1-6 劣化魔法使いの教え
「は、はぁ?」
突然のダリウスのありえない発言にセシリアは昨日のことも忘れて戸惑う。
一体どういう了見で教師が生徒に模擬戦を申し込むことがあるだろうか。
他の生徒たちも唖然としたように口を開けている。
「いや、模擬戦というよりも実技の一環として、みたいな感じか」
「実技の一環……?」
ダリウスの言葉に訝しげに首を傾げるセシリア。
魔法の授業の中で、実技をする授業は少なくはないが、これまでダリウスは座学に比べて面倒な実技の授業をしたことがなかった。
それが一体どういう理由で突然実技をしようなんて考えたのだろう。
それにダリウスはセシリアの相手をするとまで言っている。
これまでのダリウスのことを考えるとあり得ないことだ。
「あぁ。別に模擬戦の相手はお前じゃなくてもいいんだが、どうする?」
「……私がやります」
しかしそう言われればセシリアも退くに退けない。
結局、ダリウスの思惑が良く分からないまま模擬戦の相手を務めることになった。
「じゃあとりあえず十分後に第一訓練場に集合な」
「わ、分かりました」
ダリウスは時間と集合場所だけを伝えると、一足先に訓練場に向かうのか教室を出て行った。
◇ ◇
「うわ、別に少しくらいサボってもバレないのにちゃんと来る辺り、お前らやっぱり真面目だな……」
ダリウスが若干引いた様子で生徒たちを見る。
そんなダリウスに生徒たちは苦笑いを浮かべながらも、昨日の一件のこともあって誰一人として文句を言う者はいなかった。
「そしてちゃんと実技の授業に魔法書を持ってくるあたりはさすがだな」
訓練場に集合した生徒たちの手には皆同じように一冊の本が握られている。
その本は今の魔法師ならほとんどが持っている魔法書だ。
中身には自分の覚えた魔法の魔法陣がぎっしり記されている。
現代魔法を使うには魔法陣が必須なため、魔法書の携帯は必須だ。
これから実技の授業をやるという時に魔法書を持ってこないことは即ち実技に参加出来ないことと同じなので、生徒たちからしてみれば当たり前のことなのだが、これまで一度も実技の授業をやったことがないダリウスはそんなこと知らない。
「因みにだがお前らの制服が対魔法攻撃や対物理攻撃の魔法陣が組み込まれていることは知ってるよな?」
「はい、知ってます」
生徒たちがダリウスの疑問に頷く。
ダリウスの言う通り、生徒たちが現在着ている制服は主に身を護るための魔法がいくつも織り込まれて出来たものだ。
そんじょそこらの鎧に比べても防御力だけで言えば全然上だろう。
「でもあまりそれを過信しすぎないように。確かにお前らの制服に織り込まれている防御魔法は結構な強度を誇るが、当然、絶対じゃない。強い魔法は貫通するし、鋭い剣で刺されれば当然刺さる。今回の実技では念のために防御魔法の強度を高める魔法と、魔法陣の複製を用意しておいた。……もし怪我でもされて俺の責任問題でもなったらたまったもんじゃないからな」
途中までは案外教育者らしい発言をし、生徒たちも感心していたのだが、最後の一言で台無しだ。
生徒たちは昨日のことはもしかしたら何かの錯覚だったのではないだろうかとさえ思ってしまう。
しかしダリウスから手渡された魔法陣の複製が、とても緻密に組まれており、かなり高度な技によって描かれていることに気付き驚く。
果たしてこの魔法陣は一体誰が描いたのだろうか、と。
ダリウスが描いたにせよ、そうでないにせよ、これだけの魔法陣の複製を用意出来ること自体が生徒たちからしてみれば十分に驚きに値するのである。
「セシリア、じゃあそろそろ用意を始めろ。防御魔法を忘れないようにな」
「は、はい」
途端に真剣な様子を見せるダリウスにセシリアは戸惑いつつも、防御魔法を自分にかけていく。
魔法を唱えた途端、明らかにこれまでの防御魔法とは異なる感覚に陥る。
(なんか、身体全体が温かいような……)
セシリアは思わずダリウスに視線を向ける。
しかしダリウスは他の生徒たちの様子を窺っているのか、視線が重なることはない。
けれどもセシリアはしばらくの間、ダリウスから視線を逸らすことが出来なかった。
「……よし、大体皆も防御魔法をかけ終わったか?」
生徒たちを見渡したダリウスは最後にもう一度だけ確認する。
そして生徒たちが頷くのを見て、改めてセシリアと向かい合った。
「リュエル、審判を頼んでもいいか?」
「は、はい。大丈夫ですよ」
「模擬戦の開始はリュエルが合図してくれ」
「わ、分かりました」
突然声をかけられたことに戸惑うリュエルだったが、慌てて審判を引き受け二人の元へ駆け寄る。
二人の間にやって来たリュエルは交互に二人を確かめる。
ダリウスは普段と同じように若干やる気のなさそうな表情を浮かべてはいるが、その視線はセシリアから全くずれない。
セシリアの方はやや緊張しているのか、先ほどから何度も息を吐く姿が見受けられる。
「そ、それではこれより模擬戦を開始します……!」
そしてリュエルの掛け声によって、ダリウス対セシリアによる模擬戦の幕が切って落とされた。
「…………」
「どうした、来ないのか?」
しかし模擬戦が始まったというのに、二人は未だに一歩も動かない。
ダリウスは自分と同じように手を出してこないセシリアに声をかける。
本来、魔法師同士での模擬戦や決闘に関しては短期決戦が常識だ。
相手に何かをされる前に倒してしまえというのが基本なのである。
セシリアもそれは良く分かっている。
しかしダリウスを前にすると何故だか迂闊に手を出せないのだ。
だがこのまま何もしないというわけないはいかないのもまた事実。
「……っ!」
セシリアは覚悟を決めて勝負に出ることにした。
手の中にある魔法書に記された数多の魔法陣から、たった一ページを求める。
これまで何度繰り返したか分からない行為に躊躇いはない。
そしてその一瞬後――見つけた。
セシリアが最も得意とする雷の現代魔法、その中でも一瞬で相手の意識を刈り取ることが出来るだけの威力を持った魔法を使うための魔法陣だ。
魔法名は『サンダーショック』。
セシリアは魔法陣に魔力を込める。
途端に魔法書に記された魔法陣が光を放ち始める。
「サン――」
あとは最後に魔法名を唱えればいい。
それだけで今回の模擬戦は自分の勝利で終わる。
不気味にも見えるダリウスを見ながらも、必死に自分を鼓舞していたセシリアだったが、セシリアが感じていたその不気味さは現実になった。
魔法名を唱えるために集中しようと、ダリウスから視線を逸らした一瞬。
その一瞬に、セシリアの手の中にあった魔法書が消えていた。
そして慌てて戻した視線の先にはダリウスの姿もない。
「ど、どこに――」
「おーい」
「————ッ!?」
いなくなったダリウスの姿を探そうとした瞬間、すぐ後ろでダリウスの声が聞こえ、咄嗟に振り返る。
そこには相変わらず不真面目なダリウスが面白そうに笑みを浮かべていた。
「そ、それは私の魔法書」
ダリウスの手にはそれまで確かにセシリアが持っていたはずの魔法書が握られている。
セシリアの手元を離れたことで魔力の供給がなくなり、既に光は失われている。
一体いつ、という考えがセシリアの脳裏をよぎる。
確かにセシリアはダリウスの動きをずっと観察していた。
その視線を外したのもたったの一瞬。
その一瞬で何か特別なことをするなんて出来るはずがない。
でも実際ダリウスはこうしてセシリアの魔法書を奪って見せた。
つまりセシリアが気付かぬところで何かをやってみせたのである。
「……っ」
その事実を認めた時、セシリアは模擬戦であるということも忘れて、目の前の男に初めて畏怖の念を覚えた。
「わ、私の負けです」
既にセシリアの唯一の攻撃手段である魔法は、魔法書を奪われたことで使えない。
勝敗は誰が見ても一目瞭然だった。