己の決める道
ひとしきり菓子やサンドイッチをつまみ。腹が膨れた後、戒は飛鳥に尋ねる事にした
それは昔から抱いていた疑問でついこの前までは、彼女に聞いてもはぐらかされそうな質問であったが
なぜか今の彼女なら答えてくれる確信があった。そう思えたのは戒にも分からない
「先輩はどうして夕方が嫌いなんですか?」
昔から気になっていた事を聞いたどうして今それを知ろうと思ったのかはよく分からない
ただ、今の彼女なら答えてくれそうな感じがしたからだ
「ああ、あの事?」
飛鳥は苦笑を浮かべつつ答えた。その笑顔に何かを振り切ったような表情が垣間見え、清々しそうに見える
戒にとって彼女の笑顔は眩しすぎた。自分もこんな顔で笑える日が来るのだろうかと心配になる
今の彼女は迷いも疚しさも。後悔すらもすべて乗り越えてきたようだ
「夕焼けの景色自体は嫌いじゃ無かったよ。ただ別れを連想させるのが嫌だっただけ」
答えが過去形になっていることに戒は気付く。確信じみた感想を浮かべつつも、どうしても詳細な理由が聞きたい誘惑に負けてしまった
「嫌だった?今はどうなんですか」
「今は大体振り切ったよ。いろいろ考えさせられたし、友達にも支えられてきたから。これも戒君のおかげかな?」
「僕は・・・先輩に迷惑かけてばっかりで何も」
彼女の割り切りのよさは賞賛に値すべきものだった。社会経験を経た大人さえも飛鳥のようにさっぱりした性分の人間は少ないのかもしれない
自分は後ろばかり見ていて一歩も前進できていない
「前にも言ったと思うけど、自分を小さく見て型に嵌め込むのは良くないよ
若いんだし、もっと色々チャレンジしてみればいいんじゃないかな?」
「先輩だって若いじゃないですか」
「うん。二十代後半までやれることはやっておきたいね、戒君も今なら変われると思うよ」
果たしてそこまでの間に自分が立ち直れるかどうか、彼女のようになれるかどうかはわからない
「そんなもんですか?」
「そんなもんだよ。まあ、価値観はいくらでも変えられると思うよ。若い内ならね
悪い方にもいい方にも変えてしまうのは、最終的に自分の意思に委ねる事になるけど」
自分の意思というものが飛鳥のそれとは脆弱であり、それが故にいろいろなトラブルを招き『彼女』を救えなかった事
これらはトラウマとなって今の戒を引き摺っている
「・・・僕も変わりたいなら変わりたいんですけどね」
「これ、持ってきたんだけど」
飛鳥は鞄から茶透明の瓶を取り出した
ラベルに貼られた英文字を見てその中に何が入っているか大体の見当は付いたが
「ブランデー持ってきたんだけど飲む?」
「僕も先輩もまだ十代なんですけど」
「若さは度胸、何でも挑戦してみるものだよ!」
「いや、ですからお酒は二十歳から・・・」
「気にしない気にしない」
瓶を手際よく空け、鞄から紙コップの入った袋を取り出す飛鳥
戒も半ば諦めてコップを受け取った。法律を持ち出したところで、どの道にしろ一時期喫煙していたのだ
今の湿っぽい気持ちを酒で洗い流すのもいいかもしれない。明日から春休みなので部屋で一日中過ごせば発覚の恐れも無い
「じゃあ、カンパーイ!」
「・・乾杯。」
どこと泣く釈然のしないままコップを受け取って飲み干す戒
初めての酒の味は苦い。それだけに尽きた
「戒君。まだやり残した事とは無い」
天音の横顔が頭の中に浮かぶ、戒は否定するように頭を振って答えた
「在りませんよ、そんなの」
「戒君、嘘吐いてる。私には分かるよ」
酒の影響で感情が顔に出てしまったのかは分からない。ただ、頭の中はくらくらしている
周囲の景色が自分を中心に回転しているようだ。思考は冷静さを保っていたが、その中で飛鳥の顔だけははっきりと目に映った
「ほら黙った。図星だったね!」
からからと嬉しそうに笑う飛鳥は普段の真面目な彼女とはまるで別人のように明るかった
「悩んでるんならさ、君が後悔しない方を選んだほうがいいよ」
選択する、また空に呼びかけるというのか?
だが彼女は『彼』とやらに連れて行かれてしまった。『彼』が何者かは分からない
恐らく戒や飛鳥。それどころか人類にすらも理解できない超越した神のごとく存在なのかもしれない
天音を空に連れ去った事から判断しても『彼』がやったのだとすれば、自分が対抗できる道理は無い
それでも、胸のざわつきを押さえ込むことなど出来はしない。彼女の横顔が、最後の唇の感触がどうしても忘れられない
この数ヶ月、天音のことを考えない日など無かった。無意識のうちに何処かに彼女の影を追っていた気がした
だからこそ諦めきれない
「僕は・・・したい事があります」
「私、戒君が好きだよ。彼氏にしたかった」
笑顔で飛鳥が言う。表情が少し寂しげに見えたのは戒の気のせいだろうか?
「本当に済みません」
「自分の気持ちに正直になれるのも若い内の特権。だから早くしたほうがいいよ」
つい、僕も先輩が好きでした。と戒は反射的に答えそうになっていた
もう少し強い酒なら話の流れで舌を滑らせていたかもしれない。しかしその言葉だけは言うわけには行かなかった
たとえ『彼女』が戻ってこなかったとしても
胸焼けのを覚えながらもさらに酒瓶を手にコップに注ぎぐい、と呷る
体中が熱くなり足元の感覚が覚束なくなる。ひどい眠気を覚え床に横たわりたくなった
「ちょっと飲みすぎじゃない?戒君。」
遠ざかっていく飛鳥の声。戒は彼女に大丈夫だと言いたかったが呂律が回らない
声は言葉にならず、意味の判らぬ単語が飛び出すばかり。ようやく自分が遅酔いしたと麻痺した思考の中で結論に至ったのはもう少し後だった
なんという事だ、自分がこうも酒に弱かったなんて
「ちょ・・・ちょっと!戒君!大丈夫?」
やけに遠くで飛鳥の声が聞こえる
彼女の顔は息がかかるほど近づいているというのに
(あ、先輩・・・後で起こしてください。僕は近いうちに――――)
飛鳥の声が聞こえなくなり、戒の意識は暗闇に呑まれていった
最後に彼女が自分にブランデーを勧めたのは、本音で語り合って気持ちの整理を付けたかったのだろうとの確信を胸に抱きながら―――――――




