その七 寝台特急列車の一等客室とタクシーは必要経費です
「あのう、魔法大学ってどんなところですか」
いわゆる富裕層しか利用できない寝台特急列車の一等客室で、わたしはリリィーナさんに向かい合って座っていた。真紅のベロア地の座席は座るのがもったいないほど綺麗だ。
院長と副院長は、一等客室の乗客だけが利用できる食堂車で、ゆっくり朝食を取っている。二人ともトーストとベーコンエッグと、焼きトマトと巨大なマッシュルームのお代わりをしていたから、もう少し時間がかかるだろう。わたしとリリィーナさんは先に戻ってきたのだ。
「楽しい学校だよ。先生はみんな魔法使いで、生徒も将来、魔法使いになりたい者があつまっているんだ。今年は特に生徒数が多くてね、きっと友達もたくさんできるよ」
「わたしが魔法使いになれたとしても、どんな仕事をすればいいんでしょうか」
「君は局員になるんだよ。局の仕事の内容は……いろいろある。人によって適性も違うしね。心配しなくても卒業までに進路は決められるさ」
リリィーナさんは楽天的すぎるんじゃないだろうか。
わたしは肝心な問題を訊いてみた。
「あのう、どうして、わたしなんかを魔法大学に入れてくれるんですか」
すると、リリィーナさんは、おや、というふうに軽く目を瞠った。
「そういう卑下はあまり良くないよ。君に魔法の才能があるからスカウトしたんだからね。それも私の仕事なんだ。出張に行った先で、たまたま才能ある人材を見出したら、連れて帰る。そうやって局に貢献してるんだよ」
つまり、リリィーナさんにとっては、探偵の本業ついでのアルバイトみたいなものなのか。
「それにしてはわたしの獲得にずいぶんな大金を使われたようですけど」
「あれは必要経費だよ」
「わたしなんかのためには、もらいすぎだと思います」
「一応、計算した金額だよ。君の留学期間は、仕上げの研修を含めて約四年間。その四年分の君の時間を、修道院から局がもらい受ける代償だ。優秀な人材だけは、お金では買えないものだからね」
リリィーナさんはこういったスカウトを任されている。少しくらい大金を使っても必要経費として認められるという。
「よくうちの修道院の年間予算がわかりましたね」
「あの修道院と局は古い付き合いだからね。局にはいろいろ資料が在るよ」
リリィーナさんは笑ったが、わたしはあることに思い到って、表情をこわばらせた。
局が修道院と古い付き合いなら、派遣されてくる局員は、花の子のなんたるかも詳しく知っていたはずだ。
リリィーナさんは元局員だ。
わたしに言ったことは、嘘ではないと思う。
でも、真実も、正確には語っていないのではないか。
いったい、多次元管理局は、わたしのことをいつから知っていたのだろう。
――いやいや、まさか。
わたしは慌てて頭を軽く振った。
こんなわたしごときを勧誘するために、そこまでやる人がいるはずがない。
わたしの考えすぎよ……ね。
「ところでわたしがサラマンダーと相性が悪いって言うのは、本当ですか」
わたしは話題を切り替えた。良い機会だから本物の魔法使いの見解をもっと訊きたい。これは前から気になっていた事だ。
「それは本当だよ。ただし、あの場所だけのものだがね」
「え? それは、どういう……」
なんか、そういう言い方をされると、微妙に意味がもたらす結果が違ってくるのですが。
あの場所に居るサラマンダーとわたしの相性が悪いだけで、わたしの魔法の体質とか特性とかとは関係ないってこと!?
「あの炉に居るのは古い『主』だよ。無礼者は近付くなと、炉を守っているんだね。君、なにか失礼なことをしたんじゃないか?」
「お料理をなんども失敗したとか? でも、そんなの、いつものことですけど」
「心辺りが無い?……ちょっと待って、確認するから」
リリィーナさんは目を閉じて、すぐに開けた。
あー、これ、魔法の透視とかいうやつか。
心の目で遠くを見るという魔法よね。
「炉の中の小さな火。きみ、種火を消したことがあるかい?」
修道院では、炉の火は、朝に点けて、夜には消される。
世の中には金属製のライターなど、他文化発祥の便利な道具があるけど、昔ながらの方法を重んじる修道院では、マッチで火を点ける。
でも、いちいちマッチを擦るのは手間だし、もったいない。
なので、炉の火は完全には消されない。
夜になると、燃えさしの薪を取り出し、炎を落とす。そして、灰の中に、種火といわれる内部がまだ燃えている炭のカケラを埋めておく。翌朝は、灰からその炭を掘り出して、その上に火の付きやすい細かい木クズや硫黄を塗り付けた付け木を乗せるだけで、簡単に炎が上がるのだ。
「あのー、小さい子供の頃ですけど、台所で、掃除のバケツをひっくり返しました。その水が運悪く炉の方へ全部流れて、火が全部消えた上に、灰も濡れてしまったので、ぜんぶのカマドが丸一日くらい使えなくなりましたね」
「たぶん、それが初めだね。他にもいくつかあるみたいだよ」
「スープの寸胴ナベをひっくり返して火が消えたとか、シチューのナベをかき混ぜていたら、穴が開いて下へ全部落ちたとか。お湯の釜にお玉を入れたときに穴が開いて、お湯が全部落ちたことも、何度もありました」
「『我を粗末に扱うけしからんやつは近付くでない』との仰せだ」
リリィーナさんはクスクス笑った。
なるほど、わたしにも、そのサラマンダーの気持ちなら解るわ。
「だったら、わたしは炉の主に謝り倒して許してもらえれば、修道院を出なくても生活できるということだったのでしょうか?」
「そうだね。謝り倒したら許してもらえた可能性はある。でも、もともとの魔法の体質のせいがきっかけだから、完全に許してもらえたかは、わからないよ。……あれ、なに、その目は。私は嘘は吐いてないよ?」
「リリィーナさんって、もしかして、腹黒いとか言われたりしませんか」
「ははっ、鋭いね。じつは、親しい友人からは、よくそんなふうに評価されているんだ。そういう見方ができるだけでも、君は多次元管理局の局員向きの性格だと思うよ」
リリィーナさんは愉快そうに言った。
ダメだわこの人、どっか壊れてる……。
元局員というリリィーナさんが優秀な局員だったとすれば、わたしは絶対に局員には向いていない性格だと思うわ。
汽車での移動は、リリィーナさんに思うところがいろいろあったものの、これまでの人生で一番快適で贅沢な生活をした三日間だった。
そんな汽車の旅は、四日目の夜明けと共に、終わりを告げた。
わたし達は白く寂しい通りへの最寄り駅へ無事到着した。
リリィーナさんは『タクシー』を手配してきた。
黒いクラシカルなデザインの立派な自動車へ、わたし達は乗り込んだ。
わたし達の乗ったタクシーは、白く寂しい通りに到着した。
古い中世の面影を留めた街には、朝靄の中でガス灯の黄色い灯が薄ボンヤリと真下の地面を照らしていた。
タクシーは白く寂しい通りの突き当たりにある鉄柵の門の前でいったん停止し、門が開けられると、音も無く中へ入った。
「ここが魔法大学ですよ」
リリィーナさんの案内で、わたし達は貴族の館のような、立派な洋館の前でタクシーを降車した。