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5話 指輪あれば憂いなし(1)


 その日ミハルが帰宅すると、玄関までファム・アル・フートが出迎えてきた。



「おかえりなさいミハル」




 靴を脱ぐスペースである三和土に突っ立ったまま、一瞬ミハルはぼうっと目を丸くしてしまった。



「どうしました?」

「あ、た、ただいま……」


 ミハルはぽっと頬を染めると、珍しく鎧を脱いで普段着の女騎士から視線を靴脱ぎ石の方へと落とした。

誰かに『おかえりなさい』と出迎えてもらえたのが意外で、とても嬉しかったからなどとは口が裂けても言えない。

そんなことを教えたらますます増長してふるまいに遠慮がなくなるに決まっているからだ。



「学校はいかがでした?」

「うん、まあ、普通?」

「それは何より。話は変わりますが、とてもいいものが届いたのです。応接室へどうぞ」


 

 ファム・アル・フートが自然に手を指し出したので、ミハルはつい流れで通学バッグを渡してしまった。

そのままいそいそと廊下の奥へと向かわれては、ミハルもついていかざるをえない。



(妙に機嫌が良いな?)



 いぶかしげに思いながらも、大柄な女騎士の弾むような足取りに引っ張られて応接間へ入った。

応接間とは言っても小ぢんまりとした洋間にテーブルと向かい合う形のソファセットを置いただけの部屋だ。

先にロングソファに腰かけたファム・アル・フートが、足元にバッグを置いて自分の隣のスペースをぽんぽんと軽くはたいて見せた。

座るよううながしているのだ。



「……」



 ミハルはちょっと迷ってから、対面の一人がけのソファの方へ座った。



「恥ずかしがらなくても良いのに」

「なんだよ、わざわざ狭く使う必要ないだろ」



 唇をとがらせた少年に対して、それでもまだ上機嫌にファム・アル・フートは口元を緩めていた。



「お茶でも飲みながらお話しますか?」

「いや、いいよ。何の話?」



 ファム・アル・フートはいそいそと手を動かすと、何やら高級そうな箱をテーブルの上に乗せてみせた。

大きさは小さめの弁当箱くらい、厚みはもっと薄い。

横に並んだ蝶番から見て上半分がまるごとフタになっているらしい。全体が黒くなめらかな光沢を持ったビロードで覆われている。



「何これ?」

「開けてみてください」



 言われるままに開く。

中も同じように高級そうな起毛した布がしっかりと織り込まれ、その中央で二つ並べられたリングが室内の光を受けて輝きを放った。



「指輪?」

「ええ、そうです」



 ファム・アル・フートが上機嫌な理由がようやくつかめて、ミハルは泡を食った。



「まさかこれ、結婚指輪か!?」

「その通りです。今日"アルド"から届いたんですよ」

「そんなKONOZAMAの通販みたいに異世界からモノが届いて良いのか……?」



 ミハルは得意げな女騎士と指輪との間で視線を往復させた。

普段身に付けるための結婚指輪らしくでかでかとしたカット宝石や大きな石座はついていないが、恐らくは鉱物らしい透明感のある紫の石はミハルが見たこともない色合いをしていた。それが金製らしいリングの中に複雑に幾何学模様の形で組み合わされている。

緻密かつ複雑なそのデザインは、専門の職人の熟練の技術を連想させずにはいられなかった。

どう見ても既製品や量産品でありえないコストの概念を無視した惜しみない労力と製作費がつぎ込まれていることくらいミハルにも分かる。



 おそるおそるミハルは視線を上げた。



「どうしてこんな高そうなものが?」

「法王聖下からの賜りものですよ」

「……ウェディングリングって普通二人で買いに行くもんじゃないの?」

「この世界……"エレフン"ではそうなのですか? 私の故郷の"アルド"では持参金代わりに妻の側が用意しますが」



 うっかり口を滑らせてから、急に恥ずかしくなって視線をテーブルへと落とした。

男子高校生なのに結婚指輪の知識を持っていると思われるのが恥だと感じられたからなんだが、女騎士はそんな心の動きには気付かない様子だった。



「も、ものに頼った絆は魂の結びつきよりもはかなくか細いものですが、私たちも夫婦になった以上は! 指輪くらいは持っておかないとですよね!」



 そう言ってファム・アル・フートは胸を張った。

彼女はこういう装飾品とは縁遠いイメージがあったのだが、女性だけに実際手に取るとやはり嬉しいものなのだろうか? などとミハルはぼんやりと思った。



 再び宝石箱の中へ視線を落とす。

硬質な深い紫としっとりと落ち着いた金色の取り合わせは、学生の指には不相応なくらいの高級な輝きを放っている。



 指紋がつかないか少し心配だったが、欲求に逆らえずに手に取ってみることにした。



(どっちが男用とかあるのかな?)



 やくたいもないことを思いついてみたものの、見比べても判断がつかずとりあえず右側のものをつまみ上げた。



「ねえ、素敵でしょう。今"聖都"で流行りのアンオブタニウムとビブラニウムを組み合わせたデザインですよ」

「それが何なのか良く分からないけど、ニュースになるようなもの使ってないだろうな!?」



 などと言いつつも、紫色の石が一番美しい輝きを放つ角度を探してリングを日にかざしてみるミハルであった。

紫色の石の中で乱反射した光が金の土台の隙間から飛び出し、まるで指輪自体が燐光を放っているかのように見える。

ほぅ、と思わず息を呑んでしまった。



「悪くないね」

「そうでしょう! 早速つけてみてください」



 ファム・アル・フートに言われたからというのもあるが、つけてみたいという心の動きに抗しきれず、ひんやりとした手触りに少し驚きながら指を通した。



「……」


 残念な感触がした。

目を落とす。

なよなよしていて色白なミハルの薬指に、そのリングはやはり不釣り合いだった。

諦めのこもったため息をつく。



「やっぱりダメだわ」



 そう言って抜き取ると布の上に戻してしまう。



「もう、恥ずかしがらないでください」

「いや、そうじゃなくて」

「エレフンの男性だって指輪くらいつけるでしょう」

「でも、だってさ……」



 笑いながらファム・アル・フートは立ち上がると、テーブルを半周してミハルのそばまでやってきた。

肘掛け越しにもたれかかるようにしながら自分も指輪を手に取って薬指に付けてみせる。



「ね、一緒につけてみましょう」

「そんなこと言われたって」

「素直になってください。良いではないですか」

「指にハマらねーもんこれ」

「…………は!?」



 ファム・アル・フートは途端に色めき立つと、少年の左手を慌てて引き寄せた。

薬指をピンと伸ばさせると、箱に残っていた方の指輪を慎重に差し入れる。



「――――――っ!?」



 関節に引っかかることなく、何の抵抗もなく指輪は薬指の根本までたどり着いてしまった。

ぷらぷらと引っかかっているだけで、ちょっと手を傾ければすとんと落ちてしまうだろう。



「いやあああ指細っそいぃぃぃ!?」



 どうやら予想だにしなかったらしい。女騎士は声をあげて頭を抱えた。



「リング直してもらうしかなくない?」

「だ、ダメですよそんなの! 夫より太い指輪を付けるなんて……絶対に嫌!」



 どうやら譲れないこだわりがあるようだ。

諦めずに何度も指輪をはめようとするものの、いくら繰り返してもすぽすぽと行き過ぎるだけである。



「……っ!?」


 

 目を白黒させていた女騎士の眼がぱっと明るくなる。何か思いついたらしい。



「良い方法を思いつきました!」

「どんな」

「ゆ、指を折れば骨折で腫れて太くなるかも……!」

「やめろバカ」



 慌ててミハルは手を引っ込めた。

次回5_2 指輪あれば憂いなし(後)は今夜9時に追加します。

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