10話 ユニオが来た(4)
ミハルにとって幸いなことに、喫茶『ガンジア』までの道のりでパトロール中の警官や防犯の見回りに出くわすことはなかった。
時折通行人と行き交ってはどきりとさせられたものの、みんな驚いてはいたものの呼び止めたり通報したりするようなそぶりはなかった。
その理由は、外に出した途端にいきなり機嫌が良くなったユニオの態度によるところが大きいだろう。
「何あれ。 何あれ? 何あれ!?」
底抜けに明るい声で連呼していた。
そして車道の自動車や歩道の標識、世帯ごとの標識などなど、何かを見つけるたびに喜々として目を見開いてはそっちの方へ飛んでいこうとする。
「大人しくしてろ」
その度に首根っこをつかんでいるピッコローミニが引き戻すのだが、よたよたと不自然な恰好で歩かされてもまるでひるんだり諦めたりする様子はなく俄然あらゆるものに興味を示す有様だった。
それを見て、
(バカ犬の散歩みたいだ……)
などとは思っても流石に口にしないだけの分別はミハルにもあった。
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「何これ―――!」
通りに面した『ガンジア』のガラス戸を見て、ユニオはいきなり駆け出した。
はずみでついにピッコローミニの腕の拘束が外れたが、今更逃げ出すこともあるないと判断したのか騎士隊長は無理に捕まえようとはしなかった。
「すごい! こんな大きなガラスはじめて見た!」
黄色い声を上げて、ユニオは入口のガラス扉に顔と両手を押し当てた。
たまたま客のいない隙間の時間だったらしい。店の奥でマスターである祖父がぎょっとするのがミハルの眼にも見えて、慌てて近づいた。
耐久テストのつもりなのか、ユニオはいきなりばしばしとガラス扉を叩き始めた。
「開かない! 開けて―――!」
「引くんだよ」
「わっ!」
顔を押し当てた幼児ごとピッコローミニがガラス扉をその通りにして開く。
顕微鏡のプレパラートに挟まれたプランクトンのごとく鼻先と頬をガラスに潰されたまま、幼児が半回転するドアに合わせてたたらを踏んだ。
「……あはははは!」
何が面白いのか、顔を上げてユニオは大笑いし始めた。
ぱっと再びガラス扉に取りつくと、面喰らうピッコローミニの手からガラス扉のノブを奪って再び閉じてしまった。
そして最初の位置に戻ってガラスに自分の顔と両手を押し当てて言う。
「……もう一回やって!」
「何しにきたんだお前は」
首根っこをつかんで幼女を引きはがすと、半目になったミハルを尻目にようやく騎士隊長は喫茶店の中へ入ることができた。
「いらっしゃい……」
「どうもご主人。この子を母親に引き合わせようと思って来たんだが」
カウンターの向こうで不審げに眉間にシワを寄せた祖父を見て、ミハルはどう言い訳したものかと頭が痛くなった。
「悪かった。これ以上話をややこしくするのはごめんだ。騎士ファム・アル・フートを呼んでくれ」
「ええと、おじいちゃん、ファムいる? この子ファムの……親戚の子みたいなんだ」
「ああ、それなら店の裏で作業してるけど……」
ミハルの祖父は鼻をつままれたような顔をしたが、女騎士を呼ぶべくキッチンの奥の店の勝手口へ回った。
ファム・アル・フートはすぐに出てきた。
「隊長! まさかこんなに早くいらっしゃるとは……」
「ファムさま――――――ッ!」
芋の皮の欠片がついたエプロンを払いながら弁明しようとする女騎士に、ユニオは叫びながら飛びついていった。
「って、えぇぇ!? ユニオ!?」
「あ"―――っ! う"わ"――――――っ!」
驚愕の声を上げたファム・アル・フートの胸に幼児は飛び込んでいく。身長差のせいで下腹部のあたりにすがりつくような恰好になった。
全く遠慮なくエプロンに顔を押し当て、ユニオはわんわん泣き出した。
「な、何故現世に!? それも隊長と一緒に! どういうことです!?」
「オエ―――ッ、オエオエ、ア"―――ッ!」
突然のことに度肝を抜かれた女騎士は、幼児の頭と眠たそうな騎士隊長の目とを交互に見比べた。
「お前の隠し子じゃないのか?」
「はぁ? ユニオが? 冗談はやめてください!」
「違うのか?」
「そんなはずないでしょう! 私の実家で養育しているというだけです!」
「なんだ残念。母子の感動の再会を期待したのに」
全く興味無さそうな口ぶりでしらじらしく言ってのける。
「うわーん、うぅ、あぁぁああぁ……!」
大人同士の会話などどこ吹く風で、ユニオはファム・アル・フートの裾をひしっと掴んではすすり泣いている。
事情は一向につかめないままだったが、少なくともその様子から幼児が女騎士を心から必要としているようにミハルの目からは見えた。
「ユニオ、説明なさい! どうしてあなたがここにいるのです! 父上は、実家の皆はこのことを知っているのですか?」
むせび泣く幼児に、女騎士は女騎士は質問をぶつけた。
「オエ―――ッ、オエオエ」
「ええ、一人で? 無茶なことを……」
「オエオオオオエ、アーッ!」
「当たり前です、それからどうなったんです?」
「オエアー――ッ、アー……」
「ユニオ……。そんなことが……。辛かったでしょう」
幼児の言葉は涙と汗と鼻汁と嗚咽にかき消されてほとんど獣の遠吠えに近かったが、ファム・アル・フートは一つ一つうなずいては表情を変えた。
「ユニオ! 私に会うためにこんなところまで!」
「ファムざま”――――――っ!!」
目の前にひざまずいた女騎士の首筋に、ユニオは短い両腕を回すと思い切り力を込めて抱きしめる。
ひしっと抱き合って二人はお互いの体温を確かめ合った。
それはまさしく、現世と異世界の長大な距離を乗り越えて再会を果たした感動的な光景であった。
「おい。訳の分からん会話でお前らだけで分かり合うな」
その一方で置いてけぼりを食らったままのミハルたちの内心を、ピッコローミニが冷たく吐いた毒は正確に表していた。
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「この子は身寄りがなく、仕方なく私が引き取ったのです」
ユニオがくっついて離れようとしないので、仕方なく両手で抱き上げたまま手近な椅子に座ってファム・アル・フートは説明を始めた。
「お前、孤児院の真似事なんかしてたのか?」
「3年前に聖都の人身売買組織を摘発する作戦をしたでしょう? その任務の途中でなりゆきで保護することになって、実家の父に預けたんです。隊長にも報告したではないですか」
「そうだったか?」
ひょうひょうと言ってのけるピッコローミニの言葉に気をそがれたファム・アル・フートだが、わざとらしいセキ払いを一つしてから続けた。
「確かに最近会えていませんでしたが……まさか"現世"まで追いかけてくるとは」
「何にしろ迷惑な話だ。こっちは休暇を潰されたんだぞ」
こちらも勝手にカウンターの椅子に腰を下ろしたピッコローミニが腕を組んだ。
「そうですよ、ユニオ。どうしてそんなことを言ったんです?」
「ファムさま探してるとちゅうでつかまえられて入れられた教会で、シスターが教えてくれた」
「孤児狩りはどこでも定期的にやっていますからね……。何と言われたんです?」
「えぇと……」
一字一句思い出すように、ユニオはファム・アル・フートの腕の中で首を捻る。
『聖堂騎士団は頭が堅い上に軽薄な連中だから、アンタが隠し子かもしれないと思ったらスキャンダルになるのを嫌がって隠そうとするよ。
大丈夫、自分たちで口封じなんかしたら認めるのと同じだから。殺されたりなんかしないよ。
やるとしたらむしろエレフンに連れていって、そのまま置き去りにして行方不明ってことでお茶を濁そうとしてくるはずさ。
どっちにしろアンタが現世に行こうと思ったらこれくらいしか方法はないよ!』
「……って言われた」
どういう意味? と目でたずねるユニオを無視して、ファム・アル・フートとピッコローミニは目を見合わせた。
「捨ててくる。その手があったか」
「隊長!」
「ところで俺、そのシスターのことを知ってる気がしてきたぞ。確かアイツは今出向って形で聖都の教会に奉仕活動で出向いてるはずだが……」
「偶然ですね。私もユニオが聞いた軽薄な物言いには心当たりがあります」
「?」
ファム・アル・フートとピッコローミニとの間で意味ありげな視線が交わされているのもかまわないで、ユニオは膝の上から女騎士の顔を見上げた。
「ファムさま、おなか空いた。 おいしいもの食べさせて」
「ああ、うちに帰ったら芋を茹でてあげますから……」
「ガマンできない」
ユニオは甘えた声を上げると、ファム・アル・フートの肩にアゴを乗せてねだった。
「お店に置いてあるものは売り物なのです。我慢なさい」
「やー……!」
「……お腹空いてんの?」
切なそうに身をよじったユニオを見て、ミハルは少し考えてから声をかけた。
「ちょっと待ってて」
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キッチンで祖父にことわってから、ミハルは調理道具を用意した。
店で使っているパンケーキの生地を焼きながら生クリームを用意する。ハンドミキサーで混ぜ合わせる前に生クリームを思い切り振ってかくはんするのと、レモン汁を数滴加えるのが時間短縮のコツだ。
きつね色に焼きあがったパンケーキにたっぷりと生クリームを乗せて、缶詰のミカンを開ける。クリームパンケーキの出来上がりだ。
「はい。お待たせ」
皿からこぼれそうなくらい生クリームが乗ったパンケーキを手に、ぐずるユニオをなだめているファム・アル・フートのところへ戻る。
「良いんですか、売り物を?」
「自分用のだよ。デコの練習用のクリームと、新メニューの試作用の缶詰のミカン」
テーブルに置かれた皿を見て、ユニオは興味を引かれつつ怪むかのように目を細めた。毒入りのエサを見るかのような目つきだ。
「何これぇ」
「ミハルのご好意です。ありがたく頂きなさい、ユニオ」
「変なの。見たことない」
といいつつ、焼きたての生地と生クリームの甘い匂いは知らなくてもやはり抗しがたい魅力があるようだ。
おそるおそるフォークを手に取った。
「美味しいですよ。一口食べてみなさい」
「……」
チラッとミハルの方へ疑い深そうに目をやってから、ユニオはちょっと手こずりつつフォークに一欠けらとクリームを乗せた。
「…………」
警戒心が強い生き物が食べ物の安全を確かめるような表情で、油断なく口へ運ぶ。
「美味しい?」
「………!!」
ミハルの質問にユニオは答えなかったが、反応は激烈だった。
まん丸になった目をぱぁっと輝かせ、瞬時に明るくなった顔はまるでその場で飛び上がるのではないかと思えたくらいに歓喜の色を発しだした。
先刻までの不審そうな態度はどこへやら。猛烈な勢いでフォークを動かすと、パンケーキを次々と口へ放り込み始める。
「美味しいでしょう?」
「おいしい! ふわふわとしてトロトロとして、あと甘い! すごく甘い!」
ファム・アル・フートに答えるのも億劫だとばかりに、皿まで食べだしそうな勢いで生クリームを平らげ始める。
ミハルはたじろいだ。普段甘味に飢えている子供の猛烈な欲求というか、本能的な衝動の一端が現れたかのような食べっぷりだった。
「……アレ! アレと同じくらいおいしい!」
「アレじゃ分からないでしょう。ちゃんと具体的に賛辞を述べてミハルに感謝なさい」
言葉足らずの称賛を補足するために、ユニオは一瞬だけフォークを止めて考えてから叫んだ。
「前食べたキツネリスの脳みそと同じくらい、おいしい!!」
「そ、そうなの? どうもありがとう……」
ミハルは引きつった笑みを浮かべた。
その食べっぷりに、膝を貸しているファム・アル・フートはごくりと唾液を飲み込んだ。
「ユニオ。私にもちょっと分けてください」
「いや!」
ユニオは即答した。
「せめて一口」
「やだ!!」
またもや即答。もうフォークで切り分けるのも面倒と言わんばかりに、皿から直接かきこむようにパンケーキをかじり始める。
それを見てファム・アル・フートは諦めて、ミハルの方へ顔を向けた。
「ミハル、私にも同じもの作ってください!」
「ごめん。もう生クリームと缶詰がない……」
「えぇ!?」
女騎士は悲嘆に濡れた声を上げた。
「パンケーキの生地ならまだあるけど……」
「み、ミハルは連れ添った私よりも今日初めて会ったユニオの方が大切だって言うんですか!?」
「なんでそうなる」
「だって差をつけるってそういうことでしょう!?」
女騎士は猛然と反論しだした。どうやら譲れない自尊心を刺激されたらしい。
「ゆ、ユニオ。せめてクリームは分けてください!」
「やー! ユニオの!」
「皿に残った分だけで良いですから!」
「やだ―――!」
ほとんどもう舐めとる分くらいしか残っていないパンケーキの皿を巡って、幼女と女騎士は引っ張り合いを始める。
「ちょ、やめろって! みっともない!」
「おい」
「えっと、後にしてくれる?」
「おいってば」
いきなり起きたしょうもない張り合いに泡を食うミハルの肩を、 いつのまにか席を立ったピッコローミニがしつこく小突いてきた。
「何!?」
苛立たしく向き直った少年に対して、撫で肩の騎士隊長は自らを指さしてぼそりと言う。
「俺の分のケーキは?」
「……あぁ?」
今度こそミハルはキレそうになった。
次回は19日夜に追加します。




