七章11:夕陽の拳士。さらば魔獣大将軍!(*サルスキー視点)
「く、くそおぉぉぉッ!! 逃げろぉ!」
しかしその声とはまるで反対に、サルスキーは拳を構えて、
目の前に佇む好敵手へ飛んだ。
魔獣石が異様な輝きを放っていて、サルスキーの体は
まるでマグマのような激しい熱を持っている。
全身を流れる自分の魔力の流れが激流のように暴走していると
サルスキーは感じた。
「今すぐ俺から離れるんだ、大地の獣神!」
身体はサルスキー自身の意識とは関係なしに、
先ほどまで自分へ【生きろ!】と励ました、
大地の獣神グリーンレオのボックへ、
容赦ない拳の数々を放つ。
「クッ……!」
ボックは顔を険しい表情でサルスキーの拳を受け流す。
ただそれだけで反撃の素振りは見えない。
――この女は未だ俺のことを構おうと思っている。
そうサルスキーは感じた。
「早くこの場から去るんだ! 俺の魔獣石は暴走を始めている! もう間もなく、俺の中にある魔力が溢れ出てお前もろとも吹っ飛ばす! 俺に構わず逃げるんだ、大地の獣神!」
「ならば尚のこと私は引く訳には参りません! 私はサルスキーさんを助けたい! いえ、助けます!」
ボックはサルスキーの拳をひらりとかわし、
「獅子正拳!」
ボックの鋭い拳が放たれる。
しかしサルスキーの体は、それをかわし、
間から拳をねじ込む。
「うぐっ!」
無自覚な彼の拳が遠慮なく、ボックの腹を穿つ。
サルスキーは痛烈な胸の痛みに苛まれた。
しかし幾ら心を病もうとも、身体は一切言うことを聞かない。
ただ魔力の暴走に従って、ボックを嬲り、
あまつさえ亡き者にしようとしている。
――むしのいい話かもしれない。
彼はつい先ほどまで、目の前の敵を確実に倒すために、
策略を練り、部下へ命まで差し出させた。
それが【魔獣大将軍】としての責務だと思っていたからだ。
だが、ボックと拳を交え、そして敗れた時、
それはただの呪いでしかなかったと
彼は悟った。
――もはや、敗れた俺は【魔獣大将軍】ではない。
大地の獣神を殺すために暴走するただの爆弾でしかない。
しかしただの爆弾になっても尚、彼の胸の中には
拳士としての誇りがあった。
――勝者をこのような形で殺すのは認められない。
散っていった同胞たちは皆、戦いの末に敗れ
冥府へ旅立って行った。
自分も全力を尽くして、そして敗れた。
敗者は潔く敗北を認め、去るのが道理!
これが拳士の宿命!
――自己満足だろうと構わない。これが俺の……!
彼は強く心の中で念じる。
すると指先がサルスキー自身の意思でわずかに動いた。
――彼女はさっき俺に云った。支配から解き放たれ、俺らしく生きろ! と。
「ぬわぁぁぁぁっ! これが俺の選択! 俺自身での決断だぁぁぁぁッ!」」
サルスキーは全力を足へ込める。
一瞬、身体が支配から解き放たれ、自由を得る。
意識を後方へ集中させて飛べば、
どんどん彼女との距離が離れてゆく。
ボックはそんなサルスキーを唖然と見上げる。
――これで良いのだ……
そう思った瞬間、胸の魔獣石が壮絶な一際眩しい輝きを放った。
全身を激しく巡っていた魔力が一気に魔獣石へ集中する。
瞬間、彼の全身から魔力が溢れ出て、爆ぜた。
全身から力という力が抜けて、
サルスキーは地上へひらりと落ちて、
建物の壁に背中を預けた。
「サルスキーさんッ!」
そんな彼へ向けてボックが駆け寄ってくるのが見えた。
しかしサルスキーは力を振り絞って、腕を翳して
ボックへ立ち止まるよう促した。
「もう良い、俺に構うな……」
「でも!」
「構うなと云っているッ!!」
ボックの体がびくりと震えた。
「ありがとう大地の獣神、お前のおかげで俺は最後に自分の思う通りに振るまえた。拳士としての道理を果たすことができた。貴様は勝者で、俺は敗者……敗者は潔く散るのみ。俺は皆や、イヌ―ギン殿のところへ逝く……」
「サルスキーさん……」
ボックの翡翠のように輝く瞳から涙が零れ落ちる。
その涙を見て、サルスキーは美しいと思った。
「さぁ、早く行け、大地の獣神グリーンレオのボック! 主の、仲間達の所へ! そしてお前は、お前の使命を果たすのだ!」
サルスキーは声をぶつけた。
すると、ボックは涙を拭って姿勢を正した。
「サルスキーさん……闘魔獣将サルスキー! 私と拳を交えてくれてどうもありがとうございました! どうぞ、お達者で!」
「あ、ありがとう、ございました獅子拳、大地の獣神グリーンレオのボック……良い戦いであった! 達者でな……!」
ボックはサルスキーへ背を向ける。
一瞬、彼のことを一瞥したが、再び向き直ると、
身体に緑の閃光を纏ってその場から姿を消したのだった。
夕陽がアルデヒト大陸を真っ赤に照らしていた。
相変わらず周りからは砲声や聞こえている。
未だここは、血潮が滾る筈の戦場。
だが、今のサルスキーの心の中は穏やかだった。
ずっと命令に従って侵略していた表世界。
でも、それから解き放たれた瞬間、彼は思った。
――なんと美しい世界なのだろうか……
このような美しい世界を、自分は破壊しようとしていた。
そんな自分が愚かだったと感じていた。
――もしまた生を受けることができたなら、表世界の存在になりたい。
美しい表世界で暮らし、己を鍛え、そしてこの美しい世界を
守る拳士になりたい。
そう強く思う。
緩やかに瞼が落ちて、
目の前に見えていた美しい夕陽がかすみ始めた。
サルスキーはもう楽になりたいと思い、
瞼の力を抜こうとする。
その時、夕陽を背に二つの影が降り立ってきた。
同時に懐かしい匂いが彼の鼻孔を掠める。
「キジンガ―殿……イヌ―ギン殿……?」
黒い影が次第に姿を明確にしてゆく。
キジンガ―とイヌ―ギンではない。
髭を蓄えた屈強な男と、剣を携えて鎧を着こんだ聡明そうな男。
だが匂いは間違いなくキジンガ―とイヌ―ギンのもの。
これはどういうことかと、サルスキーは思う。
「無茶をしおって……やはりお前は誠の拳士じゃな、サルスキー」
髭を蓄えた男が彼へ屈み込んで肩を叩く。
瞬間、男の姿がキジンガ―に見えた。
「おお、キジンガ―殿……」
嬉しさのあまり、サルスキーは声を上げた。
もう一人の聡明な男が彼の顔を覗き込む。
彼の顔もまたイヌ―ギンに見えた。
「サルスキー……」
自分を呼ぶ、懐かしい盟友の声にサルスキーは喜びを感じた。
「盟友よ……また会えたな……」
「……」
しかし目の前のイヌ―ギンは何も言わない。
代わりに腰元に携えていた剣をゆっくりと抜くのが見える。
「トラピスト殿!?」
キジンガ―が驚いた様子を見せて、一歩前へ出る。
しかしイヌ―ギンが頷いて見せると、
「……好きにせい。わしゃ、知らんぞ」
「ありがとう、コエド将軍」
イヌ―ギンはまた、サルスキーへ向き直った。
イヌ―ギンはロングソードを高く掲げる。
「おお……介錯をしてくださるのか……ありがたい……イヌ―ギン殿の剣で幕引きをしていただけるなど、なんと光栄なことか……」
「……」
サルスキーは静かに目を閉じた。
「盟友よ、ありがとう。感謝する……済まないが幕引きを宜しく頼む……」
空を切る剣の音と、鋭い風圧を感じる。
イヌ―ギンの一撃がサルスキーを捉え、
そして彼は魔獣大将軍としての使命を終えたのだった。