四章11:単独行動と遭難とブレスさん
「クンクン、クンクン……やな雲の匂いだなぁ……」
テントのところへ戻ったピルスが、タープの下でそう云った。
さっきまで真っ青だった空には灰色の雲が掛かっていて、
空気は少し湿っぽい。
「明日の大会って雨が降ってもやるの?」
水で濡れる競技だから雨も関係なさそうだけど、
気になったので聞いてみた。
「多少ならね。でも豪雨だったら流石に危ないから延期になるだろうねー」
「そっか」
ふと、周囲にランビックが居ないことに気が付く。
「あれ? ねぇピルス、ランビックは?」
「ラン? トイレとか?」
にしては周囲に気配を感じられない。
――や、トイレの気配を感じても困るけど。
「ちょっと探してくるね」
ピルスへそう云って俺は椅子から立ち上がった。
「うん! でも早く帰って来てねー。雲行き怪しいし、明日に備えて今日はもうみんなでゆっくり休みたいからさー!」
「分かってる。じゃ!」
俺はピルスに明るくそう告げてテントから離れた。
だけど俺の胸の中は嫌な予感でモヤモヤしていた。
『少年よ、君も良い意味で嘘が付けるようになったのだな』
森の中を進んでいると、
ブレスさんがそう声を掛けてくる。
「なんのことですか?」
『とぼけるでない。君はランビックの様子がおかしいの分かって居ながら、ピルスに心配させないためにさらりと立ち上がったのだろ?』
「あー……そうなるんですかね?」
『なんだ自覚なしか?』
「ええ、まぁ」
もし俺の嫌な予感と予想が正しければ、
ランビックは川の傍に入る筈。
森の茂みを掻き分けて進んでゆき――やっぱりみつけた。
岸には水着姿のランビックがいた。
彼女は手にパドルを持って、
個人練習用のピンクの小型ゴムボートの傍に立っている。
「一人で練習ですか?」
「ッ!?」
俺のことに全く気付いていなかったのか、ランビックは踵を返してくる。
やっぱり顔の表情は強張っている。
その時、鼻の上へ水が落ちてきた。
湿気を含んだ強い風が吹いて、森の木々を不気味に揺らす。
湿っぽい曇天からぽつりぽつりと雨が降り始めた。
「来た!」
瞬間、ランビックは嬉しそうな顔をする。
そしてパドルを強く握りしめると、ピンクのゴムボートを川へ向かって押した。
ボートを着水させたランビックはボートに一人で乗り込む。
途端、雨脚が鋭くなって、激しい雷雨が始まる。
「ランビック!? 何するんですか!? 危ないですよ!?」
俺がそう声を懸ける。
だけど雷雨で声が聞こえないのか、はたまた無視しているのか、
ランビックは激しい雷雨の中ボートを漕ぎ始める。
『いかん! ランビックは一人で滝つぼへ突っ込む気だぞ! 追うのだ!』
「はい!」
俺は岸を走って、雷雨の中ボートを漕ぐランビックを追う。
打ち付けるような強さの雨は、俺の視界をかすませ、満足に前へ進ませない。
風も激しく、雷はずっと轟を上げていて、まるで台風の中にいるみたいだった。
「ランビック! 何をしてるんですか! 早く上がって下さい!」
必死に叫ぶ。
だけど俺の声は雨に阻まれて届かない。
ランビックは風や雷雨に弄ばれながらも、
力強くボートを漕いで滝つぼへ進んでゆく。
「ッ!!」
そしてランビックは勢い良くパドルで荒れ狂う水面を掻いて、
自分の乗るボートを滝つぼへ落とした。
「あっ!?」
だけどその瞬間、横殴りの強い風がランビックへ吹き付けた。
滝つぼへ落ちかけていたボートの底はもろに風を受けて、翻る。
ランビックの体がボートから投げ出されて、宙を舞っていた。
俺は考えるよりも早く、雨でドロドロになった地面を蹴った。
「ブレスさん!」
『えいやっ!』
阿吽の呼吸でブレスさんが肉体強化の呪文を施してくれる。
一か月間で鍛えた体と呪文のお蔭で、
前では考えられないくらいのジャンプができた。
「ランビック!」
宙を無防備に舞っていたランビックを何とか抱きしめることができた。
瞬間、激しい風が吹き荒れた。
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
ランビックを抱いた俺はまるで紙人形みたいに風に吹き飛ばされる。
そして生身のまま、雷雨の影響で混濁する川へ叩き落された。
普段でも激流なのに、激しい雷雨の影響でその流れは更に勢いを増していた。
水の中でランビックを抱きしめているのが精一杯だった。
俺は激流に翻弄され、例え肉体強化をされていても満足に泳ぐことができない。
――だけど、ランビックを守らないと!
俺はその一心で流れに翻弄されながらもランビックを抱きしめ続ける。
流れに揉まれていると次第に視界が霞んでゆく。
やがて自分がどこにいるのか、何をしているのか分からなくなる。
俺の腕の中で、ランビックが泡を吹いた。
それっきり俺に頭を預けたまま動かなくなる。
――このままじゃダメだ! このままじゃランビックと俺は……
なんとか激流の中から這い出そうと身体をよじる。
だけど、殆ど目は見えなくて、激しい水圧に逆らえない。
口の中には、少しずつ、でも確実に水が入り込んできて、酸素を奪ってゆく。
「ぼこっ……」
俺の口から一気に酸素が漏れて、泥水が入り込んでくる。
手足から力が抜けた。
その時、テイマーブレスが混濁する水の中で眩しい光を放った。
『今助けるぞ、少年! えーいやぁーっ!』
頭の中へ直接響くブレスさんの力強い声。
同時にテイマーブレスから輝きが広がって俺とランビックを包みこむ。
『しっかりと、力強くランビックを抱いているのだ!』
ブレスさんの声を聞いて、
俺は力の限りランビックを抱きしめた。
『そぉぉぉりやぁぁぁッ!!』
光の包まれた俺とランビックは突然、混濁する水の中を疾駆し始めた。
流れを無視して、俺とランビックは流れ星みたいに水の中を走る。
流れてくる流木はバキッとへし折られ、岩はあっさりと砕かれる。
俺たちを邪魔するモノは何もない。
ただひたすら、流れを横ぎって真っ直ぐ進むだけ。
『とぉぉぉりやぁぁぁーッ!』
ブレスさんの一際強い叫びが聞こえた。
途端に、俺とランビックの身体は90度の角度で急浮上。
濁流から一気に飛び出た。
そして今度は急降下。
雷雨を弾きながら、真っ直ぐと岸に落ちて行く。
『背を向けろ! 対ショック姿勢!』
言われた通り、身体を翻して背中を地面へ向ける。
すると、俺とランビックを包んでいた光が背中に集中した。
刹那、俺たちは岸へ大激突した。
「かはっ!」
落下の衝撃が直接背中に伝わって、喉の奥に入り込んだ川の水が一気に噴き出す。
気持ち悪くて、思わず俺は膝を突いて、暫く咽びこんだ。
ようやく呼吸が落ち着いて後ろを振り返ると、
実は洒落にならないことになっていたと気づく
俺たちが落っこちただろう所には、大きなクレーターが形成されていた。
たぶん、ブレスさんが”対ショック姿勢”とかいうものをしてくれていなかったら
ミンチになっていたと思うと背筋がブルッと震えた。
『ぶ、無事か、少年よ……』
「ブレスさん……?」
初めてブレスさんの声が弱く聞こえた。
『済まない、な……少々力を使い過ぎたようだ……やはりこの形での無茶はいかんな……』
「そうだったんですか……すみません、俺たちのために……」
『気にすることは無い。これが私の役目だからな。最も、使命感だけではないのだがな』
「えっ?」
『……HAHAHA! そういう訳で少年! 私は暫くの間休ませてもらうとしよう! 何、案ずるな!数時間もあれば完全復活だから無問題!』
きっとブレスさん、凄く疲れてるんだろう。
それでも元気にいつもの調子で喋ってくれている。
何となくそんな行為が大人なような、カッコいいような気がした俺だった。
「ブレスさん! ありがとうございました!」
だから俺は力の限り、元気よくそう云う。
『有無! ではお言葉に甘えてそうさせて貰おう! しかし何かあったらいつでも遠慮なく私をたたき起こすのだぞ? 良いな!』
「なるべくそうしないように頑張ります!」
『本当に逞しくなって私は嬉しいぞ! それでは暫しの別れだ! くれぐれも、絶対に無茶なことはするんじゃないぞ? 休眠期は私に由来する力は全て使えないから気を付けるように!HAHAHAHA!』
ブレスさんの高笑いと共に、テイマーブレスの真中にある宝石が輝きを失ってゆく。
それっきりブレスさんの声は聞こえなくなった。
俺はすっかり腕に馴染んだテイマーブレスをそっと撫でた。
「ありがとうございましたブレスさん。心配かけないように俺頑張りますね」
そう声を掛け、立ち上がった。
そして後ろで倒れているランビックへ駆け寄る。
薄らと頭の中にある応急処置の記憶を頼りに状態確認。
胸は微かに上下しているから呼吸は良し。
口元に手を翳しても僅かにランビックの熱い息を感じる。
口の中からは砂利の混じった水が零れて出ている。
俺と一緒で、落下の衝撃で飲み込んだ水を吐きだしたと思う。
どうやらランビックは眠っている、に近い状態だと感じた。
だけど、このまま強い雨に打たれ続けてちゃ、体温が下がってマズイ。
ふと視線を巡らせると、近くに洞窟があった。
あそこで雷雨を凌ごうと決めて、ランビックを抱きかかえる。
前ならすぐにへばっていたけど、今ならなんとか女の子一人くらいは抱えられた。
――ホント、身体鍛えてよかったな。
そうしみじみ想いながら俺はランビックを洞窟の中へ運び込むのだった。




