Ep②-1
サブタイトル、『シアンの過去語り』開始。
シアン=スプリングフィールドの本来の名前は、春原 碧衣。
日本生まれ日本育ちの十八歳。最終学歴は中卒で、もし何もなければ、今頃高校も卒業し、大学に通っていたはずだった。
具体的に言うなら――母が事故で亡くならなければ。
ここでシアンこと碧依を取り囲む、少々特殊な事情について語っておこう。
碧依の母は、看護師だった。
その見た目を具体的に表現するなら、某有名女性歌劇団の男役スターであり、女子高の王子様。一言で言うと、イケメンである。
そんな母は、碧依が生まれる二年前。歩道橋の上から転がり落ちてきた奇妙な男を拾った。
血塗れで熊みたいな巨体を持つ騎士服のコスプレ(?)男――それが、碧依の父だった。
病院――ではなく、碧依の母の自宅に運ばれた父は母の手で完璧かつ手厚く看護され、すぐに意識を取り戻した。
後に分かったことだが、父に着いていた血のほとんどは返り血だったようだ
そして、語った。
――「自分は、この世界の者ではない」、と。
所謂、異世界転移してきた父。
本人にその自覚があったのは、夢の中で父に憑いている精霊がそう教えてくれたかららしい。
まともな神経をしている人間なら、真っ先に精神の異常を疑ったであろう。もしくは、その厨二病な設定を笑っただろう。だが、母は言ったのだ。
「そう?なら私が養ってあげるから婿においで」
ぶっちゃけると、父は碧依の母の好みのどストレートだったそうだ。そして、最初に見つけたときより、逃すつもりはなかったらしい。
かくして父は建前上、身元不明の上に記憶喪失の男として新たに戸籍を作られ、母と結婚。半ば囲われるように主夫として暮らすことになった。
母は性格まで男前だった。
ちなみに碧依が生まれてから父は、その(ヒモ)生活に違和感を感じ、内職をしていた。稼ぎは母に負けていたが。
碧依の見た目はほぼ母の遺伝子で構成されていて、唯一目の色だけが父と同じだ。
ほんのりと緑がかった透き通るような深い青、つまり碧色。『碧依』という名前の由来はここにある。
その所為で中学で友人に勧められてカラコンをつけるようになるまで、遠回しに似非外国人として苛められていた……らしい。
だが、性格は父に似ていたのか、スルースキル(というか鈍感力)が高かったので後に指摘されるまで気づかなかった。直接的な言葉じゃないから。
強いて言うなら、カラコンつけたら周りが静かになったな、程度である。
友人に言わせると、碧依に直接嫌がらせを出来るような人間はそうそういないらしい。なぜなら、そんなことをしようものなら碧依の隠れファンたちに睨まれるから。
その隠れファンが少数ならなんら問題もなかっただろうが、驚くべきことに把握できる範囲で学校の六割はそのメンバーだったという。男女比は5:2、中には教師も混ざっていた。
そのとき初めて碧依は、母似の容姿の影響力に戦慄した。
母が男前過ぎるイケメンであること、父が主夫な異世界人であること。
それ以外は、碧依自体はほぼ普通の人間だった……はずだ。
しかし、碧依が高三の夏。
全てが変わったのは、あの日――母が仕事帰りに亡くなった日だった。
……母は、横断歩道でわき見運転をしていた車に撥ねられたのだ。
両親を早くに亡くし孤児だった母には、直接の繋がりがある親戚はいない。
そのため、葬式で呼べたのは昔住んでいた児童養護施設の院長夫婦だけだった。
その後のことは、碧依は実はあまり覚えていない。
ただ、最愛の母を亡くした父娘は絶望し、世界に対する未練は日毎薄れていった。
部屋は荒れ果て、時間を消費するためだけに生きる。無気力な日常を繰り返す。食料や日常品が切れると、どちらともなく買いに行く。
まるで、機械のように。
そんな日々が二ヶ月ほど続いたある日、それは訪れた。――二人の、夢の中に。
『久しぶりね、ジャスパー。そして、初めまして碧依ちゃん』
父――ジャスパーに憑いていた精霊もとい、神霊・スフェリエルザ。
碧依と父と同じ色の優しい瞳が、二人をじっと見つめて微笑んでいた。まるで、我が子を慈しむような表情に、僅かな憂いを滲ませて。
『澪依さんのこと、お気の毒だったわ。ワタクシもあの子のことは気に入ってたのだけど……この世界は、魔力が薄くて。何も出来なかったの』
だから、とスフェリエルザの続ける。
神がかり的な顔の造形にぼぅっと見蕩れているうちに、碧依とスフェリエルザの距離は0になっていた。スフェリエルザは碧依を抱き寄せ、ジャスパーに振り返る。
『ね、ジャスパー。こちらに帰ってこない?だって、この世界に未練はないでしょう?』
「……駄目だ、スフィ。
俺には、碧依が。碧依は、向こうでは……」
『大丈夫。碧依ちゃんも、半分はこちら側の人間よ。
それに、ワタクシの愛し子である貴方の子ですもの。ワタクシの祝福を与えれば、こちらでも生きていけるわ』
するりとスフェリエルザの手が碧依の頬を撫でる。
夢だからか、明確な感触はない。だが、なんとなく泣きたくなる気がした。
……安心、できる気がした。
『おいで、ワタクシの可愛い子たち』
心の弱りきった二人にはもう、その言葉に抗う術はなかった。
言われるがままに頷くと、全身の力が抜けて、謎の浮遊感に襲われた。無重力空間に放り出された気分だ。
最後にスフェリエルザの顔が近づくと、何か暖かみのある柔らかいものが碧依の額に触れた。
『―――貴女の望む力を』
そして、父娘は異世界へと旅立った。
読んでいただき、ありがとうございます。