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序章1:子犬と事故と俺の最後 (タイトル画有り)

挿絵(By みてみん)

 

 俺は道路へ飛び出していた。

道路の真ん中にいる黒毛の子犬へ目がけてだった。

考えている暇なんて無かった。

殆ど反射的だった。

夕方の道路はたくさんの車が走っていて、危なかった。


――このままじゃ車に引かれて死んじゃう。


 そんな衝動的な行動だったけど、ジャージだから動きやすかった。

ちゃんととした格好だったら躓いていたかもしれない。

でも身軽なジャージ姿だった俺は道路の真ん中をトボトボと歩いていた

子犬そのこを難なく抱き上げることができた。


 抱き上げた黒毛の子犬は凄くやせ細っていた。

体は小刻みに震えているし、黒い毛もかなり汚れていた。

きっと飛び出さなかったら、この子は確実に車に引かれていた。


――良かった、助けられて……


そう思った時だった。


 耳をつんざくような大きなクラクションの音が聞こえた。

視線が音の方へ傾く。

視界が一瞬で真っ白に染まった。


「えっ……!?」


 考える間もなく、何も感じる間もなく、気づいたときにはもう、

俺は子犬を抱いたまま激しく宙を舞っていた。


それでも俺は子犬を守ろうと強く抱いた。


「ぐっ!!」


 背中からアスファルトへ叩きつけられ、グシャりと嫌な音が全身へ響く。

起き上がろうと思って体に力を入れたけど、指一本動かない。

体から生暖かい真っ赤な血がアスファルトへ広がってゆく。


 終わった、と思った。


そして同時に、様々な記憶が頭の中から飛び出してきていた。

だけど楽しい記憶は殆どなかった。


 朝日あさひ知人ともひとという名前に生まれてから今日まで、

生きていて楽しいかと聞かれれば首を横に振ってしまう。


 人付き合いはあまり得意な方じゃない。

だからたくさんの人の中にいるときは特に存在感が希薄になってしまっていた。

こんなんだから友達だっているようないないような、孤独なのことが多かった。


 頭が特別言い訳でもないし、代わりに運動が得意とかも無い。

ゲームは好きだけど、特別上手くは無い。

俺も何度かは自己表現のために小説を書こうとしたけど、

どうも上手くいかなくて企画倒れか、エタってばかり。

なんにも成せていなかった。


 そんな俺は名前の漢字から「チート」なんて呼ばれてからかわれてたりしていた。

ただ名前が「知人」だから「チート」

そんな力なんて無い俺はそうからかわれても愛想笑いを返すしかできなかった。


 世の中暗い話ばかりだし、俺自身もパッとしない。


 巷では夢や希望や理想が大声で叫ばれてるけど、

そんなの嘘かファンタジーにしか聞こえない。

どうしたら良いのかわからない。


 だけど、こんな日常の中にも一つだけ俺の心の拠り所があった。

動物をみて、触っている時だ。

特に犬は本当に心の寄り所だった。


 俺の住まいがマンションだから飼えない、っていう無い物ねだりもあるんだろう。

だけど、彼ら彼女らと一緒にいると癒されるのは実感していた。

撫でれば彼ら彼女らは嬉しそうにしてくれる。

遊べば凄く喜んでくれる。

時々、人を警戒しているおっかないのもいる。

だけど純粋でまっすぐなその眼差しは不思議な力を持っていて、

彼ら彼女らと一緒に過ごしていると、自然と勇気や気力が湧いてくるように

思っていた。


 だからきっと俺は、道路の真ん中を力なく歩いている黒毛の子犬をみつけて、

こうして飛び出したんだろうと思う。

道の向こうからは大型トラックが接近していた。

だけど黒毛の子犬は本当に弱っていて、トラックが近づいているのに全く気付いていなかった。

一瞬の判断だった。


――あの子犬を助けたい。


 その気持ちだけで、俺の身体は自然と飛び出して、今に至る。


 視界一杯に広がっている夕闇が、突然霞んで見えた。

記憶の走馬灯が回るのを止めて、意識が遠のき始める。

そして何故か胸の辺りに、これまで感じたことのない気持ち悪さを覚えた。


「かはっ! ぐっふ、げほっ!」


 胸の奥から夥しいほどの血がこみ上げて、口から外へ飛び出た。

刹那、一気に寒さを感じ始め、身体が感じたことのない震えに襲われる。

それだけじゃない。

手足、背中、体の至る所に激しい痛みを感じた。

どこかへぶつけたとかそんなレベルじゃない。

ぶつけた時の何倍、何十倍の痛み。

まるで全身を、鋭利な針で延々と刺されているような、鋭い刃物でなます切りに

されているような、これまで感じたことのない激しい痛みが全身をくまなく席巻している。


 痛くて痛くて叫びを上げたいけど、喉に血が詰まっているのか上手く発生できない。

ただ喉の奥からヒュヒュと息が漏れるだけ。

叫びで誤魔化せない分、余計に痛みが全身に伝わって苦しくて仕方がない。


胸がギュッと閉まり、頭が痛くてたまらなくて――そして俺は怖くなった。

 

希望も何にもない俺のこれまでの人生。

何度か、こんな世の中から消えることができたらと思った。

死ねば何も悩まず、何にも怯えず楽になれると思った。


死んでもいい。


 ろくなことがないから死んでしまいたい。

だけど、実際その「死」が隣にあって、今まで気軽にそんなことを言っていた自分に後悔した。

大型トラックに引かれったってのもある。

凄く痛くて、苦しくて、そして怖い。

自分という存在が本当の希薄になってゆく感覚。

もう明日の朝を迎えることはできない。

これ以上前に進むことはできない。

ひょっとしたらこの先に良いことがあったかもしれない。

でも、俺にもう明日は無い。

あるのは激しい痛みと「死」の恐怖。


――死にたくない、死にたくない、死にたくない……


 もっと俺の願いを誰かに聞いてほしい。

痛くしないで欲しい。

助けてほしい。

死なせないで欲しい。


 でも意識は容赦なく薄らいでいって、全身の感覚が無くなってゆく。

「死」の恐怖が怒涛のように押し寄せてくる。


 ふと頬に柔らかい感触を感じた。


 かすむ視界の中に浮かんでいたのは小さな舌を出している黒毛の子犬の姿だった。

子犬は立っているのがやっとなのか前足を震わせている。

瞼も落ちかけていて、眼差しは弱弱しい。

だけど彼女は俺の頬を舐めていた。

俺のことを起こそうとしているのか、なんなのか彼女は頬を舐めるのをやめない。

そのちょっとざらつきを感じるけど、柔らかい感触は気持ちよかった。

なによりも助けた彼女が心配してくれているように感じられて、嬉しかった。


 思い切って痛みを堪えて右腕に力を込めてみた。

すると右腕が動いた。ギリギリ指先の感触はある。

俺は辛うじて血だまりに落ちず汚れていない右手で子犬の頭をそっと撫でた。

子犬は少しくすぐったそうな顔をする。それが少し笑っているような、喜んでいるような、そんな風に感じられて、胸が軽くなった。


「だい、じょうぶ、だ、か、ら……」


そこで俺の意識はプツンと途切れる。

意識も、視界も、何もかもが永遠の闇に閉ざされたのだった。


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