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2話 初夜忘れるべからず(1)

「天上の神々に私の祈りを捧げます……」



 向かい合った席で女騎士が祈りを捧げるのを、少しうんざりした目でミハルは眺めた。

食堂のテーブルには、ファム・アル・フートが用意した朝食が並んでいる。

湯気を立てる芋からできた(かゆ)。冷水で締めてから切ったばかりのしゃっきりとしたサラダ。

そして脂が音を立てて肉の上で踊っている熱々の塩漬けの豚のソテー。




 夫の名前は安川ミハル。

以前は朝はご飯派だったが、最近の朝食はこの芋粥(いもがゆ)ばかりになった。


 妻の名前はファム・アル・フート。

「朝から草の種など食べていて力が出せますか」などと熱弁し、安川家の朝食を完全に切り替えた張本人である。



 小さくため息をついてから、ミハルは歯を立てれば口中で脂身が弾けそうなポークソテーを脇へそっと押しやった。

か細い彼の食欲と繊細な胃腸では朝からこんな野性的な肉料理は厳しいのだ。

なのだが、ファム・アル・フートは少年の体格は食事が原因と断じて……いわゆる「精がつく」類の料理を毎朝食卓に上げてくる。


 ミハルは「いただきます」と短く呟いてから、スプーンで芋粥(いもがゆ)をすくった。

いかなる手順で作るのか未だに調理法は良く分からないが、とりあえずすり下ろした芋と野菜がたっぷり入ったやさしい味で、これはミハルの口にも合った。

なめらかな舌触りのとろりとした(かゆ)はお腹の中にすうっと入って、ボウル一杯分も食べるとぽかぽかとした満足感で体を満たしてくれる気がする。



「神造裁定者よ……私の祈りを天上の神々にお届けください。今日の食の恵みに感謝いたします。そして一日も早く跡継ぎの男子を授からんことを……」



 ……なのだが、向かいで両手を組み合わせてぶつぶつと女騎士が何やら呟いてるのを見てしまうとその滋味も半減だった。

食前の祈りは彼女の宗教の信徒が果たすべき善行らしい。

それは構わないのだがもう少し簡潔に済ませてもらえないかとミハルは常々思うのだった。



「やめてよ。ご飯がまずくなる」

「……あなたの分もお祈りしているのですよ」


 

 きっと小さくにらみ返してから、ミハルを無視してファム・アル・フートは祈りに戻った。



「夫が早く大人になりますように……。夫が大きく頑健な体に育ちますように。夫が子作りに熱心になってくれますように。それから夫の股間に陰毛が生えてきますように」

「ケンカ売ってんのか」




_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/




「どうしてミハルは父親になることを嫌がるんですか」

「朝からものすごいことを言いやがるな……」



 朝食を終えて、結局二人分のポークソテーをぺろりと平らげたファム・アル・フートは不満顔で片づけを始めた。



「赤ちゃんを作るのが何だというのです。産むのも育てるのもあなたがすることではないでしょう!」

「おいそれ反フェミニズム発言だぞ」

「?」

「……ともかく、この国じゃ15のパパはニュースになっちゃうの。社会的に許されないことなの!」



 この女騎士が転がり込んできてから何度この話を繰り返しただろう、と思いながらミハルは乱暴に靴下に足を通した。



「では子供は我が母なる世界"アルド"で産みましょう。そっちの方が環境も良いですし、正しい信仰の中で生きた方が大事な跡継ぎも善良に育ちます」

「俺の気持ちは無視かよ」

「子どもが欲しくないんですか!?」

「まだそんな年じゃないってば!」



 よくアイロンがけされた制服の大きなカラーに明るい色のタイを通しながら、ミハルは厳しい目つきでファム・アル・フートを睨みつけた。



「じゃあ何歳になったら私と子作りに励んでくれるのですか!?」

「……」



 売り言葉に買い言葉で語気を強めてきた女騎士に、ミハルは答えに困った。

年上の女性にこんな質問をぶつけられて堂々と答えられる男子高校生が果たしているだろうか。



「……考えたことない!」

「ミハル!」

「だって俺、女の人と付き合ったことなんかないし……。そういう、その、肉体関係とかそういう話は早すぎるって」



 逃げ口上を口にしながら、ミハルはタイを結ぶふりをして顔を背けた。

肯定すれば自分は下心を持っていると認めたようなものだし、否定すればファム・アル・フートを拒絶することになってしまう。だから逆に叱るふりをして誤魔化そうとした。

 


「だいたいお前は……」



 振り返った先でミハルが見たものは、ファム・アル・フートが細い眉を歪めしゅんと目元に影を落としていいる姿だった。



「……?」


 

 神妙な様子を見て、ミハルは言いかけた言葉を止める。



「どうしたの?」

「……ミハルにとっては、私との結婚は苦痛なのですか?」



 うっ、とミハルは返答に困った。

正直言ってこの点に関して、彼の頭の中でも議論は一定の結論を出せてはいないからだ。

心の中で羞恥心と自尊心の派閥はYESだと大きく叫び、良心と孤独感とあと表立っては活動を認められてはいないが肉体的な欲求はNOだと反論している。



「いや、その……苦痛とまでは言ってないけど」

「ではどうして私を愛そうとしないのですか!?」


 

 ぱっと顔を上げたファム・アル・フートがずかずかと近づいてくる。

自分より頭一つは確実に背の高い美貌の女騎士に迫られて、ミハルは否応なく気後れした。



「あ、愛するって……。その、手つないだり、キスしろってこと?」

「それだけではありません! 私の入浴を覗いたり、着替える時に部屋に入ってきたり、下着を盗んだりもしないではないですか!?」

「おまえのものの考え方も相当偏ってる気がするぞ!?」

「み、ミハルは……」



 じわりと頬に赤みを差して、ファム・アル・フートは不安が入り混じった視線を少年と投げかけた。



「……私と愛し合いたいと思ったことはないのですか?」

「――――――」



 思わず、ごくりと少年は生唾を飲み下してしまった。



「その、女としてちょっと傷つくものがあります。 プライドに関わります。 あまり強く否定ばかりされると……」

「それは、その…………なんていうか、ごめん」

「謝らせたいのではありません。でも、今だに私の寝室には来てくれませんし……不安に思うことはあります」



 憂いを含んだ赤い眼に見られて、ミハルはあわあわと口どもった。

7つも年上なら、ミハルから見ればもう完全な大人の女性だ。そんな相手を一体どうすれば良いのだろう。



「だって、えっと、その……。は、恥ずかしいし……」

「恥ずかしがることなどありはしません! 私はあなたの妻です! この身体はあなたの自由にして良いものです!」



 エプロンを大きく盛り上げる豊満な胸に手を置きながら、ファム・アル・フートは断言する。

今度こそミハルは耳の先まで真っ赤に茹で上がった。



「そ、それとも私ではミハルの好みに合いませんか?」

「そんなこと、ないけど……」

「それなら何の問題もないではありませんか」



 はっと女騎士の脳裏にある疑念が沸き起こり、さっとその顔から血の気が引いた。



「――――――まさか同性愛者ではないでしょうね!?」

「…………」

「困ります、教義に反します! 駄目ですよ、そんな! 非生産的な!!」

「一回どついたろか」 



 青ざめた顔で両肩を揺すってくる女騎士に、ミハルは液体窒素で瞬間冷却された目で呟いた。



「で、では、女性に興味はあるんですね?」

「……あるよ」

「ならば聞きます。……子作りはとりあえず置いておいて、私と愛し合いたいと思ったことはないのですか?」



 どうして自分は登校前の準備の時間にこんな深刻な問いかけをされているのだろう。

自分の運勢の理不尽さに疑念を抱きつつも、ミハルはどう答えれば良いのか真剣に考えた。



「……ある」



 迷った挙句、ミハルはそう答えた。

ぱっとファム・アル・フートは頬を紅潮させた。



 たっぷり三十秒。

気まずい沈黙が二人の間の空気をじっとりと重たくした。



「では……」



 このまま顔を赤らめていてもらちが明かない。そわそわと登校時間が差し迫る時計の針を気にしだしたミハルに代わって、ファム・アル・フートがそっと切り出した。



「今夜、私の部屋に来ますか?」



 それからまたたっぷり一分間。

無為な時間を目を白黒させることに消費したミハルは、やっとのことで血色の良い唇を開いた。



「行く」



次回「2_2 初夜忘れるべからず(中)」は今夜9時ごろ追加されます。

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