第一章 女神さまに助けられたようです。異世界に転移することになりました。
意識がはっきりした時、私は、薄く青白い世界にいた。
そこには雰囲気は違えど、まごうことなき美貌の女性が三人。
私を見てひとりが言った。
「気がついた? もう大丈夫よ、あの男はここにはいない」
あの男はいない?
鮫島から私は逃げきれたのか。ホッとする。最後に見たあの男の顔は、もはや人ではなく悪鬼のようだった。怖かった。本当に恐ろしかった。
でもここはどこ?
彼女たちは誰?
あ、そうか私、死んじゃったのかな。
でも、記憶には残っていない。
恐ろしい記憶にならなかっただけでもよかった、それを感謝しよう、この目の前の彼女たちに。
だけど、それなら、両親に会えるのかな。それとも、ここで裁きのようなことがあって、罪の重さで行き場所が変わるとか、そういう場面なのかな。同じ場所に送ってもらえれば嬉しいけど。
「それでは、あなたの望みをかなえるため、条件を提示するわね」
うん?
なんとなく、私の思っている事態とは違う気がする。
「望みですか?」
「あら、貴女は願ったでしょう? あの陰湿なストーカーから逃げたい、あれのいない遠い場所に連れて行ってと」
そうだ、私は願った。
強く、強く、望んだ。
「だから、あなたをあの男に絶対に会うことのない異世界に運んであげるわ。ここは、そのための準備の場所よ。あなたの心身を調え、次の世界ではあなたが今より強く、でも優しく生きていけるよう、条件を整えるの」
そう言ったのは次の女性。
最初の女性が青なら、この人は黄、そしてもう一人は赤、そんなイメージだ。
「あの、貴女方はどういうお立場の方なのでしょうか」
ここが人智の及ばぬ世界で、おそらく彼女たちは人間ではない。たぶん、神様かそのような力のある者ではないかと想像はできるけれど。
「私たちは、貴女の理解できる言葉で言えば、女神かしらね」
やっぱり。
「私はイシュー、こちらがシャマリー、そしてあちらは、エレガル」
黄色の人は、イシューという名の女神らしい。
赤色の人が、シャマリー、青色の人はエレガルね。
「私は、栗花落唯です」
知っているだろうが、いちおう自己紹介しておいた。
「よろしくね、唯。これからしばらく、唯が次の世界になじむまでは何度か会うと思うから」
そうなんだ。
丁寧な神々だ。
神様って、神話のイメージだと、もう少し大雑把で気まぐれなイメージだったけど。
「酷い目にあったあなたには、お詫びの意味もこめて、できるだけあなたの希望をとりいれるわ」
お詫び?
「実は、そこの冥界の女王エレガルがあなたのご両親を気に入ってしまってね。それで自分の支配エリアに彼らを呼んでしまったの。まだ寿命はたっぷりあったのに」
なんですって!!
「ど、どういうことですか?」
「そなたの父の作るオムライスに彼女がほれ込んで。専属の料理人にしようと、一人では寂しかろうと妻も一緒に冥界に招待しちゃったらしいのだ。本当に申し訳ない。残されたそなたの気持ちまで考えていなかったらしくて、まったく」
「だって、あのオムライスは絶品だったのよ」
そう言って膨れっ面をするエレガルの頭に、赤のシャマリーさんが拳骨を落す。
「ふざけんじゃないわよ。だいたいなんでよその世界で、食事をつまみぐいしているんだよ」
「あの世界は食べ物がほんとうにうまいから、ちょこっと覗いていたら、どういうわけが雄大の店がピンポイントでで視えたのよ。賄いというものらしいが、できたてのオムライスがあってな。つい」
雄大は父の名前だ。
父は料理人で、小さなリストランテのオーナーシェフだった。
「そんなことで、人の寿命を変えていいと思ってるの。マジ、馬鹿なんだから」
私の言いたいことを、代わりにありがとうございます。
私はシャマリーさんに感謝する。
「本当よ。唯はそのせいで天涯孤独になったんですよ」とイシューさんはため息をつく。
「だから、謝ってるでしょう、この私が、冥界の女王エレガルが、たかが人であるその娘に」
逆切れですか? それにただの一度もエレガルさんのお詫びの言葉は聞いておりませんが。
やっぱり、神様って大雑把でわがままで、気まぐれで怒りっぽいのかしら?
でも、後の二神は、まともな気もする。
「唯、申し訳ない。こやつは本当に子どもでな。まだ二千歳の小童なのだ。子どもだから許して欲しいとは言わないが、これのしたことをなかったことにはできないのだ。なぜなら、冥界に呼ばれそこで飲食をしたものは、エレガル以外、もう冥界を出ることはかなわない。両親をそなたの元には戻せないのだ」
イシューが申し訳なさそうに、謝ってくれる。
二千歳で小童って、この神界の常識がよくわからないけど。
だけど、冥界で食べ物を口にしたら元に戻れない、というのは神話あるあるだね。
「そなたの両親は、冥界を出られないのなら、せめてそなたを寿命まで幸福に生きて行けるよう我らに見守って欲しいと申し出た」
お父さん、お母さん、やっぱり私を想い続けてくれているんだね。
ありがとう。
「そこで我らがそなたの世界を除くと、そなたがえらいことになっているではないか。ほんに危機一髪だったわ。まあ、そなたが死んだとしても魂を救うことはできるが、殺された記憶は消えず魂に傷が残ることは避けられない。そうならずにすんでよかった」
ということは。
「あの、私は死んだわけではないのですか?」
怒りは収まらないが、怒っても詮無いことは理解している。それより、現状把握を先にしたい。
「あなたは元の世界で死んだわけではないわ。けれど、このままあの世界に戻らなければ、あの世界ではいずれ死んだことになるでしょうね」
行方不明扱いになっているということか。
「元の世界に戻らなければということは、戻ることはできるのですか?」
「できるぞ。ただし、あの男に追われている、あの瞬間にしか戻れないが。そなたのいた世界は、我らとは別の神々の管轄だから、こちらの都合であれこれ干渉することはできんのだ。なので、我らとしては、唯を我らの管轄している世界に送りそなたを見守りたいと思うのだが」
あの瞬間?
あの瞬間のあの場所に戻る勇気は、私にはない。
それに、あの世界に大きな未練もない。
もちろん、もう会えないと言われれば寂しくなる友人知人はいるけれど、恋人はおらず、元恋人というか元婚約者が、ストーカーだったわけだから。
未練と言えば、一つだけかもしれない。
私は夢だった看護師になったばかり。先輩ナースは厳しいがとても熱心で、私は看護師という仕事に生きがいを感じていた。
看護師としての未来は、なにもかもがこれからだったのに。
同じような職業に就けるのなら、異世界もありかもしれない。
「次の世界はもう決まっているのですか? 私はできるのなら、看護師と同じような仕事に就ければその世界で頑張れると思うのですが」
「あなたの世界から私たちの管轄で転移できる世界はいくつかあるけれど、それなら候補は二つ。他はおすすめできないわ」
イシューがなんともいえない表情で微笑む。
「おすすめできない世界とは、例えば?」
「一つは恐竜が闊歩している世界」
無理だ。絶対に。
看護師ではなく獣医だったらまだしも。その前に生き抜ける気がしない。
「あるいは、超高度科学文明社会で、医療の必要はまったくない世界。寿命はきっちり200歳と決まっていて、その時が来たらマシンに入り命を終える」
役に立つ気がしない。足手まといになり迷惑ばかりをかけそうだ。
それにちょっと怖い。
女神たちは、私の今までを調べその上で私によりよい環境を与えてくれようとしている、なんとなくそこは信用できた。
「候補は二つあって、ここは私たちも悩んでいるのだけど。そうね、貴女に選んでもらってもいいかもしれないわ」
私はうなづく。
たとえ二択でも、自分の意思で選んだのなら、後悔も少ないだろう。
「どちらも文明という観点から見れば、イタリアルネサンス時代と同程度かしら。大きな違いは、片方には魔法があるわ。もう一つ違うのは人種ね。魔法がある方はあなたと同じ人族と魔族の二種類がいる世界、もう一つはあなたと同じ人族、亜人族、エルフやドワーフなど多くの族性がいる世界」
どちらもファンタジーな世界だ。
「戦いや、族性差別はありますか?」
「あるわよ。どちらかというと、魔法のない世界の方が酷いかしら。そちらの世界では戦いも頻繁にあるわ。ところによっては人族は下等生物扱いね。短命で物理的な力もさほどないから。そして場所が変われば人族が他を野蛮だと蔑んで差別しているわ」
なるほど、面倒ではあるわね。エルフとかドワーフとか、もふもふ亜人には少し惹かれるけれど。
「もう一つの世界でも、人族と魔族は争っているのですか?」
「千年に一度、大きな戦いがあるわね」
「千年に一度ですか?」
「ええ。そのサークルで魔王が復活し、人族には勇者が出現するから」
おお、ファンタジーなゲーム世界だね。
「でも、今はまだ次のターンまであと423年あるから、戦いの心配はあまりないわ。人同士の戦いはちょこちょこあるけれど。ただ、魔法がある世界だから、あなたの知識や経験が活かせる場所は少ないかもしれないわ。魔法でできることが多いから。もちろん、あなたも魔法は使えるわよ」
それはそうか。魅力的でもある。
「では、どちらの世界を、イシュー様たちは私に勧めてくださるのでしょうか?」
「私たちは、人族と魔族の世界をお勧めしたのよ。今なら、魔族とはほぼ無関係に、今までと同じように人として寿命を全うできるから。でもね、あなたのご両親が色々な族種がある世界の方が唯に合っていると思う、あの子は、好奇心も旺盛だし、魔法がない分できることを見つけやすいのではないかとおっしゃって」
さすが、両親は私の性格を熟知している。
私は、すぐに決めていた。どちらの世界に転移するかを。
「では、私は、魔法のない世界に転移したいと思います」
「ほう」とシャマリーが目を見開く。
「チャレンジャーね」とイシューが目を細める。
「どちらでもよいではないか。あの無残な死から救ってやったのだから」
エレガルは、そういう感じね。
「それでは、栗花落唯、そなたを、我らの管轄世界の一つ、『クラージュ』へ転移させよう。ただし、この世界への転移には少しそなたをいじる必要がある」
いじる?
「まず年齢だ。転移後の年齢は14歳だ」
「なぜですか?」
若い子が好きな元婚約者を思い出すような、そんないたいけな若返りは勘弁してもらいたい。
「クラージュでは人族は15歳で成人してそれぞれの職業に就く。そして、15歳で職業を持たない者は、社会的には死を意味する立場になる」
なんと。
「唯が、自分の能力を活かし職業を決めるのなら、多少の猶予期間は必要でしょう。だから、14歳。なんなら、12歳でも13歳でもいいわよ」
「14歳でお願いします」
「あと髪と瞳の色だな。あちらの世界で黒い髪や瞳は、救世主の色。面倒を避けるのなら、変えたほうがいい」
「ではそのように」
救世主って。ありえないわ。
「なら私が、いい感じにしてあげる。お詫びにね」
悪い予感しかない。
辞退するべきだろう。いや、あの顔はやる気満々だ。辞退は無理かも。それなら。
「できるだけ目立たないよう、お願いします」
「まかせて」
私は他の二神に、視線を向ける。
頼みますよ、暴走しないように監視してくださいよ、と願いをこめて。
「そなたは、修道院に送られる。女神イシューを祀る修道院だ。私の管轄だから大きな問題はない」
「突然送られて、周囲は混乱しませんか?」
「大丈夫だ。唯は、赤ん坊のころ修道院に引き取られそこで育ったと、周囲はそう記憶をいじられている」
色々、いじられているのね、人は神に。
「では、よいか転移させるぞ」
「あの、もう一つだけ。いつか両親には会えますか」
「両親の望み通り、懸命に楽しくその世界での寿命を全うすれば、必ず」
「そうですか。わかりました。私、クラージュで頑張って生き抜きます。転移、よろしくお願いします」
三女神がうなづく。
「言い忘れていたが、そなたの職業は聖女にしておいたぞ。好きなだけ人々を癒せるようにな」
エレガルが言う。
「聖女はちょっと、遠慮したいです」
職業としての聖女がどんなものかわからないけど、字面的に無理だと思う。
「他に病気やけがを癒せる職業があの世界にはまだないからな」
聞く耳はもたないようだ。
しかも、まだないからな、って今言いますか。
私もう、キラキラした光に包まれているのですけど。
「魔法がない世界だ。いずれは医師や看護師、薬師という職業も生まれてくるだろう。唯はその礎となりなさい」
そんな。私、なり立てほやほやの看護師の卵ですよ。
「最初は大変だろうが、それゆえの聖女だ。聖女はその世界でただ一人、魔法が使える。うまく使いこなしなさいね」
無茶ぶりにもほどがある。
魔法はない世界って言いましたよね? 最初に。使えるのは私だけってことですか? 無理ですってば。
エレガルだけでなく、他の二神も、非常識だったのね、私がその青白い世界で認識できたことは、それだけだった。
次の瞬間、私は小さな修道院の中庭にいた。手には、聖書っぽいもの、実は中身はクラージュの仕組みと聖女の取り扱い説明が書かれたそれを抱えて。