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孤独との戦い

(宇都宮さん・・・。)


今日は早く学校に来たので始業時間にはまだ余裕がある

腕時計に視線を向けると時刻はまだ八時にはなっていない。始業時間は八時十五分でおおよそ二十分ほどの時間が残っている

戒は天音の姿を探した。無論、昨日の出来事を謝罪するつもりだったのだ


だが、いくら廊下を駆けても天音の姿は見えない

彼女が教室以外に居そうな場所。屋上か、それとも学校に来ていないのか

不安で胸が覆われそうになる中、まずは屋上へ向かう、北方向の階段へと走り。足を速めていくが不意にその歩みが止まる


(今は、彼女に遭っても許してくれない)


昨日の夕方、一回だけ彼女に会う事はできたが天音は戒のほうに一瞥を寄越しただけだった。何時もなら弁当を渡す合図をしてくれるのにである

それに彼女の視線は怒りに燃えていたような気がする。怒らせた少女を宥める方法なんて女性経験が乏しい戒にとって無理な問題だ

更に天音は今まで関わってきた女子とは違い、我が強く気の難しいところがある。無難に謝ったとしても許してくれる確率は格段に低いだろう

避けられている。今は何を言っても聞いてくれそうに無さそうだった


その考えに至った時、戒は教室に戻ろうとした。しかし、戻っても自分の居場所なんて無い

康生とその仲間たちの不興を買ったのだ。帰ったとしても今までと同じような心地で学校生活が送れるはずが無い

天音や飛鳥と過ごす時間以外、たいした充実感を覚えていなかった戒ではあったが。康生達もある意味では時間を共有した仲間でも有るのだ


(言い過ぎた。でも、宇都宮さんの事をあいつに言われたから頭に血が上って熱くなって)


廊下の脇を雑談しながら男子生徒達のグループが通り過ぎていく、それを横目で見ながら溜息を吐きそうな気持ちに襲われた

少ないながらも存在していた自分の居場所。クラスの中でも交流の場でもある

どうせなら誤魔化してしまえば良かったのだ。天音のことは棚に上げて冗談も交えて彼女との関係を否定すればよかった

天音とは対立してしまっている以上彼女としばらく合わなければ噂の波も立たなくなる。だが、それをしなかったのは天音の姿が『彼女』とだぶついていたからだ

その天音も今は自分の場所から遠ざかっているような気がした


暫く、思考がループしなんの気も無いまま廊下を歩き続ける

すれ違う女子生徒がかすかに視線を投げていくが、それすらも戒の近くには入ってこない

天音の元にも、教室に戻ることも出来ずに戒はある場所に向かった


「僕の居場所は・・・何処にも無い」


ふらふらとよろめきながら戒はある場所へ足を運ばせていった

既に授業のことは頭から吹き飛んでおり、彼の中では既にさして重要な事では無くなっていた






そこに着き、受付のほうに視線を向けると誰も居ない。図書担当の先生は外出しているらしかった

戒は膨大な本棚の奥の倉庫に足を踏み入れ。中に入る

埃と古い紙の匂いが鼻につく、あまり換気がなされていないのかにおいが部屋全体に充満しており舞い散った無数の埃が窓からの光を帯び

海底で無数に漂うプランクトンのように白い飛沫がカーテンから漏れた光を受け漂っている

その中で埃にまみれた棚から、一冊の本を抜き出して戒は地べたに座る。今はズボンが積もった埃に汚されることさえ気付かなかった


(今日は暫くここに居るか)


実のところボイコットなのだが、今日は授業を受ける気がしない

しばらく気分が落ち着くまではこの場所でくつろぐ腹づもりだ。今は人前で平坦に振舞っていられるほどの余裕は無い

ゆっくりとページをめくる戒にはそろそろチャイムが鳴り、開始されるホームルームのことなど頭に無かった

誰の声も聞こえない場所、自分一人だけの場所。此処だけが今の彼にとっての居場所であった


丁寧にページを捲り文字列の羅列に目を通していく

しばらくそうしていると落ち込んでいた気分も徐々に平静を取り戻し、読書に集中できる

こうして本を読むなんて文芸部の部室や自宅の部屋以外にはあまり経験が無い、一応学校に暇つぶし用の一般小説を鞄に忍ばせてはいたが康生達との付き合いのすり合わせであまり読む機会が無かった

この学校に限らず、教室内で一人で本を読んでいるような社会性の無い生徒は阻害されやすいのだ。今の彼にとっては無意味な縛りと化してはいたが

そうして考えてみると読書好きでなおかつ友人が多いらしい白石飛鳥は例外的であるともいえた

それはもしかすると彼女が人より要領が良く、対照的に戒が不器用であるだけなのかもしれないのだが


彼が今手に取っている本は何かのSF小説のようだった。それも今現在は使い古されている筋書きのもので

当時としては斬新な物語であったそれも広く認知されるに従い時代とともに色褪せありふれたものとなり、忘れ去られていく

つい最近ハリウッドで映画化したともニュースで聞いた覚えがある。主人公が宇宙船に乗って移住するための惑星を探す旅の話

その主人公と戒は自分を重ね合わせてページを進める。集中して赤茶けた紙に刻まれた文字を追っていくと、自然と時間が早く過ぎていくように思える


今は何かにのめりこんで現実を忘れたかった。何も考えたくも無い


数百年後の未来。資源が枯渇し荒廃した地球で気候の大変動等の要因も重なり、汚染によって人口百億を誇った人間は徐々にその数を減らしていった

水が溢れ、草木が繁った理想郷を探す宇宙船に乗った過酷の旅の中で主人公以外の乗員は彼の同僚の女性以外を残して全滅してしまう。だが、二人は何度も苦境を乗り越えながら互いに絆を深めていく

そして彼等がたどり着いた地は理想郷なのか?


自然と物語の主人公とヒロインに自分と天音を重ねていた戒は次々とページを捲っていく

その先が知りたかった。二人は理想郷を見つけられたのか?そして、彼らは旅の向こうに何を見つけたのかを・・・


だが、その先の物語を読むことは出来なかった

割り込んできた声と共に伸びてきた太い手によって本が取り上げられてしまったからだ


「君、そんなところで何してるの?今は授業中のはずでしょう」


「あ・・・。」


目尻に小皺を生やした小太りの中年女性司書が面倒くさそうに戒の前に立った時、戒は間抜けな声を出していた

見つかってしまった。焦りつつも言い訳の言葉を捻り出そうとするが、上手く舌が回らない

そもそも、普通の生徒が授業時間に図書室の倉庫に篭って本を読んでいる事自体そのものが、他人を納得させる言い訳など出来るはずも無いからだ


「すみません、これはその」


辛うじて口に出した言い訳を司書は肥えた二重あごを動かしぴしゃりと切り捨てた


「二年の子でしょう?来年は受験か就職なのにサボるんだから・・・まったく最近のこの年頃の子は」


司書は戒の言い訳もまったく意に介せずまま腕を掴み、無理やり立たせる。意外にその力が強く彼の口からうめき声が漏れそうになる

慣れているのだろう、司書の行動にはさほど迷いが見られない


「前にも三年の若い子が倉庫にたむろって煙草を吸っててね。まったく、近頃の若い子は図書室を休憩所だと思っているのかしらね?親のモラルが知りたいものだわ」


ぶつぶつと愚痴りながら戒の手から本を毟り取り、丁寧に埃を払って元の棚に戻す司書

さすがに本の整理は慣れているのか、何の迷いも無く本を棚に戻す動作を見て以前にも同じようなことがあったのかもしれないと思う間に

司書は携帯電話を取り出し話し始めた――――恐らく担任に繋がっているのだろう、戒の事を報告するために


「あの、先生のクラスの生徒ですが図書室に隠れていました。この時期はよくあるのですぐに見つかりましたが今後このようなことが有れば会議で・・・」


中年司書に抵抗するまでもなく、戒はその場でうなだれていた

今は自分で何をすればいいのかも彼には判断がつかなかったのだ



司書の腕に引っ張られるようにして教師へと連れて行かれる戒

彼は特に抵抗せず素直に中年の司書から職員室で待ち構えていた担任に引き渡され、教室の戸をくぐった


(まるで犯罪者にでもなった気分だ)


口には出さずに思考する、さしずめ今は大衆の前で公開処刑を待つ罪人の様な心情を抱いていた

教室の中に入ると担任の不在によりざわめいていた空間が一気に静かになる。席に座っている生徒は戻ってきた戒の姿に視線を集中させる

その収束していく視線が戒に集まるのをみて、彼は十字架にくくり付けられていくキリストの気分を味わった


「ホラ、早く席に戻りなさい。それと本日の放課後は職員室に来るように」


数学の男性教師に戒を連行してきた担任が頭を下げた後に言い放ったが。戒はその言葉が頭に入らなかった

彼の心境はこの後の説教よりももっと別に興味をそそられることに向けられていたからだ


「おい、聞こえているのか?神城!」


担任が戒の肩を軽く小突き、押し出すように戒を自分の席へ戻るように促す

余計な事で仕事の手間が増えたのか苛立っている様だったが、戒にとってもそれはあまり重要なことではないし自分が悪いとも考えていない

それでも謝っておかないと収拾がつかないので一応、頭は下げておく事にする


「・・・はい、済みませんでした」


気の篭らない返事を教師に返し、会は自分の席に戻ろうとする

周囲の席は会の姿を見てニヤついているもの、隣同士でなにやら相談しているもの、無視して教科書に目を通すものと多彩な表情を覗かせていた

おそらく昨日の騒動でも話の種にしていたのだろう。あまりいい気分ではないのでするにしても本人の居ないところでやってほしかったが

いちいち反応せずに窓際の席、そこに座っているであろう天音の姿を捜し求める



彼女は居た。いつもの窓際の席で教科書を開いたまま窓の外に顔を向けている


天音の横顔は要望が端麗な事もあり、それ自体がまるで一枚の絵のように完成された構図のようだ

彼女は相変わらず『理想郷』を探しているようだった。整った外面から滲み出る、浮世離れした雰囲気が彼女を宇都宮天音たらしめているかのように


だが、天音を見るだけで戒は安心してしまう

やはり彼女は彼女なのだろうと、先日にあんなことが在ったとは言えいつもと代わらずにそこに居る天音の姿は確かな存在感を見せつけ、とても美しく見える

彼女がそばに居るだけが嬉しいと思う。有る意味では戒と天音は共有した何かを奥底に秘めた仲間だと信じて疑わなかった


その天音がこちらに向けて視線を寄越した。戒も彼女のほうに顔を向ける

心臓の鼓動が高まるのを感じる。繋がった視線、目で言葉が伝えられるならば彼女に謝りたい。その気持ちで戒はいっぱいだった

しかし、願いは届かない。一瞬の会合の後、天音は顔を背け再び窓の外に向けられる


無視に近い反応ではあったがそれはある意味、今の戒にとって在り難いものではあった

真正面に彼女の視線を受け止めると自分がまた暴走してしまうような気がする

だが、その気持ちとは別に悔しい思いが滲み出るのも確かだった。自分は彼女の空の代わりになりえないのかもしれないと、そう思った

もしかしたら偶然だったのかもとも思う、彼女の影を自分が追いかけていたくてそれが勘違いを引き起こしたのかもしれない

そんな自分が嫌になってくる、女々しい己が未来を切り開くことが出来ない。今は飛鳥の行動力が羨ましかった


教科書を広げる。そこに書いてある文字列や数式を必死に覚えることがとても虚しい様に戒は思った

そんなものを暗記したところで彼女が許してくれるわけでもないのに

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