8話 買い物は計画的に(2)
「良い芋が買えましたね!」
買い物袋がずっしりと膨らむまで厳選した芋を買い込んで、女騎士はほくほく顔だった。
「"エレフン"の芋は実に品質が良いです。種類が少なすぎるのはいただけませんが……」
「男爵とメークインくらいで十分なんじゃ?」
「私の故郷では10種類以上を使い分けます」
「そんなに」
話をしている間に、ミハルは自分たちの方へ向けられる視線に気づいた。
「?」
何やら酒屋の前の道路に立ち尽くした男子生徒がチラチラとこちらを見ている。
ミハルとは違う制服を身に付けている。近くの中学校の生徒のようだ。
綺麗な白い肌に短く刈り込んだ髪と、いかにも真面目そうな容姿をしていた。
知っている顔かと慌てて脳裏の人名録を漁ったが、見覚えが全くない。
「ミハル。何をしているのです」
「あ、うん」
気にはなったがどうすることもできず、ミハルは店先ののれんをくぐった。
「ごめんください」
「おー、ミハルちゃん。いらっしゃい。何かお店でいるものでも?」
「いえ、いつも買ってる醤油が欲しいんですけど」
「ああ、ロクさんのおつかい……って、えぇ!?」
人当たりの良さそうな顔で店の奥から出てきた店主は目を丸くした。
ミハルの隣の女騎士が、大剣の柄に油断なく手をかけたからだ。
何が気に入らないのか小動物が見たらショックで心臓を止めそうな厳しい視線で店主をにらみつけている。
「やめろよ、いつも買い物しているお店だぞ」
「本当に、本当に店主ご本人ですか?」
「どういう意味だよ」
「暗殺者の変装かも」
「はぁ?」
少年を背中側に隠すようにしてその前にずいと進み出たファム・アル・フートは、動揺する店主を見下ろして思い切り威圧した。
「……怪しい。尋問する必要があります」
「どこが!?」
「よく見なさい。あの髪。明らかにつけ毛です!」
「よせよ! みんな知ってて黙ってるんだぞ!?」
そう叫んだあとで、とっさに頭頂部を抑えた店主と目が合った瞬間ミハルは自分の失敗を悟った。
「……とにかく! この人は本当におじいちゃんの友達だから! 失礼なことはやめろ!」
「あははは……ミハルちゃんの知り合い?」
「お初にお目にかかります。ミハルの妻のファム・アル・フートです」
祖父の友人と聞いて、ようやく女騎士は納得したのか背筋を伸ばして立礼した。
「えっ? ミハルちゃんの何?」
「妻です。ほんの一月ほど前結婚しました」
「へー、そうなの。国際婚なんて進んでるねぇ」
「……」
そもそも国どころか違う世界から飛び込んできたこととか、ミハルは結婚なんてできるはずもない年齢であることとか、それよりもあっさりと受け入れてしまう大らかさとか、ツッコミたいことは山ほどあったがミハルはぐっとこらえた。
「あの、いつもの醤油が欲しいんですけど」
「ああ、そうだった。たまり醤油ね。ロクさんの分はいつでも取ってあるよ。奥の冷蔵庫に入れてたはずだからちょっと待ってな」
そう言って店主が裏に引っ込んでいった。
待っているうちに好奇心を刺激されたのか、ファム・アル・フートはガラス張りの冷蔵庫の中を何やら興味深そうに覗き込み始めた。
「これが"エレフン"の酒ですか」
「そうだけど。触っちゃ駄目だぞ。買わないからな」
「この品札にずらずらと書いてある文字はどういう意味です?」
「よく知らないけど、作った人の名前とか書いてあるんだよ。たぶん」
「ほう。ということはこの酒は『ハゲアタマ』という方が醸造した酒ということですね」
「はぁ? そんな酒あるわけ……あるんだ」
酒についての知識などほとんどないミハルが日本酒ラベルのコマーシャリズムに驚いていると。
「ん?」
店員がいなくなった店内に、そそくさと急ぎ足で学生服の少年が声もかけず入って来る。
何やら落ち着かない様子できょろきょろと店の奥の方へと視線をやりながら、ミハルたちの横を通り抜けていった。
瞬間、弾みでミハルと目が合った。
なんとなく悪い気がして目を逸らしてしまう。
(買い物かな?)
この酒屋ではミハルの目当ての醤油や酒の他に、発酵食品や甘酒、ジュースの類も扱っている。
学生服で買い物に来るのは珍しいが、別に悪いことをしているわけでもない。
ところがその男子生徒は、何故か洋酒コーナーの冷蔵庫へと向かっていくではないか。
レジで年齢確認がされるから買えやしないのに、とミハルは不思議が思った。
「……まだかな」
レジの向こうを覗き込んだとき、ミハルは天井の隅に設置されたミラーに気付いた。
店員がレジに立ったまま店の奥の様子が分かるよう取り付けてあるのだ。
湾曲していて広い範囲が映るようになっていて、歪んではいるものの店内の全体像がはっきり映っている。
凸面鏡に映し出される空間の中で、男子生徒が冷蔵庫からビールを取り上げた。
あっ、とミハルが小さく口を開けた瞬間。
男子生徒はぱっと通学鞄のフタを引っ張ると、隙間から缶ビールを中へと押し込んだ。
――――――万引きだ。
さぁっ、と自分の顔から血の気の引く音が耳元に聞こえた気がした。
これが立派な犯罪であることはもちろん知っているし、小売業でその被害が深刻なことも知識としては持ち合わせているが、実際目の当たりにするのは初めてである。
(どうしよう……)
ばくばくと心臓が脈打ち、口内が乾きに襲われる。
店主はまだ戻ってこない。大声で呼びかけるべきだろうか。
あるいは携帯電話で警察に通報する? しかし最寄りの署から警官が来るころには男子生徒は影も形もいなくなっているだろう。
自分で説得? どうやって? 突然興奮し始めたり、隠し持った刃物を取り出したりしたら?
数秒も経ってはいない間でも頭はすごい勢いで回転し可能性を巡らせているのに、一向に有益な結論を出せないでいた。
あわあわと首を振って店主がいまだ戻ってくる気配のない店の奥とミラーとを交互に何度も見やってから、ミハルはあることに気付いた。
女騎士がそばにいない。
「!?」
まさか、と思ってミラーを見上げると、いつの間にか歪んだ鏡の中の世界に女騎士が登場していた。
躊躇のない足取りでずかずかと少年へと近づいていく。
「――――――っ」
声にならない叫びが自分の口から飛び出していった気がした。
反射的に振り向くと、ミハルも洋酒コーナーへとすっ飛んでいく。
無理矢理取り押さえようとしてケガでもさせたら一大事だ。いくら万引き犯とはいえ相手は未成年である。少年法で保護されている存在なのだ。
警察の聴取でも受けて私的逮捕のために過剰な暴力を振るったとみなされでもしたらとんでもないことになる。
全身の汗腺から嫌な汗が吹き出るのを自覚しながらリノリウムの店の床を蹴った。
商品棚の向こうに、3本目のビール缶を手に取ったまま体を硬直させた男子生徒と向かい合う女騎士を認めたとき、瞬間的にミハルは制止しようとした。
「お――――――」
「今ならまだ間に合います」
同時にミハルの耳に、低く抑えた声だが有無を言わさぬ響きで、ファム・アル・フートの声が聞こえてくる。
「それを戻しなさい」
荒げるわけでもやかましいわけでもないその声は、体育教師や生活指導の教諭が怒鳴り散らすよりもずっと強制力があるように聞こえた。
ヘビににらまれたカエルか、虎の目の前に現れた兎のようにこちこちに硬直した少年は、血走った眼を丸くしたまま。
のろのろと手に取った缶を元の場所に返した。
「私だけではありません。あなたの霊と本性はあなたの過ちをちゃんと見ています。後悔は一生消えずに残りますよ」
見開いた眼を震わせていた男子生徒は、やがて観念したように視線を落とした。
鞄の中からビール缶を一本、また一本と棚に戻す。
「……ごめんなさい」
「謝罪すべき相手は私ではありません」
「……本当は、こんなこと、したくなかったんです」
「信じましょう」
その言葉で男子生徒は見逃されることを知ったようだった。
今にも崩れ出しそうな顔を真っ赤にしながら小さく一礼すると、足早に女騎士の横を通り抜けていく。
「おい、良いのかよ」
ミハルは思わず言ってしまった。
「更正の機会を与えましょう」
何でもなさそうに言って、ファム・アル・フートは少年が無造作に返したビール缶を整列させた。
「また万引きしにきたら?」
「私の直観ではそれほど愚かには思えませんでした」
「直観って……」
「おーい、ミハルちゃん。あったよ、お醤油」
店主が戻って来た。
ミハルはまだ少し迷ったが、黙って支払いを済ませることに決めた。
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帰り道。
片手に芋でいっぱいの買い物袋。もう片手に結局入りきらなかった醤油瓶を手にした女騎士と連れだって歩きながら、ミハルはまだ悩んでいた。
「お店の人に言った方が良かったのかな……」
言ったところでもう犯人はどこかへ立ち去ってしまったし、被害や証拠があるわけでもないのに、小心な性格のせいでそう思わずにはいられなかった。
「終わったことですし、決断したのは私です」
「今思うと様子おかしかった気もする……。いじめで無理矢理やらされてたとか? 自分から悪いことするようには見えなかったけど」
「分かりません。彼自身の問題です」
「学校に連絡とかしとくべきなんじゃ?」
「窃盗未遂のことも話すことになりますよ」
「あぁ、そうか……」
うーん、とうなったところで、結局何が正しかったのかミハルにも分からないままだった。
「ミハル。私たちはたまたま居合わせただけです。彼を助けてやろう、などというのは思い上がりです」
「普段は悪と戦うとか言ってるくせに」
「それはそうです。私は目の前で罪を犯し地獄へ近づく人間の手を引いて止めてやることはできますが、世の中問題全てを解決する力を持ち合わせているわけではないのです」
平然とファム・アル・フートは言い切った。
その落ち着いた様に、何だかんだで大人なんだとミハルは思った。
普段どんなにドタバタと周りとトラブルを引き起こしていようと、女騎士の中にははっきりとした物差しがあり、それを使って世の中と自分との距離を正確に測っている。
どんなに今の日本で流布している価値観とはズレが生じているとしても、その物差しがあるからいざというときに自分が何をするべきか迷わないのだ。
うろたえるしかできなかったお前はただの子供だという事実を静かに突きつけられたようで、ミハルはしゅんとアゴを引いた。
それを見て勘違いしたのか、女騎士は慌てた。
「いえ、もちろんミハルは別ですよ!? 私はこの世の理不尽全てからあなたを守ってみせます! たとえどんな脅威だろうとです!」
「ああ、そう」
「あなたが成人し立派な紳士、素晴らしい父親になるまでお守りすることも私が神より与えられた聖なる使命なのです!」
「おまえは一体どういう立場から俺のことを見ているんだ?」
いつもの調子を取り戻した女騎士に、少年はうんざりした視線を向けた。
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商店街から出て、今度は寄り道せずに家へ向かう。
すれ違う通行人から何度か奇異と好機の入り混じった視線を向けられて、ミハルは小さくたじろいだ。街の住人全てが女騎士を知り、受け入れている訳ではないようだ。
いったい彼らから自分たちはどう見えているのだろうか、とミハルは思った。
ちびで女顔の制服姿の男子高校生と、長身で金髪の金属鎧の外国人の取り合わせ。
流石に親子ということはあるまい。
背格好も人相もまるで似ていないから姉弟でもない。
ファム・アル・フート本人が主張するように夫婦や連れ添った仲というのはますます絶望的だ。
コスプレ趣味の外国人とその友人といった無難なところだろうか。
ほんの微かに望みがあるとすれば……恋人?
「……」
急にそわそわと落ち着かない気分になったミハルに、ファム・アル・フートは眉をしかめて顔を近づけた。
少年が慌てて飛びのきそうになったことには気付かない様子で、女騎士はその耳元でささやき始めた。
「じろじろ見られている気がします」
「仕方ないだろ……」
「あなたを誘拐しようと狙っているのかも……気をつけてください!」
「そっちかよ」
そう言った後でミハルはふと、女性に重い荷物を持たせて平然としている自分に気付いた。
急にそのことが恥ずかしくなって、ぱっと買い物袋の握り紐に手を伸ばす。
「俺が持つよ」
「えっ」
半ばひったくるようにして買い物袋を手に取った。
「芋が入ってるから重いですよ?」
「いいから」
女騎士は戸惑って袋を渡すように手振りで示したが、ミハルの方にも譲るつもりはない。
背伸びしても今の自分にできるのはこれくらいが関の山だったからだ。
「こっちの液体の方が軽いですよ! 物が持ちたいならこっちになさい!」
「それじゃ意味ないだろ……」
「?」
彼女の言う通り買い物袋は握り紐が手に食い込むくらい重かったが、少年はそれでもなんとか最後まで音を上げることなく家へとたどり着いた。
次回は13日夜に追加します




