三章5:ブレスさんと奥さんと悪夢再び
治癒士の知識を学ぶのは明日から、ということで、
夕食を終えた俺はボックさんが用意してくれた部屋のベッドの上に寝転がって寛いでいた。
ベッドの頭の方に窓があって、月のように大きく見える星が闇夜を照らしている。
森の中はから微かに鈴のような虫の声が聞こえて、耳に心地いい。
なによりもこの家全体が、ボックさんのような、
落ち着きのある優しい匂いで満ちていて自然と体がリラックスできていた。
『……』
ふと、右腕から外して、ベッド脇の棚の上に置いたテイマーブレスを見る。
――なんかブレスさん、ここに来てからちょっと様子がおかしいような?
コーンスターチの時はうるさいって思う位喋ってたのに、
ここに来てからは殆ど声を聞いていないような気がする。
「ブレスさん」
『……』
「ブーレースさん!」
『……なんだね? そんなに大きな声を出さずとも聞こえているが?』
やっぱちょっと刺々しい。
「どうしたんですか? なんかここに来てから全然喋ってませんよね?」
『ブレスレットが喋るなんてどう考えても不気味じゃないか。だから黙っているのだが? なにか問題でもあるのかね』
確かにそうだけど、なんか今更な気がする。
それにちょっと突き放したような言い方をするブレスさんに少しムッとした。
「今更何言ってるんっすか? エールの時は揚々と自分から喋りかけてたじゃないですか」
『あの時はあの時、今は今だ。もしボックが喋る私を見て不気味がったらどうするのだ? こんな喋るブレスレットなど奇怪で、気持ち悪いと言ったらどうするつもりなのだ?』
「……?」
――物凄く気にしてる?
それってもしかして……
「もしかしてブレスさん、ボックさんのこと意識してます?」
『ッ!! な、何を言うのだ! この私がどうして彼女の……』
俺でも良くわかるくらい、滅茶苦茶意識してる様子だった。
「はは~ん、ブレスさん、ボックさんみたいな人が好みなんですね?」
『なんだねその見透かしたような態度! 年長者への礼儀がなっていないぞ!』
もうはっきりと意識してるのが分かった。
――これちょっと面白いかも。
ッと、悪魔な俺が顔を少し覗かせる。
「ですよねぇ~、俺もボックさんが綺麗だなって思いますよ。優しそうですし、胸も結構……」
『そういうよこしまな目で彼女を見るんじゃない!』
少しブレスさんが怒ったような声を上げた。
流石にちょと本気っぽく感じたので、申し訳ないことをしたと思った。
「す、すみません、冗談が過ぎました……」
『こちらこそ済まなかった。つい、声を荒げてしまって……』
「でも、ブレスさんやっぱりボックさんみたいな人が好みってことですか?」
『……いや、そういう訳ではないのだ』
「?」
『彼女を見ていると、その……なんだ……居なくなった嫁を、大獣神を思い出すのだ……なんというか……凄く、生前の妻に似ているような気がして……」
ブレスさんに言われて、俺もそうだと思った。
転生の時、少し会っただけだけど、優しそうな雰囲気とか、
心が広そうなところとかが確かに大獣神さんとよく似ていると思う。
「ブレスさん、大獣神、奥さんのこと大好きなんですね」
『ふん! 当たり前だ! 私は妻LOVEなのだからな! この愛は誰にも負けん!』
ちょっと、ブレスさんが可愛いような気がした。
素直ていうか、なんていうか。
大獣神さんのことが大好きだから、
良く似ているボックさんを見て意識しちゃってるんだろう。
『だから少年よ、ボックに妙なことをしたらこの私がただではおかないからな! 良いな!?』
「し、しませんよ、そんなこと。第一したら俺、獅子拳とかいうのでやられちゃいます」
『だが念には念だ! 私からも釘を刺して置くぞ!』
「はいはい、わかりました。でも、そんなに意識してるなら喋りかければ良いじゃないですか?なんでずっと黙ってるんですか?」
『だから、彼女がもし喋るブレスレットを見て不気味がったら……」
「つまりボックさんには嫌われたくないってことですね?」
『……ま、まぁ、そういうことだ。よって暫くの間、解説が必要な際は直接頭に言葉を流し込むのでそのつもりでいるように』
――ブレスさんも結構ガラスのハートで、チキンなんだね
だけど、そんなブレスさんの気持ちを聞いて、何となく前よりも親近感が湧く俺だった。
「ブレスさんって、案外俺位繊細なんですね?」
『バカを言うな! 私は簡単には屈しない、鋼鉄のハートをだな……」
「チキン、チキンー」
『こ、こら! よさないか! 年長者への礼儀がなっとらんぞ!!』
だけど全然怒ってるような気がしない。
俺は暫くの間ブレスさんをからかう。
そうして知らないうちに眠りの淵に落ちたのだった。
●●●
「かはっ! ぐっふ、げほっ!」
胸の奥から夥しいほどの血がこみ上げて、口から外へ飛び出た。
刹那、一気に寒さを感じ始め、身体が感じたことのない震えに襲われる。
それだけじゃない。
手足、背中、体の至る所に激しい痛みを感じた。
どこかへぶつけたとかそんなレベルじゃない。
ぶつけた時の何倍、何十倍の痛み。
まるで全身を、鋭利な針で延々と刺されているような、鋭い刃物でなます切りに
されているような、これまで感じたことのない激しい痛みが全身をくまなく席巻している。
痛くて痛くて叫びを上げたいけど、喉に血が詰まっているのか上手く発生できない。
ただ喉の奥からヒュヒュと息が漏れるだけ。
叫びで誤魔化せない分、余計に痛みが全身に伝わって苦しくて仕方がない。
胸がギュッと閉まり、頭が痛くてたまらなくて――そして俺は怖くなった。
自分という存在が本当の希薄になってゆく感覚。
もう明日の朝を迎えることはできない。
これ以上前に進むことはできない。
ひょっとしたらこの先に良いことがあったかもしれない。
でも、俺にもう明日は無い。
あるのは激しい痛みと「死」の恐怖。
――苦しい……痛い……助けて、誰か……!
だけど誰も俺のことを助けてはくれない。
この痛みも、苦しみからも誰も救ってはくれない。
――誰か、お願いだから……!
俺は「死」の痛み、苦しみ、そして恐怖に怯え続けていた。
そこで俺は、また目を覚ました。




