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三章2:苦しみと嘆きと消えない記憶


「かはっ! ぐっふ、げほっ!」


 胸の奥から夥しいほどの血がこみ上げて、口から外へ飛び出た。

刹那、一気に寒さを感じ始め、身体が感じたことのない震えに襲われる。

それだけじゃない。

手足、背中、体の至る所に激しい痛みを感じた。

どこかへぶつけたとかそんなレベルじゃない。

ぶつけた時の何倍、何十倍の痛み。

まるで全身を、鋭利な針で延々と刺されているような、鋭い刃物でなます切りに

されているような、これまで感じたことのない激しい痛みが全身をくまなく席巻している。


 痛くて痛くて叫びを上げたいけど、喉に血が詰まっているのか上手く発生できない。

ただ喉の奥からヒュヒュと息が漏れるだけ。

叫びで誤魔化せない分、余計に痛みが全身に伝わって苦しくて仕方がない。


 胸がギュッと閉まり、頭が痛くてたまらなくて――そして俺は怖くなった。

 

自分という存在が本当の希薄になってゆく感覚。

もう明日の朝を迎えることはできない。

これ以上前に進むことはできない。

ひょっとしたらこの先に良いことがあったかもしれない。

でも、俺にもう明日は無い。

あるのは激しい痛みと「死」の恐怖。


――苦しい……痛い……助けて、誰か……!


 だけど誰も俺のことを助けてはくれない。

この痛みも、苦しみからも誰も救ってはくれない。


――誰か、お願いだから……!


 俺は「死」の痛み、苦しみ、そして恐怖に怯え続けていた。



●●●



「うっ……ううっ……はっ!」


 朝日が瞼を真っ赤に染めて、目が覚めた。

全身は汗でびっしょり濡れていて、呼吸も全力疾走した後のように荒い。

だけど、さっきまで感じていた激しい痛みは全くなかった。


――夢、だったんだ……


 そう思ってホッと胸をなで下ろす。


『随分、うなされていたようだが大丈夫かね?』


 右腕のテイマーブレスからブレスさんがそう聞いてきてくれる。


「ええ、大丈夫です。ちょっと、その嫌な夢をみてまして……」

『そうか。疲弊時には夢で嫌なものを見る確率が高いと聞く。その影響かもしれないな。まだ休むかね?』


 なんとなくブレスさんが気を使ってくれているように思った。


「いえ、大丈夫です。十分寝ましたし……」


 俺は今、深い森の中にいた。

何故こんなところにいるかというと、

剣魔獣軍団から逃げてきたからだ。


 エクステイマーの効果で俺を愛するようになってしまった魔獣軍団から必死に逃げて、

俺はいつの間にか深い森の中に迷い込んでしまったようだった。

 あまりにも一心不乱で逃げたものだからスーとエールも置いてきてしまっていた。

だけど戻ればまた剣魔獣軍団に追いかけられるし、どうしようかと思ってたところ、


『案ずるな。少年とエールはエクステイマーの能力で特に強い絆で結ばれた。いずれ、彼女達の方から見つけてくれることだろう』


とのことで、とりあえず進路は前進で確定。

 俺とブレスさんはコーンスターチに隣接する、

次の目的地【緑の国ラガー】を目指していたのだった。


『そろそろ進もう。後半日も歩けばラガーだ』


 寝起きの体の重さが引いた俺は静かな森を歩き始めた。


 森の中は凄く静かで、空気は清々しいほどに澄んでいた。

見上げるほど高い木々は、陽の光を丁度いい具合に軽減している。

そんな落ち着いた環境は、悪夢を見たせいで少し荒んでいた、

俺の心を自然と癒してくれていた。


「……?」

『急に立ち止まってどうしたというのかね?』


 耳をそばだててると、微かに何かの息遣いのようなものが聞こえた。


――少し苦しそうだ。


 「死」の瞬間の悪夢を見たいせいか、

他の誰かの苦しそうな声に敏感になっていると思う。

 まっすぐ進んでいた森の道から少し外れて、草が生い茂る脇へ入り込む。


【グゥ~……】


 暫く進むと、そこには青と白の毛並みが鮮やかな狼のような生き物がうずくまっていた。

 よく見てみれば、近くには赤い血がついた鋭い枝がある。

 狼の後ろ足の毛が血で少し染まっていた。


  血を見ると、やっぱり悪夢のことを思い出して、

まるで自分のことみたいに思って放っておけなくなった。


「大丈夫?」

【グーッ! ガルルルッ!】


 鋭い牙を食いしばって、眉間に皺を寄せて激しく唸っている。

たぶん俺のことが怖いくて警戒してんるんだろう。

手を噛まれそうで怖いけど、でもこのまま放っておくことはできない。


「大丈夫、大丈夫だから、心配しないで」


 ゆっくり宥めるようにそう言いながら、そっと狼の体に触れる。

不思議なことに、触れた途端狼は唸りを止めた。


「今治してあげるからね」


 テイマーブレスに意識を集中させて、優しく願う。

すると、ブレスから光が迸って、怪我をしている狼へ流れ込んだ。

みるみるうちに狼の後ろ足の怪我が治ってゆく。


【グゥーッ?】

「もう立てるよ?」


 狼はゆっくりと立ち上がった。

さっきまで感じていた恐怖心と警戒心を感じない。

むしろ、目は丸くなって、俺へ円な瞳を向けている。


「行きな、ほらッ!」


 狼の背中をポンと叩いてやる。

そうすると狼は素早く反対側を向いて、元気よく森の奥へ走り去っていった。


「気をつけろよー!」

『大分、治癒能力の扱いに慣れてきたようだな少年』

「まぁ、流石に」


 俺の治癒能力は愛の力。

だからこの力を注がれた人間以外の存在は全て、俺に懐いてしまうという。

だけど力を上手くコントロールして、過剰に注ぎ込まなきゃ、

この間の剣魔獣軍団みたいにはならないと、

ここ最近ようやく気づき始めていた。


――だけどもっと重症だったら……


 さっきの狼は比較的軽傷で力を抑えることができた。

でも、これから先、もしももっと重症の生き物を見つけたときは制御する訳にはいかない。

だけど制御しないと、剣魔獣軍団みたいになっちゃうし、それは困る。

一番の選択は無視することだけど、そんなことは絶対にできない。


――もっと制御を上手くするか、何か他の方法を見つけたいな……


 そんなことをぼぅっと考えながら来た道を戻ろうとすると、

今度はどこかで嗅いだことのあるような心地よい匂いに誘われてしまう。


『お、おい、少年よ! どこへ行くのだ!?』


 ブレスさんの声は耳を通り抜けてゆく。

ただ鼻に香る、この心地いい匂いに惹かれて、俺は森の獣道を進んでゆく。

 やがて道が開けた。


 目の前には大きくて立派な木があった。

 陽の光を浴びて葉っぱがまるで緑色の宝石みたいに輝いている。

 枝の間にはリンゴ位の大きさの、緑色をした綺麗な実が付いていた。


 自然と俺の足は、緑の実が付いている大樹へ歩んでゆく。


『少年! これはおかしいぞ! 加工していないルプリンからはこのような誘引の匂いは発生しない!引き返すのだ!』


 何かブレスさんが言っているような気がしたけど気にせずに大樹へ進んでゆく。

そして大樹の根元まであと少しのところで、なんか足元がグニャリと歪んだ気がした。


「わわっ!?」


 突然、天地が逆転して、体が宙に浮く。

俺は大きなネットに包まれて、まるで捕まった獣みたいな状態になった。


「捕まえました!」


 大樹から何かが飛び降りてくる。


 人だった。


 緑色の長い髪を後ろで結って、蓬色のワンピースのような服を来た彼女。

彼女の耳は少し長く見えた。

綺麗な顔立ちの中にある、エメラルドのような瞳を鋭く窄ませて、

俺のことに睨んでいる。

彼女は大きくて立派な胸を揺らしながら、まるで空手家みたいな構えを取った。

物凄い殺気を感じる。


「さぁ、白状なさい! 貴方がこの森を荒らしまわっていた者ですね!?」

「ち、違います!」


 反射的にそう叫んだ。

だって違うんだもん。

だけど、彼女は構えを解かなかった。


「……ならば力づくで聞き出すだけですッ!」


緑の髪の彼女は、足を大きく開いて、より身体を強ばらせる。


――絶対、これマズイ!


「だから犯人ってなんですか! 俺は……!」

【ガルゥーッ!】


 その時、ネットで絡み取られた俺を何かが過ぎった。


「うひゃっ!」


ネットが引き裂かれて、そのまま地面へ落っこちた。


「バンディット!?」


 彼女は驚きの表情を浮かべて、構えを解く。


【グルゥ~……】


 何故か俺の横にはさっき助けた白と青の毛色の狼のような生き物がいた。


「君は……?」

【キューン】


 突然、狼は俺へ歩み寄ってくるなり、頬を舌で舐めてくれた。

目はまん丸になっていて、狼から全く敵意を感じない。


【キューン】

「こ、こら! 擽ったいって! あは」


 狼は俺に寄り添って、頬を舐め続ける。

これだけでこの狼が、自分のことを好いていると分かった。


「あ、あの、貴方とバンディットはどんなご関係で……?」


 彼女が聞いてきたので、


「さっき、ちょっと怪我してたんで簡単に手当を……そっか、お前バンディットって言うのか? カッコイイ名前だな、よーしよしよし」


 頭をくしゃくしゃと撫でてやると、

狼のバンディットはまるで笑っているかのように顔を綻ばせた。


「申し訳ございませんでしたぁッ!」


 突然、緑の髪の彼女はその場で土下座していた。


「ここ最近、森に多くの賊が現れるものでして! まさかバンディットのことを助けて頂いた恩人の方とは露知らず、大変、大変! 失礼をして申し訳ございませんでしたぁ!」


――なんかここまで大げさに謝られるとこっちが悪い気になっちゃうな……


「い、良いですか、別に! 誰だって勘違いはありますよ!」


 そう云って立ち上がろうとしたけど、


「痛っ!」


 落っこちた衝撃で右足を痛めたみたいだった。


「大丈夫ですか!? 今、私が!」


 突然、彼女が凄い勢いで近づいてくる。

俺の右足をそっと掴む。


「あ、あの、何を!?」

「シッ! 静かにしてください。集中が途切れます」


 そう彼女は鋭く云って、俺の右足を持ったまま目を閉じた。

あんまりにも真剣な雰囲気だったので、連られて黙ってしまう。


 彼女は少し経って、目を開けた。

ワンピースの腰元にぶら下げていた筒を手に取った。

筒を傾ければ薄緑色の滴が一滴こぼれて、俺の右の足首の外側付近に滴る。

すると、不思議なことに、ズキンズキンと感じていた足の痛みがスッと引いていった。


「もう立てますよ」


 半信半疑で右足に力を入れてみる。

右足に全く痛みを感じることなく立ち上がることができた。


「あの、いったい何を?」


 あまりにも不思議な現象だったので、思わず彼女へそう聞くと、


「これでも私は治癒士ですので……それよりも!」


 またまた彼女は地面へ平に伏せた。


「疑ったばかりか、怪我までさせてしまい本当に、大変、誠に申し訳ございませんでしたぁ!」

「あ、いや、別にそんな……本当に良いですから」」


 だけどどんなに言葉を掛けても彼女はなかなか謝罪を止めない。

それから彼女の必死の謝罪は数十分にも及ぶのだった。


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