#2 銀色の背中
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線量計ははち切れそうなリュックの中身の、一番上ではみ出ていた。「詰めすぎでしょ」と思わずこぼしてから、線量計を引き抜いた。
放射線量は何も問題なかったので、リュックを引きずりながら、私は部屋の外に足を踏み出した。
そこは砂浜だった。すぐさま私は違和感に気づき、違和感はハッキリとした疑問になった。
つまり、うちは海岸沿いになんか無かったということ。
我が家はおもいっきり内陸にあったはずだ。
でも、部屋から出たばかりの私の目の前は一面海と砂浜だった。海は透き通った青が地平線の彼方まで続いており、砂浜は鮮やかな黄色がじりじりと太陽に焼かれていた。
俗に言うオーシャンビュー。でも私は眠る前だってこんなものネットでしか見たことが無い。
誰かがこの部屋を〝移動〟させたのか?
地殻変動?
隕石衝突?
はたまた別の何か……。
私は思考を放棄した。考えるだけ私の足りない脳では無駄だったし、分かったところで意味も無かった。
「さて、どうしたものかしら」
呟いてみたものの、大した目的は浮かんでこない。
『お前が強く生きてくれることを願う』
父の伝言が、脳内で勝手に声付きで再生される。
そんなこと言うタイプじゃない癖に。
私は父に、よく分からない感情を抱いている。恨み半分、疑い半分、みたいな。
感謝もちょっとあるかも。
でも、こんな未来のよく分からない地域に私をいきなり放り出したって、どうしようもないだろうに。
父さんは、五万年後の世界に一体何を託したかったのだろうか?
――分からない。
ふと私は、寝ていた装置の中から引っ張り出していたリュックを今も背負っていることに思い至った。
重い重いリュック。
抱えるなんて到底無理。
確か〝使えるもの〟が入ってるんだっけか。
広い砂浜の真ん中にちょこんと一人でしゃがみ込み、私はリュックの中身を引っくり返した。がらがらとリュックの中身が音を立てて散らかる。
「……父さん、馬鹿なの?」
中には山ほどの缶詰が詰め込まれていた。
賞味期限は約四九九〇〇年前に切れている。
全部中身がシュールストレミングみたいになってるんじゃないだろうか。
私は全ての缶詰を迷わず海に投げ捨てた。
工学の革命児と言われた父さんは、家庭科に関してはポンコツだったのを思い出した。
残されたリュックの装備は二つ。
線量計と、サングラス。
サングラスは五万年間使われもせずに装置の中にあり、プラスチック製だから大した劣化も無かったようだった。
ハリウッドセレブばりのバカみたいに大きいサングラスを、私は額に乗せた。
邪魔でしかなくとも、一応父さんの遺してくれた物だ。
パジャマ姿のグラサン少女が砂浜に一人。相当にシュールな画ではないだろうか。
しかし、どうしたものか。とりあえず拠点は最悪装置のあった部屋でいいとしても、食料はこれから自分で調達しなくてはならない。
五万年ぶりの起床早々、無人島サバイバルである。
無人?
――そもそも人はいないのか?
五万年前の〝破滅の日〟以来、人口は世界的に激減したはずではあるし、父さんが私を超長期睡眠装置に入れたのは放射線から逃れさせるためだった。
ならば、人類はもう滅んでしまったのだろうか?
食料もそうだが、居るならまず人を探す必要がありそうだ。
先行きの見通しは立たず、拠り所になってくれる人もいない。
空は徐々に曇ってきている。この調子だと、数時間後には大雨になっていそうだ。
早く動こう。そう思って腰を上げた瞬間、目的はすぐに達成された。視界の端で、もくもくと煙を上げる小屋を一つ見つけたのだった。
そこに人影が一つ。
私に向けた背中を丸めて、何かを必死に弄っているようだった。
――五万年前の、工場の父にその姿が重なる。
気づけば走っていた。サングラスを落ちないように押さえ続けた。無我夢中だった。
切れ切れの息で叫んだ。
「――父さんっ!」
その叫びは届いた。
丸い背中はすっくと立ち上がり、振り向く。
レンチを指でくるくると回している。
ぎらりと、〝金属製〟の顔が光る。
立っていたのは、父とは似ても似つかない〝ロボット〟だった。