Ep③-4
声が聞こえた草むらに息を殺してそっと近づくと、シアンの視界には血塗れの獣が現れた。
犬科の生き物と猫科の生き物を掛け合わせて、羽やら角やらのオプションをつけたような、そんな生き物。
大きさは、シアンがいつか見た輓馬より大きい気がした。
地の色は茶色なのだろう。だが今、その獣の全身は乾いた血でどす黒く、錆び臭い。
そして、やけに傷が多くてどれもこれも浅いのに目がついた。
―――いたぶられた、のか?
もし、この獣が駆除のために攻撃されたのなら、傷口がこうも浅いのはおかしい。
おそらく魔獣なのだろうが、シアンのにわか知識では大型魔獣の間引きは滅多に行われないらしい。希少だからだ。
仮に危険度の高い個体を駆除しなければならない場合は、少数精鋭が人気の無いところで誘き寄せてから戦う。
つまり、学校の演習場――しかも使用中の今、大型魔獣との戦闘が行われるわけがない。
その戦闘も魔法やら鎖やらで雁字搦めにしてから魔法で一気に叩くので、こんなまるで直接剣で斬りつけたかのような切り傷はおかしいのだ。
「『診察』発動」
シアンは相手が人ではないと分かると、少し距離を持ったまま様子を見ることにした。獣相手に下手に背を向けると、危険だからだ。
特に手負いなら。
『診察』は元々この世界に存在する魔法の一つ。
相手の『ステータス』の内、身体状態を表すところのみを強制開示させる魔法だ。表示の見え方は人によって違うらしいが、シアンのは本当にゲームのステータスのように見える。
―――+―――+―――+―――+―――+―――
体力:イエロー(現在低下中)
状態:異常・レベルⅡ(回復可能)
補足:ブルーリーフスネークの毒(遅効性)
火毒茸の胞子(接触部位の炎症)
反魔石の微粒子(魔法抵抗低下)
―――+―――+―――+―――+―――+―――
「って、毒!?」
シアンは慌てて鞄からポーションを取り出すと、有無を言わせず目の前の獣に向かって投げつけた。ポーションは獣の身体にヒットすると、パシュンッと音を立てて弾ける。
シアンがスローイングポ-ズをとったとき、獣は一瞬警戒し、身構えた。だが、もう動く気力すらないのか、特に抵抗は見せなかった。
この世界のポーションは瓶ではなく、プラスチック状のよく分からない物質にパックされている。それに魔力を込めた後で衝撃を与えると、効果が広がるのだ。
なお、中身は液体だが基本的に飲み物ではない。むしろ一部は『飲むな危険』、である。
日本に有る物でたとえるなら、PON!と入れるだけの洗剤――ジェル○ールが一番近いだろうか。だが、サイズはこちらの方が大きい。
シアンが今、投げつけたのは、『浄化』の効果を持つポーション。シアンの『製薬術』オリジナル調合だ。
魔法でも『浄化』はできるが、治療中は常にかけ続けなければいけない。この世界にも破傷風はあるからだ。その点、ポーションでの『浄化』は一定時間効果が持続するので、使い勝手がいい。
なので、同時作業ができるほど器用ではないシアンは、一人のときは魔法の『浄化』使わず、ポーションを使うことにしている。
「―――『治療』」
フワンッと柔らかく魔力の風が獣の身体を滑ると、みるみるうちに傷口が塞がり、癒えていく。シアンはあくまで止血の為に使ったのだが、表面上の怪我は全て消えていた。
流れるような動作でシアンは次に『製薬術』を発動する。
「『製薬術』……『反毒』ポーション、レベルⅢ。『癒炎症』ポーション、レベルⅡ」
普段からある程度携帯している薬効品と、先程収穫したばかりのむしりたて新鮮な薬草がシアンの鞄から飛び出して中に浮かび上がる。
ポーション作成は錬金術の一種で、本来は特殊な器具を使わなければならないが、シアンの『製薬術』は莫大な魔力を使う代わり、器具を必要としない。器具を使えば魔力の節約にはなるが、シアンはサバイバル戦では傘張ると思い、持ってきていなかった。
幸い、シアンの魔力は人並みより多い。さらに他に使う相手もいないので、いっそ切れても大丈夫だと思っていた。だが、
―――さ、さすがに……キツいっ!
草むしりに『薬捜術』を使っていたのと相まって、体内魔力が急激に減少し、シアンは僅かに眩暈を覚えた。
それでもなんとかポーションを作り上げると、仕上げにシアンはポーションを変質させた。
「ポーション……『変化・錠剤』」
キンッと一際甲高い音が響くと、シアンの手に小さな粒が二つ落ちてきた。怪しい色はしているが、元はポーションだったものだ。
通常のポーションは拳ほどの大きさがあり、また皮膚摂取がほとんどで効率が悪い。しかし、シアンが『錠剤化』した物は、粒に効果が圧縮されているので、効能はそのままで飲み込みやすくなっている。
シアンはすっかり大人しくなった獣にそろそろと近づくと、その鼻先に薬の乗った手のひらを差し出した。
「……よーく嗅いで。大丈夫だと思ったら、飲んで」
大型魔獣は、得てして非常に賢いのだと言う。
シアンはそれを信じて薬を直接差し出すことにしたのだ。自身に益があると分かれば、こちらを襲わないだろう、と。
それにいざとなれば、『麻酔』の効果を持つポーションもある。弱っている相手に使うのは心苦しいが、攻撃はしないので許してほしいとシアンは思う。
その願いが通じたのか。獣は暫くスンスンと鼻を鳴らしていたかと思うと、ベロリとポーション――もとい、錠剤を舐めとった。
―――やった!
獣は薬を飲んだあと、頻りに頭を振っていた。
それを見てシアンは「そうだ、水!」と思い至ると、鞄から鍋を一つ取り出し、そこに魔法で水を満たした。そこへすぐに鼻を突っ込んで飲み出した獣を見て、シアンは自分の考えがあっていたことに安堵した。
きっと、薬が喉に張り付きかけていたのだ。
「これでもう、大丈夫……だよね」
シアンは、水を飲み続ける獣から目を逸らさないようにしながら、そっと後退する。
そして、そこそこ距離が取れるや素早く身を翻して、その場から駆け出した。
辺りはすでに薄暗く、夜の気配が漂ってくるようだ。体力はともかく、魔力が消耗しているシアンにはやらなければならないことがある。
―――寝場所の確保、急がなきゃ。
そう、サバイバル戦はまだ続いているのだ。
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