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Can you forgive me? 1 まだ早いのかもしれない。

 春。


 うららかな陽気が、ささやかな風が、優しい香りが、暖かな日差しが、風で舞う無数の桃色の花弁が。

 大好きだったはずだった。

 アスファルトだけどどこか温かみのあるこの狭い通りにも、その両端で揺れる桜並木にも、綺麗な桃色の絨毯にも、そんな景観を見守るように建てられた古いアパートにも。

 胸躍らせていたはずなのに。ほんの三日前まで、私はこの通りの全てが大好きだったはずなのに。

 今ではもう何も感じない。春もこの通りもただ存在しているだけ。そう思うようになった。むしろ、忌々しくすら思えてくる。ちょうど三日前、彼からこの通りで告げられた、単調な言葉を思い出した。ふと緩みそうになった涙腺に叱咤をいれ、頭を振る。

 私は今、あの時と同じ場所に居る。アパートの向かい側、右から数えて三本目の桜の木の前。何もかも変わっていないと思った。幾らでも振る桜の雨も、眠気を誘うような木漏れ日も。そう、たった三日前のことなのに。


 冷たい風が吹き、私がいつも髪につけている藍色のリボンが飛ばされそうになる。慌ててそれを髪から落ちないように押さえる。

 ……早く帰ろう。これ以上ここに居たら、おかしくなってしまいそうだ。そう思い踵を返すと、私のすぐ傍に何かが落ちているのに気付いた。黒い手帳のようだ。開いた状態で伏せてある。誰かが落としたのだろう。最初はなかった気がするから、多分落としたのはついさっきだ。私がぼんやりしている間にでも落としたのだろうか。だとしたらまだ近くに持ち主がいるかもしれない。届けてなくては。そう思い、拾い上げてみる。すると、自然に開かれていたページが目に入った。


『Can you forgive me?』


 私を許してくれますか。

 綺麗な筆記体で、そう書かれていた。

 ふと他人の大事なものを見てしまった気がして、後ろめたさを感じてしまう。しかしどうしてそんな文章を、この手帳の持ち主は書いたのだろうか。分からないけれど、大事なものかもしれない。もしそうなら、早急に返したほうがいい。


 私は早足で狭い通りを抜け、垢抜けた大通りに出た。そして辺りをざっと見る。私がよく利用する文房具屋、路傍、祝日は子供の賑やかな声が聞こえる公園……誰もいないようだった。小さな花屋や八百屋もシャッターを下ろしていて、ただ桜の花びらだけが絶え間なく動いている。音も風の音だけ。別に平日の昼間だから、人が誰ひとりいなくてもおかしくはない。むしろおかしいのは、学生のくせにこんな時間にこんな所に居る私の方だ。

 しかしそれではこの手帳を返せない。もしかして持ち主はあの通りの反対側に抜けたのだろうか。そう思い、踵を返そうとしたときだった。

 丁度斜め前方の公園から、視線を感じた気がした。よく「熱い視線」という言葉を聞くが、そんなものではない。何の感情もこもっていないような、それでいて冷たいものだ。一種の殺気さえ感じた。冷や汗が首筋を伝う。何か直感のようなものが「目を合わせるな、逃げろ」と叫ぶのを聞いた気がした。しかし手足はまるで痙攣したかのように動かなかった。私は急に怖くなった。

 意志に反して、私の足は自然と公園に向かっていた。まるで何かに吸い寄せられているように。嫌だ。怖い。どうしよう。そんな思考と自分の体の矛盾が気持ち悪かった。

 しかし公園に近づいたら、何てことはない。無人だった。ただ異常な程、桜が舞っているだけ。何だ、きっと視線なんて気のせいだったんだ。手帳は後で、交番にでも届けておこう。もう何だか疲れてしまった。帰ろう。

 その場から去ろうとすると、公園のフェンス越しに人が現れるのを、見た。誰も居ないと思っていたが、どうやら桜の花びらで隠れていたのだろう。その人はフェンスに片手をかけて、此方を見ている。いや、見下している。その目を見て、私は思った。ああ、さっきの視線はこの人だ。見たところ、普通の青年のようだが、どうしよう。彼の綺麗な目が、私をまるで刺すように見ている。私はこの人に殺されるんじゃないか。決まったわけでもないのに、そう確信した。そう思い込んでしまったら、得体の知れない恐怖は最高潮に達した。足が震え、目眩がした。そんな私を見て、目の前の彼は少し口角を上げた。


「ありがとう」


 彼の声が聞こえたと思えば、いつの間にか彼はフェンスを越えていて、私の目と鼻の先に居た。どうしよう。どうしよう。今にも彼はポケットからナイフを取り出して、私に切りかかるのではないか。今までそんなこと、考えたことなかった。目の前の人が私を殺すんじゃないか、なんて。でも彼を見ると、そう思わざるをえなかった。怖い。助けて。ああ、声も出ない。

 彼の手が私の手を掴んだ。私は思わず目を瞑った。しかし彼は明るく言った。


「これ、拾ってくれたんだね」

「……え」


 恐る恐る目を開いてみる。そこにいたのはナイフを掲げた殺人鬼ではなく、善良そうな笑顔を浮かべた青年だった。

 これ、というのは手帳のことだろう。彼の笑顔に、先程感じた緊張や恐怖が解れていく。安堵で泣いてしまいそうだった。彼はそんな私の様子に気がついた風でもなく、続ける。


「いやぁ、実はこの手帳、大事なものでさ。何処かで落としたと思って、探していたんだよね。でもまさか拾ってくれたのが可愛い女子高生だなんて、僕本当ツイてるよね」


 その垢抜けた声と口調に、思わず私は「ハンカチを落として拾ってもらう」という古いナンパの方法を思い出した。再び警戒心を抱いた私は、さりげなく半歩下がろうとする。けれど膝に力が入らずに、何故かしゃがみ込んでしまった。

 

 一瞬本気で「死ぬかもしれない」とすら考えたのだ。力が抜けたのだろうか。私はぼんやりとしゃがんだまま考える。すると彼は私に手を差し伸べた。


「大丈夫?」

「……ありがとうございます」


 ご厚意に甘んじてその手を取ろうとしたが、若干残っていた警戒心に従い、それはやめて自力で立ち上がった。彼は不思議そうに言った。


「疲れてるの?」


 貴方に殺されることを危惧した、などとは言えないから、私は適当に誤魔化した。


「いえ……、自分でもよくわからなくて」

「ふうん」

 

 すると彼はとびっきりの笑顔で私に言った。


「じゃあ休憩がてら、お兄さんとお茶しない?」

 

 嫌です。臆病者の私には、そう即答することは出来なかった。それでも頑張って断る。


「……急いでいて」

「手帳の持ち主探す余裕はあったのに?」

「……たった今思い出したんです」

「学校サボってる時点で、その言い訳は根本的に無理があるでしょ」


 言われて気づいた。確かにそうだ。


「……知らない人について行っちゃ駄目って教わって」

「その前に学校にちゃんと行きましょうとは教わらなかったの?」

「……ごめんなさい。今は何処かに行こうとか、そういう気分じゃないんです」

「うん、知らないよ」

「え?」


 気乗りしないと言えば、さすがに諦めてくれると思った。けれど彼は満面の笑みで、続ける。


「僕がそういう気分なんだから、この際君が行きたいかなんて関係ないよ。それに君、気づいてる? 顔色悪いから、何処かで休んだ方がいいよ。どうせ家、遠いんでしょ?」


 身勝手すぎる言い分に、私は呆れを通り越して感動すら覚え始めていた。


「……市街地の方です」

「ほら、ここからじゃ結構距離ある。それとも君の家まで送ろうか? 僕の家近くだから、車あるけど」


 どこか遠出するよりも、自分の家を知られる方が危ないと思った。ただでさえ一人暮らしなのだ。空き巣にでも知られたら嫌だ。だから、本当は私の家は近所だけど、あえて嘘をついた。

 そもそも、既にこの人に対する恐怖は完全といっていいくらい消えている。この人の明るい笑顔のせいか、むしろただのお節介な人にすら思えてきた。多分悪い人じゃない。

 それに……心の何処かで私は求めていた。

 劇的じゃなくてもいい。


 私の傷心を癒してくれるような、ちょっとした運命の出会いを。






「マロングラッセって知ってる?」


 洒落たカフェの中、目の前の名前も知らない彼は、コーヒーを片手にそう訊いた。私は唐突すぎる質問の意図をはかりかねながらも、正直に答えた。


「耳にしたことは。確か洋菓子ですよね。……食べたことはないですが」

「そう。ざっくり行っちゃえばマロンの砂糖漬け」

「……それが何か」


 彼は私の問いに笑みを深めた。


「僕さ、あれが大嫌いなんだよ」


 私は、はぁ、とぼやけた相槌を打つことしかできない。結局、それで何が言いたいのか見当がつかないからだ。それに、何だろう。この違和感。彼は今も酷く楽しそうにコーヒーを飲んでいる。


 そう。普通、自分が嫌いに思っているものなら嬉しそうには話さない。例えば話し相手も同じものが嫌いで、共感できることに笑う人ならいるかもしれない。けれど私はマロングラッセを食べたことがないと言った。共感なんて出来ない。それに人の悪口ならば、相手が同じ人を嫌悪してなくとも、罪悪感だけは共有できる。でも今話題にあがっているのは洋菓子だ。罪悪感のしようがない。

 なら、どういうことか。私は少し相手を凝視しながら、尋ねる。


「それ、冗談ですか」


 彼は私の視線に怯む素振りも見せず、むしろこの状況を楽しんでいるように言う。


「どうして?」

「私達は初対面です。そんなことを唐突に言う意味が分かりません。マロングラッセが、このカフェのメニューに書いてあるわけでもありませんし。それに貴方は嫌いなものの話をしているにしては、とても楽しそうです」


 私は普段、あまり喋らない。そのせいで嫌な目にもあったが、今は置いておいて……とにかく一気に喋ると疲れてしまったから、一呼吸置く。そして再び口を開いた。


「だから、揶揄されているのかと思いました」


 相手が年上の様だから、変な気をつかって「揶揄」なんて言ってしまった。けれどそんなことはどうでもいい。私は性格上、からかわれる事が嫌いだ。まぁそれに一々怒りはしない。ただ、もしからかわれているのならば、目の前に置かれている並々と注がれたコーヒーを飲みほして、早々に立ち去ろうと思っている。私はコーヒーを手に持った。

 彼はしばらく無言だった。けれど急に火がついたように大声で笑いだした。思わず私は驚いて、コーヒーを零しそうになる。彼はひとしきり笑い終えると、早口に言った。


「いやぁ、そう来るとは思わなかったなぁ。心配しないで。確かに唐突にこんなことを言ったのは君の反応を観察したかったからだけど、僕のマロングラッセ嫌いは本当。楽しそうにしていたのは、僕のモットーが「常時笑顔」だから。別に君を揶揄して遊ぶような低俗な奴じゃないよ、僕は」


 凄いと思った。一気に長く喋る達人だと思った。しかも息継ぎもしていなかった。今も笑顔で何事もないようにコーヒーを啜っている。先程から思っているのだが、コーヒーが好きなのだろうか。しかしそれは違ったらしい。彼は静かにコーヒーカップをテーブルに置くと、小さく「うん、不味い」と呟いた。でも先程から本当に美味しそうに飲んでいたから、マロングラッセ嫌いの下りは本当だったのだろう。私も未だに一口も飲んでいなかったコーヒーを口に含む。

 ……無意識に顔をしかめてしまう程、不味かった。気持ち悪くてむせかえるような甘さが、舌に残る。そんな私の様子に気づいたのか、彼は笑顔で訊く。


「どう、おいしい?」


 私の表情見れば分かることだと思うのだが。私は簡潔に言う。


「多分、貴方と同じ感想を抱いています」


 しかし彼はメニューを手に取り、こう返した。


「じゃ、おかわり頼もうか」

「……美味しくなかった、という意味なのですが」

「うん、知ってる」


 よく分からない人だ。多分このやり取りは完全からかわれていたのだろう。けれど、不思議と不快には感じなかった。むしろ面白い人だと思った。

 私はもう一度、目の前の彼をみる。恐らく大学生位だろう。高校生に見えないことも無い。髪は黒というよりは赤茶寄りで、少し童顔だ。顔立ちは整っているけれど、どこにでも居そうな人、というのが正直な感想だ。また、先程の会話から、冗談をよく言う人だと分かった。後、ずっと笑顔を崩してないけれど、モットーが「常時笑顔」なだけはある。基本的に笑わない私とは大違いだ。そう、そんな人だから余計、出会いがしらの視線が何かの間違いに思えてくる。いや、実際そうなのだろう。この人はどうやっても殺人鬼には見えない。そういえば、先程から憶測ばかりだ。私はこの人の名前も知らない。でもそれでいい気もする。


「君はね、うん、六十点位かな」


 これまた唐突な評価に、私は首を傾げる。彼は子供に何かを教えるように、私に言った。


「さっきの君の返事だよ」

「ああ、『貴方と同じ感想を抱いている』、という」

「違う違う、もうちょっと前。『揶揄されていると思った』ってところ」


 私は大してよくもない記憶力を使って、なんとかその下りを思い出す。丁度何となく思い出せた時に、彼は再び口を開いた。


「君がそんなに思慮深い人だとは思わなかったな。普通に何の指摘もしないで流す人とは違う。そういうところは、君が冗談嫌いな性格が影響してそうだけど。しかもわざわざそう思った理由まで説明してくれて。君、すっきり後味良いミステリーとか好きなのかな? でも一つ残念だったのは」


 何となくその先は予想がついたので、思わず口を挟む。


「指摘したことが見事に外れていたこと、ですか」


 すると彼は嬉しそうに身を乗り出して、大袈裟に私を人差し指で指した。


「ビンゴ。でも今のは正解だったし、外れていたのはたまたまなのかな。それに冗談嫌い、とか言いながら、僕のおふざけじみたこんな会話に付き合ってくれてる。優しいし、協調性があるって言うのかな。いや、後者は関係ないか。というか君結局冗談嫌い、って言ってないね。迂遠なもの言いで、好みを伝えるなんて賢いよ、君。おめでとう、六十五点に昇格だ」


 わぁ嬉しい。それで収まれば確かに可愛げはあるのかもしれないが、逆に言えばそれは自分が馬鹿になることでもある。私は我ながらプライドが高い方なので、彼の発言を指摘する。


「残念ながら、今のが偶然正解したという方が正しいです。会話に付き合っているのは、暇つぶしのようなものですし。迂遠な言い方をするのも、私のただの短所です」


 私は不味いコーヒーで口を湿らせ、再び口を開く。


「それにその点数がそもそも何の点数か知りません。もう一つ、私は優しくなどないですし、ましてや協調性など皆無です」


 やはり喋ることは苦手だ。相手は随分慣れているようだが。彼は静かに言う。


「君は少し、ネガティブのようだね。ペシミストってやつかな。まあいいや。点数は単純に面白い回答をするか、ってもの。だから君が気にする必要は無いよ」

「六十五点で気にするな、というのも」

「ああ、そっか。じゃあ何かの目安として受け取って」


 何の目安にしろというのだろう。そういえば、とふと気になり声を掛ける。


「この採点、百点の人とか居るのですか」

「まだ居ないよ。あ、でも最近ので面白かったのは『マロングラッセに埋もれて死ね』とか『あの変態医師にホルマリン漬けにされて死ね』とかかな。まぁ後者の意味は、君にはよく分からないと思うけど」


 確かに「変態医師」が誰かは知らない。けれど要するにそれらは、「苦しみながら死ね」ということではないのか。私は思わず言う。


「それ、貴方自身に言われたのですか」

「うん」


 笑顔で即答する彼。まぁそれは例えにマロングラッセが出てきたときに分かったことだ。しかし、死ねと言われて、それを面白いと言う人がいるとは。


「随分、嫌われることに慣れていますね」


 言って思う。失言だ。けれど彼はさして気にした風でもなく、コーヒーの残りを飲みほす。


「そうかな」

「それか、人に嫌われることを何の苦にも思っていないようにみえます」

「ああ、うん。そっちの方がニュアンス的にも多分正しいね。何だ、やっぱり君察しがいいじゃないか」

「尊敬します」


 無意識のうちの発言だった。先程から私はとても失礼だ。若干気まずい雰囲気の中、私は少し俯きがちに言う。


「すみません、何でもないです」


 彼はその言葉に激昂する程短気ではなかった。しかしその言葉を流してくれるほど、寛大でもないらしい。


「尊敬って、嫌われることを何の苦にも感じないこと?」

「……はい」


 笑顔で訊かれると、いくらなんでも無視することはできず、小さく頷く。彼は嫌がる風でもなく笑った。けれどそれがどこか嘲笑めいて見えたのは、気のせいではないのだろう。ああ、ほら、今も気にしている。自分は嫌われるのではないか。


「ま、気にしようが気にしまいがどっちでもいいんじゃない。もしかして、君がいやに自分を卑下するのも、それが影響しているのかな」

「……どうでしょう。でも、私、本当に協調性もないし、優しくもないですよ。だから」


 だから。私の脳裏に再び、あの桜の木が浮かぶ。綺麗なピンク色の花弁。桃色に染まった道。だがあの人の言葉は、そんな景色とはあまりにも不釣り合いだった。だけどあの人があんな事を言ったのは、私のせい。私の無口で協調性がなく、優しくない性格のせい。あの人の言葉が、耳に蘇る。


――君って笑わないし、正直何考えてるか分かんない。喋んないし、口を開いたと思えば俺を疑うようなことばっか。だからさ


「そうかな?」


 彼の声が、あの人の声を遮った。彼は空になったコーヒーカップを眺めながら言う。


「人の気持ちを微塵も考えない僕から見れば、君は優しいと思うよ」

「……私、笑わないから何考えてるか分からないこと、ないですか」


 それはある意味、私にとって呪縛のようなものだった。あの人の言葉は、的を射ている。きっと私に長所なんてない。


「別に? 僕はへらへら笑うような頭が軽そうな奴より、自制心を持ったポーカーフェイスな子の方が好きだけど。それに僕の知り合いのほうがよっぽど無愛想で不親切だしね」


 へらへら笑う、というのは貴方のことではないのか。言い返そうと思ったけれど、彼の言葉が正直とても嬉しくて、思わず別の質問をしていた。


「無口で、たまに口を開けると、人を疑うようなことばかり言いますよ」

「むやみやたらに他人の事信じる奴とか逆に馬鹿でしょ。無口なのは無駄なことを言わないってことでしょ。じっくり物事を考えて整理して言葉にする。素晴らしいと思うけど?」

「それに人に合わせるのとか苦手で」

「こびへつらって素の自分隠して嘘まで吐いて、人の話になんとなく合わせる奴よりマシ」

「第一……」


 これを言うべきか、一瞬躊躇った。けれど彼は何食わぬ顔で私のネックを取ってくれそうで、思わず言っていた。


「私、友達も居なくなってしまったんです。ずっと、家でも、学校でも、ずっと一人。誰も私を好いてくれてないんです。私、生きている価値、あるのでしょうか」

 

 ふと視界が何かでぼやける。どうして私は名も知らない不審者にこんなことを相談しているのだろう。彼は笑みを深め、ゆっくり言った。


「つまり、僕が君の友達になっちゃえば、君はそんな変な悩みを解消できるのかな?」

「なって、くれるんですか」


 彼は「当たり前」とでも言うように笑った。


「もちろん」


 私はいつの間にか立ち上がっていた。そして馬鹿げた話、泣きそうな顔で、目の前の名も知らない彼に頭を下げた。


「ありがとうございます……っ」




 私は求めていた。

 劇的じゃなくても、相手が不審者でもいい。私の傷心を癒してくれるような、ちょっとした運命の出会い

を。


 孤独な日々から連れ出してくれる、救世主を。





「うん、素直にお礼を言うのは素晴らしいと思うけどさ」


 ほぼ直角な程頭下げている私に対して、彼は苦笑した。そして彼は目を横に向ける。


「周りのことも考えて、音量にも気を配ろうね」


 言われて隣のテーブルをみると、今時な感じの女子高生二人組がこちらを何事かと見ていた。無意識に大声を出していたのだろうか。最初この店に来たときには隣に誰も居なかった気がするのだが。まあ迷惑をかけてしまったのは事実だ。頭を下げる。しかし私が頭を下げていたときには既に「でさー」「わかるー」と、話を始めていた。仕方がないので黙って座り、正面を向く。


「意外と熱くなると周りが見えなくなるタイプなんだね」


 彼に言われて顔が熱くなるのを感じた。小さく返す。


「……すみません」

「ううん、分かりやすい子、僕好きだよ」


 「好き」という言葉に何故か過剰に反応してしまい、また恥ずかしくなる。彼はそんな私の様子に気づいてない様で、隣の女子高生を見ている。


「あの、どうかされましたか」


 自分に興味を尽かれたのかと思い、早口で訊く。彼は大して表情も変えず応えた。


「いや、そういえば君も本来は学校行くんだよなー、って」

「ああ……」


 私も彼にならって女子高生に目を向ける。制服を着ているが、堂々とサボりだろうか。恐らく南高の制服だと思うが。いや、私も同じだ。私は自分が制服を着ていることを思いだした。そうか、だから彼は私をみてすぐに、私が高校生だと分かったのか。


「気になってたんだけどさ」


 彼はいつの間にか、視線を此方に向けていた。彼は言う程気にしている風でもなく、私に訊いた。


「別に学校サボるのは今時そんな珍しくないとして、何でわざわざ制服着てるの?」


 確かにもっともな話だ。私は簡潔に答える。


「最初は学校にちゃんと行く気だったからです」

「でも僕と君が会ったのって、十時くらいだったよね。一回帰ってまたどこかへ遊びに行こうとしていたんなら、着替えてからでも良かったんじゃない?」

「帰っていませんよ」

「え? でもくどいようだけど、君と会ったのは十時くらいだよ。それまで一体何してたの」

「ずっとあそこで桜を眺めていました」


 彼は首を傾げる。それでも笑顔を崩さないのは、何故だろう。まぁ不機嫌な顔をされるよりはいいから、何も言わないでおく。代わりに、私は今日のことを最初から説明することにした。


「……私は最初、学校に行く気で家を出ました。家を出たのは七時半位です。そして少し歩いて、桜並木に着いたのがそれから十分後です。本来はそこから更に十分程歩いて学校に行かなければなりません。けれど思うところがあって、私はそこに留まりました」


 一息つく。やはり話すということは疲れる。喉が乾いたが、再び私の目の前にある不味いコーヒーを飲む気にはなれず、そのまま続けた。


「しばらく経って、やっぱり帰ろうと思いました。その時、足元に手帳が落ちているのに気付いて」

「しばらく、って二時間も経ってるじゃない。何であんな普通の桜並木に留まるかな」


 そう、普通の桜並木。でも私にとってあの場所は、悪い意味で忘れられない場所だ。


「ひょっとして、何か思い入れでもある?」


 私は少し躊躇ったが、意を決し彼に告げた。


「私、あそこで付き合っていた人にフラれたんです。つい、三日前のことです」



――……だからさ、もう別れよう。


 あの人は何の感情も込めずにそう言った。私は承諾した。本当は嫌だった。私はあの人が好きだったから。でも、あの人に的確な言葉で私の短所を指摘され、私は自分に自信が持てなくなった。あの人の声を思いだすだけで、今も涙腺が緩む。そんな私をみて、彼は静かに言った。


「何か、あるんなら相談してよ。ちょっとは気が楽になるかもしれない」


 私は一回頷くと、話始めた。何故だか、今日初めて会った人だけれど、この人は信用できると思ったのだ。それにこれからも付き合いがある人ってわけではない。そう考えると、別に話してもこれからに影響がないような気がした。


「彼にフラれる少し前から、私は学校でいじめに遭っていました。掃除用具入れに閉じ込められたり、ゴミ箱を投げられたり、そんなの日常茶飯事でした。でも、私にはどうして自分がそんな目に遭っているのか、見当がつきませんでした」


 学校の校門をくぐる。そして下駄箱は素通りし、スリッパを職員室で借りて、教室へ向かう。上靴はいじめが始まった日、カッターで切り刻まれて捨てられていた。新調したところで意味がないことは分かっていた。教室に入るなり浴びせられる罵声を、聞こえないフリをして自分の席につく。落書きだらけの机を直視しないようにしながら、準備をする。といっても、教科書もノートも随分前から消えていた。準備を済ませると、逃げるように教室から出る。後ろから刺すような笑い声が聞こえるけれど、別の事を考えて気を紛らわせた。そして一限目が始まるギリギリまで、教室から一番遠いトイレで身をひそめる。恐らく机の落書きが増えている頃だろう。けれどあのまま教室にいる方が、私には耐えられなかった。そして泣かないよう踏ん張った。弱者にはなりたくなかった。休憩が終る頃、教室に戻る。そして授業をボロボロのノートで受け、昼休みもトイレでやり過ごし、家路につく。

 ここ最近、こんなことの繰り返しだった。それでも不登校にはならなかった。学校にはあの人がいる。私のことを励ましてくれる彼が。でも。私はゆっくりと彼に話す。


「……その昔の彼が私を励ましてくれていました。だから学校に行くことができていたのかもしれません。でも別れを告げられた翌日から、彼は私と口をきいてくれなくなりました。……それが二日前のことです。そのことが頭の隅に残っていたのかも知れません。この二日間、私はあの桜並木より向こうに行けなくなっていました」


 そしてその日から私は泣き虫になった。弱者という肩書を受け入れた。いや、どうでもよくなっていた。ほら、今も名前も知らない人の前で涙を零している。


「私、本当に弱いですよね。今時いじめなんて何処にでもあるに、フラれる人なんてたくさんいるのに。たまたまそれが二つ重なっただけで不登校なんて、本当馬鹿らしいですよね」


 喋ることは苦手だ。けれど今は口が勝手に動いている。これではただの愚痴だ。けれど彼は私を揶揄することなく言った。


「そんなことないよ。学校毎日行ったり、仕事毎日したり、そんなこと真面目にやる人が馬鹿みたいにすごいだけ。ただそんなすごい人がたくさんいるもんだから、自分が弱くみえるだけ。正直なところ、仕事もせず遊んでばかりの大人だっていないわけでもない。というか、そういう知り合いもいるし。今、隣で堂々と学校サボってる女子高生もいるわけだしね。だから誰も君が不登校になったって責めないよ」


 私はこの人を少し軽い人だと思っていた。けれど彼の言葉は確かに私の心を救ってくれている。彼は続ける。


「第一さ、そのクラスで君をいじめる子も、君をストレスの捌け口にしてるだけでしょ。変わんないよ、学校サボることと。むしろストレスを自分じゃなく他人にぶつけるあたり、まだ不登校の人の方が良心的だと思うけどね。ほら、さっき君弱いって言ったけど、君をいじめてる子の方が何倍も弱い。というか、そういう低能なことして満足する人は弱者というより愚者だね。無自覚な所がなおのこと滑稽」


 そういうなりクラスの見たこともないはずの人の存在を、彼は「あーかわいそ」と笑い飛ばした。私もつられて笑っていた。彼の言葉にではない。彼の優しさが少し、いや、とても嬉しかったからだ。

 私は目の前の不味いコーヒーをみる。まだ残っているコーヒーに、私の顔が映っていた。涙はどうやら、乾いているようだった。むしろ、私の顔はどこか晴れ晴れとすらしていた。私はコーヒーを全て飲み干す。意外と美味しく感じられることに気づいた。

 私は再び立ち上がった。


「ありがとうございました。……相談、乗ってくれてとても嬉しかった。あ、あのコーヒー代は私が」


 彼は座ったまま、笑う。


「いいよ、高校生に奢らせたりしないって」

「でも」

「変な気遣う子は苦手だな」


 苦手に思われることが怖くて、肩が強張る。私は反射的に言った。


「じゃあ、すみません」

「うん、それでいいの。まぁ、それぐらいで君のこと、嫌いにはならないけどね」

「へ?」


 思わず間抜けな声を出してしまう。彼は静かに微笑むだけ。……嫌いにならない、ということは今は嫌っていないということだろうか。そう思うと嬉しくて、顔が熱くなった。彼はそんな私をみて、また笑った。


「本当、分かりやすいね。というか、もっといいことで喜べばいいのに」

「い、いいことです。多分、今までで一番」


 無意識のうちに言っていて、恥ずかしくなった。私は話題を変えるため、別のことを言う。


「あの、なんだか今日はナンパするつもりだったかもしれませんけど、成り行きで相談乗ってもらって、救ってもらって……本当、ありがとうございましたっ」


 別のことを言うつもりが、結局内容的には先程と同じだった。彼は、私を見て言う。


「だからいいよ。お礼なんて。友達になるって言ったでしょ。あ、でも僕、別にナンパするつもりじゃなかったんだけど」

「え、そうなんですか」

「最初言ったでしょ。顔色悪いから何処かで休もうって。……ああ、傍から聞いたら確かにナンパのような口ぶりだ」


 その言葉がわりと本気のようで、私は思わず笑ってしまった。でも今彼のその言葉を聞いたら、恐らく本当に休ませてくれると信じられるだろう。彼は凄く良い人だ。


「まぁ君の笑った顔も何度か見れたし、ナンパだとしたらアタリだね」

「……やめてください、お世辞は。あの、今日はご馳走様でした。そろそろ帰ろうと思います。それでですね」


 少し躊躇う。けれど心の中で彼は友達なのだと自分に言い聞かせ、意を決して言葉を続ける。


「……また、会ってくれますか」


 彼は一瞬目を丸くする。そして少し声を上げて笑うと、おかしそうに言う。


「当たり前でしょ」





 彼と一緒に店を出る。携帯電話で時刻を確認すると、かなり時間が経っていて驚いた。すると彼は私の携帯電話を、自然に私の手から取る。


「どうするんですか」


 彼自身の携帯電話と私のを操作し始めた彼に、訊いてみる。彼は操作を終えると、いたずらっぽく笑って、私の携帯電話を返してくれた。そして私に言う。


「君の携帯電話に僕の番号登録しておいたから。電話帳の一番上。あ、あと君の番号も僕の携帯電話に登録しといたよ」

「はぁ」


 その勝手な行動に若干呆れながら、それでも嬉しく思いながら、携帯電話の電話帳を開く。確かに新しく一つ追加されている、が。


「それは全然構わないのですが、名前はどうすれば」

「あ」


 そういうなり彼は少し考え込んだ。やはり本名を言いたくないのだろうか。まぁ嫌われたくないので、詮索はしないでおく。しかし彼があまりにも自分の名前を決めかねているので、思わず私は言った。


「マロングラッセさんってどうですか」


 しかし彼は苦笑する。


「長いし、僕マロングラッセ嫌いなんだけど……何かそこらへんのチョイスに悪意を感じるよ」


 悪意もなにも、彼のことで私が知っていることと言えば、彼がマロングラッセを嫌っていることだけなの

だから仕方ない。しかしそうなるとどうしよう。もう少し短く。


「グラッセさん」


 これだ。これがいい。しかし彼はやはり気に入らないらしく、私に言う。


「えー、なんか外人みたい」

「では、マロンさん」

「もっと嫌だね。女の子みたい。というかマロングラッセから離れようよ」


 あまりにも嫌そうにされるので、少し憤りを覚えて、こんなことを言ってしまう。


「ならマロンさんかグラッセさんの二択です」


 彼は一瞬嫌そうな顔する。しかし観念したかのように頭を垂れると、静かに返した。


「グラッセでお願いします」


 さっそく電話帳に名前を登録する。携帯電話を操作している横で、グラッセさんはぶつぶつと呟いていた。


「……うん、そうだね。意外とグラッセは僕にぴったりかもしれない」


 それはなにより。グラッセさんは私に笑って言う。


「というか、君の名前も教えてよ」


 言われて気づいた。名乗っていない。しかし彼が偽名なので、本名をフルネームで名乗る気にはなれず、

手短に答えた。


「佳代です。佳作の佳に、千代紙の代」


 名前の方を名乗ったのは、何となく、ニュアンスだ。別にグラッセさんに名前で呼ばれたいとか、そんな阿呆らしい理由ではない、はずだ。


「オッケー、わかった、佳代ちゃんね」

「では、今日はこれで帰りますが、改めてこれからもよろしくお願いします、グラッセさん」


 そして踵を返す。しかし若干の名残惜しさを感じ、その場で踏みとどまる。その意味を勘違いしたのか、グラッセさんは私に聞いた。


「やっぱり、家まで送ろうか?」

「いえ、大丈夫です」


 心配かけるわけにもいかないと、無理に足を動かす。しかし三歩程歩いたところで、呼び止められた。振

り返ると、彼は言う。


「ちょっと待って」

「……何か」

「明日、学校に行って」


 思わず目を丸くする。急にどういうことだろう。つい先程、不登校でもいいと言ってくれたのに。からかわれているのか。しかし彼の顔が笑顔ではなく、真剣な顔だったから少し驚いた。彼は続ける。


「別に、無理にとは言わない。でも、明日はいいことが起こるかも知れないよ。別れた彼氏さんと一回ちゃんと話をして、もう一度やり直せないかとか。だって佳代ちゃんさ、一方的にフラれて悔しくない? 不登校でも別にいいと思うって、僕は言った。でも、何も知らずに終わるのも辛くない? 彼氏さん、もしかしたらいじめのターゲットになるのが怖くて別れたのかも。本当はまだ、佳代ちゃんのこと好きかもしれない」

「まさか」

「……うん、推測だから、無理にとは言わない。ごめんね、引き留めて。あ、電話、また何かあったらいつでもして。それじゃあ」



 再び歩き出す。もう躊躇わない。日差しがまぶしかった。空を見上げると、雲一つない青空が広がっている。まるでグラッセさんの言葉を力づけるように。ふと桃色の花弁が、制服についているのに気付く。私は

それを、そっと手で払った。


――明日はいいことが起こるかも知れない。


 グラッセさんの言葉を、思い出す。

 まだ春。まだ三日。諦めるのは、まだ早いのかもしれない。

 


 桜を見て泣きそうになるのも、まだ早いのかもしれない。


今回は王道少女漫画を目指しました。

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