1-4 劣化魔法使いの説教
「せーっんせ!」
「……またお前か。もしかして暇なのか?」
「さぁ? どうでしょう」
どこか小悪魔っぽい笑みを浮かべるリュエルがダリウスの研究室に初めてやって来てから早くも一週間が経った。
そしてその間、ほとんど毎日のようにリュエルはダリウスの研究室を訪れていた。
今ではリュエルもすっかり打ち解けた様子で、些細な冗談まで言うようになっている。
ダリウスとしては出来るだけだらだらしていたいというのが本音ではあるが、自分の研究室に通ってくるリュエルを無碍にすることも出来ず、日々の話し相手を務めているのだ。
「そういえばお前、放課後はあいつと一緒じゃないんだな」
ダリウスが言っているのはセシリアのことだ。
リュエルは普段の学校生活のほとんどをリュエルと共に行動している。
それなのにここ最近は放課後の時間は一人で研究室にやって来ているので、地味に不思議に思っていた。
「少し前までは放課後もほとんど一緒だったんですよ?」
「そうなのか? じゃあどうして」
ダリウスとしては純粋な疑問だったのだが、リュエルは苦笑いを浮かべる。
「あんなやつの研究室に行くなんてあり得ない! って言われちゃいまして……えへへ」
それで最近は放課後は別行動なんです、と頬をかきながら言うリュエルはいくら繕ってみたところでやはり思うところがあるのだろう。
どこか物憂げな表情を浮かべている。
「セシリアとは一年前、私がこの学院に編入してきて以来の友達です」
「リュエルはこの学校に編入してきたのか?」
「はい。中等部三年の時に編入してきました。セシリアには慣れない学園生活を送っている時に色々と手助けしてもらって、それ以来ずっと一緒にいるようになったんです。だから本当はここにもセシリアと一緒に遊びに来たいんですけどね」
「まあ確かに、当の本人があれじゃな……」
ダリウスは今日の授業での一幕を思い出しながら呟いた。
◇ ◇
「納得できません! 古代魔法を詠唱する時に、どうして魔力操作の概念が必要になってくるのかちゃんと教えてください!」
「そうは言われてもなぁ……」
今日も今日とてダリウスが古代魔法の授業を行っていたところ、突然セシリアが疑問をぶつけてきた。
しかしダリウスは手に持つ古代魔法の教科書に視線を落としながら難しい表情を浮かべる。
「……うん。やっぱりそういうことは特に教科書にも書かれてないみたいだな」
一通り教科書の中を見終えたダリウスが諦めたように呟く。
しかしそんなダリウスの答えに対して不満を持つものが一人。
「そういうことを言っているんじゃないです! 古代魔法を専門にする魔法師としての個人の見解を求めているんです!」
セシリアの大きな声が教室に響く。
だがダリウスにそれを気にした様子はない。
「どうしてそんなことを聞くんだ? お前らはいつも教科書に書いてあることだけを勉強して、魔法師を目指してるんじゃないのか?」
それはここ一週間生徒たちの授業態度を見ていてダリウスが気付いたことでもあった。
ここの生徒たちは確かに優秀で、恐らく成績も良いのだろう。
しかしそれは、彼らが良い成績を取るための勉強、努力しかしていないからでもある。
もちろん全ての生徒を見たわけではないが、少なくともダリウスが受け持つクラスはその傾向が強く見られた。
魔法師を目指すのであれば、良い魔法師になるための努力をするべきだ。
いくら校内での成績が芳しくなくとも、それは確実に、将来の魔法師としての彼らの役に立ってくれることだろう。
(ま、俺にはそんなこと関係ないがな)
「そ、それは……っ」
ダリウスの言葉に、珍しくセシリアが詰まる。
もしかするとセシリア自身もそのことを感じていたのかもしれない。
「それとも何だ? 劣化魔法は教科書も劣化版ってか?」
ダリウスが苦笑いを浮かべながら言う。
ダリウスからしてみればいつもの自虐的な冗談に過ぎなかったのだが、どうやらそれは大きな地雷だったらしい。
「——ッ!」
セシリアが大きな音を立てながら勢いよく立ち上がる。
その反動で椅子は後ろに倒れてしまっている。
「セ、セシリア……」
その隣でリュエルが何とかセシリアを宥めようと試みるが、セシリアはその制止を気に留めることなく、ダリウスを強く睨み続ける。
予想していなかった反応にダリウスも一体どうしたのかと困惑気味にリュエルに視線を向けるが、リュエルはセシリアを止めようとするので手一杯らしく、ダリウスの視線に気づかない。
「……なのがいるから」
セシリアは震える声を振り絞るようにして何かを呟く。
「あんたみたいなのがいるから、古代魔魔法が劣化魔法なんて言われるのよ……っ」
そう言い切るセシリアの瞳には涙が浮かんでいる。
それでもセシリアはダリウスを睨み続ける。
「まぁ確かに、こんなのが教師だったら劣化魔法なんて言われるよな」
「ろくな授業じゃないし、教科書を読んでるだけだし」
そんなセシリアに続くようにして、これまで黙っていたクラスの面々が同調し始める。
そして気が付けば教室の中全体が、劣化魔法と謂われる責任がダリウスにあるのではないかという雰囲気になっていた。
「……そうか。俺のせいか」
随分な物言いにダリウスは頬を掻きながら静かに反応する。
しかし激情に駆られるセシリアに感化されてか、どうしてか言い返さずにはいられなかった。
「じゃあお前らは、俺が来る前に劣化魔法なんて一度も言わなかったんだな? 思わなかったんだな?」
そんなことは絶対にあり得ない。
古代魔法が劣化魔法であるなんてことは今よりもずっと昔から言われ続けてきたことだ。
ダリウスの言葉は結果的に、その矛盾を突く形となっていた。
ダリウスが教室の中を見回すと、これまで何かとダリウスのことを罵っていたほとんどの生徒が気まずそうに顔を俯かせる。
「おい、セシリア」
ダリウスは声を低くしてセシリアを呼ぶ。
突然呼ばれたことに驚いたセシリアは肩を揺らしながらも、ダリウスから視線を外さない。
「お前が、古代魔法が劣化魔法なんて言われるのは俺のせいだって思うのは別に構わない。個人の考えにとやかく言うつもりもないし、そんなことしてたらきりがないしな。……でもな」
そこでダリウスはもう一度、教室を見渡し、最後にセシリアに視線を戻す。
「お前の価値観を周りに同調するな」
ダリウスは初めてセシリアを睨む。
それは怒りからのものというよりは、まるで子供を叱りつけるような。
例えるならそう、教師が生徒を諭すような――。
「別にクラスの奴らが本当に俺のことをそう思ってるなら構わん。どんどん劣化魔法の原因とでも思ってくれていい。でもそうじゃないなら、お前らもこいつの価値観に同調するな。これは単に、今だけのことを言ってるんじゃない。魔法っていうのは自分の意思で創り、使うものだ。そして魔法を使うのが魔法師だ。そんなお前らが他人の価値観の上で踊らされてんじゃねえよ」
ダリウスは一度そこで言葉を止めると、教室の中へ響く声で最後に言った。
「魔法師なら、自分の価値観で世界を創れ。そしてそれを自分だけのものとして確立しろ。それが魔法師として成長するための大きな一歩だ。そして逆にその価値観を知られることは、魔法師としての自分の弱点を晒すことと同じだと思え」
長い長い説教を終えたダリウスは大きく息を吐く。
気が付けばクラスの生徒たちはダリウスから視線を逸らすことが出来なくなっていた。
セシリアでさえ涙で濡れていた瞳を瞬きすることなく、ダリウスの一言一句を聞き逃すまいと必死だった。
『————』
その時、まるで機会を見計らっていたかのような絶妙なタイミングで授業の終わりを告げる鐘が鳴り響く。
ダリウスはただ一言「今日の授業はここまで」と言い残すと、半ば呆けている生徒たちを他所に教室から出て行った。




