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14話 女騎士のとある一日(2)


「ミハル行っちゃった……」



 廊下まで出てきたユニオは、閉じられた玄関の引き戸を見て少し寂しそうに言った。



「邪魔をしてはいけませんよ、ユニオ。ミハルにとっては学問が仕事なのです」

「お仕事?」



 ファム・アル・フートにたしなめられて、ユニオは軽く首をひねった。



「ええ、将来立派な祝福者として人から愛され尊敬される人間となるためには、学問を修め教養を深めることも大切なことなのです」

「ふーん」


 

 ユニオは分かったのか分からないのかあいまいな返事をした。



「そのために学校で勉強してるの?」

「ええ、そうです」

「でも大きなかけ算わり算が何の役に立つの?」

「えっ」



 つい先日、口走ってしまった誤魔化しがいきなり我が身へと返って来て、女騎士は口どもった。



「それは……ほら、計算が早いと賢いと思われるでしょう?」

「それだけ?」

「実用的ですよ。考えてみなさい、例えば5,000人に魚とパンを配るときに、わり算ができなくては数にかたよりができてしまってケンカになってしまいます」

「ああ、そっか」



 ユニオは納得してうなずいた。



「やっぱりミハルはかしこい」

「そうです、賢いのです」

「ファムさまの仕事は?」

「私ですか? 聖堂騎士団より命じられたこの地での主な任務は、祝福者であるミハルの警護と祝福者としての業務を代行することです」

「でもミハル行っちゃった。守れない」



 幼女からの指摘に、ファム・アル・フートはあごに手を当てて少し考えた。



「……貴女って時々鋭いですね?」

「そう?」

「警護対象のミハル本人が警護を嫌がっては仕方ありません……。何度も言ったのですよ、私を同伴するようにと」

「ミハルがおうちで勉強すればいいのに」

「良いアイディアですねユニオ。聖都から家庭教師を呼べば良いのです。計算だけではなく神学や哲学に論理学といった高尚な分野も学ぶことができます」

「なー? そうすればもっとユニオと遊んでもらえるな?」



 てんでに勝手なことを言いながら、二人は一緒に台所へ戻った。



「ともかく私は家事をしますから、貴女は大人しく一人で遊んでいてください」

「ユニオも手伝う」



 思わぬ申し出に、ファム・アル・フートは目をぱちくりとさせた。



「ほう、感心な心がけです」

「面白そう!」

「しかし貴女にできることはそんなにたくさんありませんよ?」

「お皿洗う」

「ダメです。割りそうですから。同じ理由で掃き掃除も却下です、ものを壊しそうですから」



 ちょっと考えてから、ファム・アル・フートは水道で台拭きに水を含ませてからユニオに手渡した。



「私が洗い物をしている間、それでうちのガラス窓を磨いてきてください」

「分かった!」

「低いところだけですよ! 壁によじ上ったりカーテンをつかんで高いところを拭こうとしないように!」



 ファム・アル・フ―トの注意を聞いているのかいないのか、ユニオは一目散に台所を飛び出していった。



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「すごく大きいガラス! 薄い、透明!」



 応接室に飛び込んだユニオは、中庭に面したガラス戸を見て目を輝かせた。

壁と同じ高さのアルミサッシにはまったガラスは見事に均一に平面を保っており、幼児が元いた世界ではなかなかお目にかかることのできない代物である。



「じぃじはお金持ちなんだ」



 機械化製造というものを知らないユニオには、腕利きの職人に作らせる光景しか想像できなかった。

これに比べればファム・アル・フートの実家に使われている板ガラスなど分厚くて透明度の低い粗悪品にしか見えない。

そのガラス戸でもうっかり遊んでいて割りそうになったとき、こっぴどく叱られたのだ。

こんな小さくて狭い家にこのような高価な代物を惜しげもなく使うミハルの祖父に、ユニオは感嘆のため息をついた。



「綺麗にすると、じぃじもミハルも喜ぶ」



 一人で勝手に期待と興奮をふくらませて、ユニオは窓ガラスへ向かっていった。

両手で台拭きを押し当て、力一杯拭いて回る。

多少ムラがあるものの、一杯に伸ばした両手からつま先まで手が届く範囲でユニオはガラスを磨いていった。



「はぁ……」



 しかしこの掃除法は、なかなかに重労働だった。ガラス一面の下半分辺りを終えたところでユニオは一息つくことにした。



「映ってる」


 

 中庭の風景を透かし見るようにして、うっすらと窓ガラスに幼児自身の顔が反射していた。

面白くなって、ごつんと額を押し当てる。

ガラスの冷たくて硬い感触が、目いっぱい動き回って火照った肌に心地いい。



「うふふ」



 つい笑いだしてしまう。

思い切ってユニオは顔全体をガラスに押し当てた。

小鼻と頬が押し当てられて潰れる感触を楽しみながら、そのまま横に歩き出した。肌を引っ張られる感触とともに、顔の皮脂がガラスに残って白く曇りを作っていく。 



「あはははははは!」



 ふっと顔を離して大笑いしてから、ユニオは再び顔でガラスを磨く作業に戻った。脂汚れをうっすらと残しつつ、平行にガラス戸の端まで行きあたる。

頬にサッシが当たる痛みで、ぱっとユニオは体を起こした。

赤くなった顔面は新しい遊びを発見した喜びで満ち溢れている。



「……もっかい最初からやる!」

「貴女は掃除しているんですか、汚しているんですか!」



 スタート地点に戻ろうしたユニオに、洗い物を終えて様子を見に来たファム・アル・フートの叱責が飛んだ。



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「お風呂掃除ならものを壊す気遣いはないでしょう」



 ガラス拭きをお役御免になったユニオは、ユニットバスへ連れてこられた。



「ユニオお風呂好き」

「そうでしょう。大切な場所ですから、今度は集中してピカピカにするように」

「分かった」


 

 本当に分かっているのか、と眉をひそめながらファム・アル・フートは掃除用スポンジを手渡した。



「はい、湯船の中と床をこのおかしな海綿で磨いてください。乾いたまま使うと小傷ができますから、必ず水で濡らすように」

「お水は?」



 女騎士はシャワーノズルを手に取ると、排水管基部のある洗面台の水栓を指さした。



「ここを捻ると水が出ます。気をつけなさい。一杯に開くと水圧はかなり高いですよ」



 試しにユニオに扱わせてみることにする。

小さな手がハンドルを恐る恐る回すと、ノズルから軽い音を立てて吹き出た水が風呂場の床を湿らせた。



「これならできるでしょう」

「できる!」

「洗剤はあなたに任せると大変なことになりそうですから、これっきりです」



 ファム・アル・フートはユニオが手にしたスポンジに風呂用洗剤のスプレーを目いっぱい吹き付けると、そのまま手が届かない戸棚へと閉まってしまった。



「では私は洗濯をしていますから、がんばってください」

「分かった!」



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 ……その言葉通り、ユニオは一生懸命に湯船と床を磨いた。

膝をついたり中腰になったりとなかなか大変な姿勢だったが、どうにか前面をスポンジで磨いて泡塗れにする作業をやり遂げる。



「はーっ……」



 仕上げにシャワーのヘッドを両手で抱えて、教えられた通り水で綺麗に洗い流した

みるみるうちに白い泡と汚れが排水溝から流されていく。

自分の働きぶりにユニオはすっかり気分を良くした。



 しかし、言われたことをやっただけで良いのだろうか? という疑問が浮かんだ。

もうひと手間かけてやれば、ファム・アル・フートはもっと感心することだろう。



「……上の方が残ってる」



 ユニオはユニットバスの壁面と天井を見上げた。

普段は洗うことのなさそうな場所だ。ホコリが積もっているかもしれない。あそこも綺麗にすれば湯船に浸かるときさぞ気持ちいいことだろう。



「これなら高いところも洗える!」



 ユニオは鼻息を荒くすると、天井に狙いをつけてシャワーのハンドルを目いっぱいに開いた。

猛烈な音と勢いを立てて、シャワーの水が天井にぶち当たっていき、その場所のホコリをきれいさっぱり洗い流していく。



「やった!」


 

 快哉を叫んだ瞬間、天井から落ちてきた水が幼児の全身を直撃した。

バケツをひっくり返したような水量と垂れてきた前髪で、ユニオは一瞬にして視界を奪われる。



「……あーはっはっはっはっ!!」



 何故かそのことが逆にユニオの感性を刺激した。

顔中に髪の毛と水が貼りついてほぼ何も見えないまま、狂喜しながら幼女はユニットバスの天井へシャワーを浴びせ続けた。



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 ……3分後。


 聖典にある神の手による洪水の後のような惨状を前に、ファム・アル・フートは腕を組んで仁王立ちした。

水塗れの風呂場の中には、頭のてっぺんから爪先までずぶぬれになったユニオがぽつんと立っている。

ふたふわした髪の毛ももこもこした民族衣装もすっかり体積が小さくなり、まさに濡れネズミだ。



 流石のユニオも恐縮した顔になって、女騎士の方を見上げた。



「……お風呂は綺麗になった」

「そうですか、それはどうもありがとうございます」

「次は何する?」

「貴女を綺麗にする番です!」



 言うが早いか、ファム・アル・フートは幼児の服を引きはがしにかかった。





またやらかしました……。

次回は今日の夜追加します

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