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2話 初夜忘れるべからず(2)



(どうしよう、どうしよう、どうしよう……!)



 雲の上を歩くような足取りでどうにか学校へたどり着いたミハルだが、担任教師が話すホームルームの内容など耳に入ってはいなかった。



 頭の中は今夜のことでいっぱいだった。

普段から「まるで女の子みたい」などという無責任な評価を受けるミハルであるが、どんなに抜けるようなニキビやソバカスと無縁の肌をしていようと、華奢でなよやかな体つきをしていようと、れっきとした男子高校生である。



 同世代の男子と同じく、相応の性知識、女体への興味、そして性への関心といったものはたっぷりと持ち合わせている。

ファム・アル・フートが来てからというもの、実を言うと脳内で彼女とそういう妄想を楽しんだことも一度や二度ではない。

内心期待していなかった……といえば嘘になるが、いざ間近に迫ると素直に喜ぶ気分にもなれなかった。


 実を言うと、焦りまくっていた。

まさかこうも性急にことが運ぶなどとは思ってはいなかったのだ。



(何の準備もしてない……!) 



 男女の初体験というのはもっといくつかの手順や儀式を踏んでからじっくり時間をかけて行うものだと思い込んでいた。

三回目のデートでキスなどというオールドファッションな常識を信じてはいないが、いかんせん恋愛という駆け引きの場ではミハルは素人も良いところである。知るべきことも知らず、行うべきことも分かってはいない。


 じっとしていると、あれこれと頭の中で不安と疑問が湧き上がってくる。

初めてというのは男も痛いのだろうか。

手入れが必要だ。爪もちゃんと短く切らねばならないだろう。いつもより念入りに風呂に入って、普段は雑に済ませがちな背中や足裏もきちんと洗わなければ。

ムダ毛の処理……は必要なさそうだ。処理する体毛がない。



 はっ、と大事なことを思い出した。

避妊具も用意しなければならない。それもすぐ買えるものを。

ファム・アル・フートに買いに行かせるなど論外だ。経口避妊薬は異世界の女騎士をこの世界の医者に見せるのは命の瀬戸際になったときだけと心に決めているから除外する。

つまり選択肢は……ゴム製品しかない。



(そんなもの買ったことないし……どこで買えば良いの!?)



 ドラッグストアやコンビニの棚で気にしたこともない。本当に売っているのだろうか。

もしかしたら薬局で薬剤師に相談したら売ってもらえるのかもしれない。未成年でも売ってくれるのだろうか。

年齢確認に身分証か何かを求められたらどうしよう。財布の中には学生証かレンタルショップのカードしかない。




 そのときクラスメートが歓談する声が聞こえてきて、はっとミハルは我に帰った。

一限目の授業はいつの間にか終わっていて、予鈴が鳴るまでの休憩時間にクラスのそこかしこで陽気なおしゃべりが始まったのだ。



「そうだ……!」



 天啓のようなアイディアがミハルの頭に舞い降りた。まさかの時の友こそ真の友という。友人に相談すれば良いではないか。


 ちょうど後方の窓際の席で、牧野タクヤと嶺岸ジュンの男友達二人が何やら空を見て真剣な顔で話しているのが見えた。あの二人なら仲も良いし真面目に考えてくれるだろう。



「ちょっと良い?相談したいことが……」

 


 声をかけようとしたところで、空を指さして彼らが交わす会話の内容が耳に入って来た。



「あのビルの上の雲ってさあ、おっぱいに似てない? 写メしとこっと!」

「いや待て。おっぱいというにはあの雲は垂れて形が悪すぎる。別のを探そう」

「……」


 中途半端な位置で手を止めてしまったミハルに、深刻な顔で空を見上げていた二人が気づく。



「ミハル、どうかしたか?」

「何か相談?」

「……いや、良い。自分で考えることにした」



 小さく首を振って、ミハルは自分の机へと引っ込んだ。



_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/




「どうしましょう、どうしましょう、どうしましょう……!」


 

 ミハルの自宅。

いつもよりはるかに長い時間を使いながら家事を片付けてしまったファム・アル・フートは、発情期の熊のようにうろうろと家の中を練り歩いていた。



「ついにミハルがその気になってくれましたが……ちゃんとできるんでしょうか!?」



 はっきり言って彼女から見てミハルの体つきは少女のように貧相だし、骨格も華奢で体毛に至ってはまるで幼児のようである。

そんな相手と情事を交わせるのだろうか?

寝具の中でも抱きしめられてもかわいい弟にすがりつかれているようにしか思えなさそうで、ファム・アル・フートは不安に駆られた。

自分が体毛が濃くて胸板の分厚い男の方が好みというのはともかく、初体験がそんな調子ではミハルの心に決定的な傷を残すのではなかろうか。


 しかしこれは神が望まれた結婚である。子孫を残すのは信徒としての自分の使命だ。なんとしてでも成功させなければならない。



「そうです、情愛など取るに足らないもの……。理性と信仰に従って節度のある夫婦の営みを行えば良いのです!」



 半ば自分に言い聞かせるように、ファム・アル・フートは強くうなずいた。

しかしミハルの方はどうなのだろう。

思春期の男子というものが大人の女に対してどんな原始的な欲求を抱いているか、ファム・アル・フートにだって想像くらいつく。

情交に熱中するあまり、目の前の快楽をむさぼるようなことになりはしないだろうか。神に選ばれた祝福者を色狂いに堕落させたとあっては申し訳が立たないではないか。



「一体どうすれば……」



 こんなことを相談できる同僚も先輩もこの世界にはいない。ファム・アル・フートは孤独に家の中をうろつきまわった。

そうやって今にも煙を立てそうな勢いで頭を回転させること小一時間。

突如、あるアイディアが閃いた。



「―――そうです!」



 良き友は最も近い親族ということわざもある。友人に頼れば良いのだ! 

 


_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/



「……それで学校まで来て、私が出てくるの待ってたってわけ?」


 

 ファミリーレストランのテーブル席で、大師堂マドカは驚きと呆れと感心が入り混じったような表情で言った。


 彼女はミハルの同級生で、その縁でファム・アル・フートと付き合うようになってしまった一人である。

異世界のことは知らず、女騎士のことは単なるオタクカルチャーに没頭している外国人だと思い込んでいるが……奇妙なことに勘違いしたままで不思議な仲が続いている間柄であった。



「お願いします、どうか教えてください!」



 ファム・アル・フートは彼女と夫にとって本当に数少ない共通の友人に向かって、食いつくようにまくし立てた。



「この世界の……"エレフン"の婦人は、初夜で夫とどんな風に愛し合うんですか!?」



 その声は密談というにはちょっとばかり大きすぎ、店中の視線が女騎士へ向けて集中した。

周囲のテーブルに陣取った女子高生、ドリンクバーで新しいドリンクを開発していた男子学生、トレイを手にしたウエイター、厨房のキッチン担当に至るまで。



「ファムちゃん、おさえておさえて」



 流石にファミレス中の好奇の眼が集められたことに大師堂マドカは慌てたが、抑制心の強い彼女らしく友人に向かって声を荒立てるような真似はしなかった。



「し、失礼しました……。つい……」

「なんでいきなりそんな? ミハルくんと温泉旅行に行く計画でも立てた?」

「はぁ? 温泉? 私もミハルも胃腸に病気は抱えていません」

「おお、カルチャーギャップだわ……。それはともかく、なんでそんなこと気にしだしたの? とうとう夜這いでもかける気になったとか?」

「失礼な。ミハルが……その……同じ寝室で寝てくれると」



 いつもはっきりと明快に喋る女騎士が、最後の方は蚊の羽音のような声になっていた。

マドカはそれを見て小さく口笛を吹いた。



「そっかー、おめでとう。ああ、それでミハルくんの様子が今日おかしかったんだ」

「おかしかった?」

「うん。休憩時間もこそこそしてたし、教室移動の時も妙に前かがみになってたり、授業終わってから何も言わずに一人で裏口から帰っちゃったし」

「そう! 私が心配なのはミハルのことなのです!」



 顔をうつむけていたファム・アル・フートは、我が意を得たりとぱっと顔を上げた。



「もし上手くいかなくて、ミハルの心に傷が残ったりしたら……ああ……」

「大丈夫だって。ファムちゃんのだいなまいとばでぃーならさ。おっぱい触らせてあげるだけでも大抵の男子は満足するよ」

「そ、それは困ります! 将来ちゃんと子種をもらうためにも最後までしてもらわなくては!!」

「うん、そうだね。声のトーンもう一目盛り下げようね」



 立ち上がりかけてようやく周囲の様子に気付いたファム・アル・フートは、座り直すと今度は暗殺の陰謀を企てるかのように友人に顔を近づけた。



「は、話を戻しますが……それで、『どう』するのがエレフンでは普通なのですか?」

「『どう』って……た、多分ファムちゃんの国と一緒じゃないかな? こう、抱き合って、温め合って……気持ちよくなる感じ?」



 髪をひとすくいつまみ上げて目を逸らしながらマドカは言った。



「本当に? 善良な信徒が使うものとは違う穴を使ったりはしないでしょうね?」

「えっ」

「幻覚作用のある薬物を常用するとか、攻撃的な外見の器具を使うとか……。×××で●●●の□□□の(検閲削除済み)をしたりするのが若者の流行だったりはしませんか?」

「ファムちゃんって私たちのこと普段どんな目で見てんの?」



 女騎士は深刻な顔でPTAの耳に入ろうものなら噴飯ものの内容を危惧し始めた。

 


「私に相談するよりAVでも見たら? 百聞は一見に如かずって言うでしょ」

「オーディオ・ビジュアルを? "エレフン"の慣用句は良く分かりません」

「……まあ良いよ。とにかく心配しなくて。いたしちゃって大人の階段を一足飛びで登らせてあげちゃいなさい」

「な、なるほど分かりました。……実はそれとは別に、もう一つ気がかりなことが」



 飲み放題のコーヒーをずずっと一口すすってから、女騎士は再び上半身を乗り出した。 



「快楽や性欲に流されずに愛し合う方法はありませんか?」

「え、何それ。禅問答?」



 ぽかんとしたマドカに向かって、大真面目にファム・アル・フートは告げた。



「ミハルが肉欲に溺れるようになっては困るではないですか!」

「う、うーん……?」



 まだピンとこない様子の友人に、補足として例え話を始める。



「ある聖者の話を知っていますか? 彼は13歳で結婚しましたが……夫婦の愛の営みにのめり込むあまり学業はおろそかになり素行は荒れ、あまつさえ行為に夢中になり過ぎて親の死に目にも会えなかったのです」

「まあ若い男の子だし仕方ないんじゃない?」

「困ります! 私の体のせいで夫が堕落したとあっては世の人に申し訳が立ちません! 何か方法はないのですか? 快楽を覚えずに夫婦の営みをするやり方は!」

「難しいこと聞くなあ……。ちょっとネットで検索してみようか」



 半ば呆れかえりつつも、付き合いの良い女子生徒はスマートフォンで検索し始めた。

何度か画面の上をよく手入れされた爪のついた指がタップとフリックを繰り返すうち、ある雑学を紹介したページで指が止まる。



「これなんかどう? 用意がいるけど」

「これは……素晴らしい知恵です! マドカ!」



 画面をのぞき込んだファム・アル・フートの顔に喜色が浮かんだ。



長いので分割しました。次回2_3 初夜忘れるべからず(後)はこの後すぐ更新します。

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