14話 女騎士のとある一日(3)
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洗濯日和の良い日差しが中庭に降り注いでいた。
ぱしん、と小気味良い音が響いた。
物干し台のそばでファム・アル・フートが洗いたての洗濯ものを伸ばしているのだ。
「うむ、我ながら見事な洗いあがりです」
小さなボクサーパンツを両手にかかげ、ファム・アル・フートは自分の仕事ぶりに満足してうなずいた。
実は数週間前からそのウエスト部分には小さく、彼女の故郷の文字で『ファム・アル・フート』と書かれている。
彼女にもなぜそうするのか理由は良く分からないが、"現世"では夫の下着に妻が自分の名前を書くだという。
そうすることで「悪い虫がつかないようになる」というのだ。
「どういう意味でしょうね、"ファイルーズ"?」
<<恐らくは悪質な寄生虫の防除に役立つという意味だと推測する>>
平板な声で彼女の『鎧の精霊』が、何もないところからまるで耳元でささやかれているように言葉を発してきた。
「そんなことがあるんですか?」
<<医学的な根拠はない。類感呪術もしくは縁起担ぎの一種だと考えられる>>
「迷信とはいえ、習慣は習慣です。体を気遣われてミハルも喜ぶでしょう」
慎ましい妻を自認するファム・アル・フートはこんなことをわざわざ夫に告げるつもりはないが、こうした隠れた内助の功が夫婦の絆だと信じてもいた。
女騎士は手際よく、あるものは洗濯ばさみにかけ、またあるものはハンガーに通して物干し竿に洗濯物を整列させていった。
「着る者は清潔にしなくては病の元ですからね。私の知っている老兵は戦場で着替えを怠ったそうで股間がやっかいな皮膚病にかかってしまったそうです」
<<衣服の衛生度の重要性には同意する>>
「聞いてるんですか、ユニオ?」
「はーい?」
中庭に面した縁側で、猫のように伸びをしていたユニオが顔を向けた。
幼児がいつも着ている民族衣装は、いまや作りかけの魚の干物のように丸ごと物干し竿にかけられている。洗い髪に大きなバスタオルを一枚体に巻き付けただけの恰好で、服が乾くのを待っているところだ。
「仕方ありません。貴女の服もこちらで買わないといけないようです……流石に不便になってきました」
「ユニオ、その服が好き」
「私たちの伝統を重んじるのは大切ですが、被服と縫製の技術に関しては悔しいですが"現世"の技術をみとめざるをえません。……10回履いても靴下の穴をつくろわなくて良いんですよ?」
空になった洗濯カゴを片手に、女騎士は靴脱ぎ石を踏んで縁台へと上がった。
それを見て、ぱっとユニオは立ち上がった。
「あと何かお手伝いすることある?」
「えぇ?」
ファム・アル・フートは意外そうな声を上げた。
「どうして今日はそんなにやる気なんです?」
「ユニオは赤ちゃんのお姉さんになるから、今のうちからちゃんとお手伝いする練習しておく!」
「見た目で言えば、どちらかというと貴女の方が赤ちゃんみたいですよ」
幼児特有の生気溢れる肌を晒して、胸から下だけはかろうじてバスタオルを引っかけたユニオをファム・アル・フートはそう評した。
「ユニオ、赤ちゃんに優しくする!」
「その気持ちはありがたいですが、ちょっと気が早いんじゃないですか?」
「一緒に遊んであげる。おもちゃだって貸してあげるよ」
そう言ってユニオは、かたわらの犬のぬいぐるみを拾い上げた。
「よっぽど気に入ったんですね、それ」
「それじゃなくて、くま!」
「ミハルの持ち物だったにしてはセンスのない造形です」
ぬぼーっとした犬のぬいぐるみの鼻先をつまみながら、ユニオは満面の笑みを浮かべた。
「ミハルがくれた! 優しい!」
「そうですね……。それはその通りです」
そういえば、と思い返す。
あの日実家に古い玩具を取りに行ったというミハルが、何故涙の痕をつけて帰ってきたのかという疑問がファム・アル・フートの脳裏をよぎった。
そもそもなぜ彼が実家を離れ祖父と二人暮らしをしていたのか、一度もミハルは話そうとはしなかった。臆病で神経質な側面があることは承知しているが、まだまだ自分も完全に信用されているとは言い難いようだ。
が……喜ぶ幼児を前にそんなことを言っても始まらない。
「ミハル、今度学校がない日に買い物連れていってくれるって言った」
「……へえ、そんな約束をしていたんですか」
「サンダル買ってくれるって言った。あと服も好きなの選んでいいって」
「何ですって?」
夫が自分以外の女性をショッピングに誘ったという事実に、女騎士は色めきだった。
「わ、私だってまだミハルに靴や服をプレゼントされたことないのに……!」
「ミハル優しい!」
「そうですね、その通りですよ!」
吐き捨てたファム・アル・フートは、ムキになってユニオの方へ顔を近づけた。
「い、良いですかユニオ! ミハルがあなたをかわいがるのは、一人っこで兄弟がいないから妹のような存在が新鮮で大事にしたいと思っているからです!」
「うん」
「しかし私はミハルの妻です。 連れ添いです。 人生の同伴者です! この差は絶対的ですよ、そのことはわきまえておきなさい?」
「つまりどういうこと?」
屈託のない丸い瞳で聞き返されて、ファム・アル・フートは答えに窮した。
今の自分の感情を詳しく説明することに強い抵抗を覚える。
これではまるで……幼児に対して嫉妬しているようではないか。
「つまり、ミハルが一番大切にするべき女性は私なのです。分かりますね?」
「二番さんがユニオな?」
「やめなさいその言い方」
一向に真剣に取ろうとしないユニオに、じりじりとファム・アル・フートは苛立ってきた。
「わ、私はミハルに求婚されたんですからね!」
「うん」
「やむをえない事情があったにせよ、キスまでしてくれたんです! 特別な相手以外にそんなことしないでしょう!?」
「キス!?」
その単語を耳にした瞬間、ぱっとユニオは目を輝かせた。
「ファムさま、ミハルとキスしたの!?」
「そうですけど」
「すごい、ファムさま、すごい!」
「そ、そうですか……?」
正面から無邪気な称賛を受けて、ファム・アル・フートはつい先刻までの苛立ちも忘れて口元をほころばせた。
「大人! かっこいい! 尊敬する!」
「いえ……それほどでも」
照れて金髪に覆われた後ろ頭をかく女騎士の前で、興奮冷めやらぬ幼児はその場で足踏みまで始めた。
「どんなだった! キスってどんな感じだった!?」
「どんな感じって……こう、意外と唇は分厚くて生温かい感じでした」
「味は!?」
「味?」
ファム・アル・フートは、一瞬だけ真顔になった。
「血の味がしました」
「……? 歯にぶつけた?」
「いえ。ちょっと事情があって、私はその日大変な想いをして調子が悪かったので……竜とか友人とかと、ちょっと激しい運動を」
「?」
ユニオは何を言われたのか良く分からない様子だったが、結局理解できないまま聞き流して両手を広げて誉めそやした。
「でもすごい! キスした!」
「うふふふ……。ユニオもいつか、好きな人にしてもらうと良いですよ」
客観的に見るとやや威厳には欠けたかもしれないが、女騎士自身は大人の女の余裕たっぷりといった趣のつもりでそう言ってのけた。
「分かった!」
「分かっ……え?」
大きくうなずいたユニオが背を向けて走り出そうとするのを、ファム・アル・フートは慌てて押し留めた。
「ちょっと待ちなさい、どこに行くんですか。そんな恰好で」
「ミハルのところ」
「行ってどうするつもりなんです」
「キスしてもらってくる」
「ダメです!」
大人の余裕をかなぐり捨てて、ファム・アル・フートは金切り声を上げた。
「何を考えているんですか、貴女は!」
「ファムさま、好きな人にキスしてもらうと良いって言った。ユニオ、ミハルのこと好き」
「いえ、言いましたけど! そういう好きではないのです!」
慌ててファム・アル・フートは説明を加えようとした。
「私が言っている好きは親愛や兄弟愛といったものではなく……、ええと、つまりですね。相手を異性として必要な存在というか、もうその人なしではいられなくなるという好きです。性的な魅力に取りつかれ平常心を失うといった感じの……」
ぶつぶつと並べ立てながら、徐々に女騎士は顔をしかめていく。
「あれ、でもミハルはヒゲも生えていませんしなで肩で華奢でまるで少女のようで、性的魅力とはいいがたいような……。まさか私は少女を性愛の対象にしてるのですか、非生産的な……! ああ、もう! 何を言っているんですか私は、とにかく違うんです!」
まくしたてながらファム・アル・フートはこの場を切り抜けるいい方法を思いついた。
「そうです! もうミハルは結婚したのですから、妻以外の女性とはキスしたりしてはいけないのです」
「あー。そっかぁ……」
「そう、そうなのです! 分かってもらえましたか!?」
教条的な理屈付けに、幼女は少し残念そうにうなずいた。
女騎士が心中でガッツポーズを決めた瞬間、何かをひらめいた幼児がぱっと顔を明るくした。
「そうだ。じゃあユニオもミハルと結婚する」
「ダメに決まってるでしょう!?」
あまりに稚拙で可愛らしい幼児の思いつきを、女騎士は血相を変えて潰しにかかった。
「あ、あなたって子は……! 私がどんな思いをしながら嫁入りして今の状態にこぎつけたと思ってるんですか!」
額に脂汗を浮かせて、腰砕けになりながら引きつった眼で幼児を凝視する。
「それを台無しにするつもりですか、恐ろしい子!!」
「?」
ユニオは何を言われているのか分からず、小首をかしげた。
次回は8日夜に追加します




