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湖水の清め 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 そろそろお盆が近づいてきましたね。

 先輩、実家に帰る予定とかあるんですか? いまのご時世、なにもかも自己判断、自己責任で動かなきゃですからね。自分がよくても、相手のことを考えたら、どうにも二の足踏んじゃいがちかも。

 僕ですか? 船乗って帰らなきゃいけない場所ですからねえ。ゴールデンウィークもそうでしたが、今回も見送りの予定ですよ。


 この情勢下だと、人が身を寄せ合う乗り物の中って、どうにも神経質になっちゃいますよね。特に水の上となると、陸と違って簡単に逃げ出すことができない。空ほどじゃないですけど、放り出されたら命に係わる危険は大きいでしょう。

 そのせいなのか、僕の住んでいる島だと船に対する迷信というか、願掛けというか、ちょっと特徴的な言い伝えがあるんです。先輩もネタ探してたと思うんですけど、役に立ちますかね?



 もうかな〜り、昔の話になるんですけどね。僕たちの島では夏を迎えると、漁に使っている船たちを一斉に引き上げてしまう日があったらしいんです。

 住民たちが手分けして、一艘ずつ島の奥へと運んでいく。そこにあるのは、おおきな湖だったんだそうです。現存はしていませんが、湖の片方のふちから対岸がはっきり見えないくらい、広いものだったとか。

 その割に深さは大したことがなく、どこもかしこも大人であれば、せいぜい腰までが水に浸かる程度で済んだとのこと。とはいえ、徒歩で横断を考える人はまずいなかったでしょうけれどね。

 

 件の湖なんですけど、ただひたすらに水面が広がっているばかりじゃなかったようです。

 ところどころ、地表の岩が隆起したものがぽつぽつと頭を出していたとか。ひとつひとつの大きさは、せいぜい人の足の裏くらいのもの。現在の僕たちの感覚ならば、小型のブイが浮かんでいるようなものでしょう。

 で、湖に運ばれてきた船たちは、順番にその身体を湖面に浮かべられ、乗り手たちによって岩の下へと連行。それぞれのでっぱり部分を囲うように、ぐるりぐるりと三回転。そののち決められた順番で、他の出っ張りに向かい、同じことを行っていったそうです。

 これらは何日も時間をかけて実施され、工程を終えた船から順番に海へ運び直され、本来の職務へ戻っていったそうです。



 なぜこのようなことを行うのか。それはこの湖の水が、「清め」に最も適していることを、ご先祖様が発見していたかららしいんです。

 いわく、海には限りない恵みがあるものの、それゆえに限りない汚れも共に存在する。自分に利することばかりに目を向け蓄えることに走ると、いつの間にか同じくらい溜まった汚れに押しつぶされることもあり得ると。

 恵みは誰もが進んで受け取るだろうが、汚れを受け取ろうとする奴はそういない。均衡はいともたやすく破られてしまうものだ、とね。

 自然を相手にし、自分の命さえもかかるのが日常となれば、迷信深くもなる。どうすれば機嫌を損ねずに暮らせるか、その指標のひとつとなるものですから。

 この清めも律義に続けていたそうなんですが、やはり長い年月を経ると問題も起きてしまったようです。



 その年は、非常にたくさんの魚を獲ることができたらしいです。

 糸を垂らし、綱を打ち、引いた先から魚の姿。大漁旗を掲げてどんどん帰ってくる船の姿は、大いに島民を沸かせました。

 時期はまだ春先のこと。例の儀式を行うにはまだ時期が早いし、翌日以降もどんどん船を出せるぞと、漁師たちは息巻いていたようですね。

 けれども船の手入れをしていた者たちは気づきます。海の潮になるべく錆びつかないよう、材料や仕上げに工夫を凝らした船の底。その一部分に、薄い緑色をしたフジツボらしきものがこびりついていることに。しかも一艘な二艘にとどまらず、今日使っていた船すべてに同じものが見られたとか。


 船は、いずれも昨日点検したばかりのもの。着いたとすれば、今日の漁でとしか考えられないのですが、船たちは一ヶ所に固まらず、散って魚を獲る手はずとなっていたはず。それがどうして、同じような状態に陥ってしまうのか。

 疑念はありましたが、時間はすでに夜。夜明けまでには漁師たちが海へ出ることになるでしょう。そしてフジツボたちがくっついている箇所は、せいぜい握りこぶしで隠せる程度でしかない。

 へたに手を入れ、船体を傷つけては危ないのではと、そのままにしていたらしいのですね。



 しかし翌日。悲劇は起こってしまいました。出発した船のうちの一艘が、海の真ん中で沈んでしまったんです。

 まだ魚もさほど釣っていません、許される重さには余裕があったはずでした。しかし、たまたま近くにいた船の漁師たちの言は、にわかに信じがたいものでした。

波に揺られて上下する船体。その海に接する底の部分から、どんどん船の外装の色が変わっていったというのです。

 真っ白く塗られた身体を緑色に染めていったのは、フジツボたち。水面からどんどん広がって、ほどなく身体全体が覆われてしまっても、乗っている者たちは気づいていませんでした。

 注意を促そうと、漁師たちが声を張りあげかけたところで。船はぱくりと、貝が縦に閉じあわされるように、船のへり同士がばくんと、空めがけて折れ曲がりながらくっついてしまったんです。もちろん、中に人や魚を閉じ込めたまま。

 貝と化した二つ折りの船は、そのままの状態で海中へ没していきます。その速度も非常に速く、反射的に海へ飛び込んで潜っていった漁師も、とうてい追いつけなかったほどだったとか。

 そして船へ戻り際、外から船体を見た彼によって告げられる。この船もあちらほどではないが、底の方からじわじわとフジツボの領域が広がっていると。

 

 急いで陸へ取って返したときには、もう船のふちを握れば、フジツボの先に触れることができてしまうほど、追い詰められた状態だったとか。

 昨日の件も明らかになり、手入れ組を責める声もあったが、すぐに対策が協議される。幸いなことに、陸に上がっている分にはフジツボたちの版図は広がる気配を見せなかった。物理的に削ぎ落そうにも、フジツボたちは短刀も銛も歯が立たないほどの硬さだったとか。

 

 ――例の湖で清めよう。

 

  最終的にはこの結論に落ち着き、人々はそれぞれの手に厚い手袋を、身体にも毛皮の上着をかぶり、数ヶ月前倒しで例の船たちを湖へ運んだんだ。

 

 

 時季外れのこの試みは、結果的に功を奏した。

 伝わっていた手順通りに船を動かしていったところ、フジツボたちは海で見せたのとは逆の動き。逃げ場を求めるかのように、船底へ向かって退いていく。

 すべての手順を踏むころには、フジツボたちはカケラも残さずに船の身体から消え去っていた。でも船に乗っていた者たちは、湖にある岩の出っ張りを回るたび、手拭いを引き裂くような音と、「嫌だ、嫌だ」とつぶやく子供のような声を、何度も何度も耳にしたとか。

 それはフジツボが完全に消え去ってしまうまで、延々と続いたという話ですよ。


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