13話 ミハルとくま(2)
「……ファムの親戚の子なんだけど、かわいくってさぁ」
「へー……」
下校時刻になった。
例のごとくマドカ、ジュン、タクヤたち悪友と連れだって昇降口を下りるミハルは、珍しく自分から口数多くお喋りに興じていた。
「今度遊びに連れてきてよ」
「それが知らない人が怖いみたいでさ。もうちょっと慣れてからじゃないとちょっと難しいかな……」
「奥さんに親戚の子供に、ミハルくんちもだんだん所帯じみてきたね」
「やめてよそういうの……」
タクヤの軽口にそう返してから、ミハルは言われてみればその通りだと少しうんざりした気持ちになった。まさか異世界から来た女の子で法律上は養女として引き取ったとは言えない。
校門を出た当たりで、ミハルは小さな人だかりができているのに気付いた。
見ると学生服が遠巻きに囲む向こうで、見覚えのある金色の髪に覆われた頭が揺れているのが見えた。
またか、とため息をついてしまう。
「噂をすれば奥さんのお迎えだ」
「よっアツアツカップル、うらやましいぞー」
「だからやめろって」
苦虫を噛み潰した顔で、ミハルは人波をかき分けるようにして近づいていった。
「おいファム、学校には来るなって……え?」
生徒たちがスマフォのカメラのレンズを向けたり、喜々として内輪の話をしている中心にいたのは、ファム・アル・フート一人ではなかった。
「ほら、堂々としなさい。それでも男爵家の娘ですか」
「やだぁ……!」
「あなたが来たいと言ったんでしょう」
困惑と呆れが相半ばといった顔で小言を言っている女騎士は、例のごとく流麗な鎧を身にまとっている。
その腰辺りに、小さな人影がすがり付いていた。
分厚い布地の民族衣装をまとっていて、ちょっと見には大きなぬいぐるみのようなシルエットに見えなくもなかった。
「ユニオちゃん?」
「ミハルー!」
明るい声でぱっと振り返ったユニオだが、すぐに周囲の視線に気付いて慌てて女騎士の裾に顔を埋めてしまう。
「どうしたの、こんなところまで」
「大人しくしていたのですが我慢できなくなったようで……迎えに行くと」
なのにいざ学校に近づいたら生徒たちに興味を持たれて動くに動けなくなってしまったらしい。
人見知りの激しい幼児が女騎士の腰布を小さな手でぎゅうっと握りしめているのを見て、ミハルは苦笑した。
「おーい、ファムちゃん。やっほー」
遅れてマドカたちが近づいてきた。
「おお、ご機嫌よう。マドカ」
「キャー! 何その子、ファムちゃんの国の子!? 可愛い!」
ユニオを見てマドカが黄色い声を上げるが、無視してファム・アル・フートは挨拶するべく彼女へ近寄った。
「だから白昼堂々ハグはまずいってば!」
「私の国ではこうするのです」
"異世界"の習慣に従って、幼児を引きずるようにしながらも女騎士は女生徒を両手で抱きしめた。マドカが『く』の字に身をよじって抵抗しようが、抗議の声を上げようがお構いなしだ。
「なんだこれは……」
年も体格も違う美女三人が、てんでばらばらに互いの体にしがみつくさまを見てミハルは絶句した。
そこへタクヤとジュンが近づいてきて、
「あの子がミハルの言ってた?」
「二人の子供?」
ユニオを見て勝手なことを言い出した。
「はい、そうです」
ようやくマドカを解放したファム・アル・フートが、タクヤの軽口に大真面目にうなずいた。
それを聞いて、どっ、と三人は笑い出した。
「? ユニオは私たちの娘ですが?」
「あはは! ファムちゃんもだいぶ日本の笑いが分かってきたねえ」
天丼ネタだと思ったらしい。おかしそうに笑うマドカに対して、ファム・アル・フートは怪訝そうに眉を傾けた。
「マドカ? 貴女は何を言っているんです?」
「あのちょっと、ファム。ややこしいことになるからその話はまた今度。ゆっくりと、な?」
これ以上女騎士に喋らせてはややこしいことになる。
そう判断したミハルは手を引いて二人をその場から連れ出した。
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三人と別れた後、商店街を通って自宅へ帰路についた。
「何あれ? 何あれー!?」
つい先刻まで生徒たちに囲まれて目を真っ赤に泣きはらしていたはずが、ユニオはすっかり機嫌を取り戻していた。
アーケード街で見るもの全てが珍しいらしく、車止めやら薬局の樹脂製の人形やら何かにつけて走り出しては近寄って確かめようとする。
「危ないから走ってはいけません!」
その度にファム・アル・フートが手を引いて止めるのだが、あまり効果はないようだ。きょろきょろとあちこちへ視線を送っては目を輝かせている。
「これではミハルの警護ができません! ユニオ、良い子にしなさい!」
「まだ言ってんのか」
どうやらユニオに手一杯になるのはファム・アル・フートにとっては不本意な事態らしい。
「ユニオの世話をするのは、いわば私事です。家庭内のことを切り盛りするのは妻としての私の役目ですから」
「そうなの?」
「剣を手に貴女を守るのは騎士と指名、いわば公務です。どちらを優先するべきかは明白でしょう?」
「その線引きが俺には分からん……」
が、何かにつけて走りだそうとするユニオが危なっかしいのはミハルの目から見ても同意見だった。この時間は割と行き交いが多く、思わぬ動きで通行人や自転車にぶつかってケガをしないとも限らない。
「ユニオちゃん、俺とも手をつなごうか」
「ん」
ファム・アル・フートとは反対側の手で、ユニオがミハルの手のひらをつかんだ。
左右からで手をつないで、ユニオはようやく大人しくなった。これなら飛び出すこともないし安心だろう。
小さく息をついたところでミハルは自分たちがしている恰好の意味に気付いた。
子供を挟んで手を握り合って、これではまるで……。
「こうしているとまるで……」
ファム・アル・フートが小さく笑って、ミハルは自分の心を見透かされたようで急に恥ずかしくなった。
『家族』? 『夫婦』? それとも……?
「まるで捕まえられた宇宙人みたいですね、ユニオ」
「宇宙人ってなに?」
「……!!」
きゃっきゃっと笑い合う女騎士と幼児の横で、ミハルはアスファルトの道路にけつまずきそうになった。
「どうしたんですか、ミハル。危ないですよ」
「ちゃんと歩く」
勝手なことを言い出すファム・アル・フートへ、少年は怒りと疑問の入り混じった目をぶつけた。
「おまえには失望したぞ……!」
「え、えぇ!? なぜ!?」
突然の酷評に女騎士も泡を食った。
「なんでロズウェル事件なんか知ってんだよ……! 女騎士のくせに……!」
「? マドカが教えてくれましたが?」
「余計なことを……!」
一体いかなるガールズトークの流れで宇宙人の墜落事件の話題に至ったのか知れないが、どこかつかみどころのない二人の共通の友人に対して恨み言を抱かざるをえなかった。
ぶつぶつとつぶやくミハルの横で、ユニオが新しい発見に目を丸くした。
「何あれぇ……!」
「うん?」
ユニオが目を輝かせた先には、携帯電話会社のショップがあった。
見ると店頭に、色とりどりのゴム風船が紐でつながれて浮かんでいる。子供向けのサービスのようだ。
ユニオに引っ張られるようにして、三人は店先へと歩いていった。
「ファムさま! 何これ、浮いてる!」
「ふむ……」
空中に浮かぶ丸く柔らかい物体、というのは女騎士にとっても初めて見る存在だった。
ユニオのようにはしゃぎはしないものの、紅い瞳を見開いて驚いている。
しばらく片手で触ったり紐を引っ張って抵抗を確かめたりしてから、熟考した女騎士は結論を出した。
「おそらくは射撃の標的か何かでしょう。"現世"の子供は空中に浮かぶこれを矢で射て訓練するのです」
「おもしろそー……!」
「物騒な嘘を教え込むんじゃない……!」
いくつも並んだ風船を見て、ファム・アル・フートは失望交じりのため息をついた。
「当てられずにこんなにたくさん標的が残っているとは情けない……。こんな腕では鳥や敵を射たりすることなどできないでしょう。全く"現世"の子供の行く末が思いやられますね」
「俺はおまえの将来の方が心配だよ」
ミハルはつぶやいてから、となりのユニオがわくわくと身を乗り出しているのに気付いた。
「欲しいの?」
「うん!」
首が心配になる勢いでこくこくとうなずかれた。
見回すと、販促係らしい女性社員がキャンペーンのPOPと一緒に机の近くで待ち構えていた。
『風船くださいって言えるかな?』と画用紙に大きく書いてある。
「『ください』って言えばくれるって。言ってごらん」
軽い気持ちでユニオに進めたが、幼児はびくりと肩を大きく震わせた。
「……やだ。こわい」
「えぇ、風船欲しいんでしょ?」
「やだ!」
携帯電話会社の社員の目から逃れるかのように、手をつないだままファム・アル・フートの背中に隠れようとする。
「ちょっとユニオ。どうしてあなたはそう覇気がないんです」
「はは……。俺が代わりにもらってあげようか?」
「ダメですよ、甘やかしては」
呆れ顔のファム・アル・フートが言い切って、結局ぐずるユニオを引っ張るようにしてその場を後にした。
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「あれ欲しかった……」
「自分で欲しいと言えなかったんでしょう」
ユニオがぶらさがるようにするのをものともせず、女騎士は闊達な歩みを止めなかった。
「ミハルもなんとか言って!」
「えーと……。風船なら買ってきてあげようか?」
「いけません。ユニオは養ってもらう立場なのですから、わきまえなさい」
女騎士にばっさりと切り捨てられてユニオはぎゅっとミハルの手を強く握った。
小さな手はあまりにも華奢でか弱いように少年からは思えた。
ユニオという幼児は素直で快活で生命力に満ち溢れているのに、風船一つ手に入れられないもろさも併せ持っている。
その複雑さは不思議とミハルの心に何か湿度の高い感傷を呼び起こしてきた。ある種の共感に近かったかもしれない。
(俺が守ってあげなきゃ……!)
使命と責任感とこの世界の現実とに押しつぶされそうになっていた女騎士とはまた違う。
すがれるものがなければ、この子はあっという間に弱って暗がりで人目に怯えて生きるしかなくなってしまう。
そう思うと自分がなんとかしなければ、という気概がもくもくと立ち上がって来た。
「だ、大丈夫だよ……!」
「?」
「俺がなんとかする。おじいちゃんが何て言っても、うちにいられるようしてあげるからね……!」
ぶつぶつと口でつぶやきながら、ミハルは祖父に会ったら頼み込むつもりで考えていた口上を頭の中でもう一度整理した。
身寄りがなくて海外からやってきたファムの親戚ということにして、祖父の家で預かることを承知させるつもりだ。
祖父に対して強く出たことなぞついぞないミハルだが、このことに関しては折れるわけにはいかなかった。
「おじいちゃんもう帰って来た?」
「ええ、先ほど」
「分かった。俺が話をつけるから」
「えっ」
玄関を開いて、ミハルは良く通る声で家の奥へ告げた。
「ただいま! おじいちゃん、大事な話があるんだ!」
「おう、おかえり」
のんびり帰って来た声に身構える。
鼻息が荒くなっているのと鼓動が早まっているのを自分でも感じているが、これくらいは仕方あるまい。
「どうしたんだ、ミハル。大きな声出して」
「おじいちゃん! お話が……!」
「じぃじ! ただいまー!」
身を乗り出したミハルの横を通り抜けて、ユニオが靴を脱ぐのももどかしく廊下を駆けていった。
「…………」
「おぉ、ユニオちゃん。おかえり」
「ただいまー! だっこ!」
「はいはい」
年の割に頑健な体つきの祖父は、軽々と幼児を肩まで抱え上げた。
「ミハルおむかえしてきた!」
「ああ、ごくろうさま。日本はまだ慣れないだろう、大丈夫だった?」
「平気だった! 泣かなかった!」
明るい声を上げてのたまうユニオと、しまりのない笑いを顔中に貼り付けて相好を崩す祖父とを見て、ミハルは酸欠の金魚のようにぱくぱくと口を開閉させた。
「お祖父様がお帰りになられてから、ずっとあんな感じです」
見かねた玄関に並んで立つ女騎士がそっと声をかけた。
「え、ユニオちゃん、知らない人が怖いんじゃ……」
「お祖父さまが声をかけられて、私でも驚くほどあれよあれよといううちに仲良く……。お祖父さまのご人徳には驚かされるばかりです」
「俺は何日もかかったのに……」
ぽつりとつぶやくミハルをよそに、きゃっきゃっとユニオは祖父の腕の中で声を上げた。
「ユニオねー、ミハルのこどもになったんだよ!」
「あはは、そうなのかぁ」
「ユニオ、ミハルのこと好き!」
「そうかいそうかい。いつまでもうちにいて良いからねぇ……」
目尻を下げてデレデレとユニオをかわいがる祖父を見てミハルは愕然とした。
先刻まで自分が温めていた決意は一体何だったのだろう。
「おう、ミハル。どうしたんだ、玄関に突っ立って」
「え、あの、おじいちゃん。ユニオちゃんのこと……どうして……?」
「ファムちゃんの親戚なんだってなぁ。かわいいねぇ……!」
今にも頬ずりを始めそうな祖父に、ミハルは乾いた視線を向けた。
「遠慮しないで、安心してうちに何年でも居て良いよってさっき言ったところなんだ」
「ユニオずっとこのうちにいる!」
「ミハルには悪いけどな。実はじいちゃん、女の子の孫が欲しいってこっそり思ってたんだ!」
「……」
ミハルは靴を脱いでつかつかと玄関を上がると、両手でユニオを抱えて無防備な祖父の脇腹に空手チョップを叩き込んだ。
「ぐふぅ!?」
痛みと衝撃に体を折り曲げても、ユニオを抱えてぐっと祖父はその場で踏みとどまった。
「そ、祖父に手を上げるのか!?」
「……いつもいつもそうやっておじいちゃんが大物過ぎるから、俺はみじめな気持ちになるんだ!」
「え、何!? 反抗期か、反抗期が来たのか!?」
何が起きたのか分からないと言った表情の祖父を前に、ミハルはぷるぷると握りしめた拳を震わせていた。
次回は明日夜追加します




