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11話 こんにちは、ユニオちゃん(2)

「……とにかく、私は"異世界(アルド)"へは戻りません!」


 

 ミハルの呼吸が徐々に戻って来たのを確認してから、ファム・アル・フートは決然と立ち上がって言った。

それを聞いたユニオの顔がさっと曇った。



「ミハルの隣が私の居場所です。そう決まっているのです」

「…………」

「この結婚は神々より受けた使命ですが、私の意志で決めたことです。分かったら諦めてお帰りなさい」



 幼児の丸い両目にはっきりと落胆が浮かぶのが、ミハルの目から見ても分かった。

それでもなお食い下がろうと、乾いた唇で何事かをつぶやいてくる。



「……だめ」

「何ですか」

「ダメ!」

「ダメではありません。戻らないと決めたのです」



 近づこうとする幼児に向かって、ファム・アル・フートは断言した。

 


「うー……」



 長いまつ毛の下から涙がにじみ始める。

何もしないままでは自分の感情を処理しきれなくだったらしく、愛らしい巻き毛の髪を自分でいらだたしげに引っ張り始めた。



「あ―――……!」

「泣いて誤魔化そうとしてもダメです!」



 ファム・アル・フートから厳しい声を発されて、ユニオは頭をぶるぶると振り始めた。



「ちがう!」

「何が違うのですか?」


 

 説明を求められても答えられず、ユニオはげしげしと足元の床を蹴り始めた。

両目に必死に涙をこらえ、頬を膨らませている。顔色はもう茹で上がったかのように真っ赤だった。



「こら、ユニオ!」

「うー! うー!」

「いい加減になさい! うなっていては分からないでしょう!」

「う―――……!!」



 その態度をふてくされたと取ったファム・アル・フートに叱責されても、ユニオはやめようとはしなかった。

何かを訴えたくて、でも言葉にできなくて必死のようだ。

行為こそ違えど、その躍起になった態度にはミハルも覚えがあった。

自分も確か幼いころ、こうして自分の意志を伝えられず苦しんだことが確かにあったからだ。



「おい、ミハル……」



 助け舟を出そうとした祖父を手で制して、ミハルは頬に涙をにじませるユニオへと近づいた。

そっとその前でひざまずき、目線を同じ高さにする。



「ユニオちゃん」



 声をかけると、ぱっとユニオの眼に怒りが灯った。心の奥底でフタをしたい感情が攻撃性へと点火したらしい。



「……やぁ!」



 拒絶の言葉と一緒に突き飛ばそうと両手のひらを突き出してくる。

が、分かっていればどうということもない。

ミハルは軽々受け止めると、自分に出せる一番優しい声を選んで言った。



「ユニオちゃん。どうして欲しいかはっきりと言ってごらん」



 ユニオの手から瞬間的に力が抜け、驚きにぱっと目が見開いた。

まぶたの中で溜まっていた涙が丸い粒を保ったまま一斉にこぼれ落ち、室内の光を受けて輝きを放った。

"真珠(ユニオ)"とはうまくつけたものだ、とミハルは思った。



「分かるよ。何も言わないでも分かって欲しいんでしょ?」



 図星を突かれた幼児の短い眉が跳ね上がったのを見て、ミハルは確信を深めた。



「好きな人にはっきり言葉にするのが難しいことってあるよね?」

「…………」

「怖がらなくても大丈夫。ファムはユニオちゃんのこと嫌いになんかならないよ。言ってごらん」



 ユニオはゆっくりと手を引いた。

それでもまだこわごわと視線を下げて、薄い唇を引き結んでいる。自分ひとりではまだ踏ん切りがつかないようだ。



「ファム。聞いてあげてよ」

「え、えぇ……」



 ミハルにうながされて、ユニオはゆっくりとファム・アル・フートの方へ向き直った。

ユニオはしずしずと帽子を両手でつかむと、胸の前まで下ろした。

真っ赤に泣きはらした目で、切々と訴え始める。

 


「…………行かないでください」



 こらえきれずに涙が頬を超えてアゴまでつたい、胸元までぽろぽろと落ちていた。

それでもユニオははっきり最後まで自分の意思を伝えた。



「おヨメになんか行っちゃやだ! 行かないで!」

「……」

「ユニオとずっと一緒にいてぇ……」



 それからあとは喘鳴で言葉にはならなかった。

帽子を持っていない方の小さな手を逆さにして、手のひらで涙をぬぐうばかりだ。



「ユニオ」



 初めて漏れ出した幼児の本音に、ファム・アル・フートは軽い驚きを感じたようだ。

それとともに不思議な充足を覚えて、口元に微笑をたたえた。



「あなたが自分の考えをはっきりと私に向かって示したのは今が初めてのような気がします」

「……!」

「ですから誠意を持って答えましょう」



 ファム・アル・フートはゆっくり足を折って膝を床につけると言った。



「ごめんなさい。あなたの言葉は聞けません。しかし、ありがとう」

「…………!」



 今度こそ限界だった。

ユニオはぱっとファム・アル・フートの首筋にすがりつくと、わんわん声を上げて泣き出した。

もう店内の誰もそれを押し留めようとはしなかった。



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 堤防が決壊したようなユニオの涙が勢いを失い始め、嗚咽の声が続くようになったころ。



「しかし、それはそれとしてですね……」

「うぃ?」



 ファム・アル・フートは幼児の背中に回していた手を離し、すっくと立ちあがった。



「私の隠し子などと騙り、人をだましたことは許せません! 新聞沙汰にまでして!」



 猛然と女騎士はまくし立てた。

(まだ根に持っていやがった……)と少年は額に手を当てたが、もう後の祭りである。



 突然のことに驚くユニオの目の前で、ファム・アル・フートはバシッ!と店の出入り口を指さして宣告した。



「今すぐ"異世界(アルド)"の実家に帰りなさい! 父上や皆がどれほど心配しているか! 手紙を書いてたっぷりとお説教をしてもらいますから覚悟しておくのですね!」



 目を丸くする幼児に向かって女騎士ははっきりと言い切った。



「鬼かおまえはっ!?」


 

 ミハルは飛び上がって自分よりも頭ひとつ高い金髪の頭へ向けてツッコミを入れた。

この時少年が見せた俊敏さは、カウンターでコーヒーをすすりながら様子を見ていたピッコロ―ミニが目をみはるレベルのものであった。



「―――――――――っっっ!?」

「そういう空気じゃなかっただろ!」

「し、しかし、けじめをつけなければ……!」

「良いじゃん、かわいい嘘だよ!」

「あなたに私の純潔を疑われるようなことをしたのですよ!」

「……ごめん正直真に受けてなかった」

「なんですって―――っ!?」


 

 呆然としていたユニオだが、



「うわー! うわぁ―――ッ!!」



 まん丸に目を見開いて、火がついたようにユニオは泣き出した。



「ああ、かわいそうに……」

「ファムさまがー! ファムさまが―――っ!」

「ねぇ、すぐ帰りたくないよね。一緒にいたいよね?」

「うん、うん!!」



 なだめるミハルに向かってぶんぶんとユニオが首を振る。



「おじいちゃん、良いでしょ? しばらくうちに泊めてあげてよ!」

「そりゃあ、別に良いけど……」

「ね。うちにいて良いって」

「わー! わ―――!」



 まだショックで声を上げるユニオとなんとか落ち着かせようとするミハルを見て、ファム・アル・フートは眉をひそめた。



「ミハル。それはどうでしょう」

「何が?」

「"異世界(アルド)"からいきなり押しかけておいてしばらく逗留させろというのは、はばかりながら少し厚かましいのでは?」 

「―――お前が言うな。もう一回言うぞ? お前が言うな」

「ヒッ」



 世界で一番女騎士にだけは口にされたくない言葉をドスの効いた底冷えする声で取り下げて、ミハルは諦めて首を振った。



「もういい! この子はしばらく俺が面倒見る!」

「えぇ……?」



 ユニオにテーブルの上に置いてあったオレンジジュースを飲ませながら、ミハルは断言した。



「ユニオの面倒を見るのは大変ですよ?」

「引き受けるよ。良い子じゃん、こんなになるまで頑張ってさ。優しくしてやれよ」

「よく食べますし、運動もたくさんさせておかないといけませんし」

「いいよそれくらい」



 小鼻をふくらませたミハルに対して、女騎士はなおも食い下がって来た。



「あと構ってやらないと機嫌を悪くします。意外と神経質なところがあって病気にかかりやすいので定期的にチェックも必要です」

「……」

「縄張り意識が強くて自分の遊び場に他の子が来ると喧嘩をしてしまいますし、毛も巻き毛で量が多いので毎日のトリートメントとブラッシングが欠かせません」

「…………」

「あなたにちゃんとそれができますか?」

「大型犬を飼う時のリスクの説明みたいな言い方やめろや!?」

 


 少年の一喝に女騎士は押し黙った。



次回は21日夜に更新します。

ユニオ編は次回で終わりです。ちょっと話の構成見直そうと思います!

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