六章5:涙と気持ちと迫る危機 【後編】
「聞け、チートよ! この黒龍は今のこの時より我が軍門へ下った! こいつの摩力の流れを変えてな!」
『それはどういうことだ、キジンガ―!』
動揺する俺の代わりに、ブレスさんが叫ぶ。
キジンガ―はいつもの高笑いを上げた。
「言葉通りの意味だ! 大魔獣神様より授かりし新たな力【摩力探知】と流れを変えて、軍門へ下される【摩力変換】! 生命エネルギーである摩力の流れを変えられたこやつは既に貴様らの知る小童ではない! それにだ、この小童はなかなか面白い輩だぞ。なにせ、こやつの中には我らが同胞たる摩力が流れているのだからな!」
「えっ? それは一体……」
キジンガ―の話しに俺は我が耳を疑う。
「分かりやすく云うならば、この小童の摩力の中、我らと同じ裏世界の摩力が混在している。だからこそ、こうして軍門へ下さらせることも容易いことであった! どうして小童の中に裏世界の摩力が流れているかは分からぬが、そんなことは些末なこと!せめてもの情けだ、愛する者に殺されるがいいチート!」
キジンガ―は斧を俺へ突きつけた。
「行け! 黒龍! チートを食い殺すのだ!」
【ギャオオォォーン!】
キジンガ―の声に黒龍は反応して、身体をくねらせ始める。
嫌な予感を感じた俺は後ろへ飛んだ。
刹那、さっきまで立っていた所にスーは紫の炎を吐き散らしていた。
だけど、肌を撫でる黒龍からの殺気は未だしっかりと感じられる。
気が付くと、黒龍は俺へ向けて、口の牙を覗かせながら猛スピードで接近していた。
「うわっ!?」
間一髪のところで避けられたけど、
風圧で体が紙切れのように吹き飛ばされる。
肉体強化のお蔭で何とか着地できたけど、
ただそれだけ。
黒龍はまた俺へ狙いを定めて、
口の中に炎を溜めている。
「スー! やめろ! 止めてくれッ!」
そう叫んでも黒龍が反応する様子も、
溜めている紫の炎が消える様子もない。
【ギャオォォォン!】
黒龍の口の中で咆哮と一緒に紫の炎が爆発した。
爆発した炎は鋭利な歯牙に反射する。
拡散した紫の炎は頭上から雨のように降り注ぐ。
「スー! 目を覚ましてくれ! スーッ!」
降り注ぐ紫の炎を避けつつ、俺は叫び続ける。
しかし俺の声は、地面を抉る炎の爆発音にかき消される。
黒龍は俺を焼き殺そうと炎を吐き続けて、
俺はそれを辛うじて避ける。
どんなに俺が静止を叫んでも、
スーの名前を呼んでも、黒
龍の目の色が変わることは無い。
ただ、機械のように、まるで作業のように、
キジンガ―が命じるまま、黒龍は
身体をくねらせながら紫の炎を吐き続ける。
――どうしたら……一体……
そんなことを思いながら避け続けていると、
ふとキジンガ―がさっき云っていた言葉が頭を過った。
――摩力の流れ……そうか!
奴はスーの摩力の流れを変えたと云っていた。
――だったら俺もキジンガ―と同じことをスーにすれば良いだけだ!
『少年!? なぜ立ち止まるのだ!?』
俺はブレスさんの声を聞き流して、
地面を踏みしめる。
黒龍は狙い通り、
止まったことに気づいてこちらを向く。
【ギャオォォォン!】
空気を震わせるほどの激しい咆哮を上げながら、
黒龍が大口を開いてこっちへ突撃してくる。
圧倒的な黒龍の雰囲気に一瞬気圧されそうになったけど、
だけど強い意志が俺の体へ力を漲らせていた。
――スーを助けたい! この手に取り戻したい!
その気持ちだけで俺は急接近してくる、
黒龍のプレッシャーに耐える。
【ギャオォォォン!】
「ッ!!」
黒龍の口が目の前に迫った刹那、
俺は横へ転がった。
猛スピードで傍を過ってゆく黒龍の長い胴体。
「そらっ!」
そこへ向けて俺は飛び、
そしてなんとか、鱗と鱗の間へ、
手の指を挟み込むことができた。
瞬間、俺の体がふわりと浮いて、
黒龍と共に空へと昇ってゆく。
「クッ……!」
空を駆ける黒龍の風圧は物凄い。
少しでも気を抜いたら、俺なんてすぐに吹っ飛ばされて、
風圧で身体がバラバラに引き裂かれそうだと感じる。
俺は慎重に、鱗の間へしっかりと指を挟み込みながら空を駆ける
黒龍の鱗の上を昇ってゆく。
焦らず、確実に、一歩ずつ前進して、
そしてようやく黒龍の背中へ到着して、ひ
とまず体勢を落ち着けることができた。
――でもここからが本番!
俺は風圧で吹き飛ばされないよう鱗を掴みながら、
もう片方の手を黒龍の背中へ押し付ける。
「ブレスさん! 力、貸してください!」
『うむ! 心得た! 存分に私の力を使うが良い!』
気持ちを集中させると、テイマーブレスから荘厳な光があふれ出た。
「エスクテイマーッ!」
テイマーブレスから光が迸って、
黒龍の体へ流れ込んでゆく。
【グル、グガッ……】
黒龍の長い体が少し波を打って、
短い呻きを上げる。
――これならいける!
「スーッ! 帰って来てくれッ!」
俺は更に想いを高まらせて、
更にエクステイマーの力を流し込む。
すると、今度は黒龍の体から、
黒いモヤモヤが噴き出てきて、俺の中へと流れ込んでくる。
「うっ……!」
流れ込んだ来た黒いモヤモヤは凄く気持ちが悪いものだった。
胸や腹が締め付けられるように痛くて、
頭がクラクラし始める。
視界もかすんで、
鱗を掴む手から少し力が抜ける。
『少年! 気をしっかり持つのだ! 裏世界の摩力に負けるんじゃない!』
「は、はいッ!」
ブレスさんの励ましを受けて、
意識を立て直す。
相変わらず黒龍からは不愉快な摩力が逆流してきていて、
俺から力を奪おうとしてくる。
きっと、前の俺だったら、
卒倒して黒龍から振り落されていたと思う。
――でも今は違う!
獣神達と触れ合って、
俺は自分でも少し強くなったと感じていた。
エールの勇ましさ、
ボックさんの優しさ、
ピルスの元気さ、
ランビックの直向きさ、
アルトの熱さ、
そして……スーを想う気持ち。
俺はスーを取り戻したい!
この手に!
「スーッ! 戻って来てくれ! お願いだぁぁぁっ!」
叫びと同時に、エクステイマーの荘厳な輝きが爆ぜた。
それは逆流してきた裏世界の摩力を、
そして周りの景色や、
俺の視界さえも輝きの渦の中へ巻き込まれてゆく。
「スーッ!」
俺の叫びは光に?き消され、
そして俺の視界も一瞬で真っ白に染まって
自分がどこにいるのか、
今何をしているのかさえ分からなくさせるのだった。
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「うっ……」
視界が開いたような気がした。
だけど目の前は真っ黒で、
何がどうなっているのかさっぱりわからない。
俺は何故か真っ暗なところで一人うつ伏せに倒れていた。
『ぶ、無事か……少年よ』
目の前に突き出されている、
右腕のテイマーブレスが声を一緒に点滅する。
「え、ええ……」
そう応答して手を突く。
何もない黒い空間なのに、
手がしっかりと付く。
そのまま手をついて体に力を入れてみると、
俺はその場に立つことができた。
周りにはどこまでも黒が続いている。
そんなところなのに、
何故か俺の心は不安で乱れていなかった。
鼻を掠める、匂いが暗闇の中にいる、
俺の不安を拭い去っていた。
微かに香る、
お香のような匂いが。
「これってスーの匂い……?」
『ここがどこなのか解析が終わったぞ少年』
ブレスさんが声を上げて、俺は腕を掲げた。
『ここは恐らくスーの摩力の中。わかりやすく云えば、彼女の魂の中に存在する精神世界ともいうべきところだろう』
「スーの精神世界? なんで俺はそんなところに?』
俺はさっきまで大魔獣キジンガ―に操られた、
スーを元に戻そうとしていた。
そのために黒龍に変身したスーの背中にしがみ付いて、
一生懸命エクステイマーの力を流し込んで
そして――そこで記憶が途切れてしまう。
『これはあくまで私の推測だが、少年のスーを想う気持ちが高まり、君の肉体と魂がエクステイマーとなってスーの精神世界へ入り込んだのだろう』
にわかに信じられないけど、
でも状況からそう信じざるを得ないと思う。
その時だった。
「……?」
足元の黒が淡い紫色の輝きを放ち始めた。
【わたし、どう、して……】
「スー……? スーッ! どこにいるの!? スーッ!」
黒の中からかすかに聞こえたスーの声へ、俺は叫ぶ。
だけど俺の声が響くだけで、スーからの返事は無い。
その間に足元の紫はより輝きを放っていた。
やがて、足元の黒がぼんやりと陰影を浮かべて、色が付きはじめる。
【わたし、どうして、うまれた、の……?】
寂しげなスーの声が聞こえたのと同時に、
足元の像がはっきりと結ばれた。
小さな檻がたくさん置いてある寒々しい部屋の様子だった。
明らかに異世界のものじゃないそこ。
そう、まるでそこは……
「前の世界……?」
俺の意識はまるで吸い込まれるように足元の像に集中してゆくのだった。




