空へ・・・(1)
とうとう約束の日曜日がやってきた
戒は前日の土曜日になけなしの貯金を下ろして街に繰り出し服やジーンズ、普段身に着けないアクセサリーを買いに走ったのだ
ずっと溜め込んでいたお年玉やバイトの給料はそれで半分ほど消えたが、後悔はしていない
金などは足りないくらいが丁度良いのだ。使いたいときに手元にそこそこあれば迷わず投資すべきだというのが戒の信条であった
しかし、翌日に訪れた天音は水色の―――彼女的には空色のノンスリーブワンピースと麦藁帽に似た形の白い女優帽子を被ってシンプルかつ単純にファッションを整えていたために
金をかけて自分の身支度を整えた戒を唖然させてしまったのである。更に彼女の服装が似合っているのもあってか
気合が空回りした挙句、雑誌を見て高価なものばかり手当たりしだい購入した戒の新服は明らかに着慣れていない感じが出てしまった故か、妙にちぐはぐとした格好になってしまい
それを見た天音からは無言の視線、それを受けて戒自身は恥ずかしい思いをしてしまっただけと不発に終わってしまったのである
そして、町についても天音はほとんど無言のままだった。それでもついてきてくれた事情はよく分からない
恐らく、戒の「空」という言葉に引かれてきたのかもしれない
仮にそうだとしたら戒の思惑は見事に的を当てた事になる
彼女にとって戒はある意味で最も許せない相手なのだろう、自分の世界観に真っ向から意を唱える異教徒のように取られても不自然ではない
それでいて自分の諸侯を理解してくれる数少ない『知り合い』のようなもので
天音自身が『空の世界』とやらへ行くために利用していただけかもしれない
戒自身も天音に「彼女」の面影を見つけて擦り寄っただけで利用していたことを思えばお互いさまなのかもしれない
互いに利用して互いに傷つく。不器用にしか生きられない二人の性格を省みれば必然なのだろう
笹山を恐喝紛いのことをしてまで彼女を庇ったのは義務感と微かな気まぐれもあったはずだが
今となっては無意識の内に計算を練ってやったことだと戒は実感していた
一介の教師ごとき簡単に処理できる。少子化社会によって昔より子供の重要性が高まり保護者の声が大きくなるに比例して
学校の現場はやりにくくなる
その道理を戒はとっくに理解していたし、それで勝算も見込んで強引なことが出来たわけだ
事実、そうやって退校に追い出された教師を戒は知っていた。自分の高校はお世辞にも行儀の良い連中は集まっていない
例を挙げれば康生とその仲間達だが、自分も笹山を陥れた以上は彼らと同類なのかもしれない
そう思うが故に二度と真似したくない行動ではあったが、担保が利く勝算が無ければああも無茶な選択は取らない
「正午前だけど、お腹減ってない?」
「・・・別に。」
そして、今回の提案も言い方を変えれば『デート』と呼ぶに値するものなのかもしれなかった
というよりも若い男女が二人で外に出て外食したり、観光地に向かったりするのは誰が客観的に見ても『デート』としか言えない行動なのだ
尤も天音はいつものとおり無愛想でそんな気が全く無いのは明白であるのは確かだし、戒も彼女との約束を果たす名目の為に付き添っているに過ぎないと思ってはいた
しかしながらまんざらでもない感情が多分に含まれているのも全く否定は出来ない
せっかくだから、道中退屈な思いをさせずに少しは楽しんでおこうとの打算も働いてか戒は天音にある提案をした
「少し、食べていかないか?僕がおごるよ」
天音は戒のほうすら向かずに無言で頷いた。拒否されないところを見ると了解したらしい
尤も、ただ単に関心が無いだけかもしれないのだが提案を受け入れてくれたこと自体ありがたかったので戒は何回か通ったことのある店へと足を運んだ
「マンデイ・カフェ。喫茶店みたいなものだけど簡単な食事もあって、ケーキがおいしい。お勧めは紅茶のストレートとモンブラン
禁煙席は無いけど、今は正午で禁煙タイムだからタバコの煙は気にならないと思う。甘いものが苦手なら先に言って」
簡単に店の説明をする。何回か飛鳥に連れて行ってもらった場所で、多少古さを感じさせるが雰囲気が静かであり騒がしい客も来ないので個人的には過ごし易い店である
しかし、天音はどうでも良いといった風に歩を進める。徹底的に無関心を貫いているようにも、虫の居所が悪いようにも見える
戒はやや肩を落としながら、彼女の後に続いた。これではまるでデートとしても最悪の部類だと
ここまで無碍に扱われると、自分は女性に嫌われやすいのではないかと自信を無くしそうになる。先日の飛鳥の件を含めてだ
店の中に入ると年代物のクラシックの穏やかな音色が店内を包み込んでいた
席は半分も埋まっておらず閑散としている。開店直後の昼前の時間帯も影響しているのだろう
人付き合いが苦手そうな天音に対し戒なりに配慮した結果だった。尤も彼自身店が混雑していれば別の場所に向かうつもりではあったが
「窓際の席でもいい?」
「空が見えるなら何処でもいいわ」
確認を取った後、窓近くの一つだけ開いているテーブルを確保する
対面式に椅子が二つ筒用意している席であった為に天音と向かい合う形になる
戒はちょっとした世間話で時間を潰そうとしたが、天音は静かに窓の外に顔を向けていて取り付く暇も無い
観念して鞄の中から文庫本を取り出す。飛鳥から借りた『ガリヴァ旅行記』だ
出鱈目な翻訳文に苦戦しながら文字の羅列を目で追おうとする。しかし、目の前の天音に気を取られてなかなかページが進まない
「お客様、ご注文良いですか?」
突然横から聞こえた声に戒は顔を向ける。エプロンに身を包んだウェイターが不器用な笑顔を貼り付けてこちらを見下ろしていた
「はい、ケーキセットのパンプキンとコーヒーのブラックで」
「かしこまりました、ではそちらのお客様は?」
茶髪に染めた髪を逆立てた大学生のバイトらしきウエイターが注文を取りに天音の隣へ立つ
戒は見たこと無かったが、正直この手のタイプは苦手だった。そっけなくオーダーを済ませようと決める
「同じやつで」
「彼氏の方と同様でよろしいでしょうか?」
「あのさ、彼氏とかじゃないんだけど。あんた馬鹿?」
天音が店員を冷ややかな視線で刺しながら告げるのを見て、会は背筋の凍る感触を覚える
唖然とするウェイターをフォローするように注文を告げた
「連れが失礼しました。モンブランとストレートティーでお願いします」
「・・・承りました。なお本日はレディースデイですのでケーキがおひとつサービスされますがどうでしょう?」
長身の店員が再度ニコニコと笑顔を貼り付けながら天音に確認を取るが
「別に、太るからいらない。そんなに食べると思ってるの?頭悪そうだからもう少し気を利かせたらどう?」
「君は黙ってて、頼むから」
先程の言動もあってか店員の顔が強張っていた。ここまで失礼な客は彼も初めてだろう
戒は必死で天音の言葉を遮った
「・・・。では注文は以上で」
「はい。お願いいたします」
無愛想な彼女の態度に気を悪くしたのを、戒が割り込んでオーダーを済ませる
バイトは顔をしかめながら、戒たちのテーブルにきつい視線を投げる。戒が軽く一礼すると慌てて厨房の奥へと引っ込んだ
期限を損ねてしまったのは間違いないようだ。店員に対しては元より、天音もあまり機嫌よく見えない
「君、もっと愛想よく出来ないのか?損してると思うけど」
無駄だと思いつつも彼女の為を思って注意するが
「別に、こんな場所。初めてだから」
一蹴されてしまい、反論に対する答えを戒は用意できずそれっきり会話が途絶えてしまう
気まずさを覚えながらも戒はそう悟られないように平静を装った
(やっぱり自分は女の子に嫌われやすいのかも・・・。)
これを本当にデートといっても良いのか?戒は疑問とともにある種の心労を覚えた
気を使ってくれる飛鳥とは違い天音のは相当に気を使ってしまう為に、随分と神経をすり減らされる
苦痛さえ覚え始める戒だったが、彼女に許してもらえる為なら誠意を見せるつもりだった為に我慢した
退屈しのぎに窓際を見ると目的地が僅かに視界に入る
そこが彼女に気に召す場所かどうかは分からなかったが




