7話 我が旗のもとへ集え!(1)
「ミハル。"アルド"から良いものが届きましたよ」
「またこのパターンか……」
玄関で出迎えた帰るなりそう言って来た女騎士に向かって、ミハルは露骨に嫌そうな顔をした。
「今度は何だ、盗聴機か? それとも俺の部屋にのぞき穴を開ける道具か?」
「なんだか言いたいことがありそうですが、とにかく話を聞いてからにしてください」
女騎士がそう言うので、仕方なくミハルは応接室までついていくことにした。
「はい、どうぞ。開けてみてください」
応接セットの上に用意されていたのは、楽器ケースくらいの大きさの箱だった。
黒いベルベットに覆われた高級そうなものだが、音からして中身はそう重いものではないようだ。
「何だこれ」
開けてみると、中には白い布が丁寧に折りたたまれて入っていた。
「?」
「広げてみて下さい」
言われるままに応接テーブルの上に広げてみる。
何やら白い麻布に、木炭か何かで精密な線が引かれていた。名のある画家のスケッチのようにも見えるが、どう見てもスケッチブックやキャンパス地などではない。
2メートルほどの縦長の布は四方が余ってテーブルの端から垂れてしまった。
大きな画材に描かれているのが何なのか具体的な説明は難しい。が、敢えて言うなら何やら目を血走らせ牙をむき出しにした恐ろしい怪物の絵のように見えた。
「本当に何だこれ」
どこが『良いもの』なのか分からずミハルは首を捻った。
「我が家の紋章ですよ。その図案が上がったので借りてきたのです」
「紋章? おまえんちの?」
「違います。あなたと私の家の、です」
「うちに?」
何を言われているのか分からず、ミハルは目を見開いた。
「実はこのヤスカワ家にも爵位が贈られることになったんです」
「爵位!? 爵位って……ドラキュラ伯爵とかカリオストロ伯爵とかの、あの爵位?」
「はい。形としてはアークマイト公国より勅許状が送られますが、実質法王庁の肝煎りの肝煎りです」
と言われてもどういった事情でそんなことになったのか皆目見当もつかない。少年は慌てて口の角に唾液で小さな泡を作った。
「おい、何でだいきなり!」
「そうしないと結婚できないからです」
「もう少し分かるように言ってくれるか……?」
騎士団とドラゴンが戦う異世界の常識を前提にした物言いに理解が追い付かず、少年は苛立たしげに補足を求める。
「聖務を果たした功績で、我が家にも爵位が与えられたことは言いましたよね」
「そういえばそんなこと言ってた気がするな……」
「それでつり合いを取るためにヤスカワ家も男爵家になるということになりました」
「なんでだよ!?」
「古くからのならわしで、貴族階級は貴族階級同士でしか婚姻しないのです」
要は家柄が釣り合わないので相手の方に下駄を履かせようということらしい。
身分違いだからで諦めるとはならず、後出しでも無理を通して道理の方を引っ込めさせようというのだから付き合わされる方はいい迷惑だ。
呆れて物も言えなくなったミハルを無視して、ファム・アル・フートは淡々と説明を続けた。
「というわけで、ヤスカワ家は男爵家です。これは永代の世襲が認められる階級です」
「ああ、そうなの?」
「領地として法王聖下の特別なはからいで、カプラ村の周辺10カル程度が下賜されることになりました。徴税と現地の行政はこれまで通り現地の代官が代行するのでご心配なく」
異世界で聞いたこともない名前の土地が自分のものとなるらしい。
ミハルにとってはジョークで販売される火星の土地の権利くらい現実味がないように聞こえた。
「ありがた迷惑だよ」
「あなたにとっても利益があるお話ですよ」
「利益? どんな?」
「税収です。領民の人頭税と地代と1/10税、公共施設の使用税に、賦役免除税、それから領内の花嫁の初夜権全てがあなたのものです」
女騎士の口から思いもよらぬ単語が飛び出してくる。
「いらないよそんなの!」
慌てて腰を浮かしたミハルを見て、ファム・アル・フートはしたり顔でうなずいた。
「その通りです。花嫁の処女を奪う権利など破廉恥な。代わりに金納にするか結婚祝いの中から一部を恵まれない者へ寄付をさせることにしましょう」
「そこだけじゃなくて! 領地も税収もいらない!」
「子供みたいなことを言わないでください。お金は大事なんですよ!?」
いつの間にか手元に羽ペンと羊皮紙を取り出していた女騎士が、書くのをやめてペンで少年の方を指して見せた。
「あなたは知らないでしょうが……使えるお金がないというのは恐ろしいことなのですよ! 住んでいるテントの周囲の草しか食べるものがない生活など考えたこともないでしょう!?」
体験したものだからこそ口にして生まれる迫力というものがある、ということをミハルはこの時のファム・アル・フートからまざまざと見せつけられた。
「金や銀がどれほどあろうと物も買えず、何日もベッドどころか床の上ですらない場所で寝起きし、食料が尽きる日を逆に数えながら天幕の布を見つめて、いつ痛んで雨水が沁み込み出すか悩みながら眠れぬ夜を過ごせば私の言うことも分かります」
「おまえが言うと説得力がすごいな……」
凄みのある口調でホームレス生活を語られては、ミハルも怖気づいて座り直す他なかった。
「税収の1/10は教会に寄進して、8割は民政に使わせ、残った1割で長期の金融証券を買って積み立てることにしましょう」
さらさらと女騎士は紫と黄色をした羽のついたペンを動かして書き物を始めた。少年が見たこともない鳥の尾羽を使っているらしい。
「……分かった。おまえに任せる。好きなだけ経営ゲームを楽しんでくれ」
その領地が荒廃しようが架空の通貨に等しい財産が破産しようがミハルの知ったことではない。投げやりに女騎士の好きにさせることにした。
「任せてください。結婚資金は充分に稼いでみせます。最近は『海の都』の長距離郵便事業が人気らしいですよ」
「待て待て。まだ説明することがあるだろ」
「えーと、他には暗黒大陸周りの香辛料貿易に、『風車の都』の珍しい植物の球根先物取引。あと変わり種として『霧の都』で設立された貿易株式会社の株券というのが高騰しているとか……」
「投資の話じゃなくて、このグロテスクなモンスターの説明をしろ!」
ミハルはテーブルの上に広げられたままの麻布の端をつまみ上げた。
「だからヤスカワ家の紋章ですよ。私の世界の貴族は家の象徴として使う家紋入りの旗を大事にします。その図案です」
「紋章? これが? ……もっとこう、馬とかライオンとか格好いいのがつくんじゃないのか!?」
「その家にゆかりのあるものを使うのが普通です。なので、お店にある神像を参考にしました」
神像、と言われてミハルははたと困った。
ファム・アル・フートがお店というのはミハルのバイト先である祖父が経営する喫茶店だが、こんな攻撃的で前衛的な像が飾ってあっただろうか?
紋章のクリーチャーが持つ六つもある凶悪な光を帯びた目玉と視線が交錯してて、思わずミハルはたじろいだ。
きっとこの目で獲物を縮こまらせては飛び出た四つの長い長い牙と口元の乱食い歯でミンチに変えてしまうに違いない。
タコのように四角く大きな耳は数キロメートル先で怯える獲物の心音すら聞き取ることだろう。
「こんなの置いてあった?」
「カウンターの前に置いてあるでしょう。鼻の長い」
「……おまえの眼にはガネ―シャがこんな風に見えてるのか!?」
創業以来店に鎮座するピンク色をした象頭人身の商売神を侮辱された気がして、ミハルは大きな声をあげてしまった。
エキゾチックな目つきと丸っこいキバを備えた太っちょでユーモラスな姿が、どういう偏向したフィルターを通せばこんな恐ろしい化け物に見えるというのだろう。
「失敬な。職人に特徴を伝えだけです」
「じゃあなんでこうなるんだよ」
「鼻が長くてキバが生えていて耳の大きな怪物と伝えたら、悪霊を払うための恐ろしい姿をしていると勘違いされたようで表現に誇張が……」
「こうやって伝言ゲームのミスで妖怪が生まれるんだな……」
異世界で変わり果てたガネーシャの、何故か二本もあって先端が給食スプーンのよう割れた鼻をミハルは悲しい思いで撫でた。
「お気に召しませんか?」
「ダメ。却下。『かわいい』って結構評判なんだぞ、うちの守り神は」
「ふむ。……では新しいのを考えましょうか」
特に執着するでもなく、女騎士は自らが生み出してしまったモンスターを麻布ごと綺麗に畳んでしまった。
「新しいやつ?」
「そうです。貴方が気に入った図案を基に新作を描かせましょう」
「ええ……俺そういうの苦手だよ」
「任せてください。これでも少しは絵心があるつもりです。図面を引いて従卒たちに指示を出すのも騎士の役目ですので」
そう言って女騎士は、羊皮紙の余りに羽ペンで筆を走らせ始めた。
「あなたの好みの意匠はどんなものですか?」
「そうだな……」
ミハルはちょっと考えてみる気になった。
爵位や領地云々は置いておくとして、自分オリジナルの紋章というものを手に入れる機会というのはなかなか得難いものではなかろうか。
しかもプロの職人が手作りで旗に仕上げてくれるという。こちらの世界では一体いくらかかるか分からない道楽である。試しに乗ってみるのも悪くない。
「どうせならダーク系が良いな。こうちょっと怖くて悪そうなやつ」
騎士が持つ旗といえば敵軍を威圧する勇ましいものという少し安直なイメージで、ミハルはそうオーダーした。
「敵を威圧するためのものですか。それならガイコツはいかがです?」
「ガイコツ? 頭蓋骨とか?」
スカルマークというのも良いかもしれない。ミハルの心の奥底の、男子としての嗜好をくすぐられた気分になった。
「悪くないね」
「でしょう。 法王聖下へ示すべき死体のような従順さと、神のためなら『己の肉が骨から削ぎ取れるまで戦う!』という我が家の家訓の表れです」
「勝手に物騒な家訓を捏造するな」
ミハルのつぶやきを無視して、ファム・アル・フートはさっさっとペン先を羊皮紙の上に走らせ始めた。
言うだけあってなかなか繊細なタッチでガイコツが描かれていく。ミハルは女騎士の意外な特技に眉を上げた。
「へえ。上手いじゃん」
「静物画にはちょっと自信があるのです。……ふむ、頭蓋骨だけでは寂しいですね」
ファム・アル・フートはちょっと手を止めて、考え込むようにアゴを傾けた。
「後ろに交差した骨を入れるのはどうでしょう。人体の骨を簡略化したものです」
「紋章というか海賊旗みたいになりそうだな……。まあ良いよ別に」
「そうです、良いアイディアが浮かびました」
「どんな?」
「作物と天気の恵みを忘れないためにガイコツに麦わら帽子をかぶせましょう」
「……」
女騎士は無邪気な口調でそう言いながら、せっかくのデザインをみるみるうちにどこかで見たことのある絵面へと近づけていく。
それを見てミハルは表情筋を硬直させた。
「純潔を意味する赤いリボンも付け加えてみました。……おぉ、我ながらなかなか良い意匠ができたではないですか。どこか明るくとてもたくさんの人に愛されそうです」
「これはやめにしようか」
さっと手を伸ばしたミハルは、羊皮紙を裏返しにしてテーブルに伏せた。
「何故です?」
「こっちの似たようなのがもう使われてるから! 盗作と思われたらまずいよな? な!?」
「むぅ……。それでは仕方ありません」
少し不満そうに唇を尖らせた女騎士だが、じきに諦めて羊皮紙に乗ったインクをこすり落とし始めた。
「なかなか自分だけが思いつく独自の発想というのは難しいものですね」
「……知らずにやってるんだとしたらもしかしたら天才かもしれんぞ、おまえは」
「?」
次回は10日夜9時ごろ追加します。




