紫陽花2
朝、目が覚めて時計を確認する。しかしまだ八時だった。今日は講義も無いので二度寝することにする。そう思ったが、一度布団に入ったところで思い出した。
今日は相嵯峨と出かける予定だった。面倒だ。どうしてそんな約束をしてしまったのだろう。相嵯峨とは一昨日家賃を取りに来たとき以来会っていないが、約束を忘れてくれていてはないだろうか。そうだ。俺が忘れたふりをすればいい。そう思い、やっぱり布団に戻る。しかしそこで携帯電話が鳴った。着信は相嵯峨からだ。嫌そうな顔をしながらも、仕方なくでる。
「……もしもし」
「やっほー、文部! 相変わらず眠そうで気怠そうな声だね。これだったら電話して正解だったかな?」
「どうしてそうなる」
「文部のことだ、忘れたことにして来ないかもしれないでしょ?」
魂胆が丸見えだったか。相変わらず能天気で侮れなくて、朝っぱらから煩い。何度俺が低血圧だと言えば、気を遣ってくれるのか。俺はあくまでも不機嫌に応える。
「心外だな。俺が友人との大事な約束を忘れるわけがないだろう」
「へぇ、それは凄い。僕を友達だと思ってくれてたの?」
コイツのこういう面倒臭いところが嫌だ。誰がお前を友人と思うものか。昔はそうだったかもしれないが、少なくとも今はただの旧友だ。けれど俺は明るい声を作る。
「ああ、もちろんだ。ただすまないが急用が入ってしまってな、キャンセルさせてもらう」
「急用って?」
「とても大事な用事なんだ」
その名も休養。まさしく休養は急用と呼ぶに相応しい。俺は何一つ嘘をついていない。けれど相嵯峨は明るい声のまま、恐ろしいことを言い放った。
「じゃあ文部は家に居ないから、ドアを蹴り破って部屋に入ってもノープロブレムだね」
「前も言ったが不法侵入は犯罪だ」
というかそれを本人に言うか。相嵯峨の場合、冗談か本気かが分からないのが、尚のこと恐ろしい。相嵯峨は笑いながら返す。
「文部が訴えるとも思えないし、あのクズ管理人がそれを許すとも思えないけどね」
まあそうだろう。俺はそんな面倒なことをしない。電話越しに、相嵯峨のあからさまな溜め息が聞こえる。
「それにもし君がそんなことをしようものなら、僕だって訴えるけどね」
その言葉に、俺は思わず、相嵯峨に怒鳴り散らそうとする。「何のことだ」と。けれど相嵯峨の悩みなんて一つもないような声が、再び聞こえた。
「なんてね」
お決まりの相嵯峨の言葉。俺はそれでも煮え切らないような気持ちのまま、相嵯峨の弁解の言葉を聞いた。
「別に僕は君が核兵器つくろうが何しようが訴えないよ。文部は友達だし、僕も警察署に足を運びたくないしね。それに、そもそも訴える事案が無いじゃないか」
嘘つけ、この詐欺師が。最後のは絶対偽りだろう。まあ、それもきっと相嵯峨の勘違いなのだろうが。何せ、俺は後ろめたいことなどしていない。俺はぶっきらぼうに言う。
「約束したんだ。待ち合わせ場所には行く」
「どうしたの? 急に心変わり?」
「ああ、お前との電話がストレスが溜まって仕方がない」
「それは可哀そうに。でも会った方がストレス溜まるんじゃないかな」
俺は少し笑った。
「ムカついたらお前を殴れるだろう」
「それはそれは野蛮なことだね。分かったよ、できるだけからかわないようにしよう」
やはりからかっていたのか。こいつのこういうところは素直に感心する。傍若無人、誰に対しても遠慮なくからかうところは。そういうところは本当にウザくて尊敬する。嫌われることを恐れてないのかと。まあそんなことを恐れていないのは俺もだが。
「時間は? 約束通り昼からでいい?」
「夕方からで頼む」
そう言うと、相嵯峨は小馬鹿にしたように笑った。
「どうして? 例の急用?」
「いや、眠いから寝たいだけだ」
しばし相嵯峨は無言だった。そして溜め息をつくとつまらなさそうに言う。
「……最初からそう言えばいいのに。そういうところは素直に感心するよ」
これが以心伝心という奴か? そう思うと少し心外でかなり願い下げだったため、直ぐに通話を切った。
空が赤く染まった頃、待ち合わせ場所であるショッピングモールに俺はいた。正確にはその近くのクレープ屋の椅子に座っている。白い丸テーブルに、店員が水とメニューを出してくれる。待つ間暇なのでメニューをみてみると、とても美味しそうで胃もたれしそうなクレープが並んでいる。が、俺は相嵯峨みたく甘党なので注文はしない。ふと横目で確認すると相嵯峨がこちらに来ていた。メニューを閉じて言う。
「こんばんはだな、相嵯峨」
「うん、こんばんは」
そして相嵯峨は俺の向かいに座る。そしてメニューみておもむろに言う。
「知ってる? ここのクレープ美味しいんだよ。新鮮なフルーツと甘さ控えめでさっぱりしたクリームがベストマッチしてさ。これなら文部も食べられると思うんだけど、どう?」
相嵯峨は甘党であると同時に評価は辛口だ。そんなに言うなら食べてみるのもありだろうか。そう思い、一番安くて小さいものを頼む。そして相嵯峨に訊く。
「お前はいいのか」
「うん、遠慮する」
そして出来上がったクレープが運ばれた。小さいからすぐに食べれそうだ。そしてなにより、これは確かに美味しそうだ。包み紙からは宝石のようなフルーツが顔を覗かしている。さっそく一口食べてみる。そしてすぐに、口の中に広がったむせ返るような甘さと喉の渇きに顔をしかめる。
「なんだこれは」
「どうかした?」
微笑む相嵯峨。ああ、そうかなるほど。確信犯か。俺も笑う。
「いや、あまりに美味しくてな。果物の水水しさとクリームの上品な甘さといったら、言葉に表せないほどだ。それにしても物欲しそうにどうしたんだ、一口やろうか、遠慮はいらないぞ」
「結構だね。でもそんなに気に入ったのなら、今度から文部に会うときは毎回買ってあげるよ。安いから、遠慮する必要は無いよ。なに、僕達友達じゃないか」
「わかった白状しよう。とてもじゃないが不味い」
そう言って両手を挙げると、相嵯峨は少し嘲笑を浮かべた。殴るために会おうとしたら、一体これは何の仕打ちだろう。俺は溜め息を吐いた。
「で、今日は何の用だ。わざわざ同じアパートに住んでいるのに、こんな遠いところに、交通費を使わせてまで呼び出して」
来たくなかった、ということを強調したが、相嵯峨は素知らぬふりで言う。
「いや、特に意味はないよ。この個性あるクレープを、ぜひ文部に食べてもらいたくてね。別に話すのは電話でも構わなかったよ」
なんと性格の悪い。けれどコイツのこういうところは、指摘したところで意味が無い。俺は相嵯峨に話を促す。
「で、その話は?」
相嵯峨は内緒話をする子供の様に、身をのりだす。
「知ってる? 四丁目の空き地に高校生の死体があったらしいよ」
「ああ、その話は知っている。前常盤に会ってな、聞いたよ」
「君、常盤君と仲良かったっけ?」
「たまたまだ」
「ふうん、何だ、知ってたのか」
そういうことに疎い俺が知っていたことが、少しつまらないらしい。管理人と付き合いが長いからか、善良荘のことに耳が早い相嵯峨のプライドでもあるのだろう。が、知ったこっちゃない。話題を変える意図は無かったが、そういえば、と思い口を開く。
「その後死体は消えたそうだが、どうしてだろうな」
「さあね、大方誰かに攫われたんじゃない」
「攫われた? 俺は病院に行ったのだと思うのだが」
「分かってる? あんな場所に死体があるんだよ。あの変態が目をつけないわけがない」
そう言われて、確かにそうかもしれないと思う。だとしたら気の毒なことだ。いや、まて。
「ということは、あいつが殺したのか」
「そうかもね」
そう答えたものの、相嵯峨は俺を少し馬鹿にしたように見る。恐らく、わざわざ死体にして、そのまま放置する必要がないと言いたいのだろう。その後回収するなら尚更だ。
「お前はどう思うんだ? さっきから見下した言い方しやがって」
「あは、ごめんごめん。そんなつもりは無かったんだけどね。うーん、僕が思うに運命かな」
「は?」
運命という相嵯峨の口から出るはずもない言葉に、俺は思わず眉を顰める。けれど相嵯峨は両手をあからさまに広げ、悠々と続ける。
「運命だよ、運命の赤い糸が運命の歯車を回転させ、運命の人に出会ったんじゃないかな。その子は」
「で、その結果刺されたのか?」
冗談交じりに言うと、相嵯峨は案外真剣に頷く。
「僕の予想ではね」
「随分と悲しい運命だな」
「そう? 面白いと思うけど」
相変わらず悪趣味だ。俺は溜め息を吐き、立ち上がる。
「用はないんだったな、帰る」
「あらら、折角だからもう少しお話しようよ」
「断る」
即答しても相嵯峨は別に気を悪くしたふうでもなく、立ち上がった。
「仕方ない、じゃあ帰ろうか」
バスで善良荘のある日刈町へ戻り、もう随分暗くなった道を並んで歩いていると、相嵯峨は俺に話しかける。丁度その時、近くの電線にいたカラスが鳴き声をあげながら飛んで行った。羽をゆっくりと動かしながらも、すぐに去っていく。俺はカラスから抜けた一枚の黒い羽が地面に落ちるのを、黙ってみていた。
「もし今度暇だったらさ、あの変態のところに行ってみてよ」
相嵯峨の発言の意味を理解したところで、意識を会話に向ける。
「何で俺が好き好んでアイツのとこに行かなきゃならない」
「死体というものを見せてあげたいという、僕の良心さ」
「結構だ」
それに別にアイツは死体を収集しているわけではないだろう。だから正直、自分が言ったことではあるが、アイツが人をそんな場所で殺すとは思えない。殺す。殺した。嫌な言葉だ。脳に浮かぶのは薄い藍色。俺はふと気になったので相嵯峨に訊く。
「今、人を一人殺したら懲役何年だったか」
「今は二年だね。でもまた来年から引き下げだって。一年とかになるはずだよ」
「そうか」
半世紀ほど前はもっと長かったらしいし、下手をすれば終身刑、何人も殺せば死罪だったそうだ。けれど今は死罪なんて耳にするのも珍しく、殺人だけではなりそうもない。百人殺したとしても終身刑にすらならないだろう。つまりだ。
「僕達の命は年々軽くなっているんだ」
大袈裟な身振りで嘆くように言う相嵯峨。けれど口はいつも通り弧を描いている。俺は少し目を伏せて返す。
「お前はそんなこと、気にしないだろう。お前はどんな状況でも生き延びられそうだ。つまりお前はゴキブリだな、おめでとう」
「酷い言い草だなぁ。君って本当に無遠慮だよね。僕は君の気持ちを代弁してあげたつもりなんだけど」
すると相嵯峨はさらに笑みを深める。そして右手で指鉄砲をつくり、俺に向ける。
「それともまさか、さっきの死体の子を案じたのかな。殺されたのに加害者が懲役二年じゃお気の毒だな、とか?」
「そんなわけないだろう」
「じゃあ案じたのは加害者のほうかな。人一人殺した程度で二年も牢屋に入れられるなんて哀れだな、みたいな?」
「もっとありえないだろう」
「うん、分かってるよ。本当はさ」
相嵯峨は指鉄砲をさらに俺に近づける。別にゴムが掛かっているわけではないので、怖くもなんともない。幼稚な奴だ、と哀れむばかりだ。相嵯峨は俺が思っていることにも気づかず、含み笑いを浮かべる。
「案じているのは自分の身でしょ?」
少しだけ安心した。そう言うなり相嵯峨は、指鉄砲をすぐにしまったからだ。「ばーん」とかやられたら殴ろうかと思っていた。だからその点では安堵している。けれどやはり幼稚だ。関係ない点と点を無理矢理線で結びつけている。殺人罪とは全く縁のない俺が、自分のことを案じる必要がどこにあるというのだ。
「どうして俺のことを心配する必要があるんだ」
けれど相嵯峨は悪びれもせず明るく言う。
「いやあ、人が死ぬのなんて日常茶飯事になったら、外で歩くのが怖いんじゃないかなあって」
「それだけか?」
「それだけ、って他に何があるの?」
白々しく首を傾げる相嵯峨。本当はここで引き下がるべきなのだろう。「そうだな、何でもない」と。事実、何でもないのだ。けれど向こうが幼稚な対応をしているのに、こちらが遠慮する必要は無い。少しくらい変なことを言っても、許容してくれるだろう。
「……俺が、自分が捕まるのを、案じていると思ったんじゃないのか」
少しだけ沈黙が続いた。相嵯峨が口を開いた頃には、俺は今の発言を既に後悔していた。
「可笑しな事を言うんだね、君が捕まる必要なんてないんでしょ?」
相嵯峨はそう言うと、あからさまに話題を変えた。
「まあでも、人を殺したいけど捕まりたくないっていう我が儘だったら、多分いつか実現するんじゃないかな」
そして相嵯峨は歩道橋を指差す。この歩道橋、確か名前は白江橋。コンクリートでつくられた結構しっかりとした橋で、名前の通り綺麗な白だ。利用すれば近くの大通りの、待ち時間が長い三つの信号を待つ必要が無くなる。使う人は学生がほとんどで、俺も大学に行くときに利用している。ただ設置場所が日刈町なので、あまり使われていないというのが現状だ。
日刈町は最近過疎化が進んでいて、観光名所もない。近くの商店街もシャッター街となりつつある。近代化の進んだ市の中でも唯一アナログで時代から取り残されたような雰囲気があり、現に電線はまだ存在し、トタン屋根の家もある。それが受け入れられないのか体裁が悪いのかは知らないが、高校は近くに二つほどあるにも関わらず、人口が少ない。だからこんな町にわざわざ大きな橋を設置したのは、無駄じゃないのだろうか。まぁ、だからこそ活性化させようとしたのかもしれないが。それに日刈町の奴からすれば使いやすいから、町民としては有難い。しかも真っ白な白江橋は遠くからでも目立ち、ある意味日刈町のシンボルとも言える。
だが、相嵯峨が指したのは恐らく白江橋ではない。白江橋に二年ほど前に掛けられた、大きくて派手な青色の垂れ幕だろう。正直その垂れ幕は、少し寂れたこの町で異物感を放っている。言い換えれば悪目立ちしているのだ。書いてある文字は『人に命はないんだ! 今こそ思想の変換を! ~命という古い概念から永久存在説という理念へ~』。文章が長すぎて、割と長いはずの白江橋をはみ出してしまい、端の方を補強しているのが少し面白い。
俺は思わず「永久存在説、か」と呟く。とある学者が唱えた、馬鹿みたいな論理。いや、論理ですらない何か。人が死ぬのは循環のうちの一つであり、生き返ることを想定したものだから、死は恐ろしくないものだ。つまり輪廻転生に近い考えなのだろう。ただ大きな違いは、命を尊ぶなんてやめて死こそ崇めようと主張していることだろう。生かすよりは殺した方が平和だ。命なんてあるから様々なものに恐怖するんだ。大丈夫、すぐに生まれ変わるんだから。死ぬということは、消えることではない。だって人は死んでもそこに存在しているから。ただ同じサイクルを、プログラムを繰り返すだけ。……これでは昔の輪廻転生を唱えた人に失礼だ。元来輪廻転生は良い行いをすれば相応のものに生まれ変わる、というものだったはず。生き返るに決まっているのだから殺しましょう、では本末転倒だ。そしてそんなあやふやなものが力を持って、目の前に文字として掲げられているのは、単に永久存在説を唱えた学者が著名で権力者だからに過ぎない。そして日刈町の長でもある市長は誰よりも先に、その学者を手中に入れた。この垂れ幕もその『命と向き合うプロジェクト』の一環だ。
馬鹿らしい。俺は言う。
「胡散臭いな」
「ごもっとも」
「よくこんなことを考えつくものだ。そしてそれが俺達に浸透すると思っているなんて」
相嵯峨も苦笑した。
「でもきっと、いつか浸透していくんだろうね。この町に、いや、この国に。半世紀前の死刑制度が消えたのと一緒だよ。最初は反対した人達も、いずれ当たり前に感じていくんだろうね」
「で、人を殺しても無罪か?」
「最近の市長の会見はそんなニュアンスが強いね」
でもまさか、そんなことはないのだろう。市民が人を殺しても野放しにするという宣言なんかじゃ、ないはずだ。きっとこの説を唱えた目的は、市民に市が人を殺すのを先に許容してもらうためだ。だから市民の罪を許容するのが最終目的ではない……なんて、さすがに飛躍的だろうか。
「馬鹿らしい」
吐き捨てるように呟く。俺は意味も無く言う。
「人を殺して無罪になっていいわけがない。命に価値が無いなんて、罪を改める必要が無いなんて、あっていいわけがない」
「そうだね」
相嵯峨が、まるで感情的な子供を宥めるように、優しく笑う。それが少し癪に触る。
「うん、文部は正しいよ。そんなことあっちゃあいけない。政府が掲げているスローガンなんかより、よっぽど道徳的だ。君は本当に素晴らしきヒューマニストだ」
『道徳的』という言葉が、俺には便利で都合のいい埋め合わせに聞こえる。それが少し虚しく、腹が立った。けれどその台詞の簡易さより、相嵯峨が、俺が求めているのは同意などではないと知っていながら、そんな言葉を吐いたことのほうが腹立たしい。安っぽい言葉と作り笑いを浮かべた顔で同意されて、喜ぶと思っているのか。
「どうしてそんなことを言うんだ」
「文部こそ」
相嵯峨の声は少しだけ鋭かった。
「今の独り言、誰に対してのものなの?」
反論することは出来なかった。別に俺が返事に窮したからではない。ただ声を掛けられたからだ。
「文部さん?」
声がした方を向くと、そこに居たのは蓮野だった。ポニーテールにしてある長めの髪を揺らしながら、笑顔で訊いてくる。ビニール袋を持っているから、買い物の帰りなのかもしれない。手短に挨拶する。
「奇遇だな」
「はい!」
何故だかは知らないが、蓮野はとても良い笑顔だ。そしてわけがわからないが、相嵯峨もニヤニヤと笑っている。まあコイツが気持ち悪く笑っているのはいつものことだ。気にしないに越したことは無い。
「いやあ、優穂ちゃん。こんばんは。別に青春の邪魔をしたいわけじゃないけど、僕に気づいてくれてもいいんじゃないかな」
意地悪く相嵯峨がからかうものだから、蓮野は慌てる。本当に素直な奴だ。それに対しやはりというか、相嵯峨の発言には気配りだとか思慮とかいうものが感じられない。ついでにいえば理解もできない。何だ、青春の邪魔って。俺達が高校生の生活を壊しているみたいではないか。
「いや、その、気づいていないわけじゃなかったんですけど! あの、ごめんなさい」
深々と頭を下げる蓮野。俺は溜め息を吐く。
「相嵯峨、いじめてどうする」
「ん? そりゃあ、いじめた後は帰るだけだけど」
本当、俺がこいつと一時期でも友人だったことは、人生の汚点といってもいいだろう。そう思っていると、相嵯峨は笑う。
「冗談だって、優穂ちゃん。本当面白いね、君」
「は、はあ」
確かに蓮野が相嵯峨と顔を合わせれば、からかわれてばかりだ。気の毒に思う。
「悪いな、蓮野。まあまたこいつが変なことしてきたら俺に遠慮なく言ってくれ。策はある」
相嵯峨の顔が少し引きつったのが分かった。小声で「まさか先輩に告げ口する気? 最低だ……」とか言うのが聞こえるが、まさしくその通り。
「い、いえ! 文部さんが謝ることじゃないです!」
「あれ、じゃあ僕は謝ったほうがいいのかな」
いい加減にしろ。本当に井川に言うぞ、まあ面倒だから多分実際は言わないと思うが。そしてそんな俺の性格も理解しているから、相嵯峨は蓮野にちょっかいをかけるのをやめないのだろう。
「あ、いや、そういう意味じゃないんですけど……」
「ふうん」
慌てふためいている蓮野。少し悪いことをしてしまった。相嵯峨とは離す方がいいだろう。
「蓮野、こいつが本当すまないな。俺達はもう帰るから」
「あ、はい」
何故か寂しそうな顔をする蓮野。ああ、そういえば。飴袋から飴を取り出し、去り際に蓮野に渡す。
「詫びだ」
少し蓮野が笑ってくれたので、内心安堵する。相嵯峨を引きずりながら歩き始めると、後ろから蓮野の声が聞こえた。
「ありがとうございますっ」
蓮野と別れて随分歩き、そろそろ善良荘という辺りで、ずっと無言だった相嵯峨が少し笑った。
「なんだ」
「いやあ、あだ名通りだなあって」
そう言われて思い出したのは、常盤の言葉だった。平静を装いながらも、恐る恐る訊く。
「飴を配る謎の大学生、か?」
「そんなオブラードに包んだ可愛いものじゃないよ」
相嵯峨は更に笑みを深める。嫌な予感しかしない。
「残念な誘拐犯」
「残念?」
「結果として飴配ってすぐ去ってるからでしょ。飴は配るものの攫う度胸は無い、無害な不審者さんってところかな」
少なからずその言葉にショックを受けた俺は、黙々と帰路を急いだ。