三章4:治癒士とボックさんと一つ屋根の下
「どうぞお上がりください。窮屈ですみません」
ボックさんに招かれて、ログハウスの中へと入る。
小奇麗で質素な室内で、全然窮屈さなんてなかった。
室内には木の清々しい匂いに満ちていて、凄く心地良い。
だけど壁際には本や、様々な草木の標本がぎっしりと並んでいた。
その量は圧倒的で、ついついため息が漏れてしまった。
「凄い本の量ですね」
「治癒関連のものばかりですけどね。今、お茶を入れてまいります。もし良かったらそちらの本、読んでも良いですからね」
そう云ってボックさんは隣の部屋へ続く扉を開いた。
なんとなくボックさんの本に興味が沸いた俺は、徐に棚から一冊取り出す。
《治癒士入門ハンドブック》
そんなタイトルのちょっと薄めの本を手に取って開いた。
[治癒士とは、主にビァル南西部緑の国のラガー付近に自生するルプリンという実を使って、身体に流れる摩力の流れを正し、外傷内傷問わず、痛みの軽減または除去を行う者を指し、その歴史は古く遥か数千年前より……]
あんまりにも一文が長すぎて本をパタンと閉じた。
どこの世界も、こうした小難しい本はどうしてこんなに一文が長いんだろうと思う。
――にしても、ビァルの【まりょく】って【魔力】じゃなくて【摩力】なんだ。
文字で読んで初めて知ったことだった。
【クーン】
突然、胸を高鳴らせる可愛い鳴き声が聞こえた。
視線を下げてみると一緒に家の中に入ったバンディットが、
俺の脛の辺りをペロペロと舐めていた。
「なんだ、相手して欲しいのか?」
【クーン】
かがみ込んでバンディットの頭を撫でようとすると、
「うわっ!?」
【キューンッ!】
突然、バンディットは俺を押し倒して、馬乗りの姿勢になった。
【クゥー! クゥー!】
「こ、こら!擽ったいってバンディット! あは!」
バンディットが可愛い声をあげながら顔をペロペロと舐め回して来た。
可愛くて癒されるのは確かだけど……ちょっと苦しかった。
ダックスの時のスーなら全然大丈夫だけど、バンディットはその五倍くらいの大きさがある。
その体重が思いっきり乗っかってきているもんだから、重くて少し息苦しかった。
「バンディット! 重いって!」
【クゥー!】
どんなに手で押しのけようと、バンディットは俺の上から降りようとしない。
どうしようと思っていたとき、はたりとアイディアを思いつく。
「エ、エターナルガトーッ!」
バンディットの事を思いながら、手に意識を集中させてスキルを発動させる。
手には透明の袋に入ったクッキーのようなものが握られていた。
「ほ、ほら! バンディット! おやつあげるから!」
【ッ!!】
バンディットの視線がおやつのクッキーへ移った。
「降りなさい!」
少し強めにそう云うと、バンディットは素直に俺の上から降りた。
「お座り!」
試しに言ってみると、バンディットは尻尾を横に振りながら、
素直にお座りをしてくれた。
――なんだ、結構素直じゃないか。
「バンディット、伏せ!」
またまたバンディットは素直に伏せの体勢を取る。
袋からクッキーを出して、
「ダメだからな! まだだからな?」
そう云いながらバンディットの鼻の少し先にクッキーを置いた。
バンディットはクッキーと俺の目を交合に、何回も見る。
その様子はまるで”まだくれないの?”みたいに思えた。
その仕草が可愛くて、ついつい顔がにやけてしまう。
【キュー! キュー!】
流石に素直なバンディットも待ちきれないのか、
高い鳴き声を漏らした。
「よし! 食べていいよ!」
【ッ!】
バンディットはクッキーへ飛びつくと、
あっという間にを口の中へ放り込んだ。
「よしよし、よく我慢できたな、偉いぞ?」
【キューキュー!】
ちゃんと言いつけを守れたんだから、褒めるのは当然。
俺はバンディットの頭をくしゃくしゃと撫でる。
そうするとまたバンディットは笑っているみたいに顔を綻ばせた。
「あら? チートさんにおやつを頂いたの? 良かったわね」
ボックさんがニコニコと笑いながら、
ティーポットとお茶菓子が乗ったお盆を持って戻ってきた。
「チートさん凄いですね。バンディットがこんなにも懐くなんて、私以外では初めてですよ?」
「そうなんですか?」
「ええ。この子は以前、森の中で人間に襲われていた所を保護したんです。以来、トラウマになってしまったのか人間には強い警戒心を持つようになってたんですけどね」
――どこの世界にでもいるんだな、動物を未だに畜生みたいに扱う連中って……
「バンディット、おいで」
ボックさんは屈みこんで、そう云う。
だけどバンディットは全く動かず、逆に俺にすり寄ってきた。
「おいおいバンディット、飼い主はボックさんだろ?」
【ハッ! ハッ! ハッ!】
もう全然、ボックさんのことが眼に入ってない。
バンディットは俺の方を見たままだった。
「育ての親よりも、愛しの彼氏ですか」
ちょっと残念そうにボックさんはそう云う。
「彼氏?」
「バンディットは雌なんです。きっと、チートさんに惚れちゃったんですね」
【ハッ! ハッ! ハッ!】
どうりでバンディットが俺を見る目が妙にキラキラしてると思った。
確かにこの感じはエクステイマーをかけたスーやエール、剣魔獣軍団に良く似ていた。
――力を制御できてるつもりだったけど、やっぱり簡単には上手くいかないもんなんだな。
ただ治癒能力を使っただけも、こうなっちゃうのは少し問題だった。
怪我をしている動物を放って置けない。
だけど毎度こういう風になっちゃうのも悩みものだ。
――やっぱ力を制御する方法を身に付けるしかないのかな……
そんなことを思っていると本棚の本が目に留まった。
そしてその内容と、さっき出会った時、
ボックさんが見せてくれたルプリンを使った治療が繋がる。
上手くできるかどうか、良くわかんないけど、でももしできるようになれば、
今の悩みは解決できるはず。
「あのボックさん、一つ聞いていいですか?」
「なんですか?」
お茶を入れているボックさんに聞く。
俺はひとまずテーブルについて、ボックさんの方を見た。
「えっと、治癒士ってどういう風になるものなんですか? なんか試験とかあるんですか?」
「いえ、そんなのはありませんよ。正しく摩力の流れを読み取って、それに対応したルプリンの処方ができれば、治癒士になれます。ただギルドに所属する程度の能力がなければなりませんが……」
「これぐらいでも大丈夫ですか?」
俺は手の甲に浮かんだ紋章から、
俺のステータス画面を映した。
「あら? チートさん、ギルドに所属してらしたのですね。じゃあ、私も……」
ボックさんも右の手の甲を見せる。
良く見れば所属の証の紋章が浮かんでいた。
【登録者】:ボック
【評価】:★★★★★(詳しくはここをクリック)
【職業】:治癒士
【スキル】:獅子拳/着鋼
案外ボックさんの評価も高くてちょっとガックリきた。
――治癒士って明らかに回復系だと思うのに、スキルが拳法?
確かにさっき罠に掛かった時にみたボックさんの構えは、素人目にも、
気迫が漲っているように見えた。
意外とこういう優しい雰囲気の人って、怒ったら物凄いって言うし。
――あんまし怒らせないようにしよう。
「チートさん?」
「あ、いや!何でもないです! で、話戻しますけど、その俺って治癒士になれますか?」
「えっ? 治癒士にですか? 意外と難しいですよ? 専門知識も必要ですしね」
「まぁ、なにもいきなりなれるなん思ってません。ここでボックさんとお会いできたのも何かの縁ですし、触りの少しでも教えてくれたらと……」
「でも、チートさんはバンディットを助けてくれましたよね? 今さら、私から治癒の知識を学ぶ必要なないんじゃないでしょうか?」
実は、バンディットは大獣神から貰った治癒能力で、
なんていったところで信じて貰えないと思う。
この能力のことはブレスさんが隠しているから、
簡単に見せることなんてできないし、第一この力は色々と問題が多すぎる。
だけど、傷ついた生き物は放っておくことができないのは正直なところだった。
「バンディットの時はたまたま俺でも対処できるくらいのことだったんで……でももしもっと傷ついてたらどうにも出来なかったろうって。でも、そんな時ボックさんにお会いできて、ルプリンの治癒を見せてもらって思ったんです。もしボックさんと同じことができるようになったら、もっと大勢の生き物たちを助けられるんじゃないかって」
少し嘘を織り交ぜながらだけど、
今言える正直なことを語ったつもりだった。
「そうですか……先に言っておきます。この治癒は普通の医学というものとは訳が違います。もし、チートさんが肉体を優位と考える医学に精通してるのでした相当なギャップがあることでしょう。でも、学ぶためにはその概念を忘れて、私の話を真摯に受け止めてもらう必要があります。そういうことはできますか?」
もしかするとボックさんは俺のことを、
医者かなんかの卵だと勘違いしているのかもしれない。
「大丈夫ですよ。教えてもらうんです。ボックさんの言うことはなんでも信じますよ。だからお願いします。治癒の知識を俺に教えてください!」
ボックさんは即答せずに、俺の目をじっと見ていた。
俺もまたボックさんから視線を外さない。
やがて、ボックさんは、フッとため息をついた。
「……覚悟はおありのようですね。わかりました。教えます」
「ホントですか!?」
「ええ。でも慣れないうちは本当に難しいですからね。相応の覚悟をしてくださいね。治癒に関しては一切手加減は致しませんよ? 良いですね?」
「も、もちろんですよ!」
一瞬、ボックさんのスキル枠に見えた【獅子拳】の表記が思い出されて、自然と背筋が伸びる。
――怒らせたら怖そうだから、絶対にそうしないようにしよう。
そう思う俺なのであった。
「では早速準備をして参りますね」
ボックさんは急に立ち上がる。
「準備って、もう始めるんですか?」
「いえ、今日はもう遅いので明日からにしましょう。明日からみっちり教えますので、ある程度知識が身につくまで家に居てもらいますからね」
「い、良いんですか!? その……一応、俺男ですよ?」
「? 大丈夫ですよ。チートさんならなんとなく安心だと思いますから」
――それって俺に男としての魅力が無いってことかなぁ……
言葉の真意は定かじゃないけど、
やっぱそう言われると地味にガラスのハートがバッキン。
「バンディットを助けてくれるような良い人ですもの。それにもしも万が一、億が一、チートさんが下賤な輩でしたら、私の獅子拳を遠慮なく使わせていただきますので」
笑顔でそういうボックさんを見て、や
っぱり背筋が凍りつく。
――マジ、冗談でも下手なことはしないでおこう。
「ふふ、そんな怖がらないでください。冗談ですから。それではチートさんのお部屋の用意をして参りますね。ゆっくりとお茶でも飲んでくつろいでてください」
ボックさんは部屋の奥へと消えてゆく。
変なことをするつもりは毛頭ない。
だけど、ちょっと嬉しかったりする俺だった。
ビアルに来てからの悩みも解決できるし、何よりも綺麗なボックさんと暫く一緒に
一つ屋根の下で生活できるだなんて物凄くラッキー。
『何をそんなに興奮しているのかね? それではまるで盛った雄犬ではないか』
なんか久々にブレスさんが喋った気がした。
しかもちょっと言葉が刺々しい。
「そういやブレスさん、なんでさっきからそんなに機嫌悪そう何ですか?」
『それはだな……』
「あの、チートさん! ちょっと来ていただけませんか? お布団を降ろすの手伝ってください!」
ボックさんの声が聞こえた途端、またまたブレスさんは黙ってしまった。
とりあえず俺はブレスさんを気にしながらも、ボックさんのところへ行くのだった。




