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2話 初夜忘れるべからず(3)

 その日の夜。



「……そ、そろそろ良いかな」



 自室でずっとそわそわと落ち着かなかったミハルだが、時計の針が夜の10時を指すのを見て決断した。

風呂では耳の後ろまで念入りに洗い、歯も歯茎が痛くなるくらい磨いた。爪もちゃんと丸く磨いている。


 いよいよこいつの出番が来た、とドラッグストアの袋の中身をもう一度確認する。

放課後に駅まで走り混みあう電車に乗って、わざわざ二駅離れたドラッグストアまで行って購入した戦利品だ。

近場では『安川ミハルがゴム製品を買うのを見た』という噂が立つような気がしてどうしても踏み切れなかった。

 


 まずは男性用避妊具。まさかサイズ別に売られているなどとは思いもよらず、なんとなく男としてのプライドを踏みにじられるような思いを感じながら一番小さなサイズを選んだ。

単体でレジに出す勇気がなくてついでに健康ドリンクや手荒れ防止クリームまで一緒に買ってしまった。高校生の財布には安くない出費だが、この際やむを得ない。



「これから卒業しちゃうんだ……その、ナニを」



 不意に以前ジュンやタクヤたちと交わした雑談が脳裏によみがえって来た。

高校に入学したばかりのころで、確か初体験のシチュエーションはどんな相手が良いか、という愚にもつかない話題だった。

アイドルが良いだのアニメのキャラクター希望だの馬鹿みたいな意見が飛び交う中、自分は何と言ったのだろうか。今となってはよく思い出せない。



 ―――さようなら悪友たち。もうすぐ俺はお前たちとは違う生き物になってしまう。



 勝手に心の中で決別の言葉を告げる。

ドキドキする反面で不思議な優越感と高揚感を覚えながら、彼自身でも何故か説明できないが足音を立てないように気を付けて、ミハルはファム・アル・フートの待つ部屋へとそそくさと歩いて行った。



_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/



 

 おっかなびっくり歩を進めること数十秒。

ファム・アル・フートが寝起きしている客間に辿り着いた。

彼女が浴室を使い終わってからおおよそ一時間。着替えたり服を髪を乾かしたりといった支度は済んでいるはずだ。



「…………」



 このふすまの向こうで、大人の女性が自分を待っている。

そう思うと先刻までの高揚感はどこへやら、急に心細さと羞恥心が小心な性根からはい上がって来た。

しかし、いまさらドラッグストアの袋を手にすごすごと自室へ引き返すのではあまりにも情けない。



 ―――ええい。ままよ。



「あの……ファム? 開けて良いかな」

「どうぞ」



 意外と冷静な声が返って来る。ごくりと口の中の唾液を飲み下してから、ミハルは静かにふすまを開いた。



 部屋の中は蛍光灯の灯りで満たされていた。

八畳間の部屋の真ん中に布団が一枚だけ敷かれ、ファム・アル・フートがその上で正座している。



 女騎士は故郷から持ってきた薄衣のシュミーズを身に付けていた。奇妙な光沢の極薄の生地はほとんどシースルーで、注視すればその下に付けているブラジャーとパンツに刺繍されたレースまで見えそうなくらいだ。

いつもは目のやり場に困って眉をしかめてしまう夜具だが、状況が変われば見方も変わるのか……今日ばかりは露わになった丸い肩も白い胸元も妙になまめかしく見えた。


 

「す、座らないのですか?」

「う、うん……」



 ぼうっと立ち尽くしてしまったミハルは迷ってから布団の上まで進むとファム・アル・フートの横に座った。

目の前に座っては、正直言って彼女をまともに見ることができる気がしなかったのだ。



「……」

「…………」



 お互い横に座ってちらちらと様子を伺いながら、奇妙な沈黙が続いた。

一体こんな時なんと言えば良いのだろう。



 タクヤに読ませてもらった薄い自費出版の本だと、こういう時小気味良い会話からごく自然に始めていたのに。現実は創作よりはるかに複雑でややこしいらしい。



「あの……本当に良いの?」



 迷った挙句、ミハルは自分でも煮え切らないとは思うのだが情けない確認の言葉を漏らした。

今日、興奮して準備にあくせくとしながらもどこか座りの悪い思いをずっと続けていた気がする。

それはやはりファム・アル・フートが心の奥底から自分を求めているわけではないと分かってしまっているからだろう。

 彼女自身は本気だと思っていても、それは義務感や信仰心あるいは親愛の情から来るものであって……男性としてミハルを愛して結ばれようとしている訳ではないのだ。



「もちろんです。私たちは法の上でも、信仰の上でも、もう夫婦なのですから」



 だからミハルは彼女がこうやって教条主義的な原理原則をのたまうたび、心の奥底でなんともいえないやるせなさを覚えてしまう。



「本当は結婚式までは性交渉は行わないのが望ましいとされていますが……初夜を少し前倒しするだけのことです。教義に反するとまでは言えません」

「しょ、初夜って……」

「これ以上言葉は無用です。始めましょう!」



 そう言うとファム・アル・フートは、丸い肩にかかったシュミーズの紐に手をかけた。

むんずと掴むと、思い切り腰の下まで薄布を下ろしてしまう。

ついでブラジャーのホックに手をかけると、あっという間に引き剥がしてしまった。



「…………」



 恥ずかしさで正面から視線を動かせないまま、ミハルは視界の端にかろうじて影が映る女騎士の豊かな胸が揺れるのがはっきりと分かった。

顔から火が吹き出さないのが不思議なほど熱を持っているのが分かる。耳なぞは触ったら飴細工のようにぐにゃりと曲がってしまうのではないだろうか。


 心臓はもう早鐘のようで、頭の中に移動してきたのではないかと疑うくらいに心音が耳障りだ。全身の細胞が期待と不安で熱病に冒されたかのようだ。



 真っ赤に茹で上がった少年には目をくれず、女騎士は立ち上がると体に残った最後の一枚を尻からめくり、片足ずつ持ち上げて足首から引き抜いた。 

そうして他の下着と一緒に脇に避けてしまってから、再び最初と同じように少年の横に座り直した。


 すぐ真横に、一糸まとわぬ裸体の女性がいる。ミハルは浅い呼吸を何度も繰り返していた。部屋の空気の温度がいきなり数度上昇したかのようだった。 



 はっきり目には見えなくても、ファム・アル・フートも同じように呼吸が早まっているのは気配で分かった。微かに鼻先に漂う女体からもたらされる芳香と、敏感になった皮膚感覚が彼女も同じように全身を熱く上気させていることを伝えてくる。




 (――――――っ)



 状況を認識し直して、洞窟の中から外へと出てきた時の視界のようにミハルの頭の中は真っ白になった。

この身体を自分の自由にしていいのだ。

彼女もそれを望んでいる。

なら迷うことなどないではないか。



「ファ……ファム!」



 思い切って向き直る。

あとはもう……男女の本能に任せるだけだ。そう断じて、寝巻を着たまま腕を伸ばして彼女を抱きしめようとする。



「……あれ?」



 が、少年の抱擁でつかめたのはその場の空気だけだった。

いつの間にか布団の端まで移動していた女騎士は、全裸のまま向けて何やら用意したものを取り出そうとしていた。綺麗な背中の上で洗い髪のまま垂らした金髪が揺れている。



「え……ちょ……。何やってんの?」



 くびれた腰とその下で広がる逆ハート型のお尻はもう目に入らず、ファム・アル・フートが何やらごそごそと漁りだした方へ意識を奪われてしまう。

甘い空気や情熱的な熱さはいつの間にかどこかへ消しとび、猛烈に嫌な予感が少年の脳内に充満していた。



「……」



 脂汗を浮かべ始めたミハルを無視して、ファム・アル・フートは黙々と『準備』を続けた。

紙袋の中から出てきたのは、畳一畳分はありそうな真新しい白い麻袋だった。

何に使うのか、とミハルが質問するよりも早くすっぽりと頭からそれを被ってしまう。



 あっというまに裸の上半身と腹までが麻の布で隠れた。中腰になると、中からもぞもぞと布を手繰っては膝まで下ろしてしまう。

そこでぺたんと腰を下ろすと、器用にも内側から細い紐で自らを覆う袋の口を軽く結び、ふくらはぎあたりでめくれないように留めてしまった。

呆気に取られる少年の横で、用意を終えた女騎士は布団の上に身を横たえた。



 奇天烈な光景、としか表現しようがない。

仰向けに寝そべっているのは若い女性のはずなのだが、頭から足まですっぽりと麻袋で覆われていて、肌を晒しているのは足首から爪先にかけてのみである。

ほとんど趣味の悪い無地の巨大抱き枕か、それとも安置所の死体袋かといった趣である。

呆然とする少年に向けて、出来の悪いてるてる坊主のような恰好のファム・アル・フートはおずおずと切り出した。



「ど、どうぞ……」

(――――――なんだこれは!?)



 何が起こっているのかも分からず、ミハルは立ち上がってその場でおろおろとした。一体どうすれば良いのか見当もつかない。



「あの、ファムさん? 何をやっておられる?」

「こ、こうすれば肉欲や邪心に惑わされずに夫婦の営みを行えるはずです! マドカに調べてもらいました!」

「はあ?」

「大丈夫、ちゃんと考えてあります! ここから繋がれば良いんです!」



 麻袋の中で手が動き出し、腰の辺りで麻袋に入れられた切れ込みからにょっきりと、女騎士の指が二本外界へ飛び出してきた。

そこからナニを差し入れてコトを致せという意味のようだ。

指二本でようやくといった切れ込みの大きさが、不思議と少年の神経をカチンと逆撫でした。



「さ、さあ! このまま私を愛してください! 私の方は準備できています!」

「……」



 麻袋の中からもごもごとくぐもった声が聞こえてきた。

ミハルは、冷めて伸びつつあるソバのように自分の全身から熱気が引いていくのが分かった。熱いくらい頭に上った血もじわじわと下がっていき、心臓も平常運航に戻っていく。



「どうしたんですかミハル……? あ、分かりました! これが放置プレイというやつですね!?

「……うん。そう。もういいやそれで」



 何か急にバカらしくなってきて、身悶えする麻袋の横にどっかりと手枕で寝そべった。

一応上手くできなかったときに情報を集めるため持ってきたスマートフォンを取り出すと、インターネットブラウザを立ち上げて暇つぶしにネットサーフィンを始める。



「ああ……あまり焦らさないでください! なんだか変な気持ちです! か、体が不思議と火照ってきました!」

「ふーん……。あっそ」

「つ、つれないことを……言葉責めというものですか!?」

「そんなとこ」



 結局麻袋の中で鼻息を荒くする女騎士と、魚が死んだような目でスマートフォンをタップし続ける少年との奇妙な添い寝はしばらく続いた。

やがて早寝の習慣による睡魔の誘惑に耐えきれず、女騎士が寝苦しそうなパジャマのまま寝息を立て始める。

ドラッグストアの袋を片手に立ち上がったミハルは、少し苛立たし気に照明のスイッチを押し込むとそのまま自室へと帰っていった。

次回3_1女騎士のハローワーク(前)は明日朝9時に追加されます。

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