#10 断片――砂場の底のタイムカプセル
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モノクロの風景は続いた。
彼女は入り組んだ路地に飛び込んでいった。私も見失わないように必死で脚を回転させる。
何度も同じような所を曲がり、うねり、彼女は路地を飛び出した。
薄暗かった空間から突然明るい空間に飛び込んだことで、私は一瞬目がくらんだ。
はっとするような眩い光が過ぎ去り、また彼女が立ち止まっているのを見つけた。
少女は今度は私の方を向いていた。そして、少女自身の足元を指差していた。
示されたその先に、掘り返されたような跡と、古ぼけたボロボロのお菓子の缶。
「……貴女が、掘り返したの?」
こくりと、無言で少女は頷いた。缶が差し出された。私は近づいて、その缶を手に取った。砂が詰まって開けにくいことこの上なかった。
中には沢山のガラクタやおもちゃ、未来の自分への手紙なんかが詰まっていた。つまり、幼い私がせっせと封印したタイムカプセルだった。
私はその存在を今更思い出し、中身を一つ一つ見ながら幼い頃を思い出していく。
そんな昔の私が残した〝宝物〟の中に一つ。
綺麗なまっさらな状態の、一つのネジがあった。
▽
工場でのことだった。
「ヘイ、お父さん」
自分でもにやにやしていたと思う。この時の幼い私は自信に満ち溢れていた。
「……何だよこのガラクタまみれのダンボール箱は」
「ガラクタじゃないよ! 私の宝物!」
「ふぅん……で、なんなんだよ」
「ここに、お父さんの宝物を入れてください」
そう言って幼い私は、汚い字で〝たからものぼっくす〟と書かれた箱を抱えてふんぞり返った。まるで税金を徴収するとでも言わんばかりである。
「宝物だぁ? んなもんお前以外にねえよ」
「そういわずにさあ」
「――結構いい感じのこと言ったつもりだったんだがな」
「さ、お父さんはやく!」
「急に宝物って言われてもなあ……あ、そうだ」
お父さんは奥に行って工具箱をいじくり回し、取ってきたもの――小さなネジを、ころりとその中に放り込んだ。
私は唖然とした。少しして我に返って。
「……ネジじゃん!」
と大声で突っ込んだ。
「そう、ネジだ」
幻滅の意を込めた私の突込みを、父さんは意にも介さない。
私にとっての宝物の定義に、このネジは全くそぐわなかった。
「駄目だよこんなの! どこにでもあるじゃん!」
「まあそういうなよ。そいつは父さんにとって特別なネジなんだ」
「えー、嘘でしょ?」
「嘘じゃねえ。そいつは父ちゃんの最初の発明品なんだからな」
「お父さんがネジを発明したの?」
「んー、なんかしっくりこねえ言い方だな。正確には、父ちゃんが最初に作った作品がそのネジなんだ」
「ふーん……」
私はよく分からないから分かった振りをすることにした。
「お前よく分かってねえだろ?」
「わ、分かってるよ」
見え見えの嘘を私は貫こうとした。父さんはひとつ息を吐いてから、説明を続けた。
「こっちのほうが分かりやすいか。父ちゃんはそのネジで母ちゃんにプロポーズしたんだ」
「えっ」
幼かった私にも〝プロポーズ〟というものはとても重く、大切なものであることは十分に分かった。だからこそ、このネジも――。
「ネジで告白したの」
「ああ、このネジを渡して『このネジが君をあっと驚かせる大発明に変わるから、それまで俺を愛してくれ』っつった」
「キメ顔で?」
「……キメ顔だったかもな」
父さんは胸ポケットから煙草を取り出して銜え、先をじりじりと焼いた。私のこの頃のデリカシーのなさは異常だった。むしろ頻繁に母さんとのノロケを披露してくれる父さんの方が乙女だと言えたかもしれない。
「だから、これは父ちゃんの宝物である。と同時に母ちゃんの宝物でもあったはずだ。だから、お前に預けよう」
父さんは、改めてそのネジを私に差し出した。
ネジは、銀色に輝いていた。
▲
きっとお菓子の空き缶の中で、このネジは大切に守られてきたのだろう。
だから、錆びなんてない。
父さんと母さんを結びつけた、婚約ネジ。
私は散らかったタイムカプセルの中からネジを拾い上げ、握り締めた。無くさないように大切にポケットにしまった。
「ねえ、次は何処に案内してくれるの、〝私〟」
記憶の中の。
白いワンピースの。
幼い〝私〟。
目の前の少女の正体。
「もう、走らなくていいよ。ゆっくり、歩いて行こう」
彼女はこくりと頷き、私たちは歩き出した。
モノクロの故郷の、最後の目的地へ。
*
彼女は気づけばいなかった。
見失っていた。
俺は崩壊した都市を走り出した。銀の時計を握り締めて。
今日、彼女に渡すはずだった。
娘と過ごしたこの場所で、全てを打ち明けるはずだった。
その上で、全てを決めてもらおうと思った。
なのに、ふざけるな。
馬鹿か俺は。
もう離さないって決めたのに。
守るって、約束したのに。
充電はあと二時間ほどしか続かない。予備のバッテリーを含めても、三時間ほどしかもう動けない。その間に、この広い都市の中から娘を見つけ出さなければならない。
これだけ全速力で走っても、汗はまるでかかない。当然だ。俺はもう機械なんだから。
だが、タフな機械の体とは裏腹に、心が悲鳴を上げている。叫んでいる。
苦しい。
そんなことにならないために、俺は俺をサイボーグにしたんだろうが。
苦しい。
人間のままじゃ生きられないから、機械になって生きた〝風に〟存在することを選んだんじゃないか。
苦しい。
なんで、なんで。
俺は限界を感じて立ち止まった。うまく走れなかった。
脳の接続は正常だ。体の関節も人口筋肉も、欠損は特にはない。
しかし俺は地面に突っ伏した。突っ伏したくなった。
すうっと、脳が一つの解答にたどり着く。
多分、俺はまだ怖いんだ。
娘に自分が父親であると打ち明けることが。
散々恨んだお前の父親は俺だよって、堂々と言うことが。
くそったれ。何が父親だよ。
体を起こした。走れはしなくとも、かろうじて動くことは出来た。
謝らなければいけない。
娘を見つけるまで、体の不調は続いた。