12話 二人は仲良し(1)
ユニオが来た日の夜のこと。
「食事ですよ」
「あぁ……」
ファム・アル・フートから呼ばれて、ミハルは疲れた顔を上げた。
鬼の形相と化した女騎士の命令によって、昼間に散らかし放題となった家の中の片付けに従事させられ続けけたせいだ。
元通りに復元することを諦めて祖父宛ての年賀状と季節の挨拶の束を未整理のまま電話台の棚に押し込むと、少年はキッチン兼食堂へと向かった。
「お祖父様は?」
「友達と食べて帰るって。…………粥だけ?」
「文句があるなら昼間に家を散らかした方へどうぞ」
テーブルの上でぽつん、と芋粥の入ったボウルだけが湯気を立てていた。
せっかく普段から片付けていた家の中を荒らされたせいで女騎士の声にもトゲがある。
ミハルはそれ以上不満の声を上げることは諦めて、黙って椅子に座った。
と、そこで小さな人影が食堂へ入って来た。
「……ごはん?」
巻き毛の髪にたっぷりの寝癖をつけて、眠そうな半目をしたユニオがぽつりとつぶやいた。
本当のことを言えばこの幼児こそが家中のものを散乱させた張本人なのだが、少年と女騎士が片づけている間ぐっすりと茶の間で毛布をかぶって寝入っていたのだ。
「ユニオ。何をしているんです。テーブルにつきなさい」
ミハルを見てびくりと驚いたユニオだが、ファム・アル・フートにうながされて渋々とテーブルを回り込んでその反対側についた。食欲には勝てなかったらしい。
苛立たし気に洗い物をざっと済ませた女騎士は、テーブルについてもまだどこか納得がいかなそうな顔をしていた。
「しかし、本当にピッコローミニ隊長一人だけであそこまで家の中を荒らしたんですか?」
「う、うん。そうだよ? イライラして奇声を上げながら、な?」
「ちょっと信じられません」
「お仕事忙しいみたいで……あと奥さんと上手くいってないみたい。あれは精神的なストレスの症状だな、きっと」
「ふむ……。上司のことを悪く言うことはできませんが、ありえそうな話に思えてきました」
ミハルが煙に巻いている間、そうとは知らずにユニオが目をとろんとさせたまま芋粥に手をつけようとする。
「ユニオ、お祈りをしなさい」
女騎士のとがめる声に一瞬迷ってから、ユニオはスプーンを置き直して小さな手を組み合わせた。
「天にまします神々よ……」
「ごにょごにょ……むにゃむにゃ……」
そうしてから食事が始まった。
「……」
三人で会話もなく、ひたすら芋粥をすする音が響く。
「……なんかわびしくないか?」
「食事に文句をつけるとは男らしくないですよ」
「いや、そうかもしれないけどさ」
「漫然と食べてはいけません。食事の意味を噛み締めながら頂けば、粗食でも十分満足できるものです。『一木一草仏性あり』というではありませんか」
「女騎士の言うことじゃねーな……」
といいつつ、淡泊な芋の味に飽きてしまったのはいかんともしがたかった。
「これって調味料とか入れちゃダメなの?」
「私の故郷ではあまりやりませんが、聖都のやり方では塩や魚醤を使ったりしますよ。塩漬けや酢漬けを入れる人もいます」
「ふーん」
日本のお粥と同じに考えて良いらしい。
芋にこだわる女騎士に『混ぜ物をして味を濁らせると何事だ』と文句を言われるのではないかと思っていたが少し安心した。
「何ならこの間買ってきた調味料を試してみますか?」
「ああ、お醤油なら何にでも合うかも」
「少々お待ちを。卓上用の容器に移し替えたはずですが」
「はい!」
いつの間にか立ち上がったユニオが、ファム・アル・フートのそばに立っていた。
その手には醤油差しが握られている。
「……ああ、ユニオ。ありがとうございます。よく分かりましたね」
「はい、はい!!
「分かったから置きなさい」
「ファム様のにユニオが入れてあげる!」
「私は結構です。普段から塩分を取り過ぎると妊娠したとき女の子を授かりやすいと聞いたことがあります」
食いつくような勢いで醤油を注ごうとしてくるユニオをファム・アル・フートは押し留めた。
「ユニオちゃん、俺のに入れてくれる?」
「やだ」
「……」
そう言うが早いか、ユニオは醤油差しを元あった場所へ片付けてしまう。
小さくため息をつくと、ミハルは諦めて残った芋粥をすすることにした。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
「ミハル。今日は先にお風呂に入ってください」
食事が終わって、後片付けを済ませた女騎士はそんなことを言ってきた。
風呂好きの女騎士が一番風呂を譲るなんて珍しいと思っていると、
「私はもう一度家の中を軽く掃除しますから」
と補足が飛んでくる。
どうやら少年の片付けだけではお気に召さなかったらしい。
「分かった」
余計な口を挟んでまた機嫌を損ねてはコトだ。ミハルは素直に従うことにした。
が、そこで椅子の上に立ち上がってテーブルの上を拭いていたユニオがぱっと床へと飛び降りてきた。
「ファムさま、一緒におフロ入る!」
少年がその身軽さに驚いていると、ユニオはぱっとファム・アル・フートのすそに取りつき叫んだ。
「ちょ、ユニオ」
「一緒に入る!!」
言いながら気が急いているのか、女騎士を引っ張ってでも台所から連れ出そうとしている。
「後で入りましょう。片付けてからで良いでしょう? ホコリが飛びますから……」
「入るったら入る!!」
じたじたと首を振ってユニオは譲ろうとしない。
一見聞き分けのない駄々っ子が周りも見えず暴れているようだったが、ミハルはその途中でちらりと自分の方へ幼児が視線を向けるのに気付いた。
「?」
「どうしたんですか、あなたはいつもはもうちょっと聞き分けの良い子だったでしょう」
「入るー……!」
困った顔になった女騎士に、今度はだらりと服にぶら下がるようにしてねだり始めた。
座り込んででも掃除には行かせないというつもりらしい。
「良いよ、ユニオちゃんと入ってきなよ。掃除は明日で良いじゃん」
「しかしですね……」
「お風呂ー!!」
「タオル持って行ってやるから、もうそのまま入っちゃえよ」
「入る、入る!!」
ミハルが口を挟むと、幼児はいきなり上機嫌になって顔を輝かせ始めた。
ふぅ、と小さくファム・アル・フートがため息をつくのを見て、ユニオは自分の勝利を確信したようだ。
「仕方ないですね」
「お風呂まで抱っこして」
「ダメです。ユニオはもう赤ちゃんじゃないでしょう」
「赤ちゃんで良いー……」
「ほら、ちゃんと歩きなさい」
甘えてもたれかかる幼児を引きずるようにして、女騎士は台所を後にしていった。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
……ミハルが二人分のバスタオルを抱えて脱衣場へ入ると。
「キャハハハハ!」
すりガラスの向こう、明かりのついた浴室でユニオの笑い声が反響していた。
先刻までの大人を思い通りにしようとする駄々っ子の傲慢さは消え去って、屈託なく心から楽しむ歓声だった。
「せまーい! このお風呂こども用?」
「"現世"ではこれが普通なのです。ほら、もうちょっとよけてください。私が浸かれないでしょう」
ファム・アル・フートの声に続いて、湯面に体が入っていく水音がした。
瞬間的にユニットバスの浴槽に浮かぶ女騎士の肢体を想像してしまう。
長い金髪を頭の上でまとめて、うなじは熱っぽく赤みが差し、綺麗な鎖骨の下で張り出した二つのふくらみが水に浮かんで……。
「……っ!」
慌ててミハルは妄想を打ちきって、洗面台にバスタオルを乱暴に置いた。
「ファムさま、またおっぱい大きくなった!」
「やめなさいユニオ」
「重ーい!」
「触ってはいけません。遠慮しなさい。それはもうミハルのものです」
浴室の中の声に追い立てられるようにして、少年はそそくさと脱衣場を後にした。
何故自分の家の中でこんな情けない思いをしなくてはならないのか、理不尽さに少しだけ苛立ちを覚えた。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
「ところで、あなたの部屋を決めねばなりませんね」
茶の間でユニオの髪の水気をふき取りながら女騎士は言った。
まだ今一つ事情が分かっていなさそうな顔のまま、バスタオルを被せられたユニオはぼんやりとうなずいた。
「あとは着替えに、食器に、生活道具に……。隊長に頼んで運んでもらわなくては」
「こっちで買っちゃえば?」
「ダメですよ、そんな風に甘やかしては」
ミハルの提案を贅沢だと切り捨てた女騎士は、毛先をバスタオルでこすりながらふと何かを思いついた。
「あの高価そうな偶像のある部屋はどうです? 空いていますが」
「仏間のことか? ダメダメ、おばあちゃんのお仏壇があるから」
興味無さそうに話を聞きながらぴくぴくと小さな鼻を動かしていたユニオは、眉毛を『ハ』の字にして不満を漏らした。
「この家ちょっと変な臭いがする」
「我慢なさい。現世の家は魚醤の臭いがするものなのです」
「ユニオ、寝るならファムさまの部屋が良い」
「ふむ、良いでしょう」
あっさりと女騎士は認めた。
「子供用の布団ないから大きいので寝てもらうけど、良い?」
「十分でしょう。大切に使うんですよ、ユニオ」
「分かった」
話はそういうことに落ち着いた。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
「さーて、寝よ寝よ……」
入浴と片づけを済ませ、ミハルは自分の部屋に戻った。
日中色々なことがあり過ぎて、体にじっと疲労がしみ込んでいるのを感じる。
「明日はユニオちゃんと、もうちょっと普通に話せると良いけど……」
幼児のことを考えると、正直先行きに不安を覚えてしまう。
ユニオを預かったことは間違いではなかったと思うし、できる限りのことをしてやろうという思いだってもちろんある。
しかし、ああもけんもほろろに冷たい態度を取られては、正直胸が痛むのも事実だった。
裏表のない子供の素直さというのは時として残酷なのだと痛感する。
「まあ、まだ会ったばっかりだし、時間が立てば慣れて変わってくるかも……」
そう自分に言い聞かせて、無理矢理にでも気分を引き上げるしかなかった。
「もうすぐ寝よ……。疲れちゃった」
「はい。そうしましょう。あなたには成長のための眠りが必要です」
独り言に返答を返され、ミハルはおもわずぎょっとした。
「なっ!?」
いつの間に部屋に入ってきたのか、例の薄い夜着をつけたファム・アル・フートがごそごそとベッドの上に自分の場所を作ろうとしていた。
「何してるんだ、おまえ! 自分の部屋に戻れよ!」
「あの部屋はユニオに与えたではないですか」
あっさりと言い切って、ファム・アル・フートは枕を好みの位置に置こうとする。
「このベッドは二人で寝るには少し狭いですね」
「え、ユニオちゃんと相部屋にするんじゃ……。まさかここで寝る気なのか!?」
「夫婦は同じ部屋で寝るものです。"現世"だってそうするでしょう?」
何を当たり前のことを、と女騎士は軽く眉をひそめた。
「今まではあなたの好きにさせていましたが、ピッコローミニ隊長に別室で寝起きしていることがバレると私も立場がまずいのです」
「なんで!?」
「夫婦生活が上手くいっていないと思われるでしょうが。私は祝福者の連れ添いとして、全信徒の模範である良妻賢母とならなければならないのです」
女騎士の口から本人の印象とは程遠い美称が飛び出してきたのに鼻白んだ少年を無視して、ファム・アル・フートは得意げに続けてきた。
「別に今日思いついた訳ではありません。前から良いものを用意していたのですよ」
「い、良いもの……?」
たじろいだ少年に向かって、女騎士は得意げに持ち込んだ枕を両手で示してくる。
その表面に大きくアップリケで『YES!』と縫い付けられていた。
「新調した枕です! 私の調べでは"現世"のこの文字には呪術的な子宝に恵まれるがあるとか!」
「いつの間にそんなものを……!?」
ミハルは戦慄を覚えたが、ファム・アル・フートは小鼻をふくらませながらひっくり返してみせてきた。
なんと裏側にも大きく『YES!』とある。
「念には念を入れて表裏両方に同じ紋様を加えてみました! 相乗効果で効き目は二倍三倍……いやさ四倍になるはずです!」
「意味ねえ!?」
本来の使い方を無視した暴挙に唖然としてしまう。
「毎日この枕で寝ていればきっと子供を授かりやすくなるはずです」
「ああ……うん、おまえはそれで良いや」
初夢のために枕の下に宝船の絵をしのばせるような感覚らしい。いそいそと枕を据える女騎士をミハルは呆れた目で見た。
「って、そうじゃなくて自分の部屋で寝ろよ! そうでなくても同じベッドで寝る必要ないだろ」
「隣で寝るだけですよ」
ベッドの上で寝そべりながら、女騎士は済ました顔で言った。
「いいですよ。あなたがまだ望まないなら、愛の営みも子作りもなしです。寝るだけ。約束します」
「え……?」
意外なことに思い切った譲歩をされてミハルは面食らった。
「……私が隣にいるだけでも嫌だなんて、そんなことは言わないですよね?」
「いや、でも、その……。恥ずかしいし」
「誰に対して恥ずかしいのですか。ここはあなたの家で、私たちは夫婦です。神に誓ってやましいことは何一つありません」
弟の素行をたしなめるような口調はちょっと引っかかったが、照れも気負いもないファム・アル・フートの声を聴いているとだんだん言っていることが正しいように思えてきた。
「ほら、おいでなさい。添い寝してあげますから」
ファム・アル・フートはベッドの上に肘をつくと、自分の横のスペースをぽんぽんと軽くを叩いてみせた。
(寝るだけなら良いのかな……?)
寝転んでことで体の上に夜具の飾り布や裾が広がり、体型のメリハリが陰影となってはっきりと浮かび上がった。
若い女騎士の筋肉質でしなやかな体に、匂い立つようななまめかしさや皮下脂肪のまろみによる艶やかさが本格的に備わるのはまだ数年を要するのだろうが、思春期のミハルからは年上のその肢体は十分すぎるほど蠱惑的な魅力を備えて見えた。
思わずごくりと喉を鳴らして、ミハルは一歩ベッドの方へ踏み出す。
その瞬間。
「ファムさま、一緒に寝る!」
「えっ?」
ばたんとドアを大きく開いて、大人用のガウンの裾をまとめて結んで即席のパジャマにした幼児が飛び込んできた。
ユニオだ。
「ちょ、良いところだったのに! ユニオ!」
「一緒に寝る! 一緒に寝る!」
片手で抱えてきたそば枕をベッドの上に放り投げると、色めき立つファム・アル・フートの制止を無視してシーツの上に上がり込んだ。
「一人で寝なくてはダメでしょう!?」
「やだ! お話して!」
突然の喧騒に、ミハルははっと正気を取り戻した。
ベッドの上の押し問答に背を向けてそろそろと距離を取り、静かにドアを閉める。
「ごゆっくり……」
そうつぶやいて、ミハルは空室となった客間で寝るべく廊下を歩いて行った。
25日に更新するといいながら完全に寝過ごしてしまいました。申し訳ない。
次回は本日夜に追加します。




