1-1 やって来た劣化魔法使い
アインス国――そこには世界で最も優秀な学び舎として名高いアインス国立魔法学院があった。
そこで教えを受ける生徒たちは卒業後、ほとんどが軍に仕える魔法師となり、戦に身を投じていく。
その結果、アインス国自体が他の国々に比べてもこと魔法力に関しては一線を画していると言っても過言ではないだろう。
そんなアインス国立魔法学院の理事長室で、ダリウスは理事長と話をしていた。
「君のことは君の上司から聞いているよ。何か困ったことがあったら言ってくれ」
「あぁ、了解した」
前線から離れるための条件を提示されてから数日。
ダリウスは国立魔法学院の地へ足を踏み入れていた。
諸々の手続きは軍の上層部がやってくれていたらしく、ダリウスがこれまでにしたことと言えばいくつかの書類にサインしたくらいだろうか。
「確かこの後は新任式だったか? 俺も出ないといけないんだよな?」
「そ、それはそうだが……」
質問に対し答えを渋る理事長に、ダリウスは首を傾げる。
「ダ、ダリウス君は確か、古代魔法を専門にしてるんだったよね?」
「? それはそうだが何か問題でも……あぁ、なるほど」
そこでダリウスは理事長が言わんとしていることを察した。
人智を超える力である魔法。
今の世の中で魔法という人智を超えた力には、古代魔法と現代魔法の二つがある。
その二つの違いを説明するのは難しくない。
魔法を発動するのに、一般的に詠唱を必要とするのが古代魔法。
そしてそれとは対照的に詠唱を必要としないのが現代魔法だ。
それだけを聞けば明らかに現代魔法が良いに決まっている。
しかし現代魔法にももちろん発動条件はある。
それは魔法を発動する際にあらかじめ魔法陣を記した媒体を所持していなければいけないことだ。
今ではその媒体として魔法陣を記した魔法書が使われるのがほとんどで、現代魔法を使う魔法師たちはその本を持っていなければろくな魔法を使うことが出来ないのである。
しかし逆を言えば、魔法陣を記したものを所持しているだけでいい。
それだけあれば発動に必要なのは自分の魔力と、必要最低限の魔法名の詠唱だけ。
それに比べて古代魔法は一つの魔法を使うのにもそれなりに長い詠唱をしなければならないというのを考えれば、どちらに人気がいくのか一目瞭然だろう。
実際、今活動している魔法師たちのおよそ九割九分、もしくはそれ以上の割合が現代魔法を使っている。
更に付け加えると、現代魔法に比べて圧倒的に使い勝手も効率も悪い古代魔法は、俗に劣化魔法とさえ言われているのだ。
そんな全く人気のない古代魔法を使う魔法師たちは、周りからは異常と思われ、変な目で見られないことの方が少ない。
そして現在、理事長はそのことを心配しているのだろう。
これからちょうどダリウスを含む新任教師たちの新任式がある。
そこでは当然、新しく教師になる魔法師たちの専門とする魔法が紹介される。
だが古代魔法を専門にするなんてことを言ってしまえば、その時点で周りからの印象は最悪だろう。
劣化魔法使い、そう言われるのが容易に想像できる。
「む、昔から現代魔法ばかり教えられているだけで生徒たちに悪気はないのだ。だ、だから――」
「————危害は加えないでほしい、か」
ダリウスが理事長の言葉の続きを言う。
理事長は自分の言おうとしていたことを言われて驚いたような視線をダリウスに向けている。
「俺のこと、少しは上層部の奴らから聞いたんだろ? ならそう思うのも仕方ない」
理事長は恐らく部分的程度にはダリウスの実力を聞かされているのだろう。
しかしダリウスの実力など、部分的に聞くだけでも十分だということだ。
例えば単騎で敵を全滅。
あんなのもダリウスからしてみれば実力の一片でしかないのだから。
普通、古代魔法の使い手なんて聞いて良い顔をする人はいない。
何も知らなければ理事長だってダリウスのことをただの劣化魔法の使い手だと侮っていたはずだ。
しかしダリウスの実力の一片を知っている今だからこそ、こうやってダリウスとまともな会話が出来ている。
だがそれがもしダリウスのことを何も知らない他の教師や生徒だったら。
古代魔法に対してと同じように、ダリウスに対しても蔑みの言葉は絶対にあるだろう。
しかしもしそれがダリウスを不快にさせてしまったら、彼らの身が危ないのでは……。
それはダリウスの実力を知る理事長だからこその憂いだった。
「安心してくれ、俺は別に何を言われたって自棄を起こしたりしないさ」
「そ、そうか。ありがとう」
ダリウスの言葉を聞いて、理事長から肩の力が抜ける。
よほど彼らのことが心配だったのだろう。
だが理事長のそれはやはりただの杞憂だ。
古代魔法を使うことをいくら馬鹿にされたところでダリウスは痛くも痒くもない。
(学校で問題を起こして、前線に呼び戻される方がよっぽど問題だ)
ここまで来るのにどれだけかかったことか。
ダリウスはその労力を無に帰してしまうようなことは決してしないと心に誓った。
◇ ◇
「それでは新任の先生を紹介したいと思います」
それから少しして、ダリウスは多目的ホールと思しき場所にやって来ていた。
既に新任式も始まっており、これから全校生徒との初めての対面になる。
進行担当の教師に聞いたところによると、どうやら今回、ダリウスと共に教師としてやってくるのは他に一人だけらしい。
恐らく今、ダリウスの目の前にいる若い男性教師のことだろうが、ダリウスに目を向けることなく緊張した面持ちを浮かべている。
「まず一人目の新任教師を紹介します。サム=マーチン先生です」
司会の案内を聞いて、ダリウスの前にいた男――どうやらやはり新任教師だったらしい――サム=マーチンが壇上へと上がる。
全校生徒の拍手がホールに響き、その光景をダリウスはぼうっと見つめていた。
「紹介に預かりましたサム=マーチンです。私は火系統を専門にしていますが、他にも風や水の現代魔法も得意魔法の一つらしいので皆さんもどんどん質問に来ていただければ嬉しいです」
『おお、凄いな……』
『専門が一つに、水や風も……』
ホールに響くサムの声に会場がざわつく。
それだけでサムの実力が相当なものであることが窺える。
実際、魔法師は一つの系統を専門にするだけでも実力を示すには十分であり、それが一流と二流の魔法師の分かれ目だと言われている。
さすがにそう言われているだけあって、専門にするには幾つもの試験や実技などをクリアしなければならないのだ。
その関門を突破しているだけでなく、別の系統の魔法も得意魔法だと言うのだから、生徒たちが驚くのも無理はない。
サムはそんな生徒たちの反応に満足そうな顔を浮かべると、壇上に用意されていた椅子に腰かけた。
「それではもう一人の新任教師の先生を紹介します。ダリウス=レガノフ先生です」
自分の名前が呼ばれたダリウスは肩の力を抜きながら、壇上へと上がった。
見ようによってはだらしない歩き方だと思われるかもしれないが、ダリウスは別に構わない。
ダリウスはここに良い教師をやりに来たのではないのだ。
壇上の真ん中へやって来たダリウスはそこでようやく何も話を用意していなかったことに気が付いた。
しかし今更何か用意することも出来ない。
目の前にはもう音を増幅する魔法がかけられたマイクが用意されている。
(あー……面倒だし、さっきの奴のを適当に参考にするか)
「紹介に預かったダリウス=レガノフだ。専門は古代魔法。他に得意魔法は無い。だから別に質問に来ても教えられることはないし、出来れば来ないでくれると嬉しい」
『…………』
会場が静まり返る。
皆が皆、ダリウスの言葉にぽかんと口を開けていた。
一瞬何かの冗談かとも思ったが、それ以上何も言うことはないと言いたげに席に着くダリウスに、今の言葉が何の冗談でもないことを理解させられる。
「あ、あー……、それでは新しい魔法学院の先生たちに温かい拍手を」
一足先に我に返った司会が何とか場を進めるが、拍手に溢れるはずの会場には乾いた拍手がまばらに響くだけだった。