ、メアリは毅然と背筋を伸ばした。
そんなメアリを、アメリアは椅子に座って面白そうに眺めている。
「それで、わたくしに何の御用? フォスター侯爵抜きで話がしたいなんて、一体何を企んでいるのかしら?」
「企むだなんて、そんな……」
内心ドギマギしながらも悲しげな表情を浮かべてみせると、アメリアは鼻で笑った。
「あら、疑ってごめんなさい。そもそもお姉様に「企む」なんて難しいこと、できなかったわね。昔から綺麗事ばかり言って、何かあるとすぐに自分を責める――そういうところが大嫌いだったわ」
「……私は、あなたのことが羨ましかった。皆に、愛されていて」
「当然よ。わたくしとお姉様とでは、頭の出来が違うもの」
ぬけぬけと言う。
「だから皇帝陛下もわたくしをご寵愛なさるの」
「そうね、あなた以外の女性は目に入らないみたい」
露骨にご機嫌取りをすると、アメリアは馬鹿にしたようにメアリを見た。
「相変わらず頭がお花畑なのね。あら、悪口じゃないわ。褒めているのよ」
「……ありがとう」
アルガが用意してくれたワゴンから、上等なティーセットを取り出す。
侍女はいないので、給仕は当然、メアリの役目だ。
「今日は紅茶でなくカモミールティーにしてみたの。あなた、好きでしょ?」
「あら、気が利くじゃない」
「……でも、やめておいたほうがいいかしら」
ちらりとアメリアの腹部に視線を向ける。
とても胎児がいるとは思えないほど、細く引き締まったくびれ。
「どうしてよ。毒でも入ってるの?」
「妊娠中の方にはおすすめできないの。胎児に悪影響を及ぼす可能性があるから」
ふーんとつぶやき、アメリアは視線を逸らした。
「だったら紅茶でいいわ」
「紅茶に含まれるカフェインも毒よ。あなた、妊婦なのに何も知らないのね」
妊娠すると、匂いに敏感になったりつわりがあったりで、食べ物には特に気を遣うと、既婚者である小間使いたちが話していた。
「……食事の管理は侍女に任せているもの」
「それにしても、陛下の御子を身ごもるなんて――おめでとう、アメリア。心から祝福するわ」
『うわっ、メアリが嘘つくの初めて見たっ』
『やればできるもんだねっ』
「その話題はやめましょう、お姉様。まだ周りには秘密にしていることだから」
アメリアは急に落ち着きを失ったように、そわそわし始めた。
「なぜ?」
「無事に生まれてくるまでは……何があるかわからないでしょう?」
「ずいぶんと弱気ね。あなたらしくもない」
「わたくし、もう部屋に戻るわ。お義父様が心配して捜してるかもしれないし」
つい先ほどまで、「おじさん」呼ばわりしていたくせに。
「本当に、子どもの頃から何も変わらないのね、アメリア」
彼女の行く手を塞ぐように、メアリは移動した。
「自分の欲望のためなら、平気で嘘をつく――あなたは妊娠なんてしていない。そうでしょ?」
「何の話をしているのかさっぱり分からないわ」
「あなたがユワン殿下に惹かれた理由がよく分かったわ。お互い、考え方が似ているのね。あなたも彼同様に、侯爵家の医師を丸め込んで、陛下の子どもを妊娠していると偽りの診断書を書かせた。あなたは陛下だけでなく、命の恩人である侯爵様も騙していた。ニキアス様の前で、その医師は自白したそうよ。あなたに誘惑されて、悪事に手を染めてしまったと」
「……ああ、お姉様」
次の瞬間、メアリは両手を組んで、メアリの前に跪いた。
「どうか見逃してちょうだい。そうでも言わなければ、あの鬼畜侯爵になぶり殺しにされるところだったの。けれど陛下の子種は薄すぎて……量も少量で、短いから奥まで届かないし――あれですぐに妊娠なんて無理よっ。けれど陛下は帝都に戻ってしまうし、会う回数が減ってしまったら、いよいよ妊娠が難しくなるでしょ? だからやむを得ず……」
『……人間の女って怖いよね』
『皇帝、男としてのプライドがズタズタだ』
『悪気はないんだろうけど……いや、あるか』
『むしろ自分に問題があると思われるのが嫌だから?』
『でも、そんな話をすること自体、気まずくないのかね』
『女性側のほうが身体的な負担が大きいって聞くし……』
『身を守るために情報収集は必要不可欠だと?』
『ちょっと、あんたたち、今はそんなことどうでもいいでしょっ』
『おお、アルガさんっ』
『しびれを切らして来ちゃったか』
『今、どうなってる?』
『それがさぁ……』
今にも折れそうな首筋、華奢な肩が痛々しいほど震えている。
大きな瞳から溢れ出す涙を見ても、メアリの心は少しも動かされなかった。
「罪を償いなさい、アメリア」
「それが妹であるわたくしにかける言葉? わたくしに死ねというの?」
「残念ながら、あなたに裁きを下すのは私ではないわ」
直後に隣室の扉が開いて、皇帝陛下が姿を現した。
彼の後ろには、力なく項垂れたフォスター侯爵の姿もある。
「この件は内々で処理したい。フォスター侯、この場で罪を認めよ、さすれば刑を軽くしてやろう」
「……仰せのままに、陛下。罪を、認めます」