1-3 劣化魔法使いの研究室
「サム先生! 火系統の魔法を使うときに気を付けるべきことはなんですか?」
「うーん、そうだね。火系統の魔法を使うときは当たり前なんだけど、周りに気を遣わなくちゃいけない。火は良く燃えて、良く広がるから、下手したら味方にも被害が出ちゃうかもしれないから、そこを気をつけなくちゃいけないよ」
「それじゃあ火系統の魔法でも出来るだけ狭い範囲で、味方にも被害が出にくい魔法とかはあるんですか?」
「もちろん。じゃなきゃ火系統も他の現代魔法に比べて劣化魔法なんて言われちゃうからね」
サムの言葉に教室の中が笑いに包まれる。
今、サムが授業しているのはダリウスが担任をしているクラスだ。
もちろんセシリアやリュエルもいる。
しかしクラスの皆がサムの冗談に笑っている中で、セシリアは顔を顰め、リュエルはそんなセシリアを心配そうに窺っている。
「サム先生、出来ればその魔法を教えていただきたいんですが」
一人の生徒が挙手しながらサムに言う。
恐らく将来は炎魔法を専門にしたいと考えているのか、その目は希望に満ち溢れている。
「別に構わないよ。ただ今は手持ちがないから、次の授業までに魔法陣を複写して持ってくるね」
「ありがとうございます!」
サムが快く承諾してくれたことに、その生徒は嬉しそうに笑うと頭を下げた。
「やっぱサム先生は凄えな。説明も分かりやすいし、質問だって真摯に応えてくれる」
「どっかの劣化魔法使いとは違うな」
お調子者の生徒の言葉に、クラスの中に再び笑いが包まれる。
だがやはりその時もセシリアとリュエルだけは笑みを浮かべていなかった。
◇ ◇
「ふわぁ、今日も疲れたなぁ」
ダリウスは一人きりの部屋で欠伸を噛み殺しながら大きく伸びをした。
ここはダリウスの研究室。
王立魔法学院では教師にはそれぞれ一つずつ個人の研究室が用意されているのだ。
そこではほとんどの教師たちが休み時間や放課後の時間を使って、難しい実験を繰り返している。
といってもダリウスがそんな面倒なことをするわけもなく、日々の合間時間をその研究室という名のプライベートルームでだらだら過ごしていた。
本来であれば生徒たちが質問に押し掛けるので、そんな教師らしからぬ行為は出来ないのだが、新任式での一件以来、ダリウスに近付こうとする勇者は現れていない
そのためダリウスは放課後という、生徒たちが一番質問にやって来る時間帯に堂々と休むことが出来ているのである。
「すみませーん」
「……ん?」
しかし今日に限って、誰かがダリウスの研究室にやって来た。
恐らく別の教師の研究室と間違ったのだろうと予想しながら、ダリウスは眠たい目を擦りつつ研究室の扉を開ける。
「お前は……」
「リュエルです。リュエル=ルミエール」
そこには普段いつもセシリアと行動を共にしているリュエルが立っていた。
リュエルはその長い水色の髪を揺らしながら笑みを浮かべる。
「あぁ、リュエルか。どうした? ここはサムとやらの研究室でもなければ他の優秀な教師たちの研究室でもないぞ」
「? そんなの知ってますけど」
何をおかしなことを言っているんだとでも言いたげなリュエルにダリウスは思わずため息を吐きそうになるのを、何とか堪える。
「じゃあどうしてこんなところに来たんだ? 悪いが現代魔法についての質問は受け付けてないぞ」
「そんなの決まってるじゃないですか。先生とお喋りしに来たんですよ」
「……はぁ?」
ダリウスは思わずリュエルを見る。
その表情からリュエルの真意を窺い知ることは出来ない。
しかし研究室までやって来た自分の生徒を無碍に追い返したという噂が広がれば、問題にもなりかねない。
そう思ったダリウスは仕方なしに、リュエルを研究室の中へ招き入れた。
「それで、一体どんな話をするんだ?」
ダリウスは適当にお茶を用意しながらリュエルに聞く。
こんなところまでやって来たのだから、本当に何の用事も無いというわけではないだろう。
「うーん、本当に特にこれと言った用事はないんですけど……」
リュエルは少しだけ逡巡するような素振りを見せたかと思うと、何かを閃いたように手を叩いた。
「そういえば私、先生が魔法を使っているところ見たことがありません!」
「まあ、そうだな?」
確かにリュエルの言う通り、ダリウスは魔法学院にやって来てからというもの、一度も魔法を使っていない。
それこそ魔法師なら本来、日々研鑽を重ねるものなのだが、ダリウスはそんなこと気にしていなかった。
授業でも座学ばかりで実技はしたことがない。
いずれしないといけない機会が来るかもしれないが、それまでは面倒だから、と後回しにしていたのだ。
「ぜひ一度見せていただけませんかっ?」
リュエルが目を輝かせながらダリウスに詰め寄って来る。
急に近づいてきたせいでリュエルの身体が押し当てられる。
ダリウスは必死にリュエルから距離を取ろうとするが、距離を取ろうとすればするほど距離を詰めてくるリュエルは諦めてくれそうにない。
(これは一回適当に見せておいたほうが楽か……)
ダリウスは諦めたように息を吐くと、リュエルを自分の横にやって来させる。
「一回だけ見せてやるから。それが終わったら大人しく帰れよ?」
「はーい。……って先生、魔法陣はどうするんですか?」
「何言ってんだ。古代魔法に魔法陣は必要ないぞ」
「あ、そうでした」
ダリウスの言う通り、古代魔法は現代魔法と違って魔法陣を必要としない。
それは単に魔法陣の役目を、代わりに詠唱が担ってくれているからだ。
先日の授業で教えてもらった内容を思い出したリュエルは一人納得したように頷く。
「じゃあいくぞ」
「は、はい」
ダリウスの掛け声と共に、研究室の中に魔力が集まって来るのが分かる。
他ならないダリウスが魔力操作に集中し始めたのだ。
「原初の理、五色を以て顕現せよ。さあらば我が、汝の力の糧とならん」
時間にして数秒。
その間にダリウスは詠唱する。
一言一句に確かに魔力が宿っており、それは言霊となり、魔法となって姿を現す。
「こ、これって……」
リュエルはダリウスが創り出した魔法に驚きを隠せない。
今、研究室の中には五系統――『火』『水』『土』『闇』『光』を象る魔力玉が色鮮やかに浮遊していた。
五つの魔力玉はそれぞれで円を描くように浮かび上がり、研究室の中を飛び回っている。
一体どれだけの魔力操作の感覚があればこれだけの芸当が出来るのか、リュエルには分からない。
ただ一つ、今、自分の目の前で繰り広げられている古代魔法がとても自分では至ることの出来ない高度な魔法であることだけは分かった。
(劣化魔法? そんなのあり得ない。少なくとも先生は――)
自分で作り上げた魔法をジッと見続けるダリウスに、リュエルは言葉を発することが出来なかった。
(これくらいでリュエルも満足しただろう)
それから少しして、ダリウスは魔力操作によって、自ら集めた魔力を霧散させる。
それと同時に五つの魔力玉もまるで儚く散っていく花火のように消えてしまった。
「あっ……」
リュエルが名残惜しそうな声をあげるが、ダリウスはあえて聞こえないふりをする。
変に同情して、また同じ魔法を見せるなんてことになるのはダリウスの望むところではない。
「ほら、そろそろ良いだろ? 大人しく帰った帰った」
ダリウスはこれ以上何かリュエルに言われる前に研究室から追いやる。
リュエルは未だに今の魔法を忘れられずにいるのか僅かに呆けているが、ダリウスにしてみれば好都合だ。
「ま、待ってください先生!」
間一髪のところで我に返ったリュエルは今にも閉められそうになっている研究室の扉に身体を割り込ませる。
「せ、先生の古代魔法は劣化魔法なんかじゃありません! 絶対に!」
リュエルは必死に自分の言葉を伝える。
さっきの高度な魔法を見て、それだけは伝えずにはいられなかったのだ。
ダリウスはそんなリュエルの言葉を聞いて、一瞬意外そうな顔を見せたかと思うと吹き出す。
「馬鹿言え。古代魔法なんてものは間違いなく劣化魔法だよ」
それだけを言い残して、ダリウスは研究室の扉を閉め切る。
だがしかしリュエルが最後に見たダリウスの表情は、どこか自嘲的だったような気がしてならなかった。