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8話 買い物は計画的に(1)

「あ、醤油なくなってる」



 飲み物を取り出そうと冷蔵庫を開けた時、ミハルは気付いた。



「買いに行かなきゃ」

「何か不足でも?」



 台所でごそごそと戸棚の中身を漁っていたファム・アル・フートが声をかけてくる。

今日はいつもの鎧は脱いで、やたら時代がかった洋服を着ていた。

ミハルの眼にはまるで舞台の衣装か遠い国の民族衣装のように映る、やたら布地の多いエプロンドレスだ。

大きな肩パッドに広がったスカートの裾、コルセットのような胴回りと、あまり機能的には見えない。

 

 現代日本では映画の中でくらいしか目にすることのないデザインをしている。家事をするにはかえって不便なのではないかと思わなくもなかった。



「醤油。瓶に入っている黒くてしょっぱい液体。よくおじいちゃんがお粥にかけてるやつ」



 少し間を置いて、ファム・アル・フートは得心して小さくうなずいた。



「ああ、あのピラザウルスが出す毒液みたいな臭いのする調味料のことですか」

「嫌な言い方すんな知らねーよ何だよピラザウルスって」

「お祖父様の好物とあっては切らす訳には参りません。買い物ついでに補充しておきましょう」

「あれ商店街の酒屋さんにしかないんだけど……ちゃんと買える?」



 ミハルは不安げに扉を閉めながら振り返った。

何せこの女騎士ときたら銀貨や銅貨が市場に流通する世界からいきなり飛び込んできたものだから、この世界の常識についてはまだまだ大いに怪しいところがある。

とりわけ認識の差で特に大きなものが金銭についてで、『貨幣の材質そのものには大した価値がない』という考え方がまだ信じられないようだ。

ついこの間までぴかぴか光る新品の500円玉よりシワのよった古い1000円札の方が高額だということをどうしても認められなかったくらいである。



「む。信用がないですね。私だって"エレフン"に嫁いだ身。買い物の仕方くらいもう分かります」

「本当?」

「そこまで疑うならミハルも一緒に買い物に行きましょう」

「えっ」

「そこで存分に検分してください。私が何の問題も起こさずに目的の品物を買い揃えるところを、です」



 少し気分を害したらしいファム・アル・フートがそんなことを言い出したために、一緒に買い物に行くことになった。



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「だからなんで鎧着てくるんだよ!?」



 玄関先で待たされている間、『女はどうして買い物に行くくらいのことで支度に時間がかかるんだ』などと呟いていたら。

ファム・アル・フートに完全武装の姿で出てこられて、ミハルは思わず声をあげた。



「剣なんか置いてけよ!」

「市場は人混みの中に紛れやすく、また売り物の間に武器や逃走用の道具を隠せるまさに暗殺に格好の場所です。あなたを警護する以上油断はできません」

「そんなことあるはずないだろ!?」

「いいですかミハル。そういう思い込みが一番危険なのです」



 聞き分けのない弟を静かに説教する姉の表情で、ファム・アル・フートは続けた。



「"異世界(アルド)"での話をしましょう。修道騎士であった私の友人が聞かせてくれた話です」

「はぁ?」

「彼女がかつて駐屯していた街で、同僚と一緒にたまたま市場を通り抜けようとした時のことです」

「はぁ……」

「その街は土地柄東方の帝国との最前線に位置していましたが、活気もありとても戦場がすぐ近くだとは思えなかったそうです。そこでふと、物売りの小さな少女が果物を買ってくれとカゴを見せながら近づいてきました」



 女騎士が何が言いたいのか話の筋がつかめず、ミハルは小さく眉を傾けた。



「それで?」

「可愛らしい姿に油断した仲間たちが買ってやろうとしたところ、その少女は籠の中から手投げ式の爆弾を取り出し即座に火をつけ放り投げてきたのです」

「…………」



 紛争地の悲惨な状況に心を痛めたのか、女騎士が表情を痛ましく歪めた。



「離れていて咄嗟に物陰に飛び込んだ友人は無傷でしたが、同僚は幸い死者こそ出なかったものの……。二度と騎士としての役目が果たせないほどの傷を負った者も出たそうです。その中には長女が産まれたばかりの若い父親もいたとか!」

「……それで。その異世界のテロ事件とうちの買い物に何の関係があるんだ」

「帝国の悪辣な異教の狂信者どもはそこまでやるということです! もしあなたがそんな目にあったら私は……あぁ!」



 頭の中の想像図の恐ろしさに、女騎士はくねくねと身をよじりながら悲嘆の声をあげた。



「杞憂も良いところだから!」

「楽観してはいけません! あなたにもしものことがあれば、私はどうすれば良いんですか!?」

「え? そんなに心配してくれるんだ……?」


 

 ミハルはつい照れた形に唇を噛み、目を逸らしてしまった。



「だって、私はあなた以外の男性とは一生結婚できないんですよ!? 神の意志に背くことになって信徒としての権利を永久に奪われます! 跡継ぎが産めなくて家が絶えてしまいます!」

「……。最近おまえって実はすごい自己中心的な人間じゃないかって気がしてきた」



 大きなため息をついたミハルだが、鎧姿の女騎士と連れだって買い物に行くことを受け入れる気など到底ない。

単純に恥ずかしい。



「さっきまでの服も目立つしどうかと思うけど、もっと地味な普段着とかにしろよ」

「? あれは普段着ですよ」

「普段着? あれが?」


 

 驚いて目を丸くするミハルを無視して、女騎士は買い物袋を片手にさっさと表道路へ出ようとしていた。



「あなたは過剰反応し過ぎです。普段からこの恰好で買い物に行ってますよ、私は」

「……嘘だろ、おい。 ちょっと待て!」



 聞き捨てならないセリフに、ミハルは慌てて女騎士を追いかけた。

 


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「やあファムちゃん。買い物かい?」

「今日はミハルちゃんと一緒? 仲良いねえ」

「こんにちはファムちゃん。いつ見てもすごい鎧だね」


 

 夕方ということで商店街はそれなりに人でごった返していたが、店舗の中や通行客の間からは時折女騎士に向かって親しげな声がかかってくる。

その度にファム・アル・フートは生真面目に立礼したり手を振ったりして答えていた。



「…………」



 鎧を着て大剣を背負った女騎士がアーケード街で買い物をしている。

控えめに言って異常事態であるが、誰もそのことを驚いたり奇異に思っていたりする様子がないのをミハルは引きつった顔でまじまじと見ていた。



「いつの間にかなんで受け入れられてんだよ……」

「? 最初は驚かれましたが、お祖父様のヤスカワ家に嫁いできたと説明したらみんな納得してくれましたよ?」

「どう思われてるんだおじいちゃんは……。それにどうして俺の周りはこうゆるーい人間ばっかなんだ……」



 ぶつぶつと口の中でミハルは世の不条理を呪った。



「……。ちょっと待った。おまえ、自分のことはなんて説明した?」

「? ありのままをですが」

「はぁ? おい、ちょっと待て。それってまずくないか?」



 ミハルは軽く泡を食った。

いくらなんでも『神の命令で異世界から来た女騎士である』なんてことを早々真に受ける人間がいるとは思えないが、何かの間違いで女騎士自身や持ち物がこの世界のものとは異質であることが露見しないとも限らない。

もしそうなったら大騒ぎだ。事件になりそうなのをミハルは心配したのだが―――。



「何ですって? あなたは私が騎士階級出身であることを知られたくないのですか。それでは不釣り合いだとでも?」


 

 ファム・アル・フートが唇を尖らせた。どうやら結婚相手には身分不相応なのを隠そうとしている、と勘違いされたらしい。



「違う、そういうのじゃなくて」

「まるで無用の懸念です。私はここの住人たちからしっかりと畏敬の念を持たれていますので」

「は?」



 そう言って行き交う人たちへ向き直った女騎士は、すぅっと息を大きく吸った。



「ご通行の方々、失礼します! 私は聖堂騎士団の正騎士、ファム・アル・フート=バイユートです!」



 群衆の中であろうと遠くまで届く、それでいて澄み切った声が商店街の中に響き渡った。



「このたび祝福された地"アルド"の聖都にまします神造裁定者様と法王聖下の命により、ここへ嫁いで参りました!」

「ちょ、おまっ!?」

「この地に平和と正義と秩序をもたらすべく精進する所存でいます。皆様方、不埒な悪漢を目にしたらすぐさまご一報下さい!」



 恥ずかしさと狼狽のあまり女騎士の手を引いてしまったミハルを無視して、ファム・アル・フートは最後まで決然と言い切った。

通りを歩く人たちは、その口上に足を止め、眼を丸くし、口をあんぐりと開け……。



「ひっ……!」

「「「「あはははは!!」」」」



 とっさに身をすくませてしまったミハルの予想に反して、温かい笑い声が返って来た。



「もー。面白いなー、ファムちゃんは」

「外国でも日本のアニメって流行ってんだ」

「うちも強盗に襲われたら助けてもらおうかな」

「……」


 愕然としながらミハルは辺りを見回した。

誰も本気になどしていないのはすぐ分かった。

しかし口々に勝手なことを言い出す街の人々の笑い方に、悪意やあざけりの色は全くなかった。

むしろ5歳の男の子がテレビの変身ヒーローの真似事を必死にしているのを見た時のような、優しい生あたたかさをミハルは感じた。



(――――――もしかして、勘違いしたコスプレ外国人が痛いオタ芸をやってると思われている!?)



 他人の眼を気にしてしまう思春期ならではの皮膚感覚で、自分の想像が正しいことを瞬時に確信した。

顔中を真っ赤にしたミハルに対して、ファム・アル・フートはものすごいドヤ顔で鼻の穴をふくらませてきた。

 


「――――――見ましたかミハル! 皆が私を受け入れ頼っているでしょう!」

「……」

「これが聖堂騎士団正騎士の威厳というものですよ!」

「ウン、ソウダネ」

「なんですか。そのかわいそうな人を見るような目は」



 もはやかける言葉が見つからず、しかし無視するのはあまりに気の毒だったのでミハルはぽつりと言った。



「……おまえ、みんなからおもしろ外国人キャラだと思われてるぞ」

「それはどういう美称です?」

「うん。もうそれで良いや……」

「どうしてちょっと離れて歩くんですか。待ちなさいミハル。私の近くにいないと危ないですよ!」

 



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 酒屋に向かう途中の道で、ファム・アル・フートが足を止めた。



「ミハル。先に夕食の買い物をしていっても?」

「良いけど」



 女騎士は青果店の前で向き直った。目当ては山と積まれた新じゃがいもらしい。。



「芋買うの? 重たいし帰り道で買えば?」

「いえ、今日の芋は出来がよいようです。すぐになくなるかもしれません。確保しておかなければ」 

「そうなの?」

「素人には分からないかもしれませんが、見る目がある人が見れば分かります」

「何のプロなんだおまえは」



 少年のつぶやきを無視して、ファム・アル・フートが芋の一つへ手を伸ばした。



「これは良し……。これはダメ……。こっちは保留……」



 そして芋のひとつひとつを手にしながら、恐ろしく真剣な顔で選び始める。



「そんなことしなくても適当に選べばいいんじゃね?」

「何を言っているんですか! 大事ですよ、芋は!」



 信じられない、といった目で見られてミハルは少したじろいだ。



「良い芋というのは表面の凹凸が少なく、手に取った時見た目よりも重く、皮がみずみずしくシワになっていないものなのです!」

「そうなの?」

「それから大事なのは収穫してからの時間です。芽が出たり緑色になっているものは毒があるので論外です!」

「ああ、そう」

「しかし、実は一番甘く熟して美味なのはそうなる直前の芋なのです! その見極めが大切なのですよ!?」


 

 講釈を垂れながら、中でも選びに選び抜いた芋をひとつ片手に女騎士が断言する。

何故か周りの買い物客の間からぱちぱちと拍手が沸き起こる中、少年はうんざりした気分でつぶやいた。



「……おまえ、騎士よりも野菜ソムリエか何かやった方が向いてるんじゃないか?」

「し、失礼な!」



 流石にこの発言には女騎士も泡を食った。



次回は本日夜追加します

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