3話 女騎士のハローワーク(1)
「いただきまーす」
手を合わせてから、ミハルは夕食へと箸を伸ばした。
『たまには魚料理が食べたい』というリクエストに応じて、今日のテーブルには珍しく女騎士手製の魚料理が並んでいる。
スーパーで売っていた小さめの舌平目のフライだ。香草入りのソースがかかっていて、揚げたてのなかなか食欲をそそる匂いを上げていた。
台所でファム・アル・フートがぬめりを帯びた生魚に触れるのも気持ち悪がり、調理ハサミでぶつ切りにし出したのを目にしたときはどうなるかと不安だったが、少なくとも見た目も洋風の龍田揚げといった感じで悪くない。
対面で相変わらず長々と祈りの言葉を続けている女騎士を無視してミハルはかぶりついた。
少し火が通り過ぎている気がしたが、白身魚の淡泊な味とフライの相性はやはり抜群だった。久しぶりの魚の味をしみじみと噛み締める。
「ミハルはそんなに魚が好きだったのですか」
祈りを終えたファム・アル・フートは、自分の手料理だというのに少し気味の悪そうな目でフライを頬張る少年を見た。
「おまえの国じゃ魚は食べないの?」
「そんなことはありません。普段生の魚というものを扱わないだけです。ちゃんと魚料理のレパートリーだってありますよ」
「へー。どんなの?」
異世界の食事情というものに興味を引かれて、ミハルは箸を止めて食いついた。
「まずよく食べられているのは、乾燥タラと芋の煮物ですね」
「ふーん」
「次に塩漬けのニシンとふかし芋のサラダ」
「美味しそうじゃん。他には?」
「燻製のサケと揚げ芋の組み合わせなどはビールのつまみの定番ですね」
「……あのさ、芋から離れられないのか?」
魚料理の話をしているのか芋料理の話をしているのか分からなくなったミハルに、女騎士は平然と返してきた。
「だって芋は何と一緒に料理しても美味しいでしょう?」
「そうかもしれないけどさ」
「こうして芋だけで粥にしても毎日食べていれば死なないのです。まさに神からの恵み。ありがたく頂きなさい、ミハル」
そう言って女騎士は大きめのボウルによそがれた芋粥にスプーンを浸した。
「…………」
フライの魚の小骨を外しながら、ミハルはちらりと芋粥を静かにすする女騎士の方を見やった。
「芋粥も良いけど、たまには白いご飯が食べたくなってきたなぁ……」
「ダメです」
「またえらくはっきり言い切りやがったな」
なるべくさりげないおねだりのつもりがバッサリと切って捨てられて、ミハルは形のいい眉を八の字にした。
「あんな白い木の実の粒を食べていて精がつく訳がありません。芋をお食べなさい、芋を」
「おまえのその芋に対する執着はどこから来るんだ?」
「私の作る粥に何か不満があるのですか?」
「いや、美味しいんだけどさ。でもやっぱり日本人はお米がDNAにしみついてるというか……」
台所の隅で出番のないまま放置されている電気炊飯器から目が離せないまま、ミハルは口ごもる。
「分かった。じゃあ明日は俺がごはん炊くから。おかずだけ作ってよ」
「……なんですって?」
軽い気持ちで言い出したのだが、ファム・アル・フートがさっと表情を冷たくしたのを見てどきりとした。
「そんな怒ることないだろ」
「とんでもない! 夫に家の食事の用意をさせたなどと人に知られては、私の献身が疑われてしまいます!」
勢い込むファム・アル・フートを見て、ミハルは彼女が住んでいた異世界はどんな男性優位の社会なのだろうと内心で驚いた。
「男子厨房に入らず、とこの世界の……"エレフン"の格言にもあるでしょう!」
「……俺、バイト先じゃコーヒー淹れたりケーキ作ったりしてるけど、そっちは良いの?」
「家業ですから仕方ありません」
「良いのかよ」
「親の仕事を継ぐのは美徳です。……本音を言えば祝福者であるあなたには、身分に応じたもっと高尚な仕事をしていただきたいところですが」
難しい顔をしてファム・アル・フートは言った。
その金色の髪で覆われた頭の中では士農工商的な世襲の社会制度を良しとする良識と、夫が教会から選ばれた人間であるという自負心とが複雑にせめぎ合っているらしい。
少しうんざりした気分になって、ミハルはこれまで触れてこなかったある疑問をぶつけてみることにした。
「前から聞こうと思ってたんだけど、その祝福者って何?」
「祝福者というのは、つまりは天上の神々の恵みをその身に受けた方のことです」
「俺がそれな訳?」
「もちろんです。私は神の御使いである神造裁定者様より直接そうお聞きしました。聖都の法王宮で」
はっきり言って知らない人が聞いたらただのヤバイ人の妄言だな、と思いながらミハルは辛抱強く続けた。
「で、今の俺にはどんな神の恵みがあるんだ」
「…………」
凍り付いたようにファム・アル・フートの表情筋は固まった。
「答えられないのかよ!?」
「えっと、その、私は神学や論理学を正式に学んだわけではないので……。聖都の高位の聖職者の方ならお答えになられますよ、多分!」
「多分!? おまえ、そんな程度の認識でよく使命だの結婚だの言い出せたな!?」
普段の態度とは打って変わってしどろもどろに口ごもりはじめた女騎士を見て、ミハルは違った意味で戦慄を覚えた。
自分だったらこの程度のあやふやな認識で全く知らない世界に飛び込み、野宿してまで結婚相手を探し求めるなどとても無理だ。並大抵の精神ではおそらく不可能だろう。
きっと女騎士のそれは鋼鉄のワイヤーロープか何かでできているのに違いあるまい。
「よく知らないまま今までよくも散々好き勝手なことができたな!?」
「ち、違います! 私はあなたが運命の相手だと確信していますよ! この広い"エレフン"で神の導きで巡り合えたのがその証拠です!」
「たまたまおまえがうちのお店のゴミ箱を漁ってただけじゃねーか!」
「それは言わない約束でしょう!?」
脳裏から消し去りたい過去の所業を指摘された女騎士は、大柄な体をぎゅっと縮めて額に汗を浮かべた。
「神の恵みが明らかにならないのは、きっとまだ子供だからですよ。 大人になれば選ばれし者にふさわしい奇跡が起きるはずです」
「本当か、おい? ほとんど中二病の寝言だぞおまえが言ってること」
「決まっています! そうです、おそらくは常人とは違う祝福者としての特別なしるしとして陰毛が生えなくなっているのです!」
「なんて迷惑な奇跡だ……」
そんな話をされても自分が特別な人間だという気分なぞはちっとも沸いてはこない。
苦虫を噛み潰した表情をした少年に対して、女騎士は露骨に話を逸らそうとしてきた。
「し、仕事の話といえばですね! 私もそろそろ"エレフン"で働き口を見つけようかと思うのですが……」
「仕事?」
「ええ。口はばったいながら、私も妻の務めとして家の中のことはそれなりにできてきたつもりです」
「まあ、それは確かに」
ミハルは背後を振り返って、整然と片付けられた食堂兼台所の中を見やった。
祖父との二人暮らしでは台所も散らかっていないまでもなんとなく雑然としていたり、邪魔にならない程度にものが積み重なっていたりしていた家の中は、女騎士の手によって整然と片付けられていた。
今ではその辺りに誰も読まない雑誌がうず高くなっていることもないし、台所の道具も使いやすいようファム・アル・フートが決めた順番に整列して出番を待っている。
「しかしいつまでも家事ばかりで、家の中で暇を持て余しているのも健全とは良いがたいでしょう」
「ええ? まさか外で働くつもり?」
「そうです。正直今は時間は情熱と若い体を持て余しているのです」
「言い方」
言いながらミハルは露骨に嫌な顔をした。
うっかり不特定多数の人間と接触などさせたらどこからボロが出て女騎士の秘密が漏れ出ないとも限らない。ファム・アル・フートの正体は、彼としては可能な限り伏せておきたいのだ。
女騎士のことが明るみに出て、この世界とは別の世界が本当にあると証明されたらどんな騒ぎになるか分かったものではない。
しかもこっそり住まわせていたとあっては自分も追及は免れえないではないか。
ひょっとしたら世間はそんなフィクションのような話を真に受けたりしないで単なるミハルの杞憂で済むかもしれないが、国や人種・文化どころか世界そのものが異なる人間同士が接触したらどんな摩擦が起きるか想像もつかない。
(下手なことをしたら移住や資源を巡って社会問題になったり、悪くすれば戦争になるかも……)
などと小市民な心のせいで悪い方にばかり考えが及んでしまうのだった。
「軟弱なこの世界……"エレフン"の人々にとっては私のような騎士は得難い人材でしょう。どこかに良い稼ぎ口があるはずです」
……なのだが、彼の心などどこ吹く風で女騎士は自信満々に言ってのけてくる。
「……多分、騎士向きの職場はないんじゃないかな」
「はははっ! 何をバカな!」
「いや、その自信はどこから出てくるんだ」
「馬にも乗れず剣も持たない"エレフン"の人間は、身を守ることもできずいつも理不尽な暴力におびえているに違いありません。私が悪と戦う役目を買って出ればすぐにも頼み込んできますよ」
「……」
なんとなくさっきから覚えていた違和感の出所に気がついて、ミハルはおずおずと確認してみることにした。
「あのさ、ちょっと聞いてみるけど、大丈夫?」
「ええ。私の父も騎士の修行で諸国を旅していたときは、商人の用心棒や隊商の護衛をしていたと言っていました。同じ地面の上、父にできたことが私にできないはずがありません」
「……まさか、戦うのを仕事にするつもりなのか?」
「もちろん。功と恩賞は戦って勝ち取るのが騎士というものです」
「…………誰と?」
「この世にはびこる悪とです。……どうしたんです、ミハル。私が外に出ることに反対なのですか?」
「うん。大いに」
急速に血色が悪くなった顔でミハルは大きくうなずいた。
野盗とモンスターがはびこる、暴力が一番の解決法な世界の常識を引っさげたまま外に出られてはたまったものではない。
「ははぁ……」
が、少年の不安をよそにファム・アル・フートはニヤニヤと頬肉を緩ませ始めた。
隠し味程度の気恥ずかしさと、はにかみと、そして優越感がたっぷりと含まれた笑い方だ。
何故かそれを見るとミハルは急にむかついてきた。
「何だよ」
「さてはミハル、私が外で他の男に色目を使われたりするのではないかと心配なのですね?」
「はぁ?」
「それは杞憂というものですよ。私の心も体も、神によって夫と定められたあなた一人のものです」
テーブル越しに手を伸ばしてきたファム・アル・フートは、ヨシヨシと少年のやや色素の薄い髪の毛を撫で始めた。
確かに金髪で長身でその上とびきりの美人の彼女は外では否応なく目立つし、注目を浴びるのは避けられないから言っていることはそこまで的外れでもない。
が、とても『運命の相手』などと呼んだ男にするとは思えないどちらかというと近所に住んでいるおませさんの子供に対するような態度に、ミハルはどういう訳かますますムカッ腹が立ってきた。
しかしここで怒ってもますます調子づかせるだけだということくらいは、男女の駆け引きにうとい少年にだって分かる。
『怒るのは図星を突かれたからです!』などとドヤ顔をされてしまった日には精神衛生上、非常によろしくない。細い髪を撫でる手から乱暴な動きで頭をよけてから叫んだ。
「……とにかく、こっちじゃ戦ったり猛獣退治したりする仕事なんてないから! 他のを探してくれ!」
「ミハルは嘘が下手ですね、そんなはずないでしょう?」
「本当なんだって!」
「知らないのですか? 大きな町には冒険者専門のギルドや口利き屋の一つや二つあるのが当たり前です。探せばすぐ見つかりますよ」
「なんでそんなところばっかりお約束のファンタジーっぽいんだよチクショウ……!」
腹立たしいまでのコミュニケーションのすれ違いっぷりに思わず拳を握りしめてしまった少年の態度を、女騎士は自分の身を案じてのことと勘違いしたらしい。
「もう。ミハルったら心配性なのですから!」
努めて明るい声を出しながら椅子から立ち上がると、いつのまに台所に持ち込んだのか豪奢な装飾のついた長剣を手にしてみせる。
「法王聖下より新しく賜ったこの宝剣がある限り、軟弱な"エレフン"の悪党相手に万一にも傷を負うなどありえません! ご安心を!」
柄を握りしめたファム・アル・フートは力強く断言した。
「おまえが誰かにケガをさせることの方を心配しているんだ」
ミハルは思わず真顔になってしまった。
3_2 女騎士のハローワーク(後)は今日午後9時ころ追加されます。




