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あなたのセンスはどうかと思う

作者: 坪山皆

 見るも豪華なフリルシャツ。地は真黄色で、襞襟は瑠璃色、それだけでも目に優しくないというのに、一つ一つ、色も形も違う貝殻でできている釦が、派手さをさらに増長させている。緑地に黒の縦縞が入っている先細りのズボンは、いつか本で見た異国の果実のよう。光沢のある編み上げ靴のつま先の部分にはふわふわとした謎の球状のものが付いている。大きな白い飾り羽根をつけたとんがり帽子が、ひときわ存在感を放っていた。


 ――欲張りすぎではないかしら。


 ゼラが初めて会った婚約者に抱いた感想だ。個性的な服装をしている人物だという前評判は聞いていたが、予想を遙かに上回る奇抜さだった。目がちかちかして眉をしかめてしまいそうになるのを堪え、黒いドレスの裾をつまんでなんとか礼の形をとる。


「ゼラ・オルウィンと申します。よろしく、お願いいたします」


「マーロン・ジャッドだ。よろしく」


 華やかすぎる色彩に戸惑い気味だったゼラの気持ちを、ここちよく響く低い声が少しだけ和らげてくれた。頭一つ分高いところにある顔をおそるおそる見上げれば、切れ長で涼しげな、好奇心に満ちた薄茶色の瞳がこちらを見下ろしていた。


 瞳の色はだけはまともなのね、と胸の中でひとりごちる。帽子からはみ出している彼の髪の毛は、目の覚めるような橙色だった。




 今年十六歳になるゼラに縁談の話が舞い込んできたのは、この春のことだった。下級ではあるが、曾祖父の代から続く貴族であるオルウィン家に生まれたゼラは、親同士の間で決められた結婚相手を、何の不満も持たず受け入れた。相手はジャッド家の次男で、今年十八歳になるというマーロン・ジャッド。ジャッド商会は、この王都ではその名を知らぬものはいない、食品から被服、雑貨などのあらゆる雑多なものを取り扱う豪商である。特に各地から仕入れた珍味は人気商品だが、その他民族衣装なども、新しい物好きの民衆の一部からは高い評価を得ている。マーロンは兄とともに、当主である父親の片腕として近隣諸国を飛び回っているのだという。二人の顔合わせも、ちょうどその時他国に赴いていたマーロンの都合で初夏にまでずれこむことになった。


 マーロンは非常に派手な服を好んで着るらしい、という話を侍女から聞いていた。しかし、被服も取り扱っているジャッド商会の人間として、人よりも前衛的なセンスを持っているのは自然なことだ、とゼラは好意的に受け止めた。そして、未来の夫となる人物に思いを馳せ、それなりに胸をときめかせて今日という日を心待ちにしていたのだが――。



 お互いの両親も交えた挨拶を済ませ、あとは若い二人で、と応接間に残される。ゼラはつい、不躾と言ってもいいほどに正面のソファーに腰掛けているマーロンを見つめてしまった。格好さえまともならば、精悍で自信に満ちあふれた表情といい、長身ですらりとした体つきといい、美青年といっても差し支えなない。もったいない、そんな思いがゼラの胸に浮かぶ。彼もゼラの姿を、顎に手を当ててしげしげと見つめていた。そして不意に、よく通る大きな声で言った。


「地味すぎるな。もっとましなドレスを持っていないのか。あなたには華やかな格好が似合うと思うのだが。もったいない」


 遠慮も何もないその言葉に、ゼラはまぁ、と口に手を当てた。今日は婚約者との顔合わせ、ということでお気に入りのドレスを着てきた。波型の模様が浮き出ている生地で作られた黒のドレスはいたってシンプルなものだが、よく見ると袖口に同系色のビーズがついている。いつもは装飾品の類は付けないが、今日は特別に黒真珠の首飾りもしているし、黒い小花をあしらった髪飾りだってつけている。どれも、ゼラにとっては結構なおめかしだった。 



 ゼラは、自分の真っ黒な髪と瞳が、昔は好きではなかった。それはこの辺りではあまり見られない色で、唯一同じ色彩を持つ父は当時多忙であまり家におらず、周囲と自分を比べては疎外感を感じていた。級友には魔女、としょっちゅうからかわれた。初恋だった男の子には、その髪型おばけみたいだね、と無邪気に言われた。そんなことが積み重なり、見るのが怖くなっていた鏡。


 ある日屋敷で一人涙していたゼラに母が見せてくれたものは、当時すでに故人となっていた祖母の肖像画だった。遠方から嫁いできた彼女は稀代の美女と名高かったという。漆黒の髪を垂らし、簡素な黒のドレスのみを身に纏った祖母は、絵の中から艶然とゼラに微笑みかけた。せめて服だけは、と明るいものを着るよう心がけ、初恋の男の子の言葉に傷ついて以来、黒い髪は隠すように後ろにきつく結っていたゼラにとって、祖母の姿は衝撃的だった。その美しさに目を奪われているゼラに、お祖母さまと同じくらい、あなたの髪と目は綺麗よ、と母は優しく髪を撫でてくれた。次の日、髪の毛を自然のままにおろし、初めて着る黒の服でおそるおそる鏡の前に立ってみると、急に視界が開けた気がした。漆黒の布地に流れる髪がいつもより艶めき、いっそう際だって見える白い肌。鏡から見つめ返す黒曜石のような双眸が輝いて見えた。


 それ以来、黒は嫌いな色ではなくなった。黒い服を好んで着るようになったゼラにからかいの声は強まったが、祖母を真似して優雅に微笑むよう努め、その笑顔が様になって来た頃、そんなものは自然となくなっていた。段々と鏡の中の自分を好ましいと思うたび、それに比例して、衣装棚は黒のドレスで埋まっていった。


 周りには、若い娘が着飾らずにもったいない、あなたにはもっと明るい色が似合うのに、と深いため息をつく人もいるが、いつもゼラはまさか、と首をふる。


 ――そんなはずない、私に似合うのは黒。自分のことは自分が一番分かっているのだから。




「そんな服を着ていて、鬱々とした気持ちにならないか」


 怪訝な顔をして尚も言うマーロンに、にこやかに返事をする。


「鬱々とした気持ちどころか、落ち着いて、冴え冴えと澄み切った心持ちになれますわ。わたくし黒い服が大好きでして、あいにく、華美なものは好きではありませんの」


「あなたは変わっているな。うら若い姫とは思えないくらい、さびしい格好だ。下町の娘のほうが、よっぽど華やかに着飾っているぞ!」


 未来の夫からの無遠慮な苦言であったが、黒を身に纏う自分に絶大な自信を誇るゼラは、そんな言葉に揺がなかった。それどころか、胸底からはうれしさが湧き上がってきた。はっきりとした物言いは嫌いではない。これから生涯を寄り添う夫婦になるのだ。思ったことは溜めずに言っておかないと。


「華やかといえば、マーロンさま。いつも、そのようなきらびやかな格好をしていらっしゃるの?」


 急に自分の話になり、マーロンは少し驚いたようだったが、すぐに快活な口調で答えた。


「ああ。諸国を回っていると、様々な衣装を目にする機会があってな。いいと思ったものを、それぞれ自分の格好の随所に取り入れていくうちに、いつもこうなる」


 マーロンが明るく言うのと一緒に、帽子の飾り羽根も揺れる。



「服が賑やかだと、気持ちまで浮き立つだろう。まあ、周りには色々言うやつもいないではないが、俺は好きでこの格好をしている。こんな服装で出歩いていると、意外と店の宣伝にもなるしな。あなたは知らないと思うが、ほら、この靴なんかは、下町のほうでは大流行らしいぞ。仮装大会の折には品切れになったとか」


「まあ、この靴が……」


 マーロンがはいている珍しい靴に、ゼラは首をかしげた。よく見ると、つま先のふわふわが可愛く見えてこないこともない。歩くたびに揺れるであろうそれは、確かに心をうきうきとさせるかもしれない。しかし、それはあくまで靴単体としての評価であって、それぞれが主役級の存在感を放つものを頭のてっぺんからつま先まで身につけている彼の装いは、前衛的という言葉を遙かに凌駕していた。そんな姿に既視感があり、ゼラはそれを素直に口に出す。


「でも、やっぱり欲張りすぎだと思います。ちかちかして本当に目が痛いわ。いつか絵本で見た道化師のよう。マーロンさまは、その薄茶の瞳に会わせてもっと落ち着いた格好をしたほうが、絶対に、絶対に似合うと思うのですが」


 ゼラの言葉に、マーロンは一瞬目を丸くしたあと、にやりと笑った。


「あなたも大人しそうに見えて、なかなか言うな。でも俺ははっきりとした物言いは嫌いじゃない」


 二人はお互いに不敵な表情を浮かべて笑い合った。


※※※※※


 その日から数日と空けず、マーロンは多忙の合間を縫ってゼラに会いに来てくれた。プレゼントにと、彼が持ってきた赤いバラの花束の合間に、何輪かの黒紫の小花が一緒に混じっているのに気が付いた。


「この可愛らしい花は……」


 いかにも後付け、といった感じで添えられていた小花を不思議に思い、ゼラが首をかしげると、


「うちの庭に咲いていた。玄関を出たら目に入って……。そういえば、バラよりもこういう花のほうが好きそうだと急に思いたってな。黒じゃないから迷ったんだが、結局摘んでいたら遅くなってしまった」


 マーロンは決まり悪そうにそっぽをむいた。


「ありがとう、ございます」


 ゼラは彼の気持ちが嬉しく、自然と顔を綻ばせ礼を言った。


 花束を自室に飾るように侍女にお願いすると、ゼラはマーロンを庭へと誘い出した。そう広くはないが、花好きの父母がよく管理している、自慢の庭だ。初夏の花が咲き溢れる中、二人並んで散歩する。鮮やかな黄色や赤い花に負けないくらい、マーロンは今日も派手だった。


「マーロンさま。この前と髪の毛の色が違うのですね」


 初対面のときは橙色だった彼の髪色が、今日は輝かんばかりの朱金色になっている。服装は、見る角度によって色が変わる短めの上着に青紫の細身のズボン、髪と同じ色の飾り帯。長靴のつま先の部分には猫の顔が大きく描かれていて、ひげを表した太い糸がびよん、とはみ出していた。


「髪染粉だ。いいものが南の国の田舎町に売っていたんだ。髪の毛があまり痛まないし香りもいい。何より持続性が抜群なんだ。暖かい地方特有の花の成分からできている。あなたも染めてみるか?」


 ぶんぶんと首を横に振るゼラに、マーロンは朗らかに笑った。


 聞けば、彼の地毛は鳶色なのだという。自然なままの髪色をした彼を思い浮かべた。

 ――染めるだなんてもったいない、小さく嘆息し顔を俯けると、際だった存在感を放つ長靴が目に入ったので、ゼラは思わずしげしげ見つめてしまった。それに気づいたマーロンは本日の服装のことをいきいきと語り始めた。身につけている上着の生地は、北方にある国の湿地帯に群生する木の樹液に浸した糸で織り上げられているらしい。見る方向や光の加減によって様々な色に見え、近々同じ生地で女性向けのスカートを売り出すのだという。長靴は、猫を神聖な動物と崇める国で買ったもので、身につける物に象ることで験担ぎの意味合いがあるらしい。それだけにとどまらず、マーロンは異国での話をたくさん聞かせてくれた。巨大な川魚を、その内臓と大量の塩につけ一ヶ月以上天日干ししたものの味、図案によって意味の異なる刺繍がほどこされた、一枚布で着飾る民族、鉱物が結晶化してできたと言われる美しい砂漠の薔薇の話。


 マーロンの話は聞いていて楽しかった。この王国から出たことのないゼラは、初めて耳にする異国の話がとても面白く、興味深く聞き入った。しかし、やはり右半身――彼と隣り合う側の色彩が強烈すぎて落ち着かない。話がとぎれた際、ちらりと見やると、彼も何か言いたげにこちらを見下ろしていた。二人、どちらからということもなく立ち止まる。射るような薄茶色の瞳。不意にこちらに伸ばされた大きな手に、ゼラは息をのんだ。マーロンは横の茂みに咲いていた薄紅色の大きな花を手折り、ゼラの真っ直ぐおろされた黒い髪に挿す。


「やはり、少し地味すぎるんじゃないのか。こんなに、綺麗な色が似合うのに」


 マーロンの言葉に、ゼラは自分の格好を見下ろした。今日は、袖が少し膨らんだだけで、他は一切の飾り気のない黒いドレスだ。絹の生地で仕立ててもらった、お気に入りの一着だった。反論しようと口を開こうとするのと同時に、ひんやりとした指がゼラの頬をなぞった。言葉を失い、頬を押さえるゼラに、マーロンは言った。


「あなたの真っ直ぐで物怖じのしないところは好ましいが、正直、その服装はどうかと思う」


 ゼラはなんとか体勢を立て直し、にこやかに応戦した。


「……わたくしも、マーロンさまのおおらかで快活なところは好きですが、そのまぶしすぎる服は好きではありません」


 マーロンは眉根を寄せた後、破顔した。


「やはり、俺たちは気が合うようだな」




 それからも、二人はお互いの家を行き来し、会話を重ねた。その度に、ゼラは彼が見聞きした異国での話を喜んで聞いた。もっと、とせがむと、マーロンは時間の許す限り付き合ってくれた。うらやましがるゼラに彼は、いつか一緒に行こう、と髪を優しく撫でるのだった。



※※※※※



 木々が色づき、秋の気配が近づいた頃、マーロンの父の仕事の都合で遅れてしまったが、二人の婚約パーティが開かれることになった。下級ではあるが、貴族であるオルウィン家の令嬢と、都で幅広い人脈を有するジャッド家の令息の婚約パーティとなれば、それは豪華なものになるだろう。


 ここで、一つの懸念がゼラの心に浮かんだ。実のところ、マーロンの派手やかな装いは、たまに目が痛くなるものの最近はそれほど気にならなくなっていた。彼の明るく屈託のないところ、時折見せる包み込んでくれるような優しさに惹かれ、服装の趣味の不一致を差し引いても彼が婚約者でよかった、と思えるくらいになっていた。しかし、今回の婚約パーティでは多くの招待客の面前で、主役として二人が並ぶのだ。個性的を大幅に超えた衣服を着た彼の横に、優雅な黒に身を包む自分では、あまりにちぐはぐではないだろうか、とゼラは思い悩んだ。



 その日だけでも装いを改めていただけませんか――。訪ねてきたマーロンに、そう言うつもりだった。他愛のない会話を交わした後、切り出そうとすると、


「パーティの日だけでいいから、いつもと違う感じのドレスを着てみないか」


 奇遇にも、同じような言葉を先に言われてしまった。


「え、わたくし? 当日は、仕立て屋にとっておきのドレスを注文してあるのですけれど?」


 黒いドレスの胸に手を当てて目を丸くするゼラに、彼は青緑色の髪をかき上げて苦笑した。ついでに言うと、上着とズボンは深い緑、靴は黄緑、手に持っている帽子は薄緑色だった。


「とっておき? あなたの言うとっておきとはどんなものだ。どうせいつもの地味で寂しい黒いドレスに、ほんの少し飾りを付けただけなんだろう。婚約パーティの日くらい、もっと艶やかに着飾ったらどうなんだ。きっと、とても――」


「寂しいだとか地味だとかは、問題ではないんです。それが、わたくしに似合っているかどうかなんです。自分に何が合っているかは、このわたくしが一番……」


「だから!! あなたには華やかな色が似合うと、何度も」


 荒げられた声に身をすくめたゼラを見て、マーロンは言葉の途中で、しまった、という表情をし、口を噤んだ。ゼラは床を見つめたまま、震える声を出した。


「そういうマーロンさまは。どのような格好をなさるおつもりなのですか。どうせ妙ちきりんで賑やかしい、きんぴかの服なんでしょう」


「心配はいらない。いつもより少し派手にするだけだ」


 肩をすくめるマーロンに、ゼラは挑むような視線を送った。


「冗談ではありません。人の格好をどうこう言う前に、まず自分のお姿をなんとかしてください。マーロンさまには、絶対に落ち着いた色が似合います」


「いや、俺にはこういう服のほうが合っている」


「客観的な意見をもっと大切になさったらどうですか」


「その言葉、そのままそっくりあなたに返そう」


 その後、無言のにらみ合いがしばらく続いたが、ひとまずこの場で折れたのはマーロンの方だった。


「今日のところはもう帰る。先ほどは、大きな声を出してすまなかった」


 ため息混じりに言い去って行く大きな緑色の背中を、ゼラはしかめ面で見送った。


 



 それから、マーロンは仕事が忙しくなったらしく、会えない日が続くことになった。喧嘩別れのような形のままになってしまったことに、ゼラの胸はずっともやもやしていた。


 パーティまであと数日となったある日、ゼラは自室の衣装棚を開け、昨日仕立て屋から届いたパーティ用のドレスを手に取り、鏡の前で当ててみた。天鵞絨織りの黒い生地は手触りもよく上品な光沢を放ち、スカートの部分に灰色の柔らかい生地を重ねてふんわりとさせてある。黒髪がドレスにかかり、艶を放つそれはたいそう美しかった。暗い色が白い肌をいっそう引き立てる。これを着た自分はとても素晴らしいだろう、という自信は揺るぎなかったが、鏡の中のゼラはどこか悲しげだった。


「ゼラ? 泣きそうな顔をしてどうしたの?」


 扉の方から突然かけられた声に、驚いて顔を上げると、母親が首をかしげて立っていた。


「ごめんなさいね。ノックをしたのだけれど、返事がないものだから。浮かない顔をしてどうしたの? ……マーロンさまと喧嘩でもしたんでしょう」


 少女のようにいたずらっぽく笑う母に、ゼラは素直に頷いた。ゼラの意志を尊重して、黒ばかり着るようになった娘を無理に着飾らせようとしなかった最大の理解者。母の持つ柔らかい雰囲気に気持ちがほぐれ、まとまらない胸の内を吐き出す。


「パーティで、この素敵なドレスを着たわたくしの横に……同じように素敵な格好をしたマーロンさまが立てば、どれだけ素晴らしいだろう、って考えていたんです。でもマーロンさまはいつもの変な格好を改めるどころか、わたくしにもっと派手なドレスを着ろ、だなんて。なんてひどいことを仰るのだろうと、そう思っていたんです。でも、それって――」

 

 先を探して途切れた娘の言葉を、母が受け継いだ。


「そうね、自分のことばかり、ね。彼の気持ちを考えていないわ。これから長く共に歩むのですから、相手の気持ちを思いやることはとても重要よ」


 諭され、ゼラはうつむき、黒いドレスに顔をうずめた。


「彼の気持ち、ですか。……とても、難しいわ」


 あのような服――いや、もっと派手にすると言っていた――をパーティに着ていこうとするマーロンの気持ちなど、想像もつかなかった。

 

「まぁ、ゼラったら。違う人間なのですから、難しいのは当たり前よ。分からなくても、理解しようとする。それが歩み寄りというものです。そうやって相手への愛情が深まっていくのですよ」


 歩み寄りという言葉に、ゼラは二度目に彼と会ったときにもらった、赤いバラにひっそりと混じっていた黒紫の花がふと心に浮かんだ。あれは、確かにマーロンの歩み寄りだった。そして、それに少なからずゼラは心を打たれていたのを思い出した。


「……お母さま。今からでも、間に合うかしら」


 ゼラのどこか頼りない言葉に、母は力強く頷いた。


※※※※※


 当日、パーティは夜からだったが、気が急ぎ、昼すぎには支度を終えてしまったゼラにとって今日はとても長い一日に感じられた。そわそわと過ごし、やっと陽が傾き掛けた頃、会場であるジャッド邸へ到着した。まだ開始には少し早い時間とあって、人はまばらだった。父母と、数人の侍女とともに馬車を降りると、出迎えてくれたジャッド家の執事の目元がなぜか赤い。


「お、お待ちしておりました。本日は……まことに……うぅっ」


 言葉の途中でとうとう泣き出してしまった白髪の執事に、ゼラが不審そうな顔をすると、彼は慌ててハンカチで顔を拭い、非礼を詫びた後ゼラ達の案内を始めた。彼が、ゼラの父母に何か耳打ちすると、二人は微笑み、自分たちはマーロンの両親に挨拶に行くがゼラはまずマーロンの元に行きなさいと言った。両親の、何かこらえているような笑顔にゼラは不思議に思いつつも、絨毯敷きの広い館内を導かれるままに応接間へと向かう。


 喧嘩別れして以来初めてマーロンに会うわけだが、まず何と言おう、そして、彼は自分を見て何と言うだろうか――期待と不安の入り交じった思いを抱えたまま、執事に通された部屋に入ると、そこに広がる光景にゼラは立ち止まり、息をのんだ。タイの位置を侍女に直されている、紳士の姿。まだ少し曲がっています、もう大丈夫だ、という言い争いをしていて、こちらには気づいていないようだった。ゼラは、その不機嫌そうな顔をした男性がマーロンであることに気づくのに、数秒かかった。


 鳶色の髪は後ろに撫でつけられ、秀でた額が露わになっている。黒いジャケットとズボンに揃いのウェストコート。サテンの真っ白なシャツにポケットチーフ。磨かれた黒い靴。いつもと変わらないのは涼しげな薄茶の瞳。呆然とするゼラの耳を、あの全身金色の服を本当に着られたらどうしようかと……という執事の涙声が通り抜けた。


 ゼラがしばらく反応に困るほど、それはマーロンによく似合っていた。いつもの格好との落差ともあいまって、今日の彼の装いはまさに衝撃的だった。まるで別人のようだ。均整のとれた長身が黒に映え、優しい色合いの髪と瞳が、美貌に暖かみを添えている。そんな彼の姿に、ゼラは一心に見とれていた。


「マーロンさま」


 我知らず口をついた呼びかけに、マーロンがこちらを向く。とたんに不機嫌な表情がはがれ落ち、彼はゼラと同じように目を見はり、石像のように固まった。


 ひたすらに注がれるマーロンの視線に、


 ――やっぱり、変なのかもしれない。だって、マーロンさまがあんな顔をしてこちらを見ている。


 ゼラは、たまらずに俯いた。


 絹の滑らかな光沢を放つ淡い桃色のドレス。耳の部分を残して結い上げた巻き髪を、赤い薔薇を模した髪飾りが華やかに彩り、紅水晶の首飾りが白い肌の上で輝く。そんな自分の姿を、ゼラは出かける前に自宅の姿見で一瞬見たきりだった。


 オルウィン家で、着替えを済ませうっすらと清楚な化粧を施されたゼラを見て、母は晴れやかに微笑み、父はハンカチをぐっしょりと濡らし、まだ幼い弟は恥ずかしくなるくらいの賛辞の言葉を贈ってくれた。しかし、当のゼラは自分が黒以外の衣装を身に着けていること我慢できず、鮮やかな晴れ着を着た自分をろくに直視することが出来なかった。周りは美しい、美しいと涙ながらに言ってくれてはいたが、全く自信がない。


「ゼラ」


 こちらへ近づいてきたマーロンが小さな声で呼んだ。のろのろと顔を上げると間近に彼の姿があり、ゼラの頬には瞬時に熱が上った。心臓が早鐘のように高鳴る。黒に身を包んだ彼は、目眩すらしそうなほどの魅力を放っていた。しかし、ゼラの名前を呼んでおいて、気まずげに横を向き視線をそらしたまま言葉を発しようとしないため、


「マーロンさま……?」


 声をかけると、彼はそっぽを向いたまま額を抑えた。


「……今まで、もっと派手な格好をしろなんて言ってきてすまなかった。もう、今日限りでそんな格好はしないでほしい」


 苦しそうな横顔に、ゼラの気持ちは一気に沈んだ。やはり、こんな可愛らしい格好は私には似合わない、といたたまれなくなる。そういえば、さっきからマーロンはろくにゼラの方を見ようとしていない。ゼラはむきだしの白い肩を隠すように両手で覆った。


「……やっぱり、似合いませんよね」


「……」


 返事をしないマーロンに、ゼラは重いため息をついた。


 しかし、しかしだ。今日の装いはすべてマーロンに歩み寄りの意志を見せようとしてやったことだ。言われなくてもこのような格好は今日限りのつもりだし、似合わないのはよく分かっているが、そんな言い方をしなくたっていいではないか、とふつふつと怒りがわいてきて、文句を言おうとゼラが口を開いたときだった。


「他の男に見せたくない」


 ぼそりと言われた言葉を、ゼラは一瞬理解できなかった。マーロンの横顔を凝視する。あまりに似合わなすぎて、人が見るにたえない、ということだろうか、それとも――。


 まさか、という思いで彼の言葉を反芻し、ゼラは自分の格好を見下ろした。


「どういう意味ですか?」


「そのままの意味だ」


「……マーロンさま?」


 名前を呼んでも頑ななまでにこちらを見ようとしないので、ゼラはマーロンの向いている方向に回り込んだ。せわしなく泳ぐ彼の視線の先にしつこく映りこもうとするが、敵もさるもの。器用に逃げる。意地になったゼラは、後ろで付き添いの侍女の忍び笑いが聞こえるのにも、構っていられなかった。


「マーロンさま! このドレス、わたくしに似合っていますか?」


 真剣な声音で問えば、観念したのか薄茶色の瞳がやっとこちらを見た。困ったように眉根を寄せて、深く頷いた。彼の鳶色の髪がはらりと額に落ちる様があまりに素敵で、再びゼラは赤面した。


「本当に綺麗だ」


 切なげに伝えられた言葉によろめきそうになるのを堪えて、


「あ、ありがとうございます。マーロンさまも、その素敵な服、とてもよく似合っていらっしゃいます」


 やっとの思いで言うと、彼は少し顔を赤らめつつも怪訝な顔をした。


「そうか? だがやはり、こんな地味な服は落ち着かないな。じいなんて涙まで流して、大げさな。いくらあなたのためにしたこととはいえ――」


 そこまで言って改めて婚約者のドレス姿に目をやったマーロンは、再度勢いよく視線をそらした。もう、また別の方を向いて、と咎めるゼラ。その二人の様子に、付き合いきれないと言った感じで、執事と付き添いの侍女たちが、時間になった呼びに来ます、と肩を震わせながら部屋を出て行った。


 ゼラのために、確かにマーロンはそう言った。彼も自分と同じ気持ちで、今日だけは、自らの大切なこだわりを置いてきたのだと思うと、ゼラの胸にじんわりと暖かな気持ちがこみ上げてくる。二人の距離が確実に縮まったことを実感した。


「マーロンさまも、明日からはいつもの感じに戻ってくださると嬉しいのですけれど」


 二人残された室内で、ゼラはマーロンを真っ直ぐに見上げる。 


「勝手なことを言って申し訳ないのですが、やっぱりそんな姿は素敵すぎて……長い間見ていると、わたくし、倒れてしまうかもしれません」


 はっとした顔でこちらに向き直るマーロンの無防備な顔。こんな新しい一面を、これからどれだけ発見できるだろう。そんな希望に顔をほころばせるゼラを見て、マーロンはため息混じりに言った。


「あなたのその姿こそ、目の前にした男は平常心ではいられない。俺は今倒れる寸前だ」


「ああ、やっぱり、わたくしたち、気が合いますね」


「同感だ」


 二人は不敵な笑みを浮かべ合うのだった。

 


 

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― 新着の感想 ―
[一言] 素敵なお話でした! 2人の“歩み寄り”に笑顔が止まりませんでした。
[良い点] うーわぁーーー 可愛いお話でした(*^^*) 二人のお互いを想う気持ちが素敵で、 胸にじんわりきました。 [一言] 他のかたのブックマークから来たのですが、 こんな素敵な出逢いがある…
[一言] この作品好きです!! 面白いです!
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