その八 留学生とは種々の事情と不思議探偵がもれなく憑くもの
立派な洋館は、魔法大学関係者のための宿泊施設だ。生徒はほとんどが境海世界からの留学生なので、遠方から会いに来る家族のためのホテルである。
留学書類の記入手続きは午前中に済んだ。昼食後に院長と副院長が日課のお祈りをしている間、わたしは他にやることも無いので、リビングフロアに置いてあった雑誌を読んでいた。
そろそろ午後のお茶の時間だ。ここではお茶があるのかしら、と、ぼーっと考えていると、リリィーナさんが大きな荷物を抱えてやって来た。
大箱三つに、一回り小さい箱が二つ。どれもに贈り物だと一目でわかる幅広の赤いリボンが巻かれている。上等な繻子のリボンだ。修道院にいたなら小物の製作に使うため、大事に取っておくだろう。
「はい、プレゼントだよ、開けてみて」
大きな箱の中身は服だった。
真っ青なワンピースだ。襟と袖口に白いレースがあしらわれている。青い服は艶やかな光沢がある。本物の絹地だ。修道院でお針子の仕事をしていたからわかる。
「あの、これは……」
こんな高級品をもらっていいのだろうか。
服と一緒にカメオのブローチも入っていた。子供向けのオモチャとは違う、凝った彫金細工の金具は宝石店で扱われる本物だ。
靴の箱には黒のエナメルの靴。
もう一つの箱は、鏡付きのドレッサーボックスだった。持ち運びできるドレッサーボックスの下側の引き出しには、ハンカチなどの小物類や、可愛いブラシやヘアピンなどがギッシリ詰め合わせてあった。
「旅の間中、その見習い修道女の服が気になっていたんだよ。新しいお友達と会うには、新しい服が必要でしょう。これは全部、局の必要経費で落とせるから、気にしないでいいからね。他にもたくさん買ったけど、寮の部屋へ届くように手配しておいたから。見習い修道女の服はここで着替えて、院長に持って帰ってもらうといいよ」
なんて親切な人だろう!
腹黒いなんて言って、ごめんなさい。
わたしは心の中で謝りつつ、お礼を言いながら箱を抱えて寝室に入り、急いで着替えた。
まるでお金持ちのお嬢様みたいな贅沢な服だ。これを見て、わたしが修道院育ちの花の子なんて思う人は誰もいないだろう。
「それで、着替えたらね、ちょっと頼みたいことがあるんだけど……」
扉の向こうで、リリィーナさんは、コホンと咳払いした。
「じつはね、今日はもう一人、君と同じ特待生の男の子が、ここへ到着したんだ」
リリィーナさんは、急に生真面目な声になった。
同じ特待生、と聞かされて、わたしはドキリとした。
その人も、何か事情があって留学してきたのかしら。
「その子はね、出身世界にいろいろ問題があって、やっぱり、わたしがスカウトしてきたんだよ。君と同い年の男の子なんだけど、どうも一人ぼっちで編入するのが不安らしくて、すごくしょんぼりしていてね。君さえ良ければ、これから友達になってあげてくれないかな?」
リリィーナさんは控え目に言ったが、わたしの胸はたちまち見知らぬ留学生の男の子への同情でいっぱいになった。
困った人は助けなさい、という修道院の教育も影響していただろう。
遠い境海世界を一人ぼっちで渡って来たなんて、どんなにか不安だろう。
わたしが少しでも助けになれるのなら、きっとお互い良いことに違いない。
「まあ、わたしとよく似てるんですね。ぜひ、お友達になりたいわ。いま、どこにいるんですか」
「午前中にポール教授の部屋に行って授業の説明を受けたでしょう、あの建物の中庭の、噴水の側に一人でいるよ。あ、でも、会ったら、すぐに戻っておいでね、三十分後には寮へ案内するから」
リリィーナさんは銀の懐中時計を見せた。もう夕方だ。すぐに日が暮れる。
「はい、その男の子に声を掛けたら、すぐに戻ってきますね」
わたしは部屋から駆け出した。
宿泊施設は学校の敷地に在るので、噴水のある中庭は目と鼻の先だ。
リリィーナさんの言った男の子は、すぐ見つかった。
紙コップを手に噴水の縁に座り、ぼんやりと中庭を眺めている。
「ああ、良かったわ、あなたがここにいて」
あら、すごくびっくりしている。
いきなり茂みから出てきたせいで、驚かせちゃったかしら。
立った拍子に紙コップを落としていたけど、何もこぼれていない。良かった、中身は飲んだ後だったのね。
「おれ、あ、いや、ぼぼ、僕のこと?」
ひょろっとした男の子だわ。ふわっとした短めの髪は濃い栗色で、目の色は黒かしら。けっこう色白ね。外にはあまり出ないのかしら。きっと、わたしみたいに畑仕事なんかしないんでしょうね。
わたしはにっこりして話しかけた。
「ええ、もちろんよ。あなたも魔法大学付属学院に入学するんでしょう?」
明日から、わたし達は同じ学校で学ぶのね。
「うん、まー、そう、なんだ」
あ、真っ赤になった。これが、純情ってやつね。
「わたしもよ。この街には、今朝、着いたばかりなの」
わたしは簡単に自己紹介した。
今日から魔法大学付属学院の編入生になったこと、出身は、この白く寂しい通りのある第ゼロ次元から汽車で三日の距離にあるエイレスという国ということ。
わたしが修道院の花の子で、しかも本当の花の精霊の申し子なのは言わないでおく。この人はたぶん、花の子なんか知らない世界の人だ。エイレス独特の花の聖母信仰から説明するのは大変だもの。
花の子を知らなくても、お友達には……なれるわよね?
「寮生活になるから、不安だったの。今年は珍しく同じ学年の生徒が多いらしいけど、みんな、もっと早く、何ヶ月か前から来ている人ばかりでしょう。わたしみたいに季節外れで編入するのはとても例外なんですって。でも、良かったわ。あなたがいてくれて」
「へえ、そうなんだ。僕たち、一緒なんだね」
彼は嬉しそうに何度もうなずいた。さっきまで、ボンヤリと庭を眺めていたのが嘘みたいな明るい顔色になっている。わたしも嬉しくなった。ここへ来て良かった、やっぱり、独りが不安だったのね。
その時、空に迫った夕闇のアメジスト色の光に、わたしはハッとした。
しまった、リリィーナさんとの約束の時間が過ぎちゃう!?
「あ、もう行かなくちゃ。まだ手続きが残っているの」
わたしは立ち上がった。
「わたしたち、また明日も会えるわね。あ、お名前を聞いてなかったわ」
「里藤悟。悟でいいよ」
「サトフジ、サトル君ね。また、明日会いましょうね」
悟くんは、後に通称『サー・トール』として、局の万能捜査課、略して万課の局員になる人だった。
その万能捜査課が、局でも選りすぐりのエリート局員が集まるすごい部署だと知るのは、魔法大学付属学院で学び始めてから数ヶ月後のことになる。
こうして、わたし達の、魔法大学付属学院での生活がスタートした。
この時が、わたしと悟くんの生涯を通じたお付き合いになる始まりでもあったとは、当時のわたしは夢にも思っていなかった。
今ではこの出会いが、100パーセント不思議探偵の奸計ではなく、運命の出会いだったと信じたいばかりである。
〈了〉