Ep①
前作『不運王子は嫁を迎えに行く』の続編。と言うか子ども世代の話。
ぶっちゃけ、前作はこの話の前座です!
サブタイトル、『医官見習いの憂鬱な日々』。
人気のないその場所に差し掛かったとき、シアンは顔馴染みの教官に頼まれたお遣いは、断るべきだったと後悔した。指定された教室が分からず、教官に書いてもらった最短ルート通りに行ったのも悪かったのだと思う。
こういうときは、まるで図ったようなタイミングで何かしら起こる。俗に『フラグ』と呼ばれる現象が、実際にあるとシアンは最近思い知ったはずだった。
そして、案の定。
―――あぁ、また面倒な奴らが来た。
もはや見慣れてしまったチビデブ・ガリノッポ・ナルシメガネの三人組が、向かい側からやってくる。シアンは、内心でため息を零した。
三人はこちらに気付くや否や、態々威張るように廊下の中央を歩き、すれ違いざまに端に寄ったシアンを嘲笑う。聞えよがしな「平民風情が」と見下し発言までがいつもの1セット。まったく、毎度毎度ご苦労なことで。
最初の頃こそ悔しさのあまりに言い返してやったりもした。けれど、一度教官に呼び出されてからは、シアンは抵抗することを止めた。その教官が言外に「諦めてくれ」と言っているのがヒシヒシと伝わってきたからだ。
それに、ここに来てからのこの三ヵ月で、何度も何種類もああいう輩を相手にした。その所為でもうすっかり慣れてしまい、今となっては、奴らの言葉なんてただの生活音と大差ない。……心は日々、疲弊していくが。
人間、諦めることも必要なのだ。
ただ、とシアンは思う。
―――どうして私はこんな所にいるのだろうか。
周りはどこをみても男・男・男オンリー。年のほどは、下が十代前半、上は壮年まで。
格好は軍服だったり、文官風だったり、はたまた白衣を着てたりと色々いる。だが、女はシアンだけだ。……当のシアンも軍服に白衣も着ているからか、気づかれていないが。
まぁ、それもそのはず。
ここ――スフェール王国王立仕官学校は、全寮制の男子専用学校なのだから。
つまり、シアンがここいる方が場違いだということ。その点では、あの三人組が自分を嘲笑するのも仕方ない、とシアンは思う。もっとも、彼らはシアンの性別に気づいて嫌がらせをしてくるわけではないが。
でも、シアンはここにいることを望んだことはない。
どれもこれも、ある御方のとんだ勘違いの所為なのに。なんて理不尽なんだろう。
正直、早く父の元に帰りたい。
それがシアンの本音だった。
「……あ」
まずい、彼が来た。
シアンはふるりと肌を粟立たせる。心なしか、周囲の気温も下がったように思う。
何で、こんなところに。と焦っているうちに、彼との距離が縮まっていく。
金縛りに会ったように、頭の中はグルグルするのに。肝心の身体はピシリと固まって、ブロンズ像にでもなったよう。
そして次の瞬間、目が合ったのはシアンの苦手な――王子様だ。
「まだ此処に居るのか、シアン=スプリングフィールド。小賢しい奴め」
ぞくりと背筋が震えるほど冷えきった声が耳に入り込み、直接脳に響く。今日も今日とてシアンを睨む双眸は、疑念と嫌悪を隠さない金色。咎めるその視線に、シアンの柔な心臓はバクバクと鼓動を早めた。
このままでは、本当に寿命が縮んでしまう。
きっと、この人は知っている――いや、気づいているのだろう。
シアンの性別が、女であることを。そして、それに周囲が気づいていないことも。
……別にシアンは隠そうとしていたわけではない。だが、この場所でバレるのは危険だと思う。そこを察して欲しい、と切実に願う。
でも、
「申し訳ありません」
ぎこちないながらもシアンが深々と九十度以上頭を下げると、目の前で立ち止まっていた彼はフンッと鼻を鳴らしてから去っていった。背筋を伸ばし、毅然とした態度で。
そこには自分が正しいのだ、という自信が窺えて、シアンは何だか彼が眩しく思えた。
事実、彼――ベルン=イルグの言葉は、何一つ間違ってはない。
元々、この現状もシアン自身が行動しさえすれば、きっとすぐに解決する問題である。それが分かっているのに何もしないのは、シアンが臆病だから。
……最悪の万が一を考えて、二の足を踏んでしまうから。
その後ろ姿が完全に消えてから、シアンは小走りで目的地に行くと素早く用事を終える。その間は、もう誰とも会話したくなくてずっと俯いたままだ。
それから寮の自室――幸い、一人部屋だ――に帰ってくると、制服も脱がずにベッドに寝っ転がった。
バフンッとどこか間抜けた音がして、彼女の華奢な身体が深々と沈む。いっそそのまま沈んで溺れられたら楽になれるのに、と鬱々とした思考に囚われた。
こんな悲観的なの、キャラではないのに。
「……なんで、こうなっちゃったかなぁ」
―――たった一年まで、私は平和な世界の普通の人間だったのに。
誰に聞かせるでもなく呟くと、シアンは今日も枕に縋りつき、静かに嗚咽を漏らす。
夕闇が迫る中、西日の残光が部屋に差し込んでいた。
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