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13話 ミハルとくま(4)


 帰路についた時には、すっかり辺りは暗くなっていた。



「思ったより遅くなっちゃったよ……」



 誰ともなくつぶやいて、ミハルは両手の大きな段ボールを抱え直した。

駅からこっち、うっかりすると上半身が隠れそうな荷物をずっと持ち上げ続けて歩いたせいで背中と肩の筋肉が悲鳴を上げていた。

が、不思議な高揚感と達成感が痛みを無視させている。



 世間の大人たちからすれば小さくて些細なことかもしれないが、一つの殻を破ったという思いが胸の中を満たしていた。


 

 月明かりと、まばらにある街灯と、体が覚えている道を頼りに家へと帰り着いた、

暗い影に覆われた日本家屋の窓から見える蛍光灯の光に軽い安堵を覚える。



「た、ただいま……」



 玄関先に段ボールを置いて、わずかに声を弾ませながら扉を開いた。



「やはりミハルは誘拐されたのです!」



 中から返って来たのは期待に反して刃物を押し当てるような切迫した声だった。



「やはり無理を言ってでもついていけばよかった……! 私は救助に向かいます!」

「誘拐ってなに?」

「ユニオ、留守は任せましたよ! 私が2時間経っても戻らないときはピッコローミニ隊長を呼びなさい! 聖堂騎士団を派遣して頂き救出作戦を取ってもらうのです!」

「どうやって?」



 今すぐにでも戦争が始まりそうな様子で、ファム・アル・フートがガチャガチャと鎧の装甲同士がこすれる音を立てながら廊下を向かってきた。



「ただいま!」



 荷物を中に運び入れながら、多少うんざりした声でミハルは叫んだ。



「ミハル!」



 少年の顔を見るなり、女騎士は目を見開いた。



「わっ、わっ!」



 一目散に廊下を走って自分の方へ向かってくる鎧姿の女騎士の迫力に、ミハルは思わずたじろいだ。

そのまま玄関まで下りてきた女騎士に、有無を言わさず抱きすくめられる!



「無事でよかった! どこに行っていたんですか!」

「ちょっと電車乗って……寄るところがあっただけだって」



 堅い胸当に鼻先を押し当てられながら、ミハルは上目遣いで顔中をくしゃくしゃにした女騎士を見上げた。



「こんなに遅くなるまで! 次からは私を同伴しなさい、そうしないから誘拐なぞされるのです!」

「……は、誘拐?」

「しかし見直しましたよ、よくぞ自力で誘拐犯たちの手から逃れ脱出してこられましたね!」

「おまえの脳内のこの国の犯罪事情はどうなってんだ……?」



 細めた目をきらきらとさせる女騎士の両腕を、呆れながらミハルは振りほどいた。



「だいいち、どこにいるか指輪で分かるんじゃないのか」

「あっ」



 ミハルはネックレスにして身に付けている金と紫の指輪を、制服の下から取り出してみせた。



「"ファイルーズ"」

<<回答する。祝福者への危険はないと判断し放置した>>

「……」


 

 『鎧の精霊』の感情を感じさせない音声が玄関の男女の間に響いた。

忠勇たる鎧の思わぬ背信に、ファム・アル・フートが表情筋を硬直させた。



「もちろん分かっていますよ?」

「おまえさっき、『あっ』って言ったぞ」

「……今のは祝福者誘拐事件が発生した時の緊急事態対処訓練、『黄色の場合』です。あなたの救出に向かうまでの準備時間を少しでも早くするための。今回は1分ほど時間を短縮できました」

「そういうことにしといてやるよ」

 


 もう面倒くさくなってきてミハルは吐き捨てた。

そこで、廊下の片隅でこちらの様子をうかがうユニオの存在に気付く。



「ユニオちゃん、ただいま」

「……おかえり」 



 小さな声が返ってくる。いつもなら走り寄ってきそうなのに、様子がおかしかった。



「どうしたの、元気ないね」



近づいてくる幼児に尋ねると、おずおずとこちらを見上げてきた。



「……ミハルまだ怒ってる?」

「どうして?」

「だから一人で帰った」

「あぁ、違うよ。……ユニオちゃんに、これをあげようと思って」



 そう言ってミハルは、玄関のかまちの上に段ボールを押し上げた。



「何ですかこれは」

「実家に寄って、置いてあったのを回収してきた」



 箱を覗き込んだ女騎士は、そこでミハルの目元にわずかに泣きはらしたような赤い痕があるのに気付いた。

小さく息を呑むが、声を弾ませる少年の様子におもんばかりちょっと悩んでから気付かないふりをすることにした。



「俺が子供のころ使ってたおもちゃとか遊び道具……。男の子向けだけど、ユニオちゃんが喜ぶかなと」



 フタを開くと、キャラクターのイラスト付きの樹脂製楽器やら原色のブロックやらが顔を出してきた。

よくこんなものを取っておいたものだが、この時ばかりは親に感謝しなければならないかもしれない、と少年は思った。



「何これ、何これ!」



 瞬時に興味を引かれて、ユニオはぱっと段ボール箱に駆け寄った。



「それはゲーム盤で……そっちは引っ張ったら走る車」

「遊んで良いの!?」

「もちろん良いよ」

 


 目を丸くして黄色い声を上げるユニオを見て、ミハルは自分がしたことは正解だったと確信じた。



「これどうやって遊ぶ!? これ何の動物!? これは、これは!?」



 夢中になって段ボール箱の中を漁る幼児の姿に、思わず口元がほころんだ。

が、ミハルが見ている前で、熱狂のただ中にあったユニオの瞳の温度はみるみるうちに下がっていった。



「えっ」

「あ、あ―――!」 



 状況を理解したかのように……。そしてをそれを自分に無理づくに納得させるような声をユニオは発した。



「分かった、ひとつずつ! ひとつずつな!」

「えっ?」



 先刻までとは多少毛色の違い笑みを浮かべて、ユニオは箱の中身を品定めし始めた。



「何言ってるの、ユニオちゃん?」

「ユニオは……これにする!」



 思わぬ行動に走り始めたユニオを前にうろたえるミハルをよそに、ユニオは箱の中で窮屈そうにしていた四つ足のぬいぐるみを引きずりだした。

ぬぼーっとした顔の、黄色い犬のぬいぐるみだ。耳の先の毛が多少こすれて縮れてはいるが、それでも手足の作りはまだまだしっかりとしている。


 

 ぎゅっと愛おしそうにぬいぐるみを抱きしめてから、ユニオは小脇に抱えて次は電車のおもちゃに手を伸ばした。



「ファムさまにはこれあげる」

「何ですかこれは? 武器ですか? 振り回して攻撃する?」



 連結された電車のおもちゃを手渡され、ファム・アル・フートは不審げにぷらぷらとさせた。



「ミハルにはこれが良い」

「……ごめん、ユニオちゃんが何をしているのか俺には分からない!」



 ソフトビニール製の変身ヒーローの人形を押し付けられそうになって、ミハルは耐えきれずに叫んだ。



「ひとつずつな? みんなで分ける」

「どういうことなの!?」

「……ミハル。ちょっと良いですか?」



 なぜ幼児がせっかくの遊具を配分しようとするのかがどうしても分からず声を上げたミハルの肩を、ファム・アル・フートが小突いた。



「確かあなたは一人っ子の長男ですよね?」

「そうだよ?」

「では分からないのも無理はありませんが」

「何だよ。何が言いたいのさ」


 

 少し苛立った少年に、女騎士はなだめるように言った。



「ユニオは3歳から私の従姉妹たちと一緒に育てられました」

「そうらしいな?」

「服も家具も食器も、もちろん遊び道具も全部従姉妹たちのお下がりか共有品だったのです」

「ということは……」



 だんだん事情が飲み込めてきた。ミハルはおそるおそるその悲惨な事実を口にした。



「欲しいものを自分で独り占めするっていう発想自体がそもそもない……?」

「その通りです」


 

 ぎょっと目を見開いた少年と、こめかみのあたりを指で押さえた女騎士を、幼児は機嫌を取るような笑みで見えげた。



「次どれにする? またユニオから選んで良い?」

「いやそうじゃなくて、全部ユニオちゃんのだよ」

「?」

「ひとりじめにして良いんだってば」



 今度こそユニオは目を点にした。

静かに押し黙ったまま中空に視線をさまよわせている。



「…………」

「えっ、どうしたの! 嬉しくない!?」

「どうやら『全部自分のもの』という状況が理解できず固まってしまったようです」

「なんて気の毒な子だ……!!」



 戦慄するミハルをよそに、ユニオは女騎士に対して自分の方へ指さして目でたずねた。

 


「良いんですよ、全部あなたのものです」



 そう言われてようやく得心が要ったらしい。



「キャー―――――ッ!!」



 喜びの奇声を上げると、手にしたぬいぐるみを振り回しながらその場でぐるぐると回転し始めた。

初めての状況に感情を制御を仕切れなくなったかのようだ。



「なんか見ていてかわいそうになって来た……」

「ユニオ。ミハルにちゃんとお礼を言いなさい」

「ありがとうミハル!」



 ユニオはぬいぐるみを小脇に抱えて、空いた方の手を開いた。

苦笑しながらミハルがひざまずくと、ぎゅっと幼児はその首筋を抱きしめてきた。



「よっぽど気に入ったんだね、そのぬいぐるみ」

「名前つけていい?」

「もちろん良いよ」



 男の自分はなかなか名前を付けてかわいがるという発想にはならなかったが、こういうところはやはり女の子なのだと思いながらミハルはうなずいた。



「えーとな……」

「何にする? ココとかマロンとか……」 

「くま! くまだ!」

「犬のぬいぐるみだけどね……」



 口を挟んだミハルに構わず、ユニオは『くま』の脇に手を添えて高い高いを始めた。



「おかしな熊ですね。"現世(エレフン)"には熊がいないのですか? 想像で作ったとか?」

「犬だってば」



 女騎士に指摘する。

確かにぬぼーっとした顔をしているし、口吻は短いし、耳も縮れて丸くなってはいるが、れっきとした犬のぬいぐるみである。



「おお、ミハル。帰ったのか。遅くなるときは連絡しろよ」

「じぃじ、見て見て!」



 ひょっこり家の奥から祖父が顔を出してきた。

喜色満面のユニオが『くま』を差し出す。



「ああ、ミハルがちっちゃいころ使ってた……」

「ユニオにくれた。やさしい!」

「あはは……そりゃあ良かったねぇ」


 

 いつもユニオにそうするように祖父は相好を崩した。

 


「かわいい熊のぬいぐるみじゃないか」

「犬だよ!!」



 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/


 

 ユニオはぬいぐるみを抱えたまま客間に走りさって、祖父が段ボール箱を抱えながらその後を歩いて追った。

満足して自分も家の中へあがろうとしたミハルに、


「……ところでミハル?」



女騎士が重々しく声をかけてきた。



「何?」

「これは私が頂いてもよろしいのですか?」



 女騎士が手にぶら下げているのは、先刻ユニオが手渡した電車のおもちゃだった。



「えっ」


 

 意外な申し出にミハルは驚いた。



「おまえ、それが欲しいのか? 実は鉄道好きとか?」

「いえ、全然。鉄道とはいったい何のことです?」

「じゃあなんで?」



 どういうつもりなのか分からず、ミハルは怪訝げにする。



「私はあなたからまだ贈り物というものを頂戴したことがありません」

「あっ」



 しまった、とミハルは思った。



「まさか私よりもユニオの方が大切ということはないでしょうね?」



 形のいい眉を潜めながらファム・アル・フートは濁った声で言った。

嫉妬深い……というほど陰湿ではないが、この女騎士は見てくれ以上に序列や筋といったものにこだわるのだ。そのことを失念していた。



 しかし……初めてのプレゼントがプラスチックの電車とはあまりに情けない。



「分かった。おまえにはいつかもっと良いものやるよ」

「言い訳で言っているのではないでしょうね? 私が催促したかのような口ぶりは、少し不快です」



 まだ機嫌は直らないようだ。

どうすれば曲がったヘソが治るのか少し思案してから、ミハルは思いつきを試してみることにした。



「……こういうのってさ、何を贈るかとか値段よりも、気持ちの方が大事じゃん?」

「ふむ」


 

 感情に訴えるのは効果があったらしい。女騎士の顔に張りつめていた険が多少ゆるんできた。



「その通りです。ミハルも男女の機微というものが分かってきましたね」

「だからファムへの初めてのプレゼントは、特別な節目とか、記念日に取っとこうと思って……。誕生日とか、俺たちの会った日とかさ」



 我ながらひどい屁理屈だと思いながら、声はなるべくそう信じ切っているかのように切なく化粧させることに努める。

そうしてからミハルはおそるおそるファム・アル・フートの顔を上目使いにうかがった。



「…………」



 効果はてきめんだった。

ぽおっと頬を薄く紅潮させて、目元をとろんとさせてから、女騎士は慌てて唇を引き締めて言った。



「そ、それはお気遣いも知らずつまらないことを申しました! 忘れてください」

「えっ、うん」

「贈り物はいただけるのか楽しみにしていますからね……。早く手を洗ってらっしゃい。食事にしましょう!」

「あっ、はい」



 あっという間に機嫌が直ってしまった。

女騎士はいそいそと、両手に大剣を抱えて台所の方へ小走りに戻っていく。



(……騎士のくせにチョロいぞ、あいつ!?)



 上手くやり過ごした喜びより、不安を戦慄がミハルの体の中を駆け巡った。

また寝落ちしました……。時間がめちゃくちゃで申し訳ないです。

次の話は今夜から追加します

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